仄暗い部屋から

神崎真紅

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第二章

act 10 逮捕

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賢司の知り合いにも、こんな怪人は沢山いる。
 覚醒剤を打って初めて、普通の生活が送れるのだ。
 薬が切れると、電池の切れた人形の様になる。

その中でも特に仲良くしていた人物がいる。
とある組織に身を置いて、凌しのぎのひとつとして、売人をやっていた。
 名前を中野剛志と言う。
 賢司とは、さほど長い付き合いではないのだが、馬が合うという感じだった。

ある日の夜。
 仕事から帰って来た賢司が、いつもの様に、酒を呑みながら、夕食を摂っていた。
そこへ、中野から着信が入った。
 急に忙しなく着替えて出掛ける準備をし始めた。
 賢司は何も言わずに、出掛けようとしたので、瞳は何か思った訳でもなく声を掛けた。

 「出掛けるの?」

もう、仕事から帰って来てから、酒も呑んでいた。
 普段なら絶対に出掛けたりしない。

 「ちょっとな…」
 「ふぅん…もう帰って来ないんだ?」

 軽口のつもりで吐いた言葉が、数時間後に現実のものとなるとは、瞳はおろか賢司すらも考えてはいなかった。
どうせ賢司は薬でも買いに行ったのだろう。
 瞳は瑠花るかを寝かし付ける為に、一緒にベッドに入った。
いつもの睡眠薬を飲んで、瞳もそのまま眠りに堕ちた。

 何時間過ぎたのだろう?
 誰かが玄関のドアを叩いていた。
 携帯のディスプレイは、午前2時を示している。
 今頃の時間に、誰だろう?
 瞳は玄関に向かった。

 「…誰?」
 「瞳さん、中野です」

 中野さんの奥さんだ。
 名前は、真知子と言う。
 瞳とは、判り合った仲になっていて、真知子には何でも話せた。

ガチャリ-----。
ドアを開けると、真っ青な顔をした、真知子と中野さんの娘が立っていた。

 「何か…「瞳さん、賢司さんが逮捕されちゃいました」」

え…-----?

 「な…にを「とにかく一緒に来て下さい。じきにここにも警察が来ます。…瞳さんもまずいですよね?」」

 酒井法子の事件以来、夫婦間での覚醒剤の使用が問題視されていた。
もしかしたら、瞳も強制で尿検査をされるかも知れない。

まだ、多分抜けてない。
 今、尿検査をされたら、瞳も捕まるかも知れない。

 「身の回りの物を最低限持って、一緒に来て下さい」

いきなりそんな事を言われても、即座に動ける人物がいる筈がない。
それでも瞳は、スポーツバックに着替えを詰め込んで、瑠花を連れてマンションを出た。

 階下には、面識のない男の人が3人、瞳と真知子を待っていた。
 見るからに、ヤクザだと判る風格。
 一台のワゴン車。
 後部座席の窓は、カーテンで外から見えない様に、仕切られていた。

 「早く乗って下さい」

 急かされて、瞳も真知子と一緒にワゴン車に乗り込む。
すると、ヤクザの兄貴分らしき人物が、話し始めた。

 「中野の兄弟に頼まれてよ、真知子姐さんを頼むとな。…だが、あんたは違う。でも姐さんがあんたも一緒にって頼むから、一緒に来て貰う」

 一緒にって、何処に連れて行くつもりなの?

 賢司…。

 携帯の着信履歴に、賢司の名前があった。
 1時50分と51分に二回。
 真知子さんが来る少し前だった。

 賢司の声が聞きたいよ…。
あたしはどうすればいいの?
この人達を信じてもいいの?
 恐いよ…。
 賢司が守ってくれる約束だったじゃない。

 「ママぁ〜…」
 「瑠花」

 瞳は思わず瑠花を抱き締めた。
こんな事に子供を捲き込むなんて。
あたしは何をやっているの?
 賢司は今何処にいるの?

 新宿で検問に引っ掛かって、免許証照会した時に前科が出ちゃったらしいけど。
どうして新宿なんて、危ない場所に行ったりしたの?
 瞳の中で、色んな思いが交錯する。

 「さぁ、着いた。今日からあんた達には、ここで暮らして貰う」

ここでって、監禁されるって事じゃないの?
 二間の、平屋造りの貸家。ぐるぐる車で走ったので、瞳には此処が何処なのかすら、判らない。

 「今日から毎日、水を4㍑飲む事。食事の仕度は、この女に任せてある」

まだ、24、5歳の女性だ。
このヤクザ屋さんの女なのだろう。
それにしても、毎日水を4㍑って一体…。

 「シャブを抜くのには、最低限2週間掛かる。後で点滴をしに行くから、出掛けられる様にして待っててくれ」

シャブを抜く点滴?
そんなものがあるの?

