仄暗い部屋から

神崎真紅

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第三章

act 10 時の流れに

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     瞳の携帯に夏樹から電話が入った。
  何でも彼女と喧嘩をしたとか。
  それで彼女に『好きなのか、嫌いなのか判らない』と言われて酷く落ち込んでいた。
  しかも彼女とはもう5年も付き合って、今は同棲している。
  ただ、彼女が若すぎる。
  まだやっと20歳になったところだ。
  と、言う事は付き合い出した時は彼女はまだ15歳。
  引き換え夏樹はもうすぐ30歳になろうとしていた。
  彼女の名前はちえと言う。
  賢司も瞳もちえの事は夏樹とセットみたいに考えていた。

  そのちえが、突然遊び出した。
  毎日出かけて帰って来るのは、明け方だそうだ。
  まだ若い。
  20歳と言ったら遊びたい盛りだろう。
  それを今までは全くそんな事がなかったらしい。
  夏樹が友達とたまには遊んで来れば、と言っても夏樹と一緒にいる事を選んでいた。

  夏樹にしてみれば、晴天の霹靂の様なもので、どう扱ったらいいのかすら見失っていた。
  出掛ける時は女の子の名前を言って、その子と遊んで来ると言っているらしいが瞳は話しを聞いて、男の影があると確信した。
  ただ、今の夏樹には現実を受け入れる事は到底出来ない。
  それどころか、食べられない、眠れないとかなり精神的にショックを受けている。

  そんな夏樹にどう言えばいいのだろう?
  賢司がいれば、と夏樹は零すが、賢司がそんな女を寛大に待ってる訳がない。
  女の貞操に対しては、人一倍煩い。はっきり尻軽女は嫌いだと言っていた。
  自分は散々遊んで来たくせに、自分の女は自分の物みたいな考えを持っているのだ。
  そんな賢司に相談なんかしたら、怒られるに決まってる。
  はっきりと言われるだろう。

 「そんな女別れろ」と。

  けれど夏樹は別れたくないらしい。
  だから悩むのだが。
  賢司がよく言っていた。尻軽は病気だから絶対に治らない、と。
  ただ、まだ本当に男遊びをしているのかは判ってない。
  夏樹に聞いてみた。SEXはしているのかと。
  そうしたら絶望的な答えが返って来た。

 「ずっとしてない」

  終わってんじゃん、それ。
  と言いたかったが、瞳はその言葉を飲み込んでから夏樹に言った。

 「夏樹が別れたくないなら、若い子の火遊びだと思って待つしかないんじゃない?まだ男がいるって決まった訳じゃないしね」

  絶対男いるよ。
  瞳は確信した。
  そう言えば、賢司が捕まる前にちえは妊娠していたのだった。
  けれど6か月に入っていたのに、突然流れてしまった。
  その時もちえは自分で車を運転して産科まで行っているのだ。
  流産経験のある瞳から見たら、余りにも冷静過ぎると不審に思っていた。
  もしかしたら堕胎しに行ったんじゃ、ないのか?
  瞳はずっとその疑念を抱いていた。
  ちえが夏樹の子を産みたい様に見えないのだ。

  若い若いと言っても、瞳も賢司と付き合って直ぐに妊娠した。
  22歳の時だった。
  瞳は賢司が好きだったからこそ、賢司の子を妊娠した時嬉しかったし、産みたかった。
  その願いは、わずか数日で消える事になってしまったが。
  瞳がトイレに入ったら、出血していた。
  半泣き状態で賢司に産科に連れて行って貰ったが、医師の言葉は冷たかった。

 「流産ですね。これから出血が酷くなって来るでしょう」

  その言葉を待つまでもなく、病院のトイレでレバーの様な塊が出てしまった。
  ショックで水を流す事が出来ず、看護婦さんを呼んだ。
  それを見て看護婦は医師を呼びに行った。
  そして、それを見た医師はこう言った。

