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1巻
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◇◇◇
そうして着々とバッドエンド回避のための下準備を進め、私は十歳になった。
ジョルダンとの勉強はまだ続いている。どうしてか彼は私を恐れず様々なことを教えてくれるので、とてもありがたい。
おかげで一通りの知識どころか、並みの貴族令嬢より豊富な知識を得ることができ、社交界で恥をかくこともなさそうだ。
ジョルダンのような、クローディアを恐れず積極的に関わろうとする人は、小説には登場しなかった。彼の存在は、私に未来への希望を抱かせてくれる。
そんなある日、私は自分の運命に大きく関わるかもしれないほど重要な話を、父から聞かされていた。
「――王妃様主催の、お茶会ですか?」
父の執務室に呼び出された私は、思いっきり嫌そうな顔をして言った。
「ああ」
テーブルをはさんで向かいに座る父は、重苦しい声で答える。彼の隣に寄り添う母は、困ったような顔をしておろおろしていた。
「私宛に招待状が来ているのですか?」
他の貴族たちからならまだしも、王家から誘いが来るなんて、信じられない。私が闇の精霊王の加護持ちだと知っているはずなのに。
「ああ。気持ちは分かるが、間違いなくお前宛だ」
テーブルの上には、王家の紋章が描かれた封筒が一通。そこには確かにクローディア・レイツィアと宛名が書かれている。
「イサナ、クローディアのマナーに問題はないのだな?」
父は母のほうを向いて尋ねた。
「え、ええ。六歳の時にはすでに完璧でしたし、それからも私が抜き打ちでテストをしていますが、問題はありませんわ。しかし……」
私もマナーに不安はない。だが、問題は私の容姿だ。
幸い、見目麗しい両親の血を受け継いでいる私は、そこそこ整った容姿をしている。ただ、他の人と違う色彩は、周囲の目には不気味に映るだろう。
母も私と同じ不安を抱いているはずだ。父もそれは分かっているようで、眉間に皺を寄せつつ話し始めた。
「お前の言いたいことは分かる。だがあと二年もすれば、学校に入学する時期がやってくる。闇の精霊王の加護を持っていることを、いつまでも隠してはおけない。学校で力の使い方を学んで身を守る方法を習得する必要もある」
貴族の子息や令嬢は、十二歳から学校に入学することが義務付けられている。そこで様々な伝手を作ったり、社交の場での振る舞い方を学んだりするのだ。四歳年上の兄リアムも、すでに学校に通っている。
「入学だけではない。十六歳になれば社交界デビューが待っている。この招待状は、公の場に出る前に同年代の子供たちと交流をしておけという、王妃様の心配りだ。今まで隠してはきたが、そろそろクローディアのことを他家にも知らせたほうがいいということだろう」
父の言うことは分かる。私だって、いつまでも家に引きこもり続けられるとは思っていない。だけど……
私は正直な意見を口にした。
「だからといって、いきなりすぎませんか。きっと会場は大混乱に陥ります。前もって知らせておくとか、もう少し段階を踏むべきでは?」
私が闇の精霊王の加護を持っていると公表するためとはいえ、いきなり人前に姿を現さなくてもいいだろう。他にも色々方法がある気がする。
すると、父はそれも分かっていると言いたげな表情をした。
「このお茶会には主催者である王妃様も参加されるから、そのあたりは上手く取り計らってくださるだろう。王妃様からの手紙にも、そのように書いてある。今回のお茶会は、社交界デビューをしていない子供たちを集めたものだそうだ。参加者はいずれ学校で顔を合わせる子たちばかりだし、学校が休みの日だから、リアムも参加できる。それに、これは王家からの招待だ。いくら公爵家でも、断れない」
嫌だ。すごく嫌だけど、従うしかない。こうなったら腹をくくって、少しでも味方を作れるように策を練るしかない。
「分かりました」
私は渋々頷いて退室した。
数日後。お茶会に向かうため、私は生まれて初めて邸の外に出た。
お茶会は王宮の庭園で行われるという。私はお茶会用のドレスを着て、兄と一緒に馬車に乗った。
「ああ、えっと……クローディア、その……綺麗だよ」
私が着ているのは、胸元が大きく開いた白いドレスだ。銀色の蔦のような模様が刺繍されており、体のラインがはっきりと出るデザインだ。
ハーフアップにされた髪には真珠の飾りがついていて、その中央には赤い小さな薔薇が飾られていた。
「ありがとう。でも、無理に褒める必要はないわ。紳士は女性を褒めるべきだけど、身内にまで気を遣わなくてもいいでしょう」
「お、お世辞を言ったつもりはないんだ。いつも綺麗だと思っている。そのドレスも、クローディアの肌と髪によく合っているよ。でも、今日は一段と綺麗だから緊張してしまって……」
「実の妹に何を言っているの」
どう考えても、歯の浮くようなセリフを吐くべき相手ではない。
「そ、そうだね。ごめん」
私は気恥ずかしくなって、何も言わず窓の外に目を向けた。素直にお礼を言えなかったけれど、嬉しくてかすかに口角が上がる。