 精神科で解毒の点滴がある事は、主治医に聞いたけど、それは急性中毒の場合だろうし。
それに水を毎日4㍑飲むって、並大抵じゃない。
 瞳は割と水分の摂取量は多い方だと思うが、水だけを飲むのは、かなりキツい。

 「それから、髪の毛を染めて貰う。毛髪からシャブの反応が出たらまずいからな。それも2回に分けてだ」

…随分詳しいんだな。

でも、2週間も此処で生活するのは、嫌だな。
 自分のマンションじゃないと、落ち着かない。

その頃------。
 親兄弟から、警察まで、瞳が居なくなったと大騒ぎになっていた。
それもその筈、瞳はまるで遺書の様な書き置きを残して来たのだ。
 賢司が逮捕された事に、絶望して出て行ってしまったと。
ましてや、瑠花が一緒である。

 賢司は警官に、瞳が居なくなった事を聞いて、居ても立ってもいられない程、心配していた。

 「瞳…、頼むから早まった真似だけはしないでくれよ。俺が悪かったよ....」

 幾ら後悔しても、留置所の中ではどうする事も出来ない。
あの時に戻れるなら、戻りたい…。

どうして新宿になんか行ってしまったんだ。
 身体に覚醒剤が入っている状態で、しかも乗っていた車は、偽造ナンバーだ。
 中野は捕まったその場で、尿を採られた。
 無論、反応は陽性だ。

 賢司は運転していたから、交通での現行犯逮捕だった。
 捕まったその場で、瞳に電話を掛けた。
やっぱり睡眠薬を飲んで寝たんだろう。
 幾らコールしても、出なかった。
 今の自分の立場を、瞳に報せる術がない。
 歯痒い思いに、苛まれる賢司だった。

パトカーに乗せられたら、携帯の電源は、切られてしまう。
 賢司は、藁にもすがる気持ちで、瞳に電話を掛けた。
が、虚しく呼び出し音だけが、賢司の耳に響くだけだった。
パトカーに最初に止められた時、警官に言われた。

 「危ない物があるんなら、今の内に出せよ」

まだ、首都高の新宿インターチェンジの出口だ。
 薬を引きに行く前だったから、所持はしていない。

 「何にもねぇよ」

 中野は、服の襟元から、墨が見えている。

 「何で俺達が止められなきゃ、ならねぇんだよ?」
 「そりゃあ人相が悪かったからだ」

 人を外見で決めていいのかよ?
 公僕がよ?
 賢司も中野も、その警官の言葉は不愉快だった。

 「お前達には一緒に来て貰う」

 2台のパトカーに分けて、ふたりは新宿署に連行された。
そこで中野は覚醒剤使用で取り調べを受ける。
 賢司は一先ず、交通での取り調べに入る事になった。

 「このナンバーは何の車のだ?車は盗難車か?」
 「ちげーよ、車検が切れてるから、違う車のナンバー付けただけだよ」

 中野が、あのナンバーはまずいと言っていた。
 詳しくは聞かされてなかったが、盗難車のナンバーかも知れない。

 「俺には黙秘権があるんだよな」
 「そうやって、何時までも話さないと、調書が取れないからな。家に帰れなくなるぞ」
 「けっ、どうせ交通は罰金パイだろ」

 肝心なのは、シャブの方だ。
 実刑は免れないかも知れない。
 瞳は今何をしているのか…。
 取り調べ室の、小さな窓越しに、空が見える。
 白々と、夜が明けて来た。

 「瞳…、瑠花…」

 本当は泣きたい気持ちで一杯だった。
いつもなら、今頃は3人で、瑠花を真ん中に置いて寝ている時間だな…。
 平凡なのが、幸せだなんて、こんな場所で気付くなんてな。

 賢司はとにかく1日でも早く帰ろうと、決めた。
 国選弁護士の、当番の人が面会に来た時に、賢司はその弁護士に私選でやってくれないかと頼んだ。
しかし、初老のその弁護士は最初きっぱりと断って来た。
 余りに忙しくて、これ以上引き受けられないと。
そこを何とかと、賢司も食い下がった。
 初老の弁護士は、賢司の気持ちに応えてくれた。

 「宮原さん、私が私選で請けたからには、真実を話して頂きますよ。それでなければ、弁護の意味がありませんからね」
 「判りました。弁護士料金なんだが、50万でお願い出来ますか?俺の提示出来る限りの金額です」
 「…宜しいでしょう。この私が弁護に就いた以上、貴方には必ず執行猶予をつけてあげましょう」
 「…その前に、今、刑事の話しだと、妻と娘の行方が判らないらしいんだ。だから保釈で帰りたい」
 「うーん…、貴方の場合保釈の望みはないとは思えません。が、保釈金は200万円以上になると思います」

 留置所の中で、教えてくれた人がいた。
 保釈金支援協会、言うなれば、保釈金を手数料を支払えば、肩替わりしてくれる所だ。
 弁護士が代表でやっている機関なので、信用度は高い。

 「保釈協会に頼もうと考えています。先生、お願い出来ますか?」

 保釈協会を使うには、弁護士の了解が必要だった。
 早い話、弁護士が代わりに保釈協会に申し込む訳で、無論、保釈金は弁護士の口座に振り込まれるシステムだ。
 後は、瞳に連絡が取れれば…。

