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第63話 世界の全てを憎む

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(もうすぐ美味しいご飯を腹一杯食べられるぞ! ハンバーグもステーキもローストビーフまで食べて良い何て、世界にはいい人がいるんだな。早くご飯が食べたいよ……)



 ディーノは空腹で思考が鈍り始め、頭の中に霧が掛った様に感じ始めた。

 極限の空腹状態に陥った人間が著しく知能が低下して本能が幅をきかせ始め、本来で在れば不審な男の口車に乗らない様に止める筈の理性が鳴りを潜める。

 食料が手に入る可能性が少しでも有るなら今のディーノは迷い無く飛び込むのだ。

 全てを自分の都合が良い方向に考えてしまっている。



(タントンおじさん遅いな……ジュースなんて良いから早くお肉を食べたいのに。もう待てないよッ)



 タントンが場を離れてから其れほど経っていないにも関わらず、空腹によって待たされている時間が数百倍に感じられるディーノは我慢の限界を迎える。

 行儀が悪いからと止められていた貧乏揺すりのトントントントンッという音が響いた。



 しかし幾ら身体を揺すったとしても空腹が収まる訳では無く、ディーノは気を紛らわすために周囲を眺める事にした。

 鼠色で分厚い雲、雲と瓜二つのくすんだ色をして所々ひび割れが入っているビル、数分で一度のペースで走り抜けていくくたびれた車、そして近く置かれていた新聞に視線を映す。

 そしてディーノが新聞の一面を見て書かれてある内容を理解した瞬間、ガラガラと心が跡形も無く崩れ去る音が胸の奥から聞こえた。

 ディーノは震える手で買ってもいない新聞を掴み、店員の男が注意しようと口を少し開くが余りの様子に口を噤んだ。



「るっ、ルチアーノッ…バラキアがッ暗殺、され……た? これ、パパがッパパがァッ!! うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!」



 心が崩壊する程の衝撃と悲しみが溢れ出したが、依然として涙は出ない。

 その代わりに悲しみと怒りを身体の中から放出する為に声帯が擦りきれる程の絶叫を放ち、訳も当ても無く走り出した。



「う゛っあああああああああッああああ、はああああッあはあああ!! 嘘だ嘘だ嘘だああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」



 とても走れる様な体調では無い。

 しかし感情がまるで身体を引き摺っているかの様に無理矢理手足を動かし、全力で地面を蹴って駆け抜けさせているのだ。

 そうでもしないと身体の内側から激情によって焼き焦がされる、本気でそう思った。



 狂った叫び声を上げながら全力疾走で淀んだ街を走り抜けていく。

 直ぐに空気を求めて肺と心臓が苦しく成る、喉が傷付いて声帯から激痛が走る。

 しかし決してディーノが足を止めることは無く、全身に熱が籠もって真っ赤に成っても、足が吊っても只管に足を動かして絶叫し続ける。

 何かに躓いても血まみれに成りながら立ち上がって走り続け、飛び出ていた看板に右目をぶつけて眼球が真っ赤に染まっても走り続け、足が酷いに肉離れを起こしても這いずって前に進み続けた。



「あぁ……あああああッ、ああ、ああああああああ……」



 気付けば喉が潰れてコンクリートの地面を石で引っ掻いた様な音しか出なくなっていた。

 既に天使の様だったディーノの美声はその口から発せられない。

 自分は愛されて当然で幸福に満ちた生活を送ると漠然的に考えていた天使はもういない、身体を支えてくれていた二つの羽をもがれて地に叩き落とされたのだ。



「こんなの……まるでッ地獄じゃないか。もう、生き延びたって……意味がないッんだから。生き延びたって、僕を迎えてくれる人はッもう誰も居ないッ」



 ディーノの心は悲しみと憎しみで満たされてしまった。

 しかし誰を憎しめば良いのか分からず、何から悲しみ始めれば良いのかも分からない。

 強いて分かるとすれば自分が生みの親と育ての親を殺されたにも関わらず涙を流せていない事と、この世界は自分を愛してくれはしないという事。



「もうどうだって良いや。何が憎いのか分からないし、何を憎むのが正しいのかも分からないけど……とにかく何もかもをぶち壊したい気分だ」



 ディーノは走り回ったり絶叫する事が不可能になり、発散して身体から放出されなくなったマグマのように燃えさかる殺意にゆっくりと身体の内側を焼き焦がされた。

 内側が醜く焼き焦がされ、怪物が腹の底から起き上がってくる。

 天使は殺意と悪意を知り最も穢れた悪魔の王へと堕天する。



 ディーノが地面に寝そべりながら血走って狂気に染まった両目をギョロギョロと動かしていると、背後からドタドタという足音が近づいてきた。



「見つけたぞクソガキ、無駄な手間を取らせやがって。ハアッ、ハアッ……」



 その声は漸くディーノに追い付いたタントンの物であった。

 軽くディーノの二倍はある肩をゆっくりと上下させながら呼吸をし、貴重な商品を再び発見できた事への安堵で汚い笑顔を浮かべている。

 ありのままの口調に戻っており、もうディーノを騙すために演技するのは辞めたらしい。



「何かに躓いてコケやがったか……全く馬鹿なガキだぜ。馬鹿は馬鹿らしく俺の話を馬鹿正直に信じて娼館に売り飛ばされてれば良かったのによ。そうすれば無駄な恐怖を味わわず頭に霧がかかった状態で一生を過ごせたッ」



 タントンの声が少しずつ大きく成ってくる。

 ゆっくりと近づいて距離を詰めてきている様だ。



「売り飛ばすって……僕に言った事は全て嘘だったってこと?」



「ああその通りだ。お前のような助けても何の見返りも得られない様な臭いガキにご馳走する訳がねえだろ、自分の身の丈を鏡で見返してみろ。助けて貰えるのは助けられる価値のある人間だけだ!!

