51 / 65
第八話 愛の力②
しおりを挟む
「いッ、居ない………五時には帰るって言ってたのに。疾風、疾風どこに居るのッ?」
凪咲は家中を引っ繰り返しそれこそ疾風の部屋は隈無く、クローゼットの中や洗濯機の中、お風呂場にトイレ、更には居ないと分かりつつも冷蔵庫や炊飯器の中まで開けて兄を探していた。
彼女が仕事を終え帰宅した時には既に時刻6時半。しかし五時には帰ると言っていたにも関わらず、疾風の姿は影も形も無かったのだ。
一通り探せる所は探し尽くして、だが何も痕跡すら見付けられなかった凪咲は疲労感より強い恐怖感を覚える。
兄に何かあったのかも知れない。そう一度思い至った瞬間から不安がグルグルと渦を巻き、今では片時たりとも動きを止める事許さない程その不安は肥大化していた。
「ああッもう! やっぱり一人で家の外に何か出すんじゃなかった。私が付いてれば………ッ」
凪咲は気が高ぶった様子で呟き、ポケットから携帯を取り出した。疾風に電話を掛けるのである。
一先ずせめて声だけでも聞いて安心したかった。
『持ち主様のご家族であられますかね? 此方の携帯は午前8時頃に車内へ置き忘れられているのを発見しまして現在……』
しかし、そのせめてもの願いすら神は聞き届けてくれなかったのである。
電話を掛けて出たのは、朝兄を乗せたタクシー会社の人物。
どうやら疾風は行きのタクシーの中でもう携帯を落としていたらしい。それはつまり、今繋がったこの通話は兄の現状を知るのに一切役立たないという事。
電話先の相手に後日取りに行くと伝え、凪咲はまるで背後から銃を突きつけられているかの如き勢いで通話終了ボタンを押した。
そしてそれと同時に、彼女は凄まじい勢いで階段を駆け登ったのである。
「疾風、疾風、疾風ッ。何処へ行ったの、私を一人にしないでよ…ッ!」
何の成果も上げられずに通話を切った凪咲は顔へ一層焦りの表情を浮かべて二階に登り、自分の部屋へと飛び込んだ。
そしてパソコンを開き、既にダウンロード済みのGPS追跡ソフトを開いたのである。疾風の財布の中に忍ばせておいた発信器を使って位置を特定しようとしているのだ。
この手法はまるで自分が兄を束縛しているみたいで使うのに気が引けたが、手段を選んでいられる段階はとうの昔に過ぎ去っていた。
「……何、これ? 何で、未だッ此処に居るの??」
しかし、凪咲はそのディスプレイ内のマップに表示された発信器の位置に顔をグニャリと歪ませ、瞳は涙に揺れた。
発信器は幕張メッセの中にあった。
しかし調べてみるとイベントの時間はとうに過ぎ、建物自体も既に閉まっている筈。そして暫く眺めていても、ピクリとすら動いている様子は確認できない。
それらの情報から分かるのは、恐らく疾風は財布すらも会場内で落としてしまったのだろうという事。
そして、彼の行方を追う全ての手段が断たれてしまったのだという事。
「そんなッお兄ちゃん何処行っちゃったの? 怖いよ、私を一人にッしないでよぉ……」
その事を理解してしまった凪咲は遂にその大きな瞳より同じく大粒の涙が溢れ、彼女の荒れ一つ無い美しい肌を伝い落ちてゆく。
封印した筈のお兄ちゃん呼びが漏れ、どこに居るのかも知れぬ兄への言葉は無機質なディスプレイにぶつかって消えた。
彼女の中で、現在自分を包んでいる状況が数年前両親を亡くした日と重なった。しかしその日と大きく違うのが、今自分は一人ぼっちだという事。
あれから何度も何度も心が壊れてしまいそうな夜があった。だがその度に疾風が一晩中、日が昇って涙が涸れるまで抱きしめていてくれたのである。
でも今は、その何より大切な兄さえも居なくなってしまった。
そう思い当たった瞬間、凪咲はこれまで襲ったどんな物よりも容赦の無い絶望を感じたのである。
疾風が居れば、疾風さえ居てくれればもう他には何も要らなかったのだ。彼が家で待っていてくれて、一緒にご飯を食べてくれて、偶に抱いてくれるなら他に何も欲しい物など無かったのである。
だがしかし、いやそれ故に、兄が居なくなってしまった瞬間明日も明後日も来月も来年も全ての日付が真っ黒に塗りつぶされてしまった。
前へ目を向ける事なんて出来ず、唯後ろを振り返って悔やみ続ける。
(私が間違ってた、私が外に出る事を許可しちゃったからこんな事に。いやそもそも、私が疾風に愛されたいっていう欲張りをみせたのが間違いだったんだッ! 宝物は無くさない様にしまっておかないと。お兄ちゃんに嫌われても良いから鎖で縛って、部屋に鍵掛けて、窓を塞いで、家にシャッターを下ろして……お兄ちゃんを家の中に閉じ込めちゃえば良かったッ)
何かしたいのに何も出来ない。唯椅子に座って項垂れる事しか出来ない故に、頭の中だけはグルグルと回った。
そして彼女から疾風に対する思いは明らかに兄妹の情を超え、どんどん狂愛的な物へと変化していく。相手の気持ちや健康を無視したとしても、自分が彼を所有している安心感を得たいという身勝手な物に変化していく。
でも同時に、凪咲自身も自分が今考えているのが異常で気色の悪い事だとは分かっていた。