 「宮原、釈放だぞ」
 「けっ、どうせ一歩外に出たら再逮捕だろうが」
 「まぁ、そう言うな。警察のやり方だからな。はい、再逮捕ね」

くそっ!
 交通だけなら、罰金パイで今日このまま帰れたのにな。

 留置期間は、最初の48時間。
その後は裁判所から拘留期間延長の許可を得る。
すると、そこから10日間延長される。
そこで調書が終わらない等々の理由で、更に10日間延長される。
 最長で22日間の拘留期間になる。
 裁判にならなければ、この時点までには、釈放される。

 言い換えれば、ここで釈放されなければ、裁判までの数ヵ月を留置される場合がある。
そこで保釈金を支払えば、裁判までの期間は、保釈され日常生活に戻れる。
だが、瞳が行方不明では、保釈協会に手続きを取ってくれる人物が、いない。

その頃。
 瞳は、真知子と一緒に連れられて来た家にいた。
 一晩目は、布団すらないカーペットの上に、雑魚寝させられた。
まだ2月の半ばだった。

 布団もなくては寒くて眠れず、瑠花に風邪を引かせない様に、ありったけの衣類で瑠花の寝床を確保した。

 次の日の夜、あまり流行ってなさそうな、何処か寂れた感じのする病院に連れて行かれた。
 診察の時、こう言う様にと指示された。
まるで、暗号化された合図の様であった。
すぐに処置室に案内され、点滴の準備に入った。
これがシャブを抜くと言う点滴なの?

 瞳は内肘の静脈にすぐ点滴が入ったが、真知子は恐らくはシャブの打ち過ぎのせいだろう。
 看護師ふたり係りでも、血管が出ない。
 血管が殆んど潰れて、無くなってしまっていた。
 看護師は、真知子の足の静脈を探した。
 辛うじて、そこに細い血管があった。

 既に、30分過ぎていた。
 瞳の点滴は半分を切っていた。
しかし、瞳の身体に変化はない。
 反対に真知子は、汗をかき始めている。
 瞳は自分の点滴が終わって、酷く喉が渇いた。
 病院なのだから、自動販売機位はあるだろう。
 病院内をうろちょろしていたら、ヤクザの若い衆に注意を受けた。

 「終わりましたか?あまり動かないで隠れてて下さい」
 「飲み物を買いに来ただけよ」
 「真知子姐さんは?」
 「真知子さんは、中々血管に入らなくて、30分掛かってたわよ。…でもそろそろ終わるかしら?」

 真知子の分のスポーツドリンクを持って、処置室に戻った。
 丁度真知子の点滴が終わった所だった。
が、真知子は汗をかき、かなり気だるそうにしている。
 瞳と違って、真知子は毎日薬を打ち続けて来た。
 瞳が既に抜けているのに反して、真知子は全く抜けていないのだろう。
 表であのワゴン車が待っていた。
 乗り込むと、兄弟分とその女も一緒にいた。

 「その点滴を打ったら、暫くだるくて動けなくなりますけど、我慢して下さいよ。それと、今から買い物に行きます。布団もないし、身の回りも足りない物もあるでしよう。それから、中野の兄弟が留置されてる警察署が判った。新宿署だ、差し入れするなら、今から買ったらいい」

 賢司は?
 賢司は何処に捕まっているの?

それでも瞳は、賢司の為の下着や靴下、スエット等を買い、段ボールに詰め込んだ。
 中野の兄弟分って人が、色々な事を教えてくれた。
 紐が着いてる物は、紐を取って入れる。
ボタンの着いてる物はNG。
タオルは色の着いてる物がいいとか…。

が、ここで瞳が買った差し入れは、賢司の元に届く事等なかった。
 賢司はその時点で、定員オーバーで、湾岸署にいた。
その事を、中野の兄弟分は全く知らなかった。
と言うか、賢司の情報そのものが、何一つ入って来なかった。
しかし、瞳は懸命に賢司の為の衣類を箱詰めした。

 「俺が送っておきますよ」

ヤクザがそう瞳に言ったが、この時中野の兄弟分のヤクザには、賢司の居場所の情報は届いていなかった。
 隠れ家に連れて来られて、3日目の朝。
 瞳と真知子が目覚めると、あの女がいない。
 舎弟分の話しだど、深夜遅くに横浜に出掛けたらしい。
 朝までには戻ると言っていたが、既に10時を回っていた。
 横浜と聞いて、瞳と真知子は不振に思った。
まさか、この状況の中で、薬を引きに行ったのでは?

 「真知子さん、あたし…マンションに帰るわ。此処に居ても何も変わらない。それに、あたしには賢司の居場所が判らないもの」

マンションに帰れば、何かしらの連絡が入るかも知れない。

 「待って、瞳さん。今朝うちに家宅捜査(ガサ)が入ったって娘から連絡があったわ」
 「そう、それじゃあうちにも来たのかしら。ならもう大丈夫よね?あたし、電車ででも帰るわ」
 「…判ったわ、瞳さん。娘に迎えに来て貰いましょう。あいつらが帰って来る前に」
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