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第93話 座学のお勉強

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「今日はゴンザレスとの修業を休め」



 修業の日々にも漸く慣れ初め、ゴンザレスに殴り飛ばされて気絶を繰り返す毎日を繰り返していたディーノが朝与えられた部屋から出るとドアの目前にアンベルトが立っていた。

 青白い顔をしているが別に体調が悪い訳でも朝に弱い訳でも無いだろう、今日も今日とて死体の様な人相である。

 そして開口一番に飛び出したその言葉にディーノは若干驚く。



「え、休んで良いの? 前はあんだけ死にまくれ大怪我しろって叫んでたのに……若しかして遂に人並みの良心を手に入れたか?」



「フンッ、今日も変わらず貴様が瀕死の重傷を負う事を望んでおるわ。ただ、望んでいるのは瀕死であって本当に死なれては困るからなッ」



 含みのある言い方にディーノは首を傾げる。

 冗談抜きにして考えてみれば、あれ程口うるさく叫んでいたアンベルトが修業を休めと言ったのには何か重大な訳があるのでは無いか。

 そして最後の『死なれては困る』という言葉に引っ掛かりを覚えた。



「おい、死なれては困るってどういう意味だよ?」



「そのままの意味だ。貴様は今毎日10度以上則による回復を利用しておるな?」



 アンベルトのやたらと回数を強調して言った。



「ああ、日によって違うけど平均は10回くらいだな。其れがどうかしたのか?」



「則というのは発見されたのが極めて新しい代物で、未だに則が物体であるのか何かの現象であるのかすらハッキリとしない。そして当然原因が分かっていない謎が幾つか残っている。その一つが、則による回復を一週間毎日繰り返すと心臓が止まるというモノだ」



「し、心臓が止まるッ!?」



 アンベルトの口調から則による回復を毎日繰り返していると何かデメリットが発生するという事は予想出来たが、まさか此処まで深刻な事が発生するとは思わなかった。

 急に自分が今日常的に使っている力が恐ろしく得体の知れないモノに感じ始める。

 考えてみれば自分の身体の周りをフワフワと飛び回っている色取り取りの光の球のことを何一つ知らないのだ。



「心臓が止まるって……一週間に何回も則を使うと何がどうなって心臓が止まるって言うんだよ?」



「馬鹿が、先程原因が分かっていない謎だと断っておいた筈だ。原因は全くの不明、しかし則による回復の乱用を数日間続ければ突然心臓が止まるという事だけは確か。私も嘗てレヴィアス内で何人か心臓が止まり死んだ人間を見ておる」



