白い迷い

神崎真紅

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ウザさ最高潮のアブラゼミの鳴き声が消えドロドロに暑かった夏もようやく過ぎて、鈴虫のりーんりーんという音楽会に季節は変わっていった。 

悠花の病状は毎日更新されているように確実に進行している。頭の中によく消える消しゴムがあるように、悠花の記憶は日を追うごとに薄く掠れて見えなくなってゆく。
それでも子供がいると聞いた時、心が締め付けられるように痛んだ。この痛みは何だろう?悠花にはまだ子供の記憶の断片が愛しい自分の命を分け与えた存在として、残っていた。
けれどそれが何になると言うのだろうか?今の悠花には母親の役目すら出来ないというのに。それでも子供達からすれば悠花は唯一ママと呼ぶ存在でありそれは他の誰にも取って代わる事など出来はしない。

そう、母親とは子供にとってかけがえのないものであるが、今の悠花の病気を理解するには、子供達はまだ幼すぎた。

病気が進行してゆくにつれ悠花は人ではなくなってしまうのだ。人であることすらその頭の中から消え去ってしまう。終末期は必ず訪れるのだしそれを回避する術は何もない。それが今の医学の限界なのだろう。

外はしんしんと雪が降っている。音のない世界。真っ白な銀世界は幻想的なまでの美しさを醸し出していた。不純物の混ざらない完璧な白銀の世界。まるで悠花の頭の中にも雪が降り積もっているかの如く、全ての記憶を真っ白な雪が美しく消しているようだった。


人を忘れた悠花を海斗はどう受け止めてゆくのか?そして子供達にはなんと説明するのか?その時が来てみない限り答えなど出せる筈もない。けれどその時は確実に迫ってきている。生まれたての赤ちゃんの様に何も知らない何も出来ないそんな真っ白な悠花と、海斗は遅かれ早かれ向き合わなければならないのだ。


なんて残酷な病気なのだろう。記憶の全てを奪ってしまうそれがアルツハイマー症という病気なのだ。

そう、あの真夏の夕暮れに忘れて来た悠花のバッグのように、もしかしたらあのベンチに悠花の記憶も置いてあるかも知れない。



[完] 
神崎真紅
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