 「ああ、出ちゃいましたね。残りも掻き出しますから、処置室へ来て下さい」

  そこで地獄の痛みを味わう事になるとは、想像も出来なかった。
  お腹の中をスプーンで抉られる様な激痛。
  麻酔をかけると言っていたが、全くかかっていなかった。
  それ以来、瞳は産科を変えた。
  二度とあんな思いはしたくない。
  それから2度、瞳は流産した。
  その度、後処置は全身麻酔でお願いした。

  ようやく授かったのが瑠花だった。
  安定期に入って流産の心配がなくなってゆくのが嬉しかった。
  胎動を感じた時は感動した。

  しかし賢司の覚醒剤の使用は止まらない。
  妊婦である瞳にも容赦なく薬を打った。
  そしてC型肝炎に感染した。
  総合病院の周産期センターでないと、出産出来ないと転院した。

  9か月に入ってからの定期検診で、妊娠中毒症と言われ、そのまま入院する事になった。
  妊娠中毒症とは、高血圧、尿たんぱく、浮腫みの症状が出る。
  しかし、瞳自身に自覚症状はない。
  けれど妊娠中毒症になると、子癇(しかん)と言って黒目がぐるんと上に上がってそのまま倒れてしまう。
  そうなったら母体は助からない。
  赤ちゃんは帝王切開で取り出せるけれど、自分の子を抱く事もなく死んでしまうのだ。
  瞳は重度の妊娠中毒症だった。
  しかし自覚がないので、同じ病院に白血病で入院していた母の病室まで歩き回っていて、館内放送で呼び出された。
  それから看護師や医師から散々怒られた。

 「宮原さん、あなたは今すごく危険な状態なの。いつ黒目がぐるんと上に向いて倒れるか判らないのよ」

  主治医は女性だった。

 「まず、血圧を下げる薬を出しますから、それを飲んで様子を見ましょう」

  瞳の血圧は190/160と、かなり高かった。
  出された薬1錠では思う様に下がらない。

 「薬2錠にしますね」

  血圧の薬はどんどん増えていった。
  とにかく血圧を下げる事が重要みたいだった。
  突然の入院で、瞳はホームシックにかかり泣き出した。

 「賢司、帰りたい・・・・」
 「帰りたいのか?帰るか?瞳」
 「今帰ったら命の保証は出来ませんよ」

  夜になっても賢司がいないと眠れない。
  睡眠導入剤を出して貰った。
  ようやくそれで少し眠った。

  次の日、賢司が病院に来たけれど様子がおかしかった。
  明らかに何かに苛ついている。
  そしてまた訳の判らない事を言ってはひとりで怒っている。
  そんな話を聞いてるうちに、下腹部が痛み出した。
  先生は37週に入ったら正産期だから、陣痛が来たら産みましょう、と話していたのに。
  まだ35週目に入った時の事だった。

 「痛い・・・・」
 「瞳、ふざけてるなよ。そんなに都合よく痛くなる訳「ご主人、ちょっとどいて貰える?」」


  あれよあれよという間に、瞳は陣痛室に運ばれ、お腹には分娩監視装置が取り付けられた。
  その様子を見ていた賢司が、やっと本当の陣痛だと気が付いた。

 「瞳、大丈夫か?」
 「賢司・・・・お腹痛い・・・・腰が痛いよ」
 「腰か?どうすればいい?」
 「擦って・・・・」

  賢司はいよいよ生まれる、と言う実感が湧いて来た様で、必死に瞳を励ました。
  まだ早いけど、このまま生まれちゃうのかな。
  まだ、35週目だった
 あと10日で正産期に入る直前の出来事に、瞳も動揺を隠せない。
  けれど、陣痛で何も考えられなくなってゆく。

 「痛い・・・・、腰が痛いよ・・・・」

  賢司も初めての事に、ただ戸惑うばかりだった。

 「宮原さん、歩けるうちに分娩室に移りましょ」

  陣痛室から歩いて、と言っても隣りの部屋だが、激痛に耐えながら瞳は賢司に支えられながら分娩台に乗ろうとしたその瞬間。
  生暖かいものがサーっと両足を伝って流れた。

