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第一章 四季は巡る

第一話 春の精霊は歌を唄う。(2)

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 春先に吹くような暖かな風が、色とりどりの花を吹き抜けて花びらを散らし舞い上がる。そんな誰もが息を飲む光景をルークは微塵も意識に入れず、ただただ歌を聴いた。

 歌そのものは少女が軽やかにステップを踏むような、鼻歌でも歌っているようなそんな歌だ。そして、意識が沈むような感覚と共に感じたのは、寂しさと焦燥。喪失感と共に見えるのはちらちらと舞う雪と何かが埋まっていることを示唆するような小さく盛られた土。

(精霊に感情は存在しない。ならこの感情は……)
「おい、止まれ」

 その声と共に現実に引き戻される。いつものまにか街の前まで来ていた。足元について来ている黒猫が相手を威嚇している。検問の兵士に止められたらしい。厳つい顔が近づいて、思わず数歩下がる。要所の検問にいる兵士は総じて厳つい上に筋骨隆々で背が高い。ルークが最も苦手とする人種だ。昔、大人に振るわれた暴力が脳裏をちらつく。精霊が気になるからと馬車を飛び降りるんじゃなかったなと後悔する。

「何か」
「何かじゃない。このウィンディアで何をする予定だ」

 不審者への威圧をひしひしと感じてげんなりする。黒の外套で身を隠しているため、疑われるのはしかたないと理解はしているが、それを面倒だと思うのは別の話だ。

「冒険者ギルドの"死神Death"。ここにはウィンディア卿の依頼で来た」

 とやかく言われる前に、"称号持ち"の証拠である、黒いローブで隠された人影が巨大な鎌を持つ絵が描かれた、ステンドグラスのような半透明のカードを見せる。兵士はそれを手に取り太陽にかざした。

「本物か? それにしては、小さいような」

 その小さいという言葉を言う時だけ視線がこちらを向いた為、カードではなく自分に対して言われていることを理解したルークは、若干イラつく。

「本物だ。お前が思ってるより子どもだけどな」

 兵士から背伸びをしてカードを取り返す。

「そうか……」

 厳しく睨みつけるような目がこちらを見る。が、とたんにその厳しさが緩んだ。

「いやぁ、すまん。その黒のマントにカード。噂に聞く"死神"そのものだ」
「その噂っていうのは当てにしないほうがいいと思うけど」

 ルークは年齢性別不詳で通す"死神"に女性説やら、皺くちゃの爺説やら、ある話では幽霊説なんかも出回っているのを知っている。

「はは、そうだな。ちゃんと足はありそうだ」

 幽霊説だったらしい。

「ついでに、思ったより声が若い。爺ではないな」

 皺くちゃの爺説との複合版か。

「なんでもいいけど、通っていいか」
「それはいいが、さっき伯爵様の馬車が通ったぞ? それに乗っていると聞いていたが」
「あれには"恋人達"が乗ってる。俺は途中で降りた」

 にしても、この兵士最初と態度変わり過ぎじゃないだろうか、とルークは思う。

「ふむ。では、通ってどうぞ。冒険者ギルドの精霊使い殿。早く夏を呼んでくれるのを願ってるぞ」

 自分に願うほど、この街は困っているらしい。

 ルークはその兵士の言葉に頷き、街に踏み入れた。

 街の人の反応はまちまちで、いや、大体が不審者の扱いだ。黒い外套にその裾から見えるダークブラウンの厚底のブーツ、それに加えてフードで顔が見えないのだから当然だ。"死神"だとわかっていても、近寄りがたいだろう。ルーク自身もそれは理解しているので、今更何かを思うことは無い。ただ、嫌悪の目は少ないに越したことはないため、大通りを通るより路地裏を縫って歩こうとした。

 路地裏に入ろうとした瞬間に、自分より頭一つ小さい焦げ茶色の髪の少年が走って追い抜いて行く。

「泥坊だ! 誰かアイツを捕まえてくれ!」

 向かいにある青果店の店主が叫ぶ。

 ルークは足元にいる黒猫と目を合わせた。

「ライ」

 そう黒猫の名前を呼ぶと、ニャアと返事が返って路地裏の奥に消えていく。やることはわかっているらしい。

 それを追いかけるように、路地裏を走る。薄く広げた魔力による感知網が目的の存在を知らせる。



 その瞬間、少年の悲鳴が路地裏に響いた。

 ルークは二度ほど通路を曲がって、少年に追いつく。少年は腰を抜かしており、後ろにいるルークの存在には気づいていない。少年は目の前の猛獣に気を取られていた。

 猫のようにしなやかでありながら、力強さを感じさせる肉体にフサフサとしたたてがみ。黒い獅子が、少年に牙を剥き出しにして威嚇する。その獅子が一歩、また一歩と少年との距離を縮めた。