そんな私を見て、兄は呆然としていた。呆れるほど変な顔をしてしまっていただろうか。私は慌てて顔を引き締めた。
それからは特に会話もないまま馬車は進み、しばらくして王宮に到着した。
お茶会の会場である中庭に着くと、まだ社交界デビューをしていない十代の子供たちが集まっていた。
貴族の令嬢たちが兄を見てうっとりとした顔をする。うちの両親は社交界でも有名な美男美女で、その血を色濃く受け継いだ兄は、そうそうお目にかかれないくらいのイケメンだ。おまけに次期公爵家当主ともなれば、妻になりたいと望む女子は多くいる。
美しく着飾った令嬢たちから、獲物を狙う獣のような視線を向けられて、兄は今すぐ踵を返しそうだった。だが、それを堪えて笑顔を保っている。
そんな空気を変えたのは、私の存在だった。彼女たちは兄のうしろに控えている私に気付くと、恐怖に顔を引きつらせる。
「あれがレイツィア公爵令嬢……」
「初めて見ましたが、本当に不気味な容姿ですわね」
「よくあんな褐色の肌なんかで人前に出られますわね。私なら恥ずかしくてとても無理ですわ」
「私があんな姿で生まれたら、ショックのあまり自殺してしまうかもしれません」
ヒソヒソ声なのに、嫌にはっきりと言葉が耳に届く。どうやら彼女たちは、私が闇の精霊王の加護持ちであることを知っていたようだ。王妃様からおのおのの両親を通じて、あらかじめ私のことが伝えられていたのかもしれない。
そのおかげか、私が想像していたような恐慌状態にはならなかった。
それでも、この空気にさらされて平気な顔ではいられない。私は来たことをさっそく後悔し始める。その時、一人の女性が声をかけてきた。
「リアムとクローディアね。二人とも来てくれて嬉しいわ。私はこの国の王妃、アグネスよ」
いきなり王妃様から声をかけられるとは思わず、私は少し驚いてしまった。
王妃様は灰色の髪にアイスブルーの瞳をしている。少し吊り気味の目からは、気の強そうな印象を受けた。
兄は王妃様に向かって公式な礼の姿勢をとる。
「お初にお目にかかります。私はレイツィア公爵家嫡男、リアムです。この度はお招きいただきありがとうございます」
私も兄に続いてお辞儀をする。
「長女のクローディアです」
やや緊張しながらも挨拶すると、王妃様は満足そうに微笑んでくれた。
「今回は社交界デビューをしていない子たちばかり招待しているから、あまり硬くならず、気楽に楽しんでちょうだい」
さすがというべきか、王妃様は私の容姿を見てもまったく動じない。こういう人と親密な関係を築くことができれば、バッドエンド回避に繋がるだろうか。
そんなことをちらりと考えるものの、彼女の堂々とした姿を前にすると、恐れ多くてとても実行できそうになかった。
ふと、そのうしろに二人の少年が立っていることに気付く。そちらに視線を向けると、王妃様が口を開いた。
「紹介するわね。息子のレヴィとエドガーよ。レヴィはリアムと同い年だから、二人は学校で顔を合わせているわよね」
王妃様と同じ灰色の髪とアイスブルーの瞳をした少年が、彼女の横に進み出る。それを見て、兄は親しげな笑みを浮かべた。
「はい。クラスメイトとして仲良くさせていただいています」
レヴィ殿下は兄と一瞬目を合わせ、私のほうに向き直った。
「初めまして、レイツィア公爵令嬢。私はレイシア国の第一王子、レヴィ・レイシアです」
レヴィ殿下の物腰は優雅で、王子然とした態度だ。けれどその顔はわずかに引きつっている。私はそれに気付かないフリをして挨拶を交わした。
「お初にお目にかかります。クローディア・レイツィアと申します」
次に王妃様はレヴィ殿下のうしろにいる不機嫌顔の少年を紹介してくれた。
「こっちが二番目の息子、エドガーよ」
エドガー殿下は、茶色の髪と目をした、私と同い年くらいの少年だ。彼はこちらを一瞥すると、馬鹿にするように口角を片方だけ上げた。
「なるほど。黒髪黒目に褐色の肌か。初めて見たが、みなが言う通り不気味なものだな」
いきなり暴言を吐いたエドガー殿下を、王妃様がすかさず叱責する。
「エドガー!!」
王妃様から咎められても、エドガー殿下はふんっと鼻を鳴らすだけで謝るつもりはないようだ。
その様子を見て、私は違和感を覚えた。
あれ? エドガー殿下って、こんな性格だったかしら。
小説では、彼はヒロインと婚約するのだ。前世の私は、ヒロインが結ばれる相手がなぜ第一王子ではないのかと疑問を抱いた記憶がある。
《聖女は王子に溺愛される》のような恋愛ファンタジー小説では、ヒロインは第一王子と結ばれて王太子妃になるような展開が多いと思う。けれどあの小説では、第一王子もヒロインに思いを寄せていたにもかかわらず、第二王子のほうがヒーローとして、より魅力的に描かれていた。
ただ、私の好みではなかったのであまり興味がなかったし、よく覚えていない。
「エドガー、彼女に謝りなさい。女性の容姿をそのように言うなんて、無礼だぞ」
レヴィ殿下にもそう言われ、エドガー殿下はいよいよへそを曲げたようだ。
「自分だって顔を引きつらせていたくせに」
彼はぼそりとつぶやく。けれどレヴィ殿下はこれを無視し、私に向かって口を開いた。
