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新たな出発が必ずしも祝福されているとは限らない

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「一応、山賊野党に襲われたら、最後の一人が馬車の所有権を持つ事になってる」
 それならこの馬車の品物は彼の物ということか。
 そこで自分の服の裾をリリィがくいくいと引いてきた。
「山賊はもういません。先を急ぎましょう」
 この場にいたくない、と顔に書いたリリィ。たしかに死体がごろごろと転がっているこんな場所に長時間はいたくないな。
「そうしましょう。それでは寺田谷さん。さようなら」
 彼を拾って次の町までいく義理はない。
 彼が代金を払って自分たちと相乗りするなら話は別だが。それを止める権利は自分たちにはない。
「ちょ、ちょっとまってくれ! 俺も乗せてくれよ! この状況で置いていくか普通!?」
 自分の腕をつかんだ寺田谷は、顔を青くして懇願してくる。
「それを決められるのは自分ではなく、この商隊の党首さんですからね。聞いてみてください」
 ちらりと行商を見ると、彼は一瞬だけにやりと笑った。
「お前さんを乗せても良いが、運賃は金貨5枚だ」
「金貨5枚!? そんなぼったくりだろ!?」
「本来なら協会や税関を介すもんを直でやるからな。リスクが多い」
 行商の狙いは、馬車の積み荷だ。恐らく寺田谷は金銭を持っていない。この世界に来て3ヶ月。そのくせ真新しい高そうな鎧を着込んでいる。政府から貸し出された路銀はそれに使い果たしているはずだ。おそらく用心棒として無理やり馬車に乗り込んだ。そういう流れだろう。
 そこで賊に襲われた他の行商の荷物が残っている。このまま捨て置くには商人としては目覚めが悪いだろう。
「でも、そんな金ねえよ! どうしろってんだよ!?」
「あんだろう? ほら」
 行商はくいと顎をしゃくる。その先には持ち主がいなくなり、所有権が寺田谷に移行された馬車が1台。
「そ、それが?」
「その馬車と馬、それと中身。全部で、ざっと金貨5枚か? 本当は現物取引はしないが、今回は特別それでもいい」
「ああ、ああ! いいよ! 俺のじゃねぇし。好きなだけ持って行ってくれ」
 きっと行商は胸の内でガッツポーズをとっている事だろう。
 それで手を打とうと、契約書を書き始めた。傭兵たちが戻ってきて、馬車の中身を確認して使えそうな物を積み替えていく。乗り切らない分は前後の馬車へ乗せる。
 寺田谷がサインを書いて締結されると、傭兵たちは馬を外した馬車を横にどかして火を点けた。血みどろ穴だらけのそれはとてもじゃないが使えない。馬は傭兵たちが騎乗して使うらしい。
 そうして昼がすぎようという時間に、一行は出発する事が出来た。時間はかなり使ってしまったが、結果的にはプラスだ。
「ねえ! ねえってば! 君!」
 問題は目の前の小うるさい男。
 乗る場所がないので、仕方なく自分の真向かいに座っている寺田谷。リリィは先ほどまでと同じように自分と密着して座り、仕事を再開している。
「無視しないでよ!」
「……なんですか?」
 いい加減うるさいのだろう。初めて見た不機嫌さを露にさせたリリィ。声のトーンが明らかに普段より低い。
 そんな事があるんだなぁと漠然と感心していると、軽薄な笑みを浮かべた寺田谷は右手を差し出してきた。
「やっとこっち見てくれたね! さっきは助けてくれてありがとう。俺は」
「さっき聞きました。お仕事があるので、話しかけないでもらえますか?」
 おおう。こんな彼女は本当に初めて見た。
 ぐっと、呻いて押し黙った寺田谷。ついに渋々という雰囲気で自分に視線を向けた。
「あんたさ。さっきからそうしてるけど。彼女のなんなの? 親?」
 随分とぶっきら棒な言い様だ。
 礼儀という物があるだろう。そうか、気にしてはいなかったが、この男、今初めて礼を口したのか。だからリリィは彼の事を毛嫌いしているのだろうか。
「なんなのか、と言われれば、彼女は妻ですね。正式に書類も出してあります」
 自分は当然と言い張り、男の動向を伺った。
 一瞬ぽかんとして、それから笑った。
「妻って、おっさんいくつだよ!? ひょっとしてロリコンってやつ!? きっも!」
 そう言って笑い転げる寺田谷。
 ぎりっと、固い物が擦れるような音がした。何事かと思ったら、リリィが今まで見た事もない形相をしていた。さっきのは歯ぎしりだろうか。人間は怒ると本当に額に青筋が浮くもんなんだなと、どこか違いな事に妙に感心してしまった。
「貴方、何を笑っているんですか?」
「は?」
 氷が言葉を発したら、きっとこれくらい冷たいのだろう。そう思わせるような声は、リリィから聞こえた。
「コウさんはわたしの夫です。それを笑い、バカにするなら、覚悟はできているんですよね?」
 斜め後ろから見た彼女の眼光は、刃物よりも鋭い。もしそれに質量があれば、間違いなく数人を殺せそうだ。
 こんな彼女は、この1年で見たことが無かった。
 普段温和な人間こそ、怒ると恐ろしいというのは、本当らしい。
「な、なにをそんなに怒ってんのさ!? 本当の事だろう? こんなおっ」
「バカにするなら、覚悟はできている、ってことですよね」
 ガツンと云う灌木を打つ激しい音が、馬車を揺らした。寺田谷の顔面のすぐ横に、ナイフが突き刺さっている。
 彼女が投げたのだ。座ったまま、ほとんどの前動作もなく投擲されたナイフは、馬車の幌骨組みに深々突き刺さっている。
 そして寺田谷の髪の毛の一束と、耳の薄皮1枚が裂けている。ギリギリを狙って投げたのなら、とんでもない精度だ。
「いっ、いったッ!?」
 耳を抑えてうずくまる寺田谷は涙目で彼女を睨むが、ネズミとライオンの構図は何も変わらない。
「わたしは殺生を好みませんが、わたしの夫を笑うのなら、選り好みはしません」
「ヒッ!」
 喉をひきつらせた寺田谷は急に尻すぼみになって、先ほどまでの威勢はどこにもない。
 飛びかかりそうだったが、その心配はない。
 自分は立ち上がると刺さったナイフを抜いた。
 投げただけなのに、刃渡りの半分近くが幌の骨組みに刺さっている。どれだけの力で投げたのだろうか。初めてリリィを怒らせないようにしようと心に誓った。
「ちょ、ちょっとからかっただけだろうが……。それに、オレは勇者の」
「その小さな誇りを掲げるに足る実証を見せてください。それもないのに他人を笑う貴方は努力をせずに、ただ他人の功績を妬むだけの愚か者です」
 吐き捨てるように言い返し、いよいよ何も言えず押し黙る寺田谷。その後は馬車の騒音に書き消える小声でぶつぶつとつぶやくだけだった。
 怒り狂う彼女にナイフを返すと、一度目を閉じてふうと息を吐いて深呼吸。また目を開いた時にはいつもの彼女だった。
「ありがとうございます! コウさん」
 にっこりとはにかむ彼女は、いつも通り。どこか末恐ろしさを感じながらも、自分は定位置へ腰かけた。
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