(でも、仕方ないじゃん……私にはお兄ちゃんしか無いんだもんッ)
だがそれでも、凪咲は自分が特別だとは思わない。
誰だってこう成る筈だ。この世に大切な物がたったの一つだけに成って、その一つを失ったら誰だって。
「………………あッ」
しかし其処で、凪咲はとある事に気付き突如その瞳に光が戻って来た。
思い出したのだ、今日疾風は自分が用意した服を着て外出していったという事を。そしてその上着の内綿の中にも、発信器を仕込んでいたという事を。
凪咲はそれに思い至った瞬間電光石火で画面に表示する発信器を切り替え、服に縫い込んだ物が今一体何処に有るのかという事を調べた。
「えぇ……何処ここ?」
そして表示されたのは、幕張メッセからそこそこ離れた場所にある住宅街。
何故こんな所から反応が上がるのかは分からない。兄は今何か良くない事に巻き込まれているのかも知れない。
でも少なくとも、今自分に出来る事ができた。
「…………ッもしもし、湯原? 今すぐ車出してッ!! ……勤務時間外とか関係無い、一大事ッ緊急事態ッ事は一刻を争うの!!」
流石の兄も着ている服を落とす可能性は低いだろう、そう思った凪咲は疾風が今この住宅街に居るという前提で行動を開始した。躊躇無く事務所のマネージャーに連絡し、今すぐ車を出せと要求する。
(待てってねお兄ちゃん、今助けに行くからッ)
画面に映った兄の居場所を示す点へと彼女はそう内心で語りかけ、家の前に停まったマネージャーを時間外労働させ呼びつけた車へと乗り込んだ。
そしてすっかり日が沈んだ街へと、凪咲は飛び出していったのである。
凪咲は家中を引っ繰り返しそれこそ疾風の部屋は隈無く、クローゼットの中や洗濯機の中、お風呂場にトイレ、更には居ないと分かりつつも冷蔵庫や炊飯器の中まで開けて兄を探していた。
彼女が仕事を終え帰宅した時には既に時刻6時半。しかし五時には帰ると言っていたにも関わらず、疾風の姿は影も形も無かったのだ。
一通り探せる所は探し尽くして、だが何も痕跡すら見付けられなかった凪咲は疲労感より強い恐怖感を覚える。
兄に何かあったのかも知れない。そう一度思い至った瞬間から不安がグルグルと渦を巻き、今では片時たりとも動きを止める事許さない程その不安は肥大化していた。
「ああッもう! やっぱり一人で家の外に何か出すんじゃなかった。私が付いてれば………ッ」
凪咲は気が高ぶった様子で呟き、ポケットから携帯を取り出した。疾風に電話を掛けるのである。
一先ずせめて声だけでも聞いて安心したかった。
『持ち主様のご家族であられますかね? 此方の携帯は午前8時頃に車内へ置き忘れられているのを発見しまして現在……』
しかし、そのせめてもの願いすら神は聞き届けてくれなかったのである。
電話を掛けて出たのは、朝兄を乗せたタクシー会社の人物。
どうやら疾風は行きのタクシーの中でもう携帯を落としていたらしい。それはつまり、今繋がったこの通話は兄の現状を知るのに一切役立たないという事。
電話先の相手に後日取りに行くと伝え、凪咲はまるで背後から銃を突きつけられているかの如き勢いで通話終了ボタンを押した。
そしてそれと同時に、彼女は凄まじい勢いで階段を駆け登ったのである。
「疾風、疾風、疾風ッ。何処へ行ったの、私を一人にしないでよ…ッ!」
何の成果も上げられずに通話を切った凪咲は顔へ一層焦りの表情を浮かべて二階に登り、自分の部屋へと飛び込んだ。
そしてパソコンを開き、既にダウンロード済みのGPS追跡ソフトを開いたのである。疾風の財布の中に忍ばせておいた発信器を使って位置を特定しようとしているのだ。
この手法はまるで自分が兄を束縛しているみたいで使うのに気が引けたが、手段を選んでいられる段階はとうの昔に過ぎ去っていた。
「……何、これ? 何で、未だッ此処に居るの??」
しかし、凪咲はそのディスプレイ内のマップに表示された発信器の位置に顔をグニャリと歪ませ、瞳は涙に揺れた。
発信器は幕張メッセの中にあった。
しかし調べてみるとイベントの時間はとうに過ぎ、建物自体も既に閉まっている筈。そして暫く眺めていても、ピクリとすら動いている様子は確認できない。
それらの情報から分かるのは、恐らく疾風は財布すらも会場内で落としてしまったのだろうという事。
そして、彼の行方を追う全ての手段が断たれてしまったのだという事。
「そんなッお兄ちゃん何処行っちゃったの? 怖いよ、私を一人にッしないでよぉ……」
その事を理解してしまった凪咲は遂にその大きな瞳より同じく大粒の涙が溢れ、彼女の荒れ一つ無い美しい肌を伝い落ちてゆく。
封印した筈のお兄ちゃん呼びが漏れ、どこに居るのかも知れぬ兄への言葉は無機質なディスプレイにぶつかって消えた。
彼女の中で、現在自分を包んでいる状況が数年前両親を亡くした日と重なった。しかしその日と大きく違うのが、今自分は一人ぼっちだという事。
あれから何度も何度も心が壊れてしまいそうな夜があった。だがその度に疾風が一晩中、日が昇って涙が涸れるまで抱きしめていてくれたのである。