「レイツィア公爵令嬢、弟が失礼をした。許してくれ」
「いいえ、レヴィ殿下。気にしておりませんわ」
私が微笑んで言うと、エドガー殿下はばつが悪そうに視線を逸らした。
レヴィ殿下はそれも無視して、さらに私に話しかけてくる。
「もしよろしければ、あちらで少しお話ししませんか? 私はあなたに興味がわきました」
突然の申し出に驚いた。まさか王子から誘われるなんて、想定外だ。
けれど未来のことを考えると、願ってもない機会だ。歳が近い分、王妃様よりは気軽に話せそうだし、もし彼と親しくなれたら、将来ガルディア王国に嫁がされそうになった場合、反対してくれるかもしれない。
小説では、クローディアが国外追放される時には、すでにレヴィ殿下は陛下の補佐として政治に関わっていた。彼はとても優秀で誠実なキャラクターだったので、臣下からの信頼も厚く、発言力も強かった。
ここで彼と親しくなっておくのは、きっとバッドエンド回避に役に立つ。
それに、そもそも相手は王子なので断れない。ここはとりあえず素直に従っておこう。
「私でよろしければ」
その返事を聞いて、レヴィ殿下はにこりと笑った。女性の好みそうな甘い笑みだ。けれど私にはそれが作り物めいて見えて、この王子は案外一筋縄ではいかないかもしれないと感じた。
「リアム、ちょっと君の妹を借りるよ」
そう言ってレヴィ殿下は、私を連れて歩き出した。その背中に、兄から「逃げたな」という謎の言葉が投げかけられた。
どういう意味だろうと疑問に思って、隣を歩くレヴィ殿下に視線を向ける。すると殿下は、悪戯がバレた子供のように肩をすくめて笑った。
私とレヴィ殿下は、兄たちから少し離れた席に着く。途端に、兄とエドガー殿下は令嬢たちに取り囲まれてしまった。
私はその様子をレヴィ殿下と一緒に見ていた。
「あのような不気味な妹を持ってしまわれるなんて、おかわいそうなリアム様」
一人の令嬢が、猫なで声で兄にすり寄り、私を侮辱する。それだけで、兄の機嫌が目に見えて悪くなった。
兄は眉間に皺を寄せ、低い声を出す。
「妹の容姿を不気味だという人間は確かにいる。でも俺はあの子を不気味だと思ったことはない。むしろとても神秘的だと感じているよ」
兄の言葉に、私は心底驚いた。今まで彼が私のことをどのように思っているのかなど、考えたこともなかったけれど、まさかそんなふうに思っていたなんて。
驚いたのは、私だけではない。兄にすり寄っていた令嬢たちも、一瞬呆気にとられていた。それでも、すぐに立ち直って媚びるような声で話し始める。
「まあ、神秘的だなんてお戯れを」
「あんな子を庇うなんて、お優しいのですね」
彼女たちは諦めが悪く、引き際をわきまえていない。
兄はにこりと人のよさそうな笑みを浮かべる。けれど目は笑っていなかった。
こんなに機嫌の悪い兄は初めて見る。いや、私は不機嫌な兄どころか、上機嫌な彼も知らない。そんなことが分かるほど、私は彼に関わってこなかったから。
兄はほの暗い笑みを浮かべながら、低い声で言った。
「あんな子……ね。随分な言い方じゃないか。だが、あの子も俺と同じ公爵家の人間だ。下位の貴族である君たちが軽んじていい存在ではない。もっとも、レイツィア公爵家を敵にまわしたいのなら構わないが」
自分たちの失態を悟った令嬢たちは青ざめて言葉を失う。
私と一緒にその光景を見ていたレヴィ殿下が口を開く。
「リアムを怒らせるなんて、馬鹿な子たちだな」
「レヴィ殿下は彼女たちから逃げたのですね。私を使って」
私が隣にいなければ、令嬢たちの半分は彼を取り囲んでいただろう。
「ごめん。怒った?」
口では謝っているものの、彼はまったく悪びれていない。
「いえ、お役に立てたのなら光栄です」
私が素っ気なく言うと、何が面白かったのか、レヴィ殿下は声を上げて笑った。
「あははっ。まったく光栄だとは思っていない顔だね」
ひとしきり笑ったあと、殿下は兄を取り囲んでいる令嬢たちに視線を向けた。
「それにしても、不愉快な連中だな。ああいう発言が自分の格を下げているとは思わないのかな」
眉間に皺を寄せて、私の悪口を言っていた令嬢たちを見ている。
本当に不愉快に感じてくれているようだが、よくあることなので私は気にしない。
「逆ですわ」
「逆?」
レヴィ殿下は私が何を言っているのか分からないらしく、きょとんとした顔で首を傾げる。その仕草が、なんとなく可愛いと思ってしまった。
「ええ。彼女たちは他者を見下すことで、己が相手よりも格上であると示しているのですわ」
「あそこにいる子たちはみんな、君より下位の家柄だけど」
レヴィ殿下はまだ納得していないようだ。
「でも、容姿はあの子たちのほうが上ですわ」
貴族の令嬢は肌が白ければ白いほど美しいとされる。他国ではどうか知らないが、レイシアではそうだ。私のような褐色の肌を持った令嬢は好まれるわけがない。
「……自分の顔、鏡で見たことある? 君は結構な美人だと思うよ」
「お気遣いありがとうございます。でも自分の顔ぐらい、毎日鏡で見ているので分かりますわ」
なぜかレヴィ殿下に呆れ顔をされた。私は本心を言っただけなのだが、何かまずかっただろうか?
このお茶会を機に殿下と仲良くなりたいと思ったけど、今まで人と関わってこなかったことが災いして、いまいち上手く話を盛り上げられない。それどころか、私はついつい素っ気ない態度を取ってしまう。
「信じていないね?」
「さあ、どうでしょう。……あら、兄がこちらに来ますわね」
令嬢たちの檻から抜け出した兄が、こちらに向かって歩いてくるところだった。その顔を見たレヴィ殿下は他人事のようにつぶやく。
「機嫌が悪いな」
「殿下が逃げ出したせいでもあるのでは?」
「そうだったかな」
レヴィ殿下はとぼけるように言った。
それから兄も合流し、私たちは三人で話をする。
そうしてお茶会はつつがなく終わったが、結局、兄とレヴィ殿下以外の人とは話すらしなかった。そのレヴィ殿下と友好を深められたのかどうかも微妙だ。
前世の私も友達のいない、ひねくれた子だった。だから友達の作り方がまったく分からない。
バッドエンド回避のために味方を作る計画は、前途多難なのだった。
◇◇◇
お茶会の日から数週間後。
兄のリアムが学校にいる時間帯を見計らって、私は下町の娘が着ているような質素な服を身につけた。それから、髪や肌を隠すために丈の長いコートを着て、フードを目深に被る。
『クローディア、どこかに出かけるのか?』
ジェラルドが不思議そうな顔をして尋ねてくる。
『ええ』
『誰かに言ったほうがよいのではないか? せめてあの執事ぐらいには行き先を伝えておいたらどうだ』
彼は最近ちょっと過保護だ。人間をあまり信用していない彼だけど、執事のジョルダンと兄のリアム、レヴィ殿下のことは信用しているらしく、何かにつけて私に彼らを頼らせようとする。
『ダメよ。そうしたら絶対に護衛がつくでしょ。自由に動きづらくなるじゃない』
前世で庶民だった私は護衛されることに抵抗がある。まるで監視されているみたいで、落ち着かないのだ。一人のほうが気を遣わなくていいし、気楽だ。
『さあ、ジェラルド。私を下町に連れていって』
ジェラルドの使う魔法の一つに、影移動というものがある。これは瞬間移動のような能力で、影から影へと移動する。目的地を具体的にイメージすれば、一瞬でそこに移動することができるのだ。
この前のお茶会に行く途中、馬車の中から下町の様子を確認した。私が見た限り、小説に書かれていた町と同じようだから、行き先はイメージできる。
『分かった』
ジェラルドが私の思い浮かべた場所を読み取って、魔法を発動させた。
すると足元の影が濃くなり、私たちを覆い尽くす。
視界が闇に包まれたかと思うと、次の瞬間には目的の場所に着いていた。そこにある建物の影へと移動したようだ。
『ありがとう。では、行きましょうか』
私はフードが脱げないようにもう一度深く被り直し、建物の影から出る。
実はずっと、邸の外に興味があった。せっかく別の世界に転生したのだから、この世界のことをもっとよく見てみたいと思っていた。
今までは、私が闇の精霊王の加護持ちであることを知られないため、外に出るのは控えていた。けれどそのことが明るみに出た今、邸の外に出ても構わないだろうと判断したのだ。
ただ、騒ぎになるのはごめんなので、髪と肌はこうやってコートで隠している。
今回は、特に目的があって下町に来たわけじゃない。ぶらぶら歩きながら気になるお店を見てまわるつもりだ。私はひとまず大通りをまっすぐ進むことにした。
「お前、こんな所で何をしている?」
歩き始めてすぐ、背後から聞き覚えのある声がした。
「えっ!?」
驚いて振り向くと、そこにはエドガー殿下が立っていた。市井にまぎれるためか、彼も平民のような服を着て変装している。
「よく私だと分かりましたね。フードで顔を隠しているのに」
「はっ、馬鹿にするな。それぐらい見れば分かる」
いや、普通は分からないと思う。すごい観察眼だ。
「で、一体何をしているんだ。護衛もつけずに、不用心じゃないか」
エドガー殿下は訝しげな視線を向けてくる。
「護衛なら、そこらの人間よりずっと優秀なのがついていますわ。そんなことより、エドガー殿下こそ、こんなところで何をしていらっしゃるのです。殿下にこそ護衛が必要なのでは?」
暗に、王子が一人で下町をうろつくなと言ったのだ。するとエドガー殿下は目を泳がせて逆ギレした。
「別にいいだろ!」
よくないよ! この国の王子じゃん! 何かあったらどうするんだ!
そうツッコミを入れそうになり、私は慌てて言葉を呑み込んだ。
「お前は買い物か? 令嬢の中には、まれに下町で買い物をする奇特な者もいると聞くが……」
「ま、まあ……そんなところですわ」
違うけど、とりあえず話を合わせておく。
貴族は買い物をする時、わざわざ下町になんて来ない。商人を邸に招くのが普通だ。
「なら、仕方がないから付き合ってやる」
「はい?」
私は思わず聞き返してしまった。
「いくら加護持ちとはいえ、女が一人で出歩いているのを放っておいたと知られれば、母上に怒られるからな」
私はまだ何も言っていないのに、エドガー殿下はついてくる気満々だ。さすがは王族と言うべきか、少女小説のヒーローと言うべきか、俺様全開な彼である。
さて、どうしよう。
厚意はありがたいが、さすがに第二王子を下町散策に付き合わせるのは気が引ける。
とはいえ、彼と親しくなるには、またとないチャンスでもある。
そう思って、チラリとエドガー殿下を見た。
「私は特に買いたいものがあって来たわけではありません。ただ、どんなものが売っているのか見てまわりたいだけで……。それでもよろしいですか?」
その言葉に、殿下はとても驚いた顔をする。
ぶすっとした表情しか見たことなかったけど、こういう表情は歳相応でちょっと可愛いかも。本人に言ったら怒られそうだが……
「そ、そうか。色々見てまわりたいなんて意外だな」
まさか私がウィンドウショッピングをするとは思っていなかったのだろう。彼の反応を見ると、やはり付き合わせるのはまずい気がしてくる。
「やっぱり、一人で大丈夫です」
「いや、問題ない。俺も似たようなことを考えていた。では、行くぞ」
「は、はい」
私は戸惑いつつも、先に歩き出してしまったエドガー殿下のあとを追いかけた。
そうして着々とバッドエンド回避のための下準備を進め、私は十歳になった。
ジョルダンとの勉強はまだ続いている。どうしてか彼は私を恐れず様々なことを教えてくれるので、とてもありがたい。
おかげで一通りの知識どころか、並みの貴族令嬢より豊富な知識を得ることができ、社交界で恥をかくこともなさそうだ。
ジョルダンのような、クローディアを恐れず積極的に関わろうとする人は、小説には登場しなかった。彼の存在は、私に未来への希望を抱かせてくれる。
そんなある日、私は自分の運命に大きく関わるかもしれないほど重要な話を、父から聞かされていた。
「――王妃様主催の、お茶会ですか?」
父の執務室に呼び出された私は、思いっきり嫌そうな顔をして言った。
「ああ」
テーブルをはさんで向かいに座る父は、重苦しい声で答える。彼の隣に寄り添う母は、困ったような顔をしておろおろしていた。
「私宛に招待状が来ているのですか?」
他の貴族たちからならまだしも、王家から誘いが来るなんて、信じられない。私が闇の精霊王の加護持ちだと知っているはずなのに。
「ああ。気持ちは分かるが、間違いなくお前宛だ」
テーブルの上には、王家の紋章が描かれた封筒が一通。そこには確かにクローディア・レイツィアと宛名が書かれている。
「イサナ、クローディアのマナーに問題はないのだな?」
父は母のほうを向いて尋ねた。
「え、ええ。六歳の時にはすでに完璧でしたし、それからも私が抜き打ちでテストをしていますが、問題はありませんわ。しかし……」
私もマナーに不安はない。だが、問題は私の容姿だ。
幸い、見目麗しい両親の血を受け継いでいる私は、そこそこ整った容姿をしている。ただ、他の人と違う色彩は、周囲の目には不気味に映るだろう。
母も私と同じ不安を抱いているはずだ。父もそれは分かっているようで、眉間に皺を寄せつつ話し始めた。
「お前の言いたいことは分かる。だがあと二年もすれば、学校に入学する時期がやってくる。闇の精霊王の加護を持っていることを、いつまでも隠してはおけない。学校で力の使い方を学んで身を守る方法を習得する必要もある」
貴族の子息や令嬢は、十二歳から学校に入学することが義務付けられている。そこで様々な伝手を作ったり、社交の場での振る舞い方を学んだりするのだ。四歳年上の兄リアムも、すでに学校に通っている。
「入学だけではない。十六歳になれば社交界デビューが待っている。この招待状は、公の場に出る前に同年代の子供たちと交流をしておけという、王妃様の心配りだ。今まで隠してはきたが、そろそろクローディアのことを他家にも知らせたほうがいいということだろう」
父の言うことは分かる。私だって、いつまでも家に引きこもり続けられるとは思っていない。だけど……
私は正直な意見を口にした。
「だからといって、いきなりすぎませんか。きっと会場は大混乱に陥ります。前もって知らせておくとか、もう少し段階を踏むべきでは?」
私が闇の精霊王の加護を持っていると公表するためとはいえ、いきなり人前に姿を現さなくてもいいだろう。他にも色々方法がある気がする。
すると、父はそれも分かっていると言いたげな表情をした。
「このお茶会には主催者である王妃様も参加されるから、そのあたりは上手く取り計らってくださるだろう。王妃様からの手紙にも、そのように書いてある。今回のお茶会は、社交界デビューをしていない子供たちを集めたものだそうだ。参加者はいずれ学校で顔を合わせる子たちばかりだし、学校が休みの日だから、リアムも参加できる。それに、これは王家からの招待だ。いくら公爵家でも、断れない」
嫌だ。すごく嫌だけど、従うしかない。こうなったら腹をくくって、少しでも味方を作れるように策を練るしかない。
「分かりました」
私は渋々頷いて退室した。
数日後。お茶会に向かうため、私は生まれて初めて邸の外に出た。
お茶会は王宮の庭園で行われるという。私はお茶会用のドレスを着て、兄と一緒に馬車に乗った。
「ああ、えっと……クローディア、その……綺麗だよ」
私が着ているのは、胸元が大きく開いた白いドレスだ。銀色の蔦のような模様が刺繍されており、体のラインがはっきりと出るデザインだ。
ハーフアップにされた髪には真珠の飾りがついていて、その中央には赤い小さな薔薇が飾られていた。
「ありがとう。でも、無理に褒める必要はないわ。紳士は女性を褒めるべきだけど、身内にまで気を遣わなくてもいいでしょう」
「お、お世辞を言ったつもりはないんだ。いつも綺麗だと思っている。そのドレスも、クローディアの肌と髪によく合っているよ。でも、今日は一段と綺麗だから緊張してしまって……」
「実の妹に何を言っているの」
どう考えても、歯の浮くようなセリフを吐くべき相手ではない。
「そ、そうだね。ごめん」
私は気恥ずかしくなって、何も言わず窓の外に目を向けた。素直にお礼を言えなかったけれど、嬉しくてかすかに口角が上がる。
そんな私を見て、兄は呆然としていた。呆れるほど変な顔をしてしまっていただろうか。私は慌てて顔を引き締めた。
それからは特に会話もないまま馬車は進み、しばらくして王宮に到着した。
お茶会の会場である中庭に着くと、まだ社交界デビューをしていない十代の子供たちが集まっていた。
貴族の令嬢たちが兄を見てうっとりとした顔をする。うちの両親は社交界でも有名な美男美女で、その血を色濃く受け継いだ兄は、そうそうお目にかかれないくらいのイケメンだ。おまけに次期公爵家当主ともなれば、妻になりたいと望む女子は多くいる。
美しく着飾った令嬢たちから、獲物を狙う獣のような視線を向けられて、兄は今すぐ踵を返しそうだった。だが、それを堪えて笑顔を保っている。
そんな空気を変えたのは、私の存在だった。彼女たちは兄のうしろに控えている私に気付くと、恐怖に顔を引きつらせる。
「あれがレイツィア公爵令嬢……」
「初めて見ましたが、本当に不気味な容姿ですわね」
「よくあんな褐色の肌なんかで人前に出られますわね。私なら恥ずかしくてとても無理ですわ」
「私があんな姿で生まれたら、ショックのあまり自殺してしまうかもしれません」
ヒソヒソ声なのに、嫌にはっきりと言葉が耳に届く。どうやら彼女たちは、私が闇の精霊王の加護持ちであることを知っていたようだ。王妃様からおのおのの両親を通じて、あらかじめ私のことが伝えられていたのかもしれない。
そのおかげか、私が想像していたような恐慌状態にはならなかった。
それでも、この空気にさらされて平気な顔ではいられない。私は来たことをさっそく後悔し始める。その時、一人の女性が声をかけてきた。
「リアムとクローディアね。二人とも来てくれて嬉しいわ。私はこの国の王妃、アグネスよ」
いきなり王妃様から声をかけられるとは思わず、私は少し驚いてしまった。
王妃様は灰色の髪にアイスブルーの瞳をしている。少し吊り気味の目からは、気の強そうな印象を受けた。
兄は王妃様に向かって公式な礼の姿勢をとる。
「お初にお目にかかります。私はレイツィア公爵家嫡男、リアムです。この度はお招きいただきありがとうございます」
私も兄に続いてお辞儀をする。
「長女のクローディアです」
やや緊張しながらも挨拶すると、王妃様は満足そうに微笑んでくれた。
「今回は社交界デビューをしていない子たちばかり招待しているから、あまり硬くならず、気楽に楽しんでちょうだい」
さすがというべきか、王妃様は私の容姿を見てもまったく動じない。こういう人と親密な関係を築くことができれば、バッドエンド回避に繋がるだろうか。
そんなことをちらりと考えるものの、彼女の堂々とした姿を前にすると、恐れ多くてとても実行できそうになかった。
ふと、そのうしろに二人の少年が立っていることに気付く。そちらに視線を向けると、王妃様が口を開いた。
「紹介するわね。息子のレヴィとエドガーよ。レヴィはリアムと同い年だから、二人は学校で顔を合わせているわよね」
王妃様と同じ灰色の髪とアイスブルーの瞳をした少年が、彼女の横に進み出る。それを見て、兄は親しげな笑みを浮かべた。
「はい。クラスメイトとして仲良くさせていただいています」
レヴィ殿下は兄と一瞬目を合わせ、私のほうに向き直った。
「初めまして、レイツィア公爵令嬢。私はレイシア国の第一王子、レヴィ・レイシアです」
レヴィ殿下の物腰は優雅で、王子然とした態度だ。けれどその顔はわずかに引きつっている。私はそれに気付かないフリをして挨拶を交わした。
「お初にお目にかかります。クローディア・レイツィアと申します」
次に王妃様はレヴィ殿下のうしろにいる不機嫌顔の少年を紹介してくれた。
「こっちが二番目の息子、エドガーよ」
エドガー殿下は、茶色の髪と目をした、私と同い年くらいの少年だ。彼はこちらを一瞥すると、馬鹿にするように口角を片方だけ上げた。
「なるほど。黒髪黒目に褐色の肌か。初めて見たが、みなが言う通り不気味なものだな」
いきなり暴言を吐いたエドガー殿下を、王妃様がすかさず叱責する。
「エドガー!!」
王妃様から咎められても、エドガー殿下はふんっと鼻を鳴らすだけで謝るつもりはないようだ。
その様子を見て、私は違和感を覚えた。
あれ? エドガー殿下って、こんな性格だったかしら。
小説では、彼はヒロインと婚約するのだ。前世の私は、ヒロインが結ばれる相手がなぜ第一王子ではないのかと疑問を抱いた記憶がある。
《聖女は王子に溺愛される》のような恋愛ファンタジー小説では、ヒロインは第一王子と結ばれて王太子妃になるような展開が多いと思う。けれどあの小説では、第一王子もヒロインに思いを寄せていたにもかかわらず、第二王子のほうがヒーローとして、より魅力的に描かれていた。
ただ、私の好みではなかったのであまり興味がなかったし、よく覚えていない。
「エドガー、彼女に謝りなさい。女性の容姿をそのように言うなんて、無礼だぞ」
レヴィ殿下にもそう言われ、エドガー殿下はいよいよへそを曲げたようだ。
「自分だって顔を引きつらせていたくせに」
彼はぼそりとつぶやく。けれどレヴィ殿下はこれを無視し、私に向かって口を開いた。
「レイツィア公爵令嬢、弟が失礼をした。許してくれ」
「いいえ、レヴィ殿下。気にしておりませんわ」
私が微笑んで言うと、エドガー殿下はばつが悪そうに視線を逸らした。
レヴィ殿下はそれも無視して、さらに私に話しかけてくる。
「もしよろしければ、あちらで少しお話ししませんか? 私はあなたに興味がわきました」
突然の申し出に驚いた。まさか王子から誘われるなんて、想定外だ。
けれど未来のことを考えると、願ってもない機会だ。歳が近い分、王妃様よりは気軽に話せそうだし、もし彼と親しくなれたら、将来ガルディア王国に嫁がされそうになった場合、反対してくれるかもしれない。
小説では、クローディアが国外追放される時には、すでにレヴィ殿下は陛下の補佐として政治に関わっていた。彼はとても優秀で誠実なキャラクターだったので、臣下からの信頼も厚く、発言力も強かった。
ここで彼と親しくなっておくのは、きっとバッドエンド回避に役に立つ。
それに、そもそも相手は王子なので断れない。ここはとりあえず素直に従っておこう。
「私でよろしければ」
その返事を聞いて、レヴィ殿下はにこりと笑った。女性の好みそうな甘い笑みだ。けれど私にはそれが作り物めいて見えて、この王子は案外一筋縄ではいかないかもしれないと感じた。
「リアム、ちょっと君の妹を借りるよ」
そう言ってレヴィ殿下は、私を連れて歩き出した。その背中に、兄から「逃げたな」という謎の言葉が投げかけられた。
どういう意味だろうと疑問に思って、隣を歩くレヴィ殿下に視線を向ける。すると殿下は、悪戯がバレた子供のように肩をすくめて笑った。
私とレヴィ殿下は、兄たちから少し離れた席に着く。途端に、兄とエドガー殿下は令嬢たちに取り囲まれてしまった。
私はその様子をレヴィ殿下と一緒に見ていた。
「あのような不気味な妹を持ってしまわれるなんて、おかわいそうなリアム様」
一人の令嬢が、猫なで声で兄にすり寄り、私を侮辱する。それだけで、兄の機嫌が目に見えて悪くなった。
兄は眉間に皺を寄せ、低い声を出す。
「妹の容姿を不気味だという人間は確かにいる。でも俺はあの子を不気味だと思ったことはない。むしろとても神秘的だと感じているよ」
兄の言葉に、私は心底驚いた。今まで彼が私のことをどのように思っているのかなど、考えたこともなかったけれど、まさかそんなふうに思っていたなんて。
驚いたのは、私だけではない。兄にすり寄っていた令嬢たちも、一瞬呆気にとられていた。それでも、すぐに立ち直って媚びるような声で話し始める。
「まあ、神秘的だなんてお戯れを」
「あんな子を庇うなんて、お優しいのですね」
彼女たちは諦めが悪く、引き際をわきまえていない。
兄はにこりと人のよさそうな笑みを浮かべる。けれど目は笑っていなかった。
こんなに機嫌の悪い兄は初めて見る。いや、私は不機嫌な兄どころか、上機嫌な彼も知らない。そんなことが分かるほど、私は彼に関わってこなかったから。
兄はほの暗い笑みを浮かべながら、低い声で言った。
「あんな子……ね。随分な言い方じゃないか。だが、あの子も俺と同じ公爵家の人間だ。下位の貴族である君たちが軽んじていい存在ではない。もっとも、レイツィア公爵家を敵にまわしたいのなら構わないが」
自分たちの失態を悟った令嬢たちは青ざめて言葉を失う。
私と一緒にその光景を見ていたレヴィ殿下が口を開く。
「リアムを怒らせるなんて、馬鹿な子たちだな」
「レヴィ殿下は彼女たちから逃げたのですね。私を使って」
私が隣にいなければ、令嬢たちの半分は彼を取り囲んでいただろう。
「ごめん。怒った?」
口では謝っているものの、彼はまったく悪びれていない。
「いえ、お役に立てたのなら光栄です」
私が素っ気なく言うと、何が面白かったのか、レヴィ殿下は声を上げて笑った。
「あははっ。まったく光栄だとは思っていない顔だね」
ひとしきり笑ったあと、殿下は兄を取り囲んでいる令嬢たちに視線を向けた。
「それにしても、不愉快な連中だな。ああいう発言が自分の格を下げているとは思わないのかな」
眉間に皺を寄せて、私の悪口を言っていた令嬢たちを見ている。
本当に不愉快に感じてくれているようだが、よくあることなので私は気にしない。
「逆ですわ」
「逆?」
レヴィ殿下は私が何を言っているのか分からないらしく、きょとんとした顔で首を傾げる。その仕草が、なんとなく可愛いと思ってしまった。
「ええ。彼女たちは他者を見下すことで、己が相手よりも格上であると示しているのですわ」
「あそこにいる子たちはみんな、君より下位の家柄だけど」
レヴィ殿下はまだ納得していないようだ。
「でも、容姿はあの子たちのほうが上ですわ」
貴族の令嬢は肌が白ければ白いほど美しいとされる。他国ではどうか知らないが、レイシアではそうだ。私のような褐色の肌を持った令嬢は好まれるわけがない。
「……自分の顔、鏡で見たことある? 君は結構な美人だと思うよ」
「お気遣いありがとうございます。でも自分の顔ぐらい、毎日鏡で見ているので分かりますわ」
なぜかレヴィ殿下に呆れ顔をされた。私は本心を言っただけなのだが、何かまずかっただろうか?
このお茶会を機に殿下と仲良くなりたいと思ったけど、今まで人と関わってこなかったことが災いして、いまいち上手く話を盛り上げられない。それどころか、私はついつい素っ気ない態度を取ってしまう。
「信じていないね?」
「さあ、どうでしょう。……あら、兄がこちらに来ますわね」
令嬢たちの檻から抜け出した兄が、こちらに向かって歩いてくるところだった。その顔を見たレヴィ殿下は他人事のようにつぶやく。
「機嫌が悪いな」
「殿下が逃げ出したせいでもあるのでは?」
「そうだったかな」
レヴィ殿下はとぼけるように言った。
それから兄も合流し、私たちは三人で話をする。
そうしてお茶会はつつがなく終わったが、結局、兄とレヴィ殿下以外の人とは話すらしなかった。そのレヴィ殿下と友好を深められたのかどうかも微妙だ。
前世の私も友達のいない、ひねくれた子だった。だから友達の作り方がまったく分からない。
バッドエンド回避のために味方を作る計画は、前途多難なのだった。
◇◇◇
お茶会の日から数週間後。
兄のリアムが学校にいる時間帯を見計らって、私は下町の娘が着ているような質素な服を身につけた。それから、髪や肌を隠すために丈の長いコートを着て、フードを目深に被る。
『クローディア、どこかに出かけるのか?』
ジェラルドが不思議そうな顔をして尋ねてくる。
『ええ』
『誰かに言ったほうがよいのではないか? せめてあの執事ぐらいには行き先を伝えておいたらどうだ』
彼は最近ちょっと過保護だ。人間をあまり信用していない彼だけど、執事のジョルダンと兄のリアム、レヴィ殿下のことは信用しているらしく、何かにつけて私に彼らを頼らせようとする。
『ダメよ。そうしたら絶対に護衛がつくでしょ。自由に動きづらくなるじゃない』
前世で庶民だった私は護衛されることに抵抗がある。まるで監視されているみたいで、落ち着かないのだ。一人のほうが気を遣わなくていいし、気楽だ。
『さあ、ジェラルド。私を下町に連れていって』
ジェラルドの使う魔法の一つに、影移動というものがある。これは瞬間移動のような能力で、影から影へと移動する。目的地を具体的にイメージすれば、一瞬でそこに移動することができるのだ。
この前のお茶会に行く途中、馬車の中から下町の様子を確認した。私が見た限り、小説に書かれていた町と同じようだから、行き先はイメージできる。
『分かった』
ジェラルドが私の思い浮かべた場所を読み取って、魔法を発動させた。
すると足元の影が濃くなり、私たちを覆い尽くす。
視界が闇に包まれたかと思うと、次の瞬間には目的の場所に着いていた。そこにある建物の影へと移動したようだ。
『ありがとう。では、行きましょうか』
私はフードが脱げないようにもう一度深く被り直し、建物の影から出る。
実はずっと、邸の外に興味があった。せっかく別の世界に転生したのだから、この世界のことをもっとよく見てみたいと思っていた。
今までは、私が闇の精霊王の加護持ちであることを知られないため、外に出るのは控えていた。けれどそのことが明るみに出た今、邸の外に出ても構わないだろうと判断したのだ。
ただ、騒ぎになるのはごめんなので、髪と肌はこうやってコートで隠している。
今回は、特に目的があって下町に来たわけじゃない。ぶらぶら歩きながら気になるお店を見てまわるつもりだ。私はひとまず大通りをまっすぐ進むことにした。
「お前、こんな所で何をしている?」
歩き始めてすぐ、背後から聞き覚えのある声がした。
「えっ!?」
驚いて振り向くと、そこにはエドガー殿下が立っていた。市井にまぎれるためか、彼も平民のような服を着て変装している。
「よく私だと分かりましたね。フードで顔を隠しているのに」
「はっ、馬鹿にするな。それぐらい見れば分かる」
いや、普通は分からないと思う。すごい観察眼だ。
「で、一体何をしているんだ。護衛もつけずに、不用心じゃないか」
エドガー殿下は訝しげな視線を向けてくる。
「護衛なら、そこらの人間よりずっと優秀なのがついていますわ。そんなことより、エドガー殿下こそ、こんなところで何をしていらっしゃるのです。殿下にこそ護衛が必要なのでは?」
暗に、王子が一人で下町をうろつくなと言ったのだ。するとエドガー殿下は目を泳がせて逆ギレした。
「別にいいだろ!」
よくないよ! この国の王子じゃん! 何かあったらどうするんだ!
そうツッコミを入れそうになり、私は慌てて言葉を呑み込んだ。
「お前は買い物か? 令嬢の中には、まれに下町で買い物をする奇特な者もいると聞くが……」
「ま、まあ……そんなところですわ」
違うけど、とりあえず話を合わせておく。
貴族は買い物をする時、わざわざ下町になんて来ない。商人を邸に招くのが普通だ。
「なら、仕方がないから付き合ってやる」
「はい?」
私は思わず聞き返してしまった。
「いくら加護持ちとはいえ、女が一人で出歩いているのを放っておいたと知られれば、母上に怒られるからな」
私はまだ何も言っていないのに、エドガー殿下はついてくる気満々だ。さすがは王族と言うべきか、少女小説のヒーローと言うべきか、俺様全開な彼である。
さて、どうしよう。
厚意はありがたいが、さすがに第二王子を下町散策に付き合わせるのは気が引ける。
とはいえ、彼と親しくなるには、またとないチャンスでもある。
そう思って、チラリとエドガー殿下を見た。
「私は特に買いたいものがあって来たわけではありません。ただ、どんなものが売っているのか見てまわりたいだけで……。それでもよろしいですか?」
その言葉に、殿下はとても驚いた顔をする。
ぶすっとした表情しか見たことなかったけど、こういう表情は歳相応でちょっと可愛いかも。本人に言ったら怒られそうだが……
「そ、そうか。色々見てまわりたいなんて意外だな」
まさか私がウィンドウショッピングをするとは思っていなかったのだろう。彼の反応を見ると、やはり付き合わせるのはまずい気がしてくる。
「やっぱり、一人で大丈夫です」
「いや、問題ない。俺も似たようなことを考えていた。では、行くぞ」
「は、はい」
私は戸惑いつつも、先に歩き出してしまったエドガー殿下のあとを追いかけた。
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