紅い糸切らないで

神崎真紅

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君さえいれば何もいらない

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 6月----…。


 クラス対抗の恒例行事、球技大会が開催される。
 咲は取り敢えず出るしかないから、と、テニスを選んだ。


 無論、一回戦敗退。
 傍で観ていた翔は、咲のテニスを見てげらげらと、大爆笑していた。

 笑われた咲は、当然面白くなかったけれど、翔からしてみれば笑うなという方が無理な悲惨なものだった。



 翔はもちろんバスケット。
 翔の出る試合には、とにかくギャラリーが多かった。


 高等部の行事なのに、中等部の子まで応援という名の赤井ファンクラブが来ていた。
 体育館で、バスケットコートを取り囲む様に見物人はそこに座り込んだ。

 咲と泉、晴美も翔が用意してくれていた最前列にちょこんと座った。 


「咲、これ持ってて!」

「えっ?」



 翔が咲に投げて来たのは、ジャージの上着とスポーツタオル。
 それを見てた周りの赤井ファンの子から、きゃー、と黄色い声が上がった。



「もう、翔君こんな目立つとこで余計な事ばっかりするんだから」

「ほほ~。咲は俺の特別な人って、みんなに伝えてる様にしか見えないけどなぁ?」



 事あるごとに、泉は咲をからかって遊んでいた。
 咲がむきになればなる程、面白がっていた。

「咲!」



 咲の傍に試合が終わった翔が走って来た。
 それだけで、辺りから女の子の嬌声(きょうせい)が広い体育館内に響き渡る。


「はい、翔君。タオル」

「さんきゅ。咲、どうだった?俺のバスケ」

「うん、カッコ良かったよ。翔君のファンもいっぱいいるみたいだしね」

「それ、俺はカンケーないからね。何度も言ってるけど、俺が作った訳じゃないんだからさ。ったく、咲がこんなに怒んなけりゃ気にしなかったのになぁ」

「別に怒ってないよ。翔君が人気あるのは知ってるし」 

「咲だってかなりモテるんだぜ?自分じゃ分かんないだろうけどな。俺、先輩達から散々文句言われてるしな」

「それ、本当?誰がそんな事翔君に言ったの?」

「さぁ?誰だっけ?あんまり人数多いからな、忘れちゃったな」

「翔君、気にしないの?」

「だって咲は俺のものだもん。そんなの相手にする必要ないからな」

「そっか、じゃああたしも気にする事ないのかな?」

「当たり前だろ?俺は咲しか見えないんだからさ」 


 とか何とか言ってるけど、実は翔は咲に言い寄ろうとしている男子を、片っ端から排除していた。
 咲に知られたらまた面倒な事になる前に、火元は消しておきたかったわけだ。