お前にその価値は無い。どうせお前もその事が分かってるんだろ? だから気づけて、逃げ出せた」



 タントンの言葉を静かに聞きながらディーノはゆっくりと立ち上がる。

 頭の奥深くに高圧電流が流れている様な痛みがあり、自分の中身がドンドン壊れて行っている様な感覚だった。

 自分が自分じゃ無くなっていく感覚。何かが凄まじい速度で変化しているのだ。



「そっか、結局そうなんだね。おじさんがもしも本当に良い人間だったら、思い留まろうと思っていたけどその必要も無いみたい」



 ディーノはタントンに背中を向けたまま言った。

 その明らかに雰囲気が変わった目の前の少年にタントンは違和感を覚え、顔を歪ませながら近づいてくる。



「お前何の話をしているんだ?」



「単純な話だ、俺もお前も助けられる価値なんて無いし助ける価値も無い。理不尽に八つ当たりで殺されて当然のウジ虫だッ!!」



 ディーノの身体から突如として血の匂いが漏れ出し、タントンは咳き込む。

 そしてゆっくりと振り返ったディーノの顔を見た瞬間、どんな犯罪も顔色一つ変えずに実行する人身売買会社の社長がヒイッという短い悲鳴を上げた。

 何故ならディーノの顔は醜く歪み、右目は真っ赤に染まって顔中を隆起した血管が這いずり回っていたからだ。

 悪魔に取り憑かれている、そう形容するしか無い様な顔に変化していた。



 恐怖によって一歩後退ったタントンを見てディーノは右口端だけを吊り上げ、悪意に満ちた笑顔を作る。

 そして擦れてガラガラになった声で脳内に響き続けて居た悪魔の名を呼んだ。



「この屑をなぶり殺しにしろッ!! 『アング』!!!!」



 その名が世界に轟いた瞬間ディーノの身体の中から三つの赤い玉が飛びに出し、何処からとも無く赤い靄が集まってきて人型を作る。

 そして靄が謎のエネルギーによって圧縮され、実態を持った生物的な肉体を形作り始めた。

 出現したのは二足歩行で立ちシルエットは人間ソックリであるが、全てが異形の怪物。

 頭にはヘルメットの様な形の物体が付いているが、何故か頭頂の部分は覆われておらず脳が剥き出し。

 心臓も何故か其処だけポッカリと穴が開き丸見えになっていて、複数の真っ黒で太い血管が体中を這いずり回っている。

 薄桃色の皮膚の部分と筋肉が露出している部分の両方が存在しており、生物と言うには余りにも歪過ぎる姿をしていた。



「なッ……何だコイツッ、ブビブビビビビイビイビイビイ二ビビビイイイッ!!!!」



 その余りにもグロテスク過ぎる怪物前にしたタントンは恐怖を覚え、慌てて逃げようと体重を後ろに移動させたが既に手遅れ。

 気が付けば目の前に怪物は迫っていて、顔面に怪物の拳が叩き込まれていた。

 其処からは一瞬であった、一瞬で身体の前面全てに激痛と衝撃が走り豚の様な声を上げながら吹飛ばされる。



(一体……何が、起こってッ)



 脳内で一言呟く事も許されない。

 空中に身体を浮かせた状態のまま怪物の追撃を受け、一発一発が岩をも砕く威力を誇る拳撃の連打に呑み込まれた。

 バキピシグチェメキプシャッという骨が砕けて内臓が潰れる音が耳に届いたのを最後に、タントンの身体は叩き込まれたダメージに耐えきれず壊れた。

 現実の時間では1秒にも満たない時間で命を奪われ、肉で出来たサンドバッグに変えられたのである。



「グゴゴオオオオオオオァァァッ!!!!」



 空中で原型を止めない程にタントンの肉体を殴り続け、最後にボールでも蹴るように回し蹴りで肉塊を蹴り飛ばした怪物、アングは凶暴な雄叫びを上げた。

 その様はまるで怒りの擬人化。ディーノの身体の中で暴れ続けていた醜い怪物が肉体を得て外界に飛び出したのである。



(もう何も感じない……人間を殺せば何か感じられるかと思ったが、悲しみも罪悪感も何も無い)



 ディーノは仮面を付けているかのように無表情で何の感情も読み取れない顔で、地面に転がったタントンの死骸を眺める。

 一瞬心を埋め尽くした激情は嘘の様に消え、虚しさだけが残った。



(殺したのが死んで当然の悪人だったからか? 殺さなければ被害を受けていたという言い訳が出来るから、何も感じないのかも知れない。なら、今度は無害で無垢な可愛らしい赤子でも殺してみるか。何の罪も無い命を奪い、自分に非しかない状況を作れば俺の心も動くはずッ)



 ディーノが心の中で残酷にも程がある考えを思い付いたとき、自らが生み出した怪物であるアングがコッチを見ている事に気が付いた。

 知能があるのか分からないグロテスクな顔でジッとディーノの顔を見ている。

 その事実に何故か無性に腹が立った。



「何見てんだよ化け物ッ!! とっとと消えろッ!!」



 ディーノは顔を真っ赤にして怒声を張り上げ、前方の羽虫でも振り払う様なジェスチャーを行い自分の前から消えるよう告げる。

 すると怪物はその言葉に従い、身体を分解して赤色の靄に戻って何処かに消えてしまった。



 そしてアングが消えた瞬間ディーノの身体から一気に力が抜けて、激しい頭痛が襲い掛かった。

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