 「あっ!」

  瞳は思わず声を上げた。

 「羊水が出たのね、大丈夫よ。そのままで乗れる?」
 「ちょっと、無理かも・・・・」

  分娩台は瞳の身長ではそのまま乗るのには少し高すぎた。
  助産師さんが踏み台を置いてくれ、それを使ってようやく分娩台に乗った。

  まるで手術台みたい。
  あの、テレビなんかで見る様な、大きな照明。

  違うのは、助産師さんが瞳の両足に、ルームソックスの様なものを履かせていた。
  そして大きく開いた脚を乗せる台に、瞳の足は縛り付けられてゆく。
  不安で押しつぶされそうな時でも、賢司の顔を見れば安心できた。

 「賢司、赤ちゃん生まれるんだね」
 「そうだな、瞳。頑張ってくれよ。俺には傍についてるくらいしか出来ないからな」
 「ん、賢司がいてくれれば頑張れるよあたし」

  そう話す間にも、とめどなく押し寄せる陣痛の波。
  もう、殆んど間隔はなくなっていた。
  瞳が感じるのは、激しい痛みと、何か大きなものがお腹を下がってゆくという、そんな感覚だけ。

 「ご主人、ちょっといいですか?」

  不意に医師に呼ばれ、分娩室を出てゆく賢司。

 「宮原さん、ちょっと指入れますよ」

  助産師さんの手が膣の中に入ってゆくのは、あまり気分のいいものじゃないなぁ。
  だってそこ、賢司の指しか入らないし。

 「う~ん、今8㎝まで開いてますね。10㎝になったらいきんでもいいですよ。それまではいきみ逃がしてね」
 「あとどの位かな?今何時です?」
 「7時だね、あと30分くらいじゃないかな」


  ・・・・その頃医師に呼ばれた賢司は、医師からこう告げられた。

 「宮原さん、まだすぐには生まれないから一度家に帰って、泊まりの支度して来たら?」

  賢司は医師の言う通り、一旦家に帰ってまず夕飯を食べる準備をしていた。

  ----その頃、瞳の出産が始まっていた。
  看護師さん達は賢司がいないと大騒ぎしていたが、お産は待ってはくれない。
  誰かが家に電話を掛けて、もう生まれそうだと賢司に告げた。
  慌てて家を飛び出し、車を飛ばして病院に向かう。

  が、時既に遅し。
  瞳は無事に女の子を出産した。
  予定日より1か月も早く生まれたこの赤ちゃんこそが瑠花である。
  2436g。
  元気な産声を、賢司は聞く事が出来なかった。
  赤ちゃんは産湯に浸かり、新生児室に運ばれた。

  出産直後の瞳は、分娩台の上でお腹に氷を乗せられていた。
  産後の出血が多く、なかなか止まらない。
  その上、瞳自身も熱が出て来た。
  39℃まで上がり、看護師さんが氷枕を用意してくれた。

 「瞳、お疲れ様」
 「賢司何処にいたの?みんな賢司がいないって大騒ぎしてたんだよ?」
 「ごめん、まだ生まれないから家に帰って泊まりの支度してくればって先生に言われたんだよ」
 「先生なんか一度も分娩室に来てないのに、判るわけないじゃん」
 「ああ、お蔭で大事な時を逃しちゃったよな」
 「赤ちゃん、見たの?」
 「うん、ちょっとだけな」

  その時、看護師さん達が入って来た。

 「宮原さん、部屋に移動するからこっちのストレッチャーにそのまま転がって」
 「え、転がるの?」
 「まだ歩けないからね。それと出血が止まらないから、止血の点滴するね」

  部屋というから、病室なのかと思ったらそこは陣痛室だった。
  一応部屋にはなっているし、トイレも付いていた。
  どうやら個室は一杯らしい。
  瞳よりもっと危ないお産をした人達が優先なのだろう。
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