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第八話 夕暮れの貧民街②
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日が傾き始める黄昏の夕方、建物の影がズズズッと伸びて少しずつ光の届かぬ闇が世界を蝕んでいく時間。
遠くに聞こえるカラスの声が怖くて危険がいっぱいの夜が来るぞと子供達に警告している。ザワザワッと草が囁く。室外機がキイキイと鳴く。不意に足に当った空き缶がカランッと僕を嘲笑っている。
今まで何も無かった風景に魂が宿り怪物へと変貌していく。
タタッタッ
「ヒイッ!」
足音が聞こえた。間違い無い、怪物の足音である。目を充血させ空腹に涎をダラダラと垂らしながら僕を探しているのだ。
ハハハアッ
「キャアッ!?」
笑い声、怪物の笑い声である。その音は周囲を囲むひび割れくすんだ色のコンクリートの壁で無茶苦茶に反響し何処から来ているのか見当が付かない。ずっと遠くからの声にも聞こえるし、直ぐ目の前の曲がり角を曲がった先に居る気さえもしてくるのだ。
それは明らかに狩りを楽しんでいた。怯える獲物をジリジリと追い詰め絶望した表情の喉元に喰らい付くつもりなのだろう。
ドコダァイドコニイルンダイデテオイデヨォ
反響によって地響きの如く歪んだ声が耳に入った瞬間しゃくり上げる様な恐怖に染まった音が漏れ、慌てて口を塞いだ。怪物がかなり近い所まで迫って来ている。息一つ、拍音一つで此方の位置を嗅ぎつけられてしまう気がした。
今ならば微細な気流や湿度変化までもが感じ取れそうなほど感覚が研ぎ澄まされ、生存の為全神経が外を向く。
…………………………ガアアァァァッ!!
「うわあああああああああッ!!」
突如鼓膜を貫いた大音量に身体は独りでに走り始めた。手足はチグハグ呼吸は乱れに乱れ無我夢中で前に進む。その様はさながら肉体が本能に引き摺られているが如く。
ミツケタア
ほんの背後で鼓膜に粘り着く声が聞こえ、直後ダダダダダッというマシンガンの様な規則正しい足音が発生する。その音は獲物をいたぶっているのか遠く成ったり近く成ったりして、息が上がり始めた頃を見計らい一気に距離を詰めてくる。
もうダメだ、身体より先に心を折られ足から力が抜けて地面が迫ってくる。
すると突如後ろ襟に力を感じて倒れゆく身体が浮き上がり、硬い胸に抱きしめられた。
「はい逮捕。結構頑張ったじゃねえかケント、最後から二番目だ」
「もう、フート兄ちゃん足速すぎッ! 大人なのに恥ずかしくねえのかよ!!」
フートはケントと呼んだ浅黒い肌の少年を離し、頭をポンポンと叩いた。
今行っているのは貧民街の子供達とのケイドロ。子供達とは今から丁度三週間前にティナから紹介され、始めこそ警戒されていたがレイトの家に世話に成っていると話すと直ぐ心を開いてくれた。
どうやらレイト、もといディックは余程貧民街の人々から信頼されている様だ。以前言っていた炊き出し等のボランティアの影響だろうか。
フート自身超が付く子供好きであり、子供達も一緒に遊んでくれる年長者が珍しいのか今では週に何度も顔を合わせる関係に成っている。
遊ぶゲームは鬼ごっこやかくれんぼなど様々であるが、今までは最終的に勝ちを子供達に譲ってきた。しかしわざと勝たせてやっているというのに最近ガキ共が調子に乗りだしたのだ。そこで今日だけ年上の威厳を示す為に大人げなくガチで勝ちに行っているのである。
「大人ってのはな、容赦無く年下を蹴落とせる人間に付けられた蔑称なんだよ。分かったらさっさと牢屋行け。まあ後一人もオレが直ぐ捕まえるから誰も助けになんて来ないけどなッ」
「くそ~……」
ケントは渋々といった様子で唇を尖らせたが、ちゃんとルールに従い牢屋に指定された場所へと向かっていった。残る泥棒は唯一人、ティナのみである。
ティナは女の子でありながらこの町の子供の中で一番足が速く、頭が切れ遊びが非常に上手かった。こういう系統のゲームを行えば必ず一番最後まで残っているイメージである。
しかし今回のフートは本気だ、例え相手がどれ程才能に溢れていようとも十歳そこそこの少女に負ける事等あってはならない。己のプライドに掛けて捜索を行う。
視界の端で何かがチラッと動いた気がした。
フートはそれに脊髄だけで反応し、その何かが見えた方向へと即座に足を踏み込む。すると視界の中央に小さな人影が出現し、此方に気付いたのか慌てて背中を見せ走り始めた。
だがその一歩を踏み出すまでの明確な差によって二人の間に存在する距離は身体三つ分まで縮まる。
すると背中を追われる小さな影は迷う事無く狭い路地裏へと飛び込んだ。そしてその小回りの利く身体と地の利を生かして何度も角を曲がり、あと少しで手が届く所まで迫っていた追手を突き放す。
この辺りの判断力でフートは目前の影がティナで間違いないと確信する。今の切迫した状況下で即座に自らが最も有利に立ち回れる択を見つけ、迷いなく其処へ飛び込める子供は彼女以外有り得ないのだから。
だが其れでもフートは一点を揺るぎなく見詰め、根性と身体能力を前面に押し出して喰らい付いた。彼の瞳は目前の影を絶対に此処で捕らえるという覚悟でギラリと輝く。
日は大分傾き、もう幾ばくも無く本物の夜が訪れるであろう。そうなれば周囲は闇のカーテンに遮られ優位は大きく泥棒側に傾いてしまう。日没までがタイムリミット、この機を逃せば追い詰められるのはフートの方であった。
小さな影は明らかに劣った走力で追手との差を広げた。しかしその差は勝負を決定付けるには能わない、依然としてフートは身体四つの範囲内に張り付き続けている。
そして飛び出したのは広く真っ直ぐな一本道、その先に沈む太陽が最後の光線を放ち目前のシルエットを照らし出す。やはり小さな影の正体はティナであった。
「勝負有りだティナァァァァッ!! 大人しくお縄に付けッ!!」
何ら障害の存在しない一本道、もう既に彼女の運命は決まった様な物だ。だがしかしティナはそんな事など気にも留めず顔を真っ赤にして汗ダラダラに成りながら走り続ける。やはり血など当てに成らない。彼女は間違い無くプロフェッサーディックの娘であった。
だがその頑張りだけでは足りない、彼女が如何に才能に満ち溢れていたとしても圧倒的な筋肉量と体格の差は埋められないのである。二人の間の距離はジリジリと詰まっていき、遂にその差は一メートル程になった。
勝った。フートの頭の中でその三字が上がったのとほぼ同時、まさかの声が割り込んできた。
『ティナッ、掴まって!!』
それは彼らが出て来たのとはまた別の路地より飛び出してきたキックボードからの声。そして更に信じたくない事に、そのキックボードは独りでに凄まじい速度で走っており、その声は間違いなくニカの物であった。
「あッ、ニカ姉ちゃん!!」
何が起ったのか理解出来ず思考停止するフートとは対象的に、柔らかい脳を持った少女は自らの横に並んできたキックボードの意味を即座に理解。身軽にジャンプし飛び乗った。
飛び乗った衝撃でキックボードは一瞬左右に大きく揺れるが立て直し、キュルルと鳴って加速する。
「ちょ、ちょっと待てエエエッ!!」
性格の悪いキックボードはその気に成れば直ぐにでもフートを突き放せるというのに、敢えて彼が追いつけるか追いつけないかという速度を維持し左右に蛇行しながら煽ってくる。
『どうしたどうした雑魚フート!!』「雑魚フート~!」
「クソッ、それは反則だろうがァァァッ!!」
フートは人生最大級の全力疾走を行ったが当然追いつける訳が無く、それどころか捕らえていた泥棒を全員解き放たれてしまう。そして最後は派手に頭から転び、自ら敗北を認めたのだった。流石に技術の力には敵わない。