 その数は、翔の予想をはるかに上回っていた。

 それもその筈、咲の噂は他校にまで広がっていたからだ。
 もちろん、その噂を聞きつけたのは、他の学校に通ってる翔の仲間からの情報だった。


『咲ちゃんってチアガールやってる?紅葉学園のチアガール部のキャプテンがものすごく可愛いって噂になってるけど、咲ちゃんの事じゃねぇの?』


 そんなメールが、翔のもとに何通も届いた。

 おいおい……。
 学園の中だけでも大変なのに、他の学校まで手が回らねぇよ。


『多分咲の事で間違いない。だから俺の彼女だとばれない様に頼む。学園内だけでも大変なんだよ』

『やっぱりな。咲ちゃん飛び切り可愛いもんな。翔の彼女だとばれたら、またどっかの不良のお出ましって訳だな。了解、適当にごまかしとくからよ』


 みんな、さんきゅ。 
 俺の方も何とかしないとな。

 咲にばれたら、また怒り出しそうだしな。
 その手に握られた、手紙の束を見ながら翔は考えた。


 今は授業中。
 屋上には翔以外、誰もいない。

 静かだな……。
 嵐の前の静けさってやつ?
 また、一波乱ありそうな午後だった。

 さて、と。
 そろそろ授業が終わる時間か。
 咲は大丈夫だろうな。




 球技大会以来、翔の人気はまた一段とうなぎのぼりになっている。

 咲という彼女の存在はもう学園内で知らない奴はいない筈なのに、それでもこうして翔のもとには、毎日手紙が届く。


 諦めが悪いというか、何考えてんだか分かんねぇよ。
 階段を降りながら、翔は溜息を吐いていた。 


「咲!変わり、ない?」

「翔君、別に何もないよ」

「咲、何もない、じゃないでしょ?ちゃんと赤井君に言わなきゃダメじゃないの」泉が怒ってそう言った。

「泉、でも「泉先輩、何かあったんだね?」」

「ほら、これ見てよ。咲の下駄箱と机の中に入ってた手紙」



 翔は怪訝(けげん)そうな表情のまま「手紙?」と言って受け取った。

 軽く30はありそうなその手紙の、中身は見なくても翔は想像がついた。
 まだ咲に手紙なんか出す奴がいるのかよ? 


「これ、見てもいいよね?」

「う、うん……。いいけど、翔君怒らないかなぁ?」

「何?俺が怒る様な手紙なわけ?」


 とにかく翔の嫌な想像が当たらない事を願いつつ、ひとつづつ手紙を開けた。

 それは大きくふたつに分かれていた。
 ひとつは、ありふれた咲への想いが綴られた、所謂(いわゆる)ラブレターの類い。

 もうひとつが、これはちょっと厄介な、咲への恨み憎しみの籠った、翔のファンからの手紙だろう。


 翔の予想は当たらずも遠からず、と言ったところか。


 咲は、自分に宛てたラブレターを見て、翔が怒らないか心配だったのだが、そっちよりも翔が怒り出したのは、咲への恨みの手紙の方だった。


 翔は「なにこれ?ふざけた奴がまた増えたって訳か」と手紙を握り締めた。

「ね?ちょっと酷いよねー。自分が赤井君に相手にされないからって、咲を恨むのは間違ってるでしょうが。ったく、いつになっても咲は危険なままじゃないの」と、泉は怒り狂っていた。

「危険?ってなにが?」きょとんとして聞いて来る。



 相変わらず的外れな事を聞いて来る咲に、翔は頭を抱え込んだ。
 この、怖いもの知らずの咲を、俺はどうやって守ればいいんだ? 


「とにかく、俺は今日仲間に集合かけて相談してみる事にするよ。咲も一緒に来るんだよ」

「えっ?あたしも一緒なの?翔君、友達と話しがあるんでしょ?あたし邪魔じゃないの?」

「相談って、咲の事なんだぜ。それに今は俺から離れない方が賢明だと思うけどな。小谷みたいな奴、まだゴロゴロしてる様だしな」

「小谷さん……。嫌、あの人怖いよ、翔君」



 咲はあの小谷さんの、得体の知れない怖さを忘れられなかった。



「だから俺の傍にいろって言ってんだよ。今は咲をひとりには絶対に出来ないからな。分かった?」

「うん……分かった。翔君の言う通りにするよ」 

「んじゃ今から仲間に連絡すっから、今日部活終わったら待っててよ」

「……分かった」



 くす....----。
 小谷の一件はかなり咲には堪(こた)えたみたいだな。
 まぁ、奴だって所詮は女。
 俺らに敵う筈もねぇのによ。

 咲に何かしようなんて、くだらない事さえ考えなけりゃあ今だって普通の生活ぐらいは出来ただろうにな。

 俺の周りはそんな女ばっかりだなぁ。
 族やってた頃遊んだ女ばっかりだからかなぁ。
 その分、咲の天然さも可愛く映るけどな。 


「やぁ!咲ちゃ~ん、元気ぃ~。相変わらず可愛いねぇ」

 輝(あきら)がふざけて咲に声を掛けて来た。

「おい、咲に気安く話し掛けんなよ」

「ははっ、冗談だよ。ねぇ咲ちゃん」

「えっ、あの、翔君……」



 この前の店。
 この前会った、翔君の仲間。
 悪い人じゃないのは分かるけど、慣れないなぁ。


「咲ちゃんじゃないかい?へぇ、ちょっと見ない内にまた可愛くなったじゃないかい?よっぽど翔が可愛がってるんだろね」

「ママよぉ、当たり前じゃん。咲は俺の宝なんだぜ」

「へぇ~、翔の口からそんな言葉が出るとは思わなかったねぇ。尤(もっと)も、翔が女の子連れて来たのも咲ちゃんだけだしねぇ」 

「そんでよ翔、うちの学校でも咲ちゃんは噂になってるぜ」

「うちもだよ。今度の紅葉の文化祭は絶対に行くんだって野郎どもが張り切ってたからよ」


 仲間からそんな話しが飛び出した。



「文化祭なんて、まだ先の事じゃねぇのかよ?」

「その前に咲ちゃんの下見に行くなんて言ってた奴もいたな」

「なんだよ、下見って?咲は見世物じゃねぇぞ」

「仕方ねぇじゃん。そんだけ咲ちゃんが有名なんだからさ。翔は上手くやったよなぁ。咲ちゃん独り占めってか?」 

「俺は咲さえいれば、何もいらねぇ。だがな、咲に何かしようとしてる奴は見逃す訳にはいかねんだ」


 バラっと、テーブルに無造作に投げた咲宛ての女からの手紙。
 それを見た、その場にいた全員が翔の言いたい事を理解した。


「なんだよこれ?マジムカつく女っているのな」

「翔のファンは特別危ねぇのが揃ってるからな」

「おい、咲の前でその話しはすんなよ。また咲に泣かれるだろが」

「泣かないよ?あたしは翔君の事、信じてるもん」


 すると、カウンターの向こうで紫煙を吐きながら、ママが話し掛けて来た。


「へぇ、翔にゃ勿体ない程、いい娘じゃないかい。精々咲ちゃんを泣かす様な事はしない事だね、翔」

「分かってるよ、そんな事は言われなくてもよ。今日集まったのは、咲宛てに嫌がらせの手紙がごっそり届いてたからなんだ。それをどうすっかって相談なんだよ」

「手紙かい?相手に心当たりはないのかい?」

「球技大会のすぐ後だからなぁ、誰もが怪しく見えちまうよ」

「翔がまた目立つ事やったんじゃねぇの?咲ちゃんは俺の彼女だって誰にでも分かる様な事をさ」


 仲間の誰かから、そんな声が上がった。


「あ、そう言えば翔君のバスケの試合見てる時に、翔君あたしに持っててってジャージとタオル投げて来たよ」

「ジャージとタオル?そんなもんわざと咲ちゃんに投げたのかよ?翔、バッカじゃね?そりゃ咲ちゃん恨まれるわな」

「何でだよ?咲を狙ってる男もいるんだぜ。俺だって面白くねぇもん、咲は俺の彼女だって教えてやっただけだぜ」

「それがどうやら裏目に出ちまった様だねぇ」

「ったくなんでだよぉ。俺はただ咲と一緒にいたいだけなのによぉ」

「かけるくん……あたしもおんなじだよ……。どうしてみんなあたし達の事、ほっといてくれないんだろ……?」

「どっちもモテるってのが悪かったんだろうね。咲ちゃんが気にする事はないんだからさ。こいつ、悪い事ばっかやって来たけど、本当は優しすぎるんだよ。だから今回咲ちゃんが翔のせいで危ない目に遭う事になったのって、耐えられないと思うんだ。だから咲ちゃん、翔をよろしく頼むよ」

「はい……。分かりました……」

「咲ぃ~、お前だけは離さねぇからよぉ~俺の傍にいてくれよな……」

「なっ?誰だよ?翔に酒呑ませたのは?もうぐでんぐでんじゃねぇか」

「誰もいねぇよ。翔のそれ、自棄酒(やけざけ)だよ。よっぽど咲ちゃんが心配なんだろうよ」

「だからって俺らだってついてるってのに、何もそこまで思い詰めなくたっていいじゃねぇかよ。俺らの事、信じてねぇのかよ」 

「とにかくもう遅いし、翔がこの状態じゃあ相談どころじゃねぇし。今夜は解散するべ」

「翔はどうすんだ?」


 誰かがそう言った。


「あ、あたしが連れて行きます。でもあたしひとりじゃ運べないかな……」

「うっ……ぷっ……」



 突然。
 翔が吐きそうになった。
 慌てて翔の傍に駆け寄ろうとした。

「翔君!「咲ちゃんはいいから、ここは俺らに任せて」」

 が、翔の友達に止められた。
 翔のそんな姿を、咲に見せない為の仲間としての配慮なのだろう。


「咲ぃ~どこにいるぅ~?」

「あの、翔君が呼んで「いいからいいから、おい、翔、お前呑み過ぎだぜ。咲ちゃんが一緒にいるのによ」」

「咲と帰るよ……タクシー拾ってくれよ……」 

「もう大丈夫なのかよ?帰るってどこ行くんだ?どうせ家になんか帰んねぇだろ?」

「駅の近くのホテル……咲と初めて朝まで一緒にいたとこなんだ」

「あの新しく出来たとこか。んじゃタクシー止めるぞ。行き先は運転手に言っとくからな。おーい、誰かタクシー止めてくれ」

「咲ぃ~俺の咲ぃ~、どこにいんだよ?」

「翔君、大丈夫「ねぇ、君。ひとり?」え……?あの……?」

「んだよ、てめぇ!!俺の咲に何しやがる!!」

「翔、よせ!咲ちゃんがいるんだぞ。あんたらも怪我したくなかったら消えな!その子に二度と声なんか掛けんじゃねぇぞ!」

「な、何だよ。男連れかよ」
  
「咲、大丈夫だったか?」

「うん、ちょっとびっくりしたけど……翔君こそもう大丈夫なの?」

「あぁ?これくらい何でもねぇよ。咲、お前が無事なら俺に恐いものなんかねぇよ」

「翔、タクシー来たぜ。んじゃ咲ちゃん、翔をよろしく。またね」

「分かりました。お休みなさい」

「咲~早く来いよぉ」

「分かったから、そんなに大声で呼ばないでよ。みんな見てるじゃない」


 そのままふたりを乗せたタクシーはいつものホテルへと向かって走り出した。


「翔君、着いたよ?あの、幾らですか?」

「あぁ、もう頂いてますよ。それよりかなり酔ってる様ですが、歩けますか?」 

「ちょっと翔君、歩けるの?」

「へへ……咲が肩貸してくれたら歩けるぜ」


 翔はへらへらしながらそう言った。



「分かった、ほら降りよう?運転手さんだって困ってるよ?」

「あぁ、咲。そこが入口だ。好きな部屋選んでいいぜ」

「好きな部屋って、何が違うの?」

「んじゃ俺が選ぶからいいよ」



 よろよろと、覚束(おぼつか)ない足取りで、翔は部屋に入ると、そのままベッドに倒れ込む形で寝てしまった。


 ふぅ!
 やっとこれで翔君も大人しく朝まで寝てくれるかな。

 でも……。
 さっきの翔君、恐かったなぁ。
 翔君の友達も凄いけど。
 自分が他の男の子に声を掛けられただけで、あんなに怒るなんて思わなかったよ。


 ....次の日の早朝。


 翔は目を覚まして「いてっ!あれ?昨夜はどうなったんだっけ?」とズキズキと痛む頭を抱えて、必死に記憶をたどっていった。



 ふ……と、隣りに咲が寝ている事に気付いた。


 そうだ!
 昨日俺は、俺は、咲がいるのに酒を呑んじまった。

 でも、まぁ、ここに一緒にいるって事は、無事だったんだな。
 じゃあ、朝の挨拶代わりに……。



「咲……」


 名前を呼ばれて、咲が目を覚ました。


「翔君、大丈夫?」

「何が?」

「昨夜、あんなに酔っぱらって、大変だったんだよ?」

「あ~だから何も覚えてないのか。それより咲……」


 翔の顔が咲に近付いて来る。
 思わず、咲は目を閉じた。



 その、唇に、柔らかい感触。
 翔のそれだと、咲はすぐに気付いた。

 もう、これで何度目だろう?



 一緒に過ごした夜の数の分だけ、余計に好きになる……。
 心も、身体も、全部が愛しい。


 だからこそ、咲を危険に晒す訳にはいかねぇんだ。
 こんな俺にだって、命懸けで守りたいものが出来たから……。
 咲がいれば、俺他にはなぁんにもいらねぇ。


 咲の首筋に、桜の花びらひとつ、残して。 
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