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信じられたこと
しおりを挟むそれは昔のことじゃった。
儂の先祖マイヤーデがまだ子供で、
太陽が天を往く舟で運ばれておったころの話じゃ。
お前達幼い兄妹は知るまい。
その時分、今ではもう見られなくなくなった、
霊妙なるものがこの世を満たしておった。
地には男衆千人でも曳けぬ荷を軽々と運ぶ馬
翼を広げればハイツァーヌ諸島を覆いつくす鳥
吐息ひとつで大陸全土の風車をまわす巨人
その涙で万病を癒す貴婦人
このようなものは人々の暮らしとともにあった。
しかし【大流の時】を境にだんだんと姿を消していき、
今では語り伝えるものも少なくなった。
儂がお前たちに語るのは、
いにしえのことを後の世に伝えるためである。
兄妹は古老を見つめるとコクリと頷いた。
堅くならずともよい。温かいヌナ草の茶を飲むがいい。
その頃人々はまだ言葉を知らなかったので、
同じ村の者でさえ会話をすることができなかった。
だから朝がくれば花の咲く音で目を覚まし、
羊の焼ける匂いをかぎとって飯の時間を知ったのじゃ。
酒を振る舞うときには、
酒に溺れよとばかりに池に大きな石を放り込むのが合図じゃった。
そんなある日、村の若者が畑で作物を刈っておった。
ざっぱ ざっぱ ざっぱ
調子は良好。
今年は豊作間違いなし。
じゃが力みすぎて鎌がふっとんでしまう。
若者は慌てて拾いに行った。
たしかこの辺に飛んで行ったとあたりをつけて探したんじゃ。
すると山の小妖が手に鎌を持って立っておった。
若者は大事な仕事道具をとりかえそうと、
身振り手振りで返すよう促した。
しかし小妖は返そうとしなかった。
それどころか鎌を持ったまま逃げ出したのじゃ。
驚いた若者は慌てて追いかけたが、
なかなか捕まらなかった。
野原、あぜ道、せせらぎ越えて
どこどこまでも 追いかけて
峰より高くとびあがり
未踏の地にすら踏み込んで
疾く 疾く 駆けよ 疾く駆けよ
今まで走ったことがない程の時と道のりを重ね、
ついに若者は自分一人では無理だと気付いた。
そこで他の人々と一緒に追いかけようと思ったのじゃ。
しかしそんなことは生まれて初めて、
どうすればよいのかわからんかった。
そうしたら自然と口をついたのだ。
どうしてかは自分でもわからん。
今まで口から吐いたことのない「言葉」が出てきたのだ。
おーい
おーい
おーい
若者が発した「言葉」は周囲の村々に響き渡った。
すると人々は意味は分からぬまでも、
いてもたってもいられなくなり、
わらわらと集まりだした。
今まで人々の口から出るのは「音」ばかりじゃったが、
この時初めて「意味」と「目的」を持った「言葉」が生まれたのじゃ。
若者は多くの人々の協力を得て鎌を取り返した。
小妖は命を損なう前に逃げ出した。
それから人々は次々と人とものと世界に名前を付け、
「言葉」は広がっていった。
山の小妖もバーランヤ・ミーと呼ばれるようになった。
お互いを名前で呼び合い、愛を語り、歌を歌った。
動物、植物、鉱物、星、色……数え切れぬ程多くのものに名を。
今ではこの話を信じるものは少ない。
「中央都市」の者だけではない、この村の者ですらじゃ。
新しい人や道具やその他のものが入ってきて以来、
皆は人智を超えた動物や巨人、奇跡、怪異な存在を信じなくなった。
迷信、俗信、科学的事実に反すると片づけはじめた。
そうして彼らは消えていった。
だが儂がお前たちに語り、
お前たちが語り継ぐ限り、
彼らが「いた」ことは決して消えてなくなりはしまい。
ほれ、あそこに見える山はとぐろを巻いた大蛇ケタランプが身を変じた姿じゃ。
……そろそろ星が瞬きだしたな、今日はここらで話を終えよう。
お前たちに良い眠りを。
「爺様にも良い眠りを」
兄妹は「言葉」を返した。
夜の闇は全ての人々を覆い、安らかな眠りをもたらした。
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