でも今は、その何より大切な兄さえも居なくなってしまった。
そう思い当たった瞬間、凪咲はこれまで襲ったどんな物よりも容赦の無い絶望を感じたのである。
疾風が居れば、疾風さえ居てくれればもう他には何も要らなかったのだ。彼が家で待っていてくれて、一緒にご飯を食べてくれて、偶に抱いてくれるなら他に何も欲しい物など無かったのである。
だがしかし、いやそれ故に、兄が居なくなってしまった瞬間明日も明後日も来月も来年も全ての日付が真っ黒に塗りつぶされてしまった。
前へ目を向ける事なんて出来ず、唯後ろを振り返って悔やみ続ける。
(私が間違ってた、私が外に出る事を許可しちゃったからこんな事に。いやそもそも、私が疾風に愛されたいっていう欲張りをみせたのが間違いだったんだッ! 宝物は無くさない様にしまっておかないと。お兄ちゃんに嫌われても良いから鎖で縛って、部屋に鍵掛けて、窓を塞いで、家にシャッターを下ろして……お兄ちゃんを家の中に閉じ込めちゃえば良かったッ)
何かしたいのに何も出来ない。唯椅子に座って項垂れる事しか出来ない故に、頭の中だけはグルグルと回った。
そして彼女から疾風に対する思いは明らかに兄妹の情を超え、どんどん狂愛的な物へと変化していく。相手の気持ちや健康を無視したとしても、自分が彼を所有している安心感を得たいという身勝手な物に変化していく。
でも同時に、凪咲自身も自分が今考えているのが異常で気色の悪い事だとは分かっていた。
(でも、仕方ないじゃん……私にはお兄ちゃんしか無いんだもんッ)
だがそれでも、凪咲は自分が特別だとは思わない。
誰だってこう成る筈だ。この世に大切な物がたったの一つだけに成って、その一つを失ったら誰だって。
「………………あッ」
しかし其処で、凪咲はとある事に気付き突如その瞳に光が戻って来た。
思い出したのだ、今日疾風は自分が用意した服を着て外出していったという事を。そしてその上着の内綿の中にも、発信器を仕込んでいたという事を。
凪咲はそれに思い至った瞬間電光石火で画面に表示する発信器を切り替え、服に縫い込んだ物が今一体何処に有るのかという事を調べた。
「えぇ……何処ここ?」
そして表示されたのは、幕張メッセからそこそこ離れた場所にある住宅街。
何故こんな所から反応が上がるのかは分からない。兄は今何か良くない事に巻き込まれているのかも知れない。
でも少なくとも、今自分に出来る事ができた。
「…………ッもしもし、湯原? 今すぐ車出してッ!! ……勤務時間外とか関係無い、一大事ッ緊急事態ッ事は一刻を争うの!!」
流石の兄も着ている服を落とす可能性は低いだろう、そう思った凪咲は疾風が今この住宅街に居るという前提で行動を開始した。躊躇無く事務所のマネージャーに連絡し、今すぐ車を出せと要求する。
(待てってねお兄ちゃん、今助けに行くからッ)
画面に映った兄の居場所を示す点へと彼女はそう内心で語りかけ、家の前に停まったマネージャーを時間外労働させ呼びつけた車へと乗り込んだ。
そしてすっかり日が沈んだ街へと、凪咲は飛び出していったのである。
0
お気に入りに追加
42
あなたにおすすめの小説
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー
黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた!
あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。
さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。
この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。
さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。
Wanderer’s Steel Heart
蒼波
SF
もう何千年、何万年前の話だ。
数多くの大国、世界中の力ある強者達が「世界の意思」と呼ばれるものを巡って血を血で洗う、大地を空の薬莢で埋め尽くす程の大戦争が繰り広げられた。命は一発の銃弾より軽く、当時、最新鋭の技術であった人型兵器「強き心臓(ストレングス・ハート)」が主軸を握ったこの惨禍の果てに人類は大きくその数を減らしていった…
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
群生の花
冴木黒
SF
長年続く戦争に、小さな子供や女性まで兵力として召集される、とある王国。
兵士を育成する訓練施設で精鋭部隊の候補生として教育を受ける少女はある日…
前後編と短めのお話です。
ダークな感じですので、苦手な方はご注意ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる