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第一章 四季は巡る

第一話 春の精霊は歌を唄う。(5)

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 陽が沈みかけ、空が赤く染まり始めた頃。ウィンディアの都市中央の広場の噴水前。昼と同じその場所で、ルークは本の最後のページを捲る。

(一応、全部確認してみたけど……)
「考え込んでどうしたの?」

 聞き込みと買い物を終えたらしいオリヴィアに声をかけられる。

「見た方が早い」

 ルークはそう言って、それなりの重さのある紙袋を受け取り、代わりに精霊使いの家で見つけた本を手渡す。

 オリヴィアは渡された本をパラパラと捲り、少し困ったように苦笑する。

「別に、手記を期待してた訳でもなければ、素直に書いてあるとも思ってないけど」

 オリヴィアから返された本を、ルークは適当なページで開いた。そこには、大して上手くない子供が描いたような絵だけが描いてあった。そう絵だ。

「全ページこうなのは予想してない」

 日付が書いていないために、妖精達から事前に毎晩書いていたことを聞いていなければただのラクガキ帳にしか見えない。

 左足を抱え込むような体制でベンチに座るルークを見て、オリヴィアは苦笑で浮かべた笑みをそのままに口を開く。

「……だから、拗ねてるのね?」
「拗ねてない」

 オリヴィアの言葉を反射的に否定する。本が出てきた時に期待しなかった訳じゃないが、別に最初から、あればいいぐらいで探しに行ったはずで。そもそも、

(……拗ねるって何)

 言葉としては知っているが、実際の感情となると話が別だ。

 何をもって自分が拗ねていることになるのか、ルークはよくわかっていない。

「とりあえず、今日はここまでね」

 赤く染まりつつある空を見てオリヴィアが言う。

「私は伯爵様の所に戻るけど、あまり遅くならないようにね」
「それは、約束できないけど」

 ルークは、自分が妖精達に夜の魔法使いと呼ばれる由縁を自覚している。夜にしかできない事は多い。

 その言葉と様子にオリヴィアは、ちゃんと寝ないとだめよとまた苦笑した。

「行くところがあるのでしょう?」

 オリヴィアがルークの隣に置かれている紙袋を見た。

「あぁ」

 ルークは紙袋を持って立ち上がり、オリヴィアと別れた。



    †



 空とくすんだ煉瓦の建物の上部が赤く染まり、街路が闇に沈む。それくらいには道が狭く、入り組んでいた。その中を足音無く歩く黒い人影は、見かけられたら数ヶ月は噂されるだろう。そして、その人影は古びた戸を叩く。はーいという女性の声と足音と共に戸が開かれる。その女性はルークを見るなり目を見張って硬直した。その足元から黒猫がするりと抜け出してくる。

「お姉ちゃん! お客さんぐらい僕が出るって……ハッ、本当に"死神"さんが来た」
「嘘をつくつもりはないから」

 女性の横から出てきた少年に、紙袋を差し出す。

「ん」
「何これ、重」

 少年には重かったらしく、その場で降ろして中を探り始める。

「えっと……パンと、りんごと、チーズと、って何これ」
「? 見たままだけど」
「あぁ、うん。何これ」
「いらないならいい」

 困惑顔の少年にいらないならと手を差し出す。

「えっ、くれるの?」
「そうだけど。ちゃんと返したんだろ?」
「ちょ、返したけど、お姉ちゃんにはないしょで」
「本人、動かないけど」
「えっ」

 少年が振り返ると戸を開けて固まったまま動きを止めている、少年の姉がいた。

「…………」

 少年が目の前で手を振るが、微動だにしない。

「お姉ちゃん? おーい」

 少年が肩を揺すり、呼びかける。それにハッと我に返った。

「ご、ごめんなさい。驚いてしまって」
「それって、気味が悪くて?」
「失礼なことを言うんじゃありません」

 少年の姉が拳を振り上げ、少年の頭からゴンという鈍い、人から鳴ってはいけない音がした。

「痛ってぇ!」

 思わずその場にしゃがみ込み、沈黙する。少年の姉は慣れているのか、その様子には見向きもしない。

「弟が失礼しました。"死神"さんですよね、私はミアと言います。……弟から聞いてましたか?」
「いや、聞いてないけど」

 ルークはそう言いながら、しゃがみ込む少年を見る。そういえば、彼からも名前を聞いていない気がした。

 その視線に気づいたのか、ミアも弟をじっと見る。

「ディック?」

 名を呼ばれた少年の肩がビクリと震える。

「いや、ごめんって! ちょっと忘れててさ!」

 またしても鈍い音が鳴り、頭のコブが増える。

「本当にごめんなさい。弟のディックです」
「別に気にしてない。おれは名乗れないし」
「……"死神"さんじゃないの?」
「それは役職名みたいなものだろ」

 呻くように聞いてきたディックに、ルークは痛そうだなと思いつつ淡々と応える。

「とりあえず、中で話しませんか? 狭い家ですが……」

 その言葉に、ルークは頷いた。

 彼らの家は、お世辞にもきれいなものとは言えなかった。古びた煉瓦の壁に使い古された木製の家具。掃除はこまめにされているのだろうが、どこかかび臭い。窓は狭い路地に面した小さい窓と、さほど高くない天井近くにある細長い窓だけで、陽の光がほとんど入らないのだろう。息を潜める小動物の気配がした。

 そして、時はより闇に近づいた夕刻。部屋の中はろうそくの光のみで薄暗い。

「本当にこんなに貰っていいんですか?」
「いいよ。"恋人達The Lovers"の情報収集のついでに買っただけだから」

 何でもないことのようにそっけなく返すルークに、ミアは内心複雑だ。確かに、貰えるのは嬉しいけど、彼も私と同じなはずなのに。と、フードから少し見える自分と同じような色彩の髪を見ながら思う。

(何が違えば私は……)
「ねぇ、"死神"さん! せっかく来たんだし晩ご飯まだでしょ? 食べていきなよ! お姉ちゃんの料理凄く美味しいからさ!」

 とんでもない発言が聞こえ、ミアは我に返る。

「ちょっと!? ディック! 何言ってるの! この家にそんな」

 食べ物がどこにあるのと言いかけて、手元に丁度あることに気付く。

「いいじゃん! お腹すいたしさ!」

 ね! とルークに向かってディックが同意を求めるように振り向いた。

「おれは別に構わないけど」

 実際、伯爵の屋敷に戻れば食事ぐらい出てくるのだろうが、生憎と、表面上は隠す嫌悪感と監視するような眼差しの中で食事する趣味はルークには無かった。

 ミアが諦めたように微笑んで、部屋の隅にある台所と言えるのか怪しい炉があるだけの場所へ向かう。

「じゃあ、ディック。手伝ってくれる?」
「もちろん。いいよ」
「あら、珍しい」
「そ、そんな事ないし!」

 クスクスと笑うミアに、ディックは食って掛かる。その様子は仲の良い姉弟そのもので、ルークは予感が当たらなければいいのにと、そう思った。

 誰でも使えるような小さな火種を起こす魔法を使おうとディックが四苦八苦しているのを、ミアが微笑ましく見守る。そのミアから昼間聞いた歌がかすかに聴こえていた。
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