「ひっ……く、来るな」

 ルークは怖がらせ過ぎたなと感じつつ、立てないまま後ずさる少年を見る。 

「ライ、もういいぞ」

 少年にとっては突然真後ろから聞こえた声に息が止まる。恐る恐る振り向くと黒ずくめの顔の見えない誰かがいた。暫く固まっていると、先程、唸っていた黒い獅子が喉を鳴らしながら、その人物のかざされた手のひらにすり寄っている。

「お、おい! それけしかけたのお前か! 何のつもりだよ」
「それ」

 ルークが、この一件で少年が離さなかった盗んだ林檎を指差す。

「返した方がいい」
「は……? そんなことで」

 その不気味な服装もあって、殺されるのではと考えていた少年は啞然とする。

「盗むのは、いけないことだと思うけど」

 そう言いながら、ルークは少年の林檎を取り上げる。

「あっ! 返せってば!」
「お前のじゃないだろ」

 立ち上がって取り返そうとする少年に、ルークは魔力で取れないような高さに浮かばせた。

「ずっりぃ!」
「盗むのはズルくないのか?」

 その言葉に少年はムッとした顔をした。

「そうでもしねぇと、金のないやつは食えねぇの!」

 憤りをぶちまけるように言い放った少年に対して、ルークは淡々と告げる。

「物事は基本、等価交換だ。物を買うにも金がいるし、魔法を使うにも魔力がいる」

 ルークは林檎を操って少年の前に持っていき、少年が隙かさず取ろうとしたのを上げて回避する。

「奪えば奪われる。奪われる物が何かは知らないけどな」

 林檎を回避させて、少年の目の前にあるのは細い金属でできた筒に持ち手と引き金がついた物だった。突然突きつけられた物に少年の動きが止まる。少年はその物を知らなかったが、これが彼の武器なのだろうと想像はついた。

「さっきから何のつもりで」
「警告」

 ルークはその武器を下げ、林檎を少年に渡す。

「後は好きにしたらいい。これを持っていかないといけない理由があるんだろ? なら、他人のおれが言える義理じゃないからな」
「は? 取り返しに来たんじゃないの? あのジジイに言われて。なんか凄いやつ使って襲いかけたり、脅したりしたのに」
「別に、依頼でもないのにする意味ないだろ。それに、怪我をさせるつもりは無かったし、この拳銃も、魔力を弾にして攻撃する武器ではあるけど、精々、人を気絶させるぐらいの威力しかない」
「尚更何で?」
「だから、言ったろ。警告って」
「いや、そうじゃなくて。警告する義理もないと思うんだけど」
「……あぁ。別に気にしなくていい。罪滅ぼし……みたいなものだから」
「ふーん?」

 少年は顔色の見えない相手をまじまじと見る。落ち着いて考えてみれば、この格好の人物を聞いたことがある気がするのだ。黒髪に黒い外套の、あれは確か聞いたんじゃなくて、道で拾った新聞に――

「あっ"死神"!!」
「……うるさい」
「えっ!? 本物? 本当に!?」
「そうだけど……」

 少年の変わりように気圧されるルーク。

「通りで、不気味……いや、悪口じゃなくてさ!」
「別に気にしないけど」
「あっでも、思ったより良い人だとは思った。姉ちゃんがさ、冒険者ギルド関係の新聞の記事とか集めてんの。多分、ファンだと思うんだよね。"死神"の時の記事持ってくと他のより嬉しそうだから」
「……珍しいな」
「姉ちゃんも同じ髪の色してるからかな」

 そう少年は言って、少し言い淀んでから口を開いた。

「……この林檎は返してくるからさ、姉ちゃんに会ってくれない?」

 そっちの方が元気になってくれそうな気がするからと言い、ルークは首を傾げる。

「何で?」
「姉ちゃん体弱くってさ。よく寝込むんだよね。だから」

 神妙な面持ちで言う少年に、等価交換になっていないけどと思いつつ、ルークは小さくため息を吐いた。

「夕方……陽が沈むぐらいに行く」
「ほんと!? ありがとう! 家に行くのに案内いるよね。どこに行けばいい?」
「いや、いい。ライに案内させるから」

 獅子から猫の姿になった使い魔ファミリアがゴロゴロと喉を鳴らしながらルークの足元をクルクルと周っている。

「……この黒猫、もしかしてさっきのやつ?」
「聖獣は本来の姿とは別に、仮の姿を持つものだからな」
「あれがホント……?」
「まだ、幼獣だから小さい方だ」

 絶句する少年。成長したやつに出会ったが最後、意識を保っていられるだろうか。

「……まぁ、いいや。じゃあ、ちゃんと来てね。"死神"さん」
「わかってる」

そう言った後、"死神"は路地裏の薄暗さに溶けるように見えなくなった。少年は驚いて周りを見渡したが姿はなかった。
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