腹黒狼侯爵は、兎のお嬢様を甘々と愛したい

水守真子

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 世界には性別三つある。アルファ、ベータ、オメガだ。
 大多数はベータであり、アルファが占める割合は全体の二割と少なく、オメガはもっと少ない。
 優秀な才能を持って生まれるとされるアルファは、社会階級が高い位に多く存在しており、実質貴族社会を引っ張っている。

 だが、オメガは一般的に能力に劣ると言われていた。
 それは『発情』と言われる特有の性的な匂いを発することに起因していた。
 その強烈な香りにアルファは抗えず、オメガを無秩序に性的対象として扱う。
 さらには、オメガは才能豊かなアルファを生む確率が高いとされ、生殖機能だけが目的とされることもあった。
 その性のせいで社会階層の下位に置かれてはいるが、実際は優秀な者も多いが、活躍の場は極端に少ない。
 大多数のオメガは、性別を隠し生きている。繁殖のための性別というレッテルが消えることはない。
 だからこそ、オメガは発情を抑える『ハーブ』を支えにして生きていた。
 


 イザベラ・コートナーは白いもふもふした長い耳をピクリと動かした。
 風の音に乗ってハーブに呼ばれた気がしたのだ。
 テーブルの上で粉にした乾燥したハーブを紙に包んでいた手を止めると立ち上がった。
 壁に掛けていた体をすっぽり隠す深緑のマントを羽織り、耳も入る高めの帽子を被る。
 軽く波打った長いブルネットの髪は帽子から出たままで、パッと見は魔女のようだ。
 テーブルの上にあるハーブにふんわりと布を掛けると、バスケットを持って家を出た。
 ぐしゅり、とブーツを履いた足が僅かに土に沈む。
 昨日降った雨で土がまだ柔らかくて、草木から出る緑の香りも濃い。
 きっと今日は摘み時だと、イザベラは笑みを浮かべた。
 人よりちょっと勘が良くて、ハーブの配合も見極められるお陰で、人里離れた場所で隠れるように暮らしていける。
 イザベラはハーブ園へと歩みを進めた。
 人がひとり歩けるくらいの細い道は、草木を掻き分けなくてはいけない道なき道だ。
 マントと帽子がないと肌が傷だらけになる。
 ここはお金を生む隠された畑だから、道が分かりやすくてはいけないのだ。
 歩いていると顔に枝が当たり、痛みに顔を顰めた。
 目に入らなくて良かったと思う。
 こんな暮らしでも自分にとっては天国だ。
 ここには、アルファがいないから。
 王都には立派な家も、優しい両親も兄も住んでいる。
 とても恵まれているのに、オメガであるせいで王都で暮らすことが怖い。
 発作を起こした時、奇異の目で見られるだけならいい。
 アルファに無理やり身体を触れるのが怖くてたまらないのだ。
 だから、草木に道を阻まれるくらいは全然平気だ。
 ハーブ摘みは人に喜ばれるしやりがいもある。
 朝と昼、ちゃんとハーブを飲んだことを思い出して、ほっと息を吐く。
 自分がオメガだとわかってから、何千、何万も繰り返している確認だ。
 イザベラは自分に発作の兆候が無いことに安堵しながら、帽子のつばを掴んで深く被りなおした。

 獣人は通常、年に一回しか発情しない。通常、春である。
 その時期に合わせて貴族では社交界シーズンが始まり、街では花祭りや夜祭りなどいろいろな祭りが催される。
 恋人を見つける、結婚をする、子を作る、お祝い事で人が浮かれる……犯罪率も高くなる、それらをひっくるめて春なのだ。
 だが、オメガであるイザベラには繁殖の季節なんて関係がない。
 いつ起こるかわからない発作のような発情をしてしまえば、アルファを誘う香りを出してしまうからだ。
おまけにウサギの獣人は交われば排卵してしまう種族で、我を失って交わって妊娠、これが普通にありえてしまう。
 イザベラがオメガだとわかった時、アルファの父親とオメガの母親はすぐに動いてくれた。
 裕福な商家であった上に、発情を抑えるハーブを店で販売していたので、すぐに一日三回の服用を始めることができたのだ。もうずっとハーブで発作を抑えている。
 アルファの父親と貴族出身のオメガの母親は愛し合っていたのがせめてもの救いだろうか。
 オメガは年中発情できるので見下されがちなのだが、アルファの兄たちも両親を見ているからか偏見がない。
 むしろ愛し合える唯一無二の『番』を探しているくらいだ。
 イザベラは性別がオメガだとわかってから、発情を恐れて滅多に部屋から出ることをしなくなった。
 幼い頃に道端で、発情したオメガに欲情するアルファと、あやかろうとするベータを目撃したせいだと思う。
 母と番である父親はアルファであっても、他のオメガに興味が全くない。
 一緒にいたその父親が緊急用のハーブを手に助けに入ったお陰で彼女は助かった。
 自分がオメガだとわかった時、その時の女性と自分を重ねてしまったせいで、部屋から出ることができなくなったのだ。
 頬を紅潮させた、劣情で息が荒くなった男たちが、無遠慮にオメガ女性の腕を掴んで引っ張る様は、恐怖そのものだった。
 ハーブを手に引きこもってしまった娘をとても心配した家族は、話し合ってくれた。
 結果、母の実家である伯爵家が所有している、完全隔離されたハーブ園のそばにある小さな家に一人で住めるように手配をしてくれたのだ。
 母親が趣味で作ったオメガの発情を抑えることができるハーブの栽培園を引き継いだ形だ。
 家族は愛らしいイザベラの容姿も心配した。

 紅を指したような頬、熟れた果実のようなみずみずしくふっくらとした唇。
 艶やかなブルネットの髪は神秘的な紫の目の色とよく合っていた。
 小柄で体つきは華奢なのに、コルセットを締めなくても豊かな胸と細い腰が女性らしい曲線を見事に描いていた。
 そして、ウサギの耳だ。
 通常、獣人であっても耳や尻尾は成長に伴い、思春期に差し掛かるころには小さくなり目立たなくなる。
 ただごく稀に残したまま成人してしまう獣人がいて、その稀有性を好む人は少なくない。
 オメガでウサギの耳を持った美しいイザベラは、人買いに高値で取引される条件を兼ね備えていた。
 攫われ他国へ売り飛ばされてしまえば、お金を積もうとも助け出すのが難しくなる。
 あえて伯爵の領地で暮らすことになった。
 イザベラはここに一人で居を移してから、ハーブの栽培に熱中した。
 使用人は断った。発情した自分を見せるなんて恥ずかしいことはしたくない。
 身の回りのことの全ても自分でしなくてはいけなくなったけれど、むしろ楽しかったし、その忙しさのお陰で自分が置かれている状況を考えなくて済んだ。
 ハーブを育て、配合を工夫し、生家に渡し、少しでも役に立ててれば良い。
 そして、死ぬまで人前で発作が起きないようにと、毎日祈っていた。
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