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第89話 世界に触れる感覚

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 意識が切れたディーノは夢か幻覚かは分からないが、幽体離脱を経験した。

 よく聞く話によると自分が寝ている姿を天上から見たというが、ディーノはそれと微妙に違い寝ている自分を感じたのである。

 目で見ている訳でも、耳で聞いている訳でも、触って感触を確かめている訳でも無いのに全てが分かった。そもそも離脱した精神には目や耳など存在しない。

 それでも自分が死体の様な顔色をしている事、体温が下がってきている事、そして近くに立つアンベルトが心配してくれているのか心拍数が高くなっている事を感じたのだ。



(其れでも俺を助けようとしないのは、俺に興味が無いのか信じてくれてるのかどっちかね?)



 ディーノは現在進行形で天に召されようとしているにも関わらず、初めて見たアンベルトの戸惑う表情を見て嬉しくなった。

 既にもう死に対する恐怖感は無い、謎の全能感に満たされて心穏やか。

 若しかするともう自分は死んでしまったのかも知れない、そんな考えが脳内を過ぎったが其れを一笑に伏せるほど心に余裕が存在していたのである。



 其処で唐突に今の自分が何処までの事を起こせるのか興味が湧き、死にかけている自分の身体を放置して他の場所に意識を向ける。

 言った事もない国の美しい蝶が羽ばたき発生するそよ風を感じた、たった今生まれた赤子が初めて発した声を聞いた、死にゆく老人の消えゆく体温を感じた。

 全てが移り変わり変化し続けている事を全身で感じたのである。



(少し、悪戯してみようかッ)



 ディーノは唐突に自分が現在何でも出来る存在であると気が付いた。

 試しに巨大な嵐を生み出してカラカラに乾いた砂漠にぶつけて見ると、嵐によって降った水は地面を通じて地下へ流れ込み、それが吹き出で無数のオアシスを生み出される。

 そしてそのオアシスの周辺に無数の草花が現われ、動物たちが集まってきた。



 其れは途轍もない満足感と幸福感であった。

 自らの力によって地形を変えて新たな生態系を生み出す、紛うこと無き神の所業である。

 自分の思い通りに世界が変化していて、自分のどんな些細な望みであっても世界の方から望んで叶えてくれる。

 その感覚はとても形容出来無いが、強いて言うなら『世界に触れている感覚』であった。



(次は何をしてみようか! 何でも出来るッ全て俺の手の上に登っているッ!!)



 ディーノは更なる刺激を求め、死に瀕している人間を生き返らせるか、逆に大地震を起こして何人の人間を殺せるかのどちらに挑戦しようか悩んでいた。

 するとその時、ずっと放置していた自分本来の身体がそろそろ本気でヤバい事を感じ取る。

 慌てて意識を自身の身体に向けると、其処には先程よりも一層青くなっている自分の身体が転がっていた。体温30度を下回り呼吸も弱くなっている。

 放っておけば後数秒で死んでしまうだろう、迷わず今すぐに手を打たなくては成らない。



 しかし、ディーノは一瞬今の状態を放棄して元の身体に戻ることに強い拒絶感を覚えた。

 其れほど彼が今感じている全能感というのは心地よく、手放すには惜しい力に感じてしまったのである。

 そして本当に肉体としての生を手放し、精神と全能感だけの存在に身を落としそうになった時、何処か聞き覚えのある声が耳に届いた。



『ディーノ、苦労せず手に入れたモノを誇ってはいけません。誇って良いのは自分で手に入れたモノ、そして他人に与えて貰ったモノのみです。貴方にも自分の手で掴みたいモノがあった筈ですよ』



 其れは女性の声であった。

 まるで木々のさざめきや穏やかな波の音のように、無意識に生み出しているフィルターを無視してストレートに脳の奥まで響く不思議な声。

 その声が彼の中で何度も反響する間に、ディーノは忘れていた最も大切なことを思い出す。

 自分が何の為に生まれてきたのか、今まで自分を守る為に死んでいった人々や自分の弱さの為に死んでいった子供達の為に誓った夢は何だったのか。



(そうだ……俺は、ディーノ・バラキアとして世界を変えなくちゃ成らない。生きて、生きた人間として死んだ人間達に意味を与えなくちゃ……ッ!!)



 自分を突き動かす生まれた瞬間に与えられた至上命題を思い出したディーノは、自らの生まれ持った身体に戻る事を決意した。

 其れからまるで息を吹き込むかの様に大した労力も用いず手首の傷を塞ぎ、出血を止めて身体を癒やす。彼の神の如き力の前では人間一人を救う事など些事である。

 そして彼の身体から生物的な血色が戻り始めた時、突然ディーノの全能感に満ちあふれた意識は途切れて限りある肉の牢獄に押し戻されていった。



「うッ、うぅ……頭いでえな。失血し過ぎた、マジで死ぬかと思ったぞ……」



 意識を取り戻したディーノは身体がまるで鉛で出来ている様に感じる倦怠感と、頭をハンマーで殴られ続けているかの様な頭痛を覚え、床に寝そべったまま頭を抱えた。

 身体が限界を迎えていると本能的に察し、何をするでも無く天井を見上げる。



 その時、死に瀕している自分をズッと見詰め続けて居た人物の声が耳に入ってきた。



「フッ、悪運の強い男だ。まあ、今回は失血死寸前まで追い込まれるという醜態を晒した訳だが、一応修業を達成した事に関しては良くやったとッ……」



 そのアンベルトの声を聞いた瞬間、ディーノの首がまるで錆び付いた歯車の様にギリギリと回って声のする方に向いた。

 そして疲労感で忘れていた全ての元凶を思い出し、彼の中で烈火の如き感情が爆発する。



「てめえーッ!! よくもやってくれたなッぶっ殺してやる!!」



 ディーノは先程まで感じていた倦怠感や頭痛を嘘の様に忘れ、つい数秒前まで人形の様に真っ青な色をしていた顔を赤く染めながらアンベルトに飛び付いた。

 そして素早く背後に回り、腕を回して絞め殺しに行く。



「な、何だと貴様ッ!! 人が珍しく褒めてやっておると言うのにッ」



「なんで俺を殺し掛けた元凶が賞賛してんだ、このハゲッ!! 賞賛じゃねえ謝罪しやがれ!!」



「誰が謝罪などするかッ!! これも立派な修行だ、現に私がこの修業を思い付いたお陰で飛躍的に則のコントロール技術が向上しただろうがッ。お前が私に感謝しろ、手首を切り裂いてくれてありがとうございましたと言えーッ!!」



「言う訳ねえだろ、どんなSMプレイだよッ!! 良いからさっさと謝罪しやがれ、クソジジイ!!」



「死んでも謝罪などせんッ! 頭に乗るなクソガキ!!」



 アンベルトは渾身の力で後方に飛び、背後で締め落とす為に張り付いているディーノを壁に叩き付けて首に回されていた腕の拘束を外す。

 そして正面から向き合った二人は一切手加減無しで殴り合い、ディーノは先程覚えたばかりの則を用いた回復法を早速試す事と成ったのだった。 



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