仄暗い部屋から

神崎真紅

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第二章

act 18 闘う意思

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 瞳は、瑠花を連れて平日は毎日賢司の面会に行った。

 『元気か、瑠花』

  また瑠花だけかい?
  あたしはオマケだな完全に。

  面会時間は、たったの15分だけど、賢司はただずっと瑠花の顔を見つめている。
  話しはするけれど、瞳に視線を殆《ほとん》ど移さない。
  申し訳ない気持ちと、瑠花を想う気持ちが交錯しているのだろう。

  早くここから出してあげたい。
  でも、弁護士に聞いても、執行猶予期間中の再犯に、猶予は、ない。
  せめてもの救いが、自首だと言う事。
  これだけでも、半年は短くなるらしい。

  後は、仮釈放が一年間くらい貰えるらしいから、事実上は一年半は短くなるということ。
  今回の逮捕で、賢司は務めていた会社を解雇された。
  無論、給料も退職金も出ない。
  と言う事は、収入が途絶えてしまうと言う事だ。
  瞳と瑠花の生活費を、確保しなくては、ならない。

  賢司がやっていた人材派遣の仕事を、瞳は自分の力でやってみようと考えていた。
  つてはあるのだ。
  仲介者も、いる。

  瞳が繋ぎを取りさえすれば、後は仲介者がやってくれるだろう。
  実際、その人に仕事を紹介してくれと頼まれた。
  瞳は、賢司の取引先で一番大きな会社に繋ぎを取った。
  返事が返って来るまで、2、3日掛かるかも知れない。
  それでも、賢司のために、少しでも収入が欲しかった。

  瞳自身も、何かしらの仕事を探そう。
  その方が、気が紛れるから。

  公判の日まで、あと二週間に迫った。
  前回は、私選弁護士だった。
  こちらから連絡しなくても、全て動いてくれた。

  でも、今回は国選。
  電話が一度だけ掛かってきただけだった。

  これほどの差があるのかと、瞳は私選を頼むべきだったのではないだろうか、と考えてしまう。
  ・・・・今更遅いのだが。

  せめて、情状証人に立つ瞳は、弁護士からのアドバイスが欲しかった。
  そう言えば、瞳の弟に、診断書のコピーを持ってると言ったら、『偽造になるからそれは止めなよ』と言われた。
  じゃあ、障害者手帳と、自立支援手帳を出せばいいのかな?
  そんな事も、弁護士に聞かないと判らない。

  賢司、あたしが絶対に来年の桜は、一緒に観られる様にしてあげる。
  そのために、あたしは裁判で闘うんだよ。
  さっき義姉からメールが入った。

 『賢司はいつまで留置所にいますか?』

  まともに応えたら、賢司の公判の日程がばれる。

 『まだ分かりません。しばらくはいると思います』

  公判の後も、留置所に残る可能性はある。
  前が詰まっているからだ。それだけ、犯罪者は多いという事になる。
  多分、賢司は瞳以外の人には、面会しないだろう。

  一日一組。
  貴重な15分間を、瑠花の顔を見ないではいられないだろうから。
  実際、賢司が瑠花を見る時の顔ったら、鼻の下が伸びっぱなし。
  目尻は下がってるし。
  あぁ、元々タレ目だったっけ。

  乱視なんで眼鏡を掛けているけど、元々人相が悪人顔なのに何故?
  青い色付きのレンズの眼鏡を掛けている。何処から見ても、極道にしか、見えない。

  見る人によっては、俳優の『哀川翔』に似てるらしい。

  飲み屋のお姉さま達の間では、受けがよかったらしいけど。
  賢司はそれを逆手に取って、やりたい放題に遊び相手には困らなかったらしい。

  一夜限りの、遊び相手。
  中には、本気で賢司に惚れてた女性も数多くいたようだ。

  けれど女は片っ端からやるだけやって捨てる、という鬼畜のようなろくでなしだった。
  それが、瞳と一緒になってから、ただの一度も浮気すらしなかった。

  それだけ賢司と瞳にとって、お互いの存在は大きかった。
  引き裂かれた今、お互いをただアクリル板の向こうとこっちで、励まし合うだけだった。
  その合わせた手に、互いの温もりすら感じられずに。

  賢司が残した問題の中でも、一番面倒なのが、給料の問題だった。
  賢司は、働いていた数人の給料すら使い込んでいたままだった。
  激しい催促の電話が掛かって来る。

 『まだ給料貰えないんですか?』
 『うん・・・・、まだ先方から入金がないの』

  瞳は咄嗟《とっさ》にそう答えた。
  支払う給料なんて、どこにもない。
  そこから催促の電話が、鳴りっぱなしだった。
  瞳は呼吸が出来なくなるのを、感じた。
  このままだと、過呼吸に、なる。