事前に結んでいた全員分のかき氷を作るという約束を守らなくてはならなく成ってしまった。
遠くに聞こえるカラスの声が怖くて危険がいっぱいの夜が来るぞと子供達に警告している。ザワザワッと草が囁く。室外機がキイキイと鳴く。不意に足に当った空き缶がカランッと僕を嘲笑っている。
今まで何も無かった風景に魂が宿り怪物へと変貌していく。
タタッタッ
「ヒイッ!」
足音が聞こえた。間違い無い、怪物の足音である。目を充血させ空腹に涎をダラダラと垂らしながら僕を探しているのだ。
ハハハアッ
「キャアッ!?」
笑い声、怪物の笑い声である。その音は周囲を囲むひび割れくすんだ色のコンクリートの壁で無茶苦茶に反響し何処から来ているのか見当が付かない。ずっと遠くからの声にも聞こえるし、直ぐ目の前の曲がり角を曲がった先に居る気さえもしてくるのだ。
それは明らかに狩りを楽しんでいた。怯える獲物をジリジリと追い詰め絶望した表情の喉元に喰らい付くつもりなのだろう。
ドコダァイドコニイルンダイデテオイデヨォ
反響によって地響きの如く歪んだ声が耳に入った瞬間しゃくり上げる様な恐怖に染まった音が漏れ、慌てて口を塞いだ。怪物がかなり近い所まで迫って来ている。息一つ、拍音一つで此方の位置を嗅ぎつけられてしまう気がした。
今ならば微細な気流や湿度変化までもが感じ取れそうなほど感覚が研ぎ澄まされ、生存の為全神経が外を向く。
…………………………ガアアァァァッ!!
「うわあああああああああッ!!」
突如鼓膜を貫いた大音量に身体は独りでに走り始めた。手足はチグハグ呼吸は乱れに乱れ無我夢中で前に進む。その様はさながら肉体が本能に引き摺られているが如く。
ミツケタア
ほんの背後で鼓膜に粘り着く声が聞こえ、直後ダダダダダッというマシンガンの様な規則正しい足音が発生する。その音は獲物をいたぶっているのか遠く成ったり近く成ったりして、息が上がり始めた頃を見計らい一気に距離を詰めてくる。
もうダメだ、身体より先に心を折られ足から力が抜けて地面が迫ってくる。
すると突如後ろ襟に力を感じて倒れゆく身体が浮き上がり、硬い胸に抱きしめられた。
「はい逮捕。結構頑張ったじゃねえかケント、最後から二番目だ」
「もう、フート兄ちゃん足速すぎッ! 大人なのに恥ずかしくねえのかよ!!」
フートはケントと呼んだ浅黒い肌の少年を離し、頭をポンポンと叩いた。
今行っているのは貧民街の子供達とのケイドロ。子供達とは今から丁度三週間前にティナから紹介され、始めこそ警戒されていたがレイトの家に世話に成っていると話すと直ぐ心を開いてくれた。
どうやらレイト、もといディックは余程貧民街の人々から信頼されている様だ。以前言っていた炊き出し等のボランティアの影響だろうか。
フート自身超が付く子供好きであり、子供達も一緒に遊んでくれる年長者が珍しいのか今では週に何度も顔を合わせる関係に成っている。
遊ぶゲームは鬼ごっこやかくれんぼなど様々であるが、今までは最終的に勝ちを子供達に譲ってきた。しかしわざと勝たせてやっているというのに最近ガキ共が調子に乗りだしたのだ。そこで今日だけ年上の威厳を示す為に大人げなくガチで勝ちに行っているのである。
「大人ってのはな、容赦無く年下を蹴落とせる人間に付けられた蔑称なんだよ。分かったらさっさと牢屋行け。まあ後一人もオレが直ぐ捕まえるから誰も助けになんて来ないけどなッ」
「くそ~……」
ケントは渋々といった様子で唇を尖らせたが、ちゃんとルールに従い牢屋に指定された場所へと向かっていった。残る泥棒は唯一人、ティナのみである。
ティナは女の子でありながらこの町の子供の中で一番足が速く、頭が切れ遊びが非常に上手かった。こういう系統のゲームを行えば必ず一番最後まで残っているイメージである。