 アンベルトは自信満々に分からんと言い切った。

 則とは其れほど道に溢れた存在なのだ。



「実際に見たのかよッ。なら疑いようが無いな……其れじゃあ今日は一日休みか??」



「フンッ、笑わせるな。タダ飯喰らいを態々囲っておく程我々は甘くない、今日は格闘訓練の代わりに座学を学んで貰うぞ」



「ふ~ん……座学ねぇ」



 アンベルトは座学と聞いてディーノが嫌な顔をすると思っていたが、案外満更でも無い表情をされて少し残念そうな顔をする。

 しかしディーノは事実として結構頭が良く、勉強する事が嫌いでは無いのだ。

 幼い頃は特に数学が大好きで、トムハットのが作った問題の数々を数分で解いて更なる問題をその場で作れとせがんだものである。

 一方で記憶を失った8年間は勉強所では無く、一日中生きる事で精一杯だったので当然勉強など出来なかった。

 それ故久し振りの勉強に少し心躍ったのだ。



「其れで、アンタが俺に勉強を教えてくれんのか? 生半可な問題じゃ俺を悩ませる事すら出来ないぜ~?」



「自惚れる者とは何と醜い……安心しろ、貴様の相手をするのは今回も別の男だ」



「え、若しかしてゴンザレスが教えんの?」



「馬鹿が、アイツに教わる位なら野良犬を教師と仰いだ方がまだマシだわ。今回はフーガがお前に現在の裏社会情勢を叩き込む」



「へえ、フーガか……ガキ共への手紙を渡した時以来だな。業務連絡以外で話した事無いんだけど」



 フーガとはマルク達に手紙を渡すために出向いた、くたびれたスーツを来て覇気の無い表情をしたアンベルトの部下である。

 この建物に来た翌日手紙を預かる為に部屋を訪ねられているが、それ以外で話した事は勿論すれ違った事すら無かった。

 その顔からは確かな知性を感じたので心配はしていないが、どんな人物なのか事前に知っておきたかったのである。



「フーガはゴンザレスと違い、本当に人間的に優れた人物だ。任務以外の時間は全て引き籠もって書物を読み耽っているためコミュニケーションは下手だがその分知識は確かだ、気に成った事は何でも聞くと良い」



「アンタ意外とゴンザレスに対しても毒舌だよな……」



 その呟きを最後にして二人の立ち話はお開きと成った。

 ディーノはアンベルトからフーマが自室として利用している書斎の場所を教えて貰い、即座にその方向に向かって歩き始める。



(書斎って言ったら当然本が一杯有るんだろうな。小説も図鑑も画集も、其れに絵本だって一杯有る筈だッ)



 部屋一杯に並ぶ本が限界まで詰め込まれた本棚の光景を想像してテンションが上がり、ディーノは鼻歌交じりで廊下を歩いて行く。

 ディーノは本も好きであった。

 幼い頃は外に出られなかったせいで屋敷に存在していた書斎に籠もり、絵本に描かれた外の世界やこの世に存在しない御伽の世界に思いを馳せたのである。

 現実の外の世界を見る事が殆ど出来なかった為、創作と現実の区別が付かず10歳までドラゴンや魔王がこの世の何処かに存在していると本気で思い込んでいた。



(……絵本か、アイツらにももっと色んな物語を読んであげたかったな)



 ディーノの心の中にふと残してきた仲間達の顔が思い浮かぶ。

 記憶を失った後もディーノの本好きは変わらず、生きる為に街を走り回りながらも心の奥で本を読みたいという思いを持っていた。

 そして仲間に読み書きも出来ない子達が増え始めた頃、ディーノはもしもの時に備えた蓄えを切り崩して一冊の絵本を買ってやったのだ。

 その絵本は唯一の娯楽であり、唯一の学習でもあった。

 今3,4歳の子供達は基本邸にその絵本を使って読み書きを覚えていったのである。

 同じ絵本を繰り返し読み続ける子供達を見て、ディーノは何度も新しい絵本を買ってあげたいと思ったかが結局思う様に金が貯まらず買えず仕舞いであった。

 そして今、自分だけが本で満たされた書斎に向かっている事に対して少しの罪悪感を感じたのである。



(いやッ、アイツらは寄宿学校に行ったんだ。きっと其処なら図書館もあって、好きなだけ本が読める筈ッ!! 皆一生懸命勉強しているんだ、俺も頑張らねえと!!)



 ディーノはそう自分に言い聞かせ、気持ちを引き締める。

 彼も理解していた、もしも世界を変えるなら確実にレヴィアスファミリーを再興させて自分がファミリーのトップに立つ必要があると。

 その時必要になってくるのが個人の武力よりも豊富な知識と判断力である。

 一人の武力で起こせる変化には限界がある、しかし一人の知力は数万人を動かすに充分な力を秘めているのだ。

 世界を変えたいのなら、先ずは何を差し置いてでも学ばなくては成らない。



(貪欲に学んでやるッ!! 武力も知力も一切妥協しない、全てに手を伸ばして全てを掴み取る!!)



 ディーノは心でそう叫び、遂に到着したフーガーの待つ書斎のドアに手を掛けた。

 そして迷い無くそのノブを回し、戦にでも赴く様な意気込みで書斎の中に歩み入ってのである。



 
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