  先に安定剤を30錠、飲んだ。
  けれど虚しく呼吸は速くなり、やがて四肢が痺れて来た。
  ぼんやりする意識の中で、瞳はあと20錠、安定剤を飲んだ。

  少し、寒気がして来た。
  このままだと気絶するだろう。
  ふらつきながら、瞳は寝室に入り、そのまま倒れる様にベッドに横たわった。

 「瑠花・・・・、ママのバッグから紙袋、持って来てくれる?」
 「わかった、ママ大丈夫?」
 「うん・・・・お薬飲んだから、眠っちゃうと思うけど・・・・」

  瞳のバッグから、紙袋を探して瑠花が持って来る。

 「ママ、これ」
 「ありがと・・・・」

  紙袋を口にあてて呼吸をする。
  ペーパーバッグ法は、瞳にはあまり効果がない。

  だから、瞳は安定剤を大量に飲んでしまう。
  瑠花は瞳のとなりで、テレビを観ていた。
  ぼんやりと、テレビからの音を聴いていたが、いつの間にか気絶してしまったらしい。

  気が付いて瞳は携帯の時間を見た。
  まだ、5時だ。
  酷く、寝汗をかいている。身体が痛い。

  多分、大量に飲んだ安定剤のせいで、筋肉が溶けたのだろう。
  以前ドクターに言われた事が、あった。
  ふらつきながら、洗面所に入り、顔を洗った。

  賢司の面会に行かなくちゃ・・・・。
  瑠花は、まだ眠っている。
  昨夜は何時ごろ眠ったのだろうか?
  とにかく、まだ時間はある。
  全身の痛みに耐え、ふらつきながらも、瞳は着替え、出掛ける支度を整える。
  瑠花はまだ、起きそうにない。

  出来れば9時までには面会に行きたい。
  その後で病院に行った方がいいかも知れない。

 「瑠花、パパに会いに行くよ」
 「…パパのとこに行く」

  まだ、寝ぼけている様子だが、何とか起きて来た。

 「9時までに行きたいから、早く着替えてね?」
 「うん・・・・」

  返事だけはするが、なかなか着替えが進まない。

 「瑠花、置いてっちゃうよ?」
 「やだ~」

  慌てて着替えた。

 「やだ、もうこんな時間?瑠花、車出して来るからね」
 「うん」

  急いで車を走らせる。
  少し、寒気がする。
  まずいな。
  警察署に着いて、留置課で面会と差し入れ用の用紙を書く。

 「宮原さん、どうぞ」
 「はい。瑠花、行こう」

  毎日同じ事の繰り返しだ。

 「よっ、元気か。瑠花?」
 「賢司聞いてよ~、もうあたし頭おかしくなりそう」
 「どうした?」
 「給料貰えないんですか?って昨日、散々電話掛かって来てね、それであたしまた発作起こして安定剤50錠飲んだよ。身体が痛い~」

  面会室の、作り付けの机にへたばった。
  もう、動くのも辛かった。

 「そうか・・・・、悪いな、瞳」
 「あたしもうダメかも・・・・」
 「おいおい、お前がしっかりしなかったら、瑠花が可哀想だろ?」

  じゃあ、こんな原因作んな!
  全ての元凶は、賢司じゃないか~。

 「瑠花、ママを頼むな」
 「うん、パパにお手紙書いたよ」
 「そうか、パパも瑠花にお手紙書いたからな。瞳、病院行って来いよ」

  言われなくても、今日は行くわ。

 「判ったよ」
 「あと、本差し入れしてくれ。瑠花の名前でも入るから、6冊入れてくれよ」
 「うん、判った・・・・」
 「お前、本当に大丈夫か?」
 「大丈夫じゃ、ないもん。賢司のせいじゃんか・・・・」
 「判った判った、全部俺が悪いよ、な。だから機嫌直してくれよ」
 「ふん、本当に心配してるのかなぁ、瑠花だけじゃないの?」
 「そんな事ねぇって。瞳も瑠花も俺の宝物なんだからな」

  ふぅ~ん・・・・。
  一応信じておくかな。
  その時、タイマーが鳴った。

 「時間だ、じゃまた明日な」
 「パパ~」
 「瑠花、瑠花が出ないとパパは戻れないんだよ。じゃあね賢司、また明日ね」

  瑠花を促しながら、面会室を出る。
  足元がかなりふらつく。
  冷や汗が出る。
  これは本当にヤバいかも・・・・。
  このまま病院に行こう。

  瞳は携帯を取り出し、『こころの医療センター』に電話した。
  今日は予約が入ってない。診察して貰えるか、聞いてみた。

 「宮原ですけど・・・・、中村先生に診察をお願いしたいのですが」
 「お待ち下さい」

  少し待って、受付の女性から返事が返って来た。

 「どれくらいで来られますか?」
 「20分くらいで行けると思います」
 「判りました。お気をつけておいでください」

  瞳のマンションから、医療センターまでは、15分くらいの距離だ。
  病院に着いた時、既に瞳は自力で歩くのがやっとだった。
  瑠花が瞳の手を掴んで、引いてくれる。