しかし今回のフートは本気だ、例え相手がどれ程才能に溢れていようとも十歳そこそこの少女に負ける事等あってはならない。己のプライドに掛けて捜索を行う。
視界の端で何かがチラッと動いた気がした。
フートはそれに脊髄だけで反応し、その何かが見えた方向へと即座に足を踏み込む。すると視界の中央に小さな人影が出現し、此方に気付いたのか慌てて背中を見せ走り始めた。
だがその一歩を踏み出すまでの明確な差によって二人の間に存在する距離は身体三つ分まで縮まる。
すると背中を追われる小さな影は迷う事無く狭い路地裏へと飛び込んだ。そしてその小回りの利く身体と地の利を生かして何度も角を曲がり、あと少しで手が届く所まで迫っていた追手を突き放す。
この辺りの判断力でフートは目前の影がティナで間違いないと確信する。今の切迫した状況下で即座に自らが最も有利に立ち回れる択を見つけ、迷いなく其処へ飛び込める子供は彼女以外有り得ないのだから。
だが其れでもフートは一点を揺るぎなく見詰め、根性と身体能力を前面に押し出して喰らい付いた。彼の瞳は目前の影を絶対に此処で捕らえるという覚悟でギラリと輝く。
日は大分傾き、もう幾ばくも無く本物の夜が訪れるであろう。そうなれば周囲は闇のカーテンに遮られ優位は大きく泥棒側に傾いてしまう。日没までがタイムリミット、この機を逃せば追い詰められるのはフートの方であった。
小さな影は明らかに劣った走力で追手との差を広げた。しかしその差は勝負を決定付けるには能わない、依然としてフートは身体四つの範囲内に張り付き続けている。
そして飛び出したのは広く真っ直ぐな一本道、その先に沈む太陽が最後の光線を放ち目前のシルエットを照らし出す。やはり小さな影の正体はティナであった。
「勝負有りだティナァァァァッ!! 大人しくお縄に付けッ!!」
何ら障害の存在しない一本道、もう既に彼女の運命は決まった様な物だ。だがしかしティナはそんな事など気にも留めず顔を真っ赤にして汗ダラダラに成りながら走り続ける。やはり血など当てに成らない。彼女は間違い無くプロフェッサーディックの娘であった。
だがその頑張りだけでは足りない、彼女が如何に才能に満ち溢れていたとしても圧倒的な筋肉量と体格の差は埋められないのである。二人の間の距離はジリジリと詰まっていき、遂にその差は一メートル程になった。
勝った。フートの頭の中でその三字が上がったのとほぼ同時、まさかの声が割り込んできた。
『ティナッ、掴まって!!』
それは彼らが出て来たのとはまた別の路地より飛び出してきたキックボードからの声。そして更に信じたくない事に、そのキックボードは独りでに凄まじい速度で走っており、その声は間違いなくニカの物であった。
「あッ、ニカ姉ちゃん!!」
何が起ったのか理解出来ず思考停止するフートとは対象的に、柔らかい脳を持った少女は自らの横に並んできたキックボードの意味を即座に理解。身軽にジャンプし飛び乗った。
飛び乗った衝撃でキックボードは一瞬左右に大きく揺れるが立て直し、キュルルと鳴って加速する。
「ちょ、ちょっと待てエエエッ!!」
性格の悪いキックボードはその気に成れば直ぐにでもフートを突き放せるというのに、敢えて彼が追いつけるか追いつけないかという速度を維持し左右に蛇行しながら煽ってくる。
『どうしたどうした雑魚フート!!』「雑魚フート~!」
「クソッ、それは反則だろうがァァァッ!!」
フートは人生最大級の全力疾走を行ったが当然追いつける訳が無く、それどころか捕らえていた泥棒を全員解き放たれてしまう。そして最後は派手に頭から転び、自ら敗北を認めたのだった。流石に技術の力には敵わない。
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