 「ママ大丈夫?」
 「うん・・・・、ママ寒気がするから、あそこに毛布があるから借りて行こう」

  受付を瑠花がやってくれる。
  機械化された受付だ。
  診察券を入れると、紙が出る。
  それと診察券を受付に出すだけなのだ。
  瞳は歩く事すら儘ならない様子を見て、看護師が来てくれた。

 「宮原さん、どうぞこちらの待合室で横になってて下さいね。中村先生の診察室の前ですから」
 「ありがとうございます・・・・」
 「瑠花、これ五百円玉あげるから、何か買っておいで・・・・」
 「うん」

  瑠花が元気でよかった・・・・。そのまま、瞳は眠ってしまったらしい。

 「・・・・さん、宮原さん。中
  村先生が呼んでますよ」
 「あ・・・・、すみません」
  立ち上がろうとした時、よろけて転びそうになった。
  診察室に入り、先生に何やったの?と聞かれた。
 「またODやっちゃいました。デパスを50錠と、いつもの睡眠薬飲みました。身体中が痛いです~」
 「とりあえず採血ね。治療は結果見てから」

  処置室に入り、ベッドに横になって、採血。
  結果はかなり悪かったのだろう。
  500㏄の点滴を二本、四時間かけて入れると、説明された。
  解毒だと、ブドウ糖だろうか?

 「ブドウ糖ですか?」

  看護師に聞いてみた。

 「違うよ、これは電解質。ポカリの甘くないバージョンかな」

  最悪状態って事か?
  命があっただけ、奇跡みたいなもんだなこりゃ。
  看護師が、右腕の血管を探したか、見つからない。
  瞳は、右腕は血管が出ないのだ。

 「無理ですねぇ。左腕にしますか」
 「あたし、右腕は血管出ないんです」

  さっき採血した場所に、針を刺す。
  針が刺さるその感触に、瞳は、忘れていた記憶がよみがえって来るのを感じていた。

 「それ、ホースですか?」
 「うん、そうだよ。少しなら曲げても大丈夫だからね」

  男の看護師が、優しくそう答えた。

 「さすがに4時間針が刺さったまんまじゃ、恐いですよね」
 「そうだね。じゃ、このまま安静にしててね」

  ここは、気狂い病院だ。
  暴れる患者に、点滴を刺すのは、危ないだろう。
  処置室の、カーテンで仕切られた隣りのベッドから、老婆の話す声が、聞こえていた。

 『だから、今日は注射をやるなんて、あたしは聞いてないんだよ。血が止まらなくなるから、あたしゃ嫌だよ』

  まるで、壊れたテープレコーダーの如く、同じ事を繰り返し話している。
  他にも、病院内に響き渡る少女の泣き叫ぶ声。

 『こんな所いや~。あたしは帰る、帰りたいよ~』

  彼女は、他の病院から処方された薬によって、強い依存性になってしまったらしい。
  看護師と医師が話しているのが、聞こえていた。
  入院するらしい。
  それを、彼女は嫌がって病院中を逃げ回っていたようだ。

  まさしく、ここは、気狂い病院だ。
  瞳は、点滴の液体が血管を通る冷たい感触に、思い出してはいけない記憶の狭間に揺れていた。
  …いつの間にか、眠っていたようだ。
  点滴は、二本目がぶら下がっていた。

 「ママ、瑠花、カレーうどん食べて来たよ」
 「そう、おいしかった?」
 「うん!卵ね、もらったの」
 「カレーうどんに卵?」
 「おいしかったよ」

  ベッドの、足元に座って瑠花が話している。

 「瑠花もここで寝よう~っと」

  瑠花が元気なのだけが、救いかな・・・・。
  うつらうつらしながら、瞳はそんな事を考えていた。
  点滴の液体の流れる、冷たい感触と、賢司の顔が重なって見えた。
  覚醒剤は注射した瞬間に、血管が焼ける様に熱くなり、その熱が全身を駆け巡る。
  今、瞳の腕に刺さっている点滴とは、比べ物にならない。

  けれど・・・・。
  記憶はそれを呼び覚ます。針の刺さるその感触によって。

  これが俗に言う『フラッシュバック』と呼ばれるものだった。

  賢司がいない今、瞳に覚醒剤を打つ人は、いない。
  けれど、身体や脳は、その感覚を忘れる事はない。
  瞳が過呼吸を、頻繁に起こす様になったのは、実は覚醒剤の禁断症状のひとつなのかも知れないのだ。

  全ての依存性には、禁断症状がついて回る。
  アルコール依存性の禁断症状は、手が震え、幻覚も見る。
  OD《オーバードーズ》の禁断症状も、幻覚や幻聴が聞こえ、感情のコントロールが出来なくなる。

  瞳は、かなり以前から、このODをやる様になっていた。
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