レナと耽溺の食卓

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魔性の生き物(3)

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 それからは怒涛の忙しさであった。

 レナが予想した通り、屋敷には沢山の部屋と設備があった。それらに付随する仕事は、本来なら数十人単位の専用の使用人たちに振り分けられているものだ。それを、レナはオールワークスのメイドとして一人でこなさなければならない。

 本来なら雑役女中オールワークスが雇われるのは小規模な屋敷である。
 それでもかなりの重労働だと聞くのに、この屋敷はもっと広い。
 流石に全ての作業を一人で網羅することは出来ないので、カトルも必要最低限の仕事だけを選んで教えているようであった。しかし、それでもやるべき事はかなり多い。

 広い屋敷の中を歩き回り、一通りの設備の場所と仕事の内容を説明された後は、さっそくレナは廊下の掃除を言い渡された。

*** 

 長い廊下の窓の外では日がすっかり頭上高くまで昇り、午後の日差しが手入れの行き届いた花園に降り注いでいる。昨日見た夕焼けに染まる庭園も美しかったが、陽の光の下で瑞々しく風にそよぐ草木もまた、一つ絵画のようで目を見張るものがある。

 しばらく窓から吹く緑の風を受けながらぼんやりその風景に見蕩れていたレナは、何気無く視線を移した廊下の先に有り得ないシルエットを見付けてギョッとした。

 慌てて影の主の元へ駆け寄る。

「あ、アルベール様ッ?!」
「…………」

 廊下の先で倒れていたのは主人のアルベールであった。
 壁に背中を預け、長い足を廊下に投げ出している。

「アルベール様! 大丈夫ですか?!」

 レナは隣に跪いて彼の肩に手をかけ、体を揺すった。

 何故アルベールがこんな所にいるのかレナには分からなかったが、彼は吸血鬼だ。吸血鬼は陽の光を浴びると灰になって死んでしまうという伝説がある。
 ここは今は日陰になっているが、陽の光の下に居るのは不味いのではないだろうか。

 レナは顔を青ざめさせ、必死に彼の名を呼んだ。するとアルベールの長い睫毛がピクリと動き、薄い唇が開く。

「ん……? レナ……?」
「アルベール様! お、お体は?!」
「ふああ……。まだ眠くて……もう少し寝させて」
「え……?」

 しかしレナの必死な呼び掛けに対し、返ってきた彼の言葉はなんとも呑気なものであった。呆然とするレナを尻目に、彼は軽く伸びをして再び眠る体勢になる。

「あ、の、アルベール様……?」
「んー?」
「眠っていらっしゃったのですか?」
「うん。廊下に吹く風が気持ち良くてね。カトルには内緒で執務室を抜け出して来たから、俺がここで寝てたことは秘密にしててよ?」

 アルベールはそう言って人差し指を唇に充て、悪戯っぽく笑った。
 彼がただここで昼寝をしていただけだと分かり、レナはへなりと体の力を抜いた。

「……驚きました」
「ん?」
「太陽が昇っているのに、アルベール様の姿を見つけて……。吸血鬼は、陽の光を浴びると灰になってしまうと聞いていたので……それで、私……」

 レナの言葉で、アルベールは彼女が慌ててこちらに駆け寄ってきた理由を察した。

「ふふふっ。俺が灰になってしまうと思って慌てて来たの?」
「……ならないんですか?」
「うーん、確かに俺は夜の方が好きだけど、陽の光で灰になったりはしないかなぁ。ほら」

 アルベールはそう言って窓に向けて手を伸ばした。
 キラキラと窓から差し込む陽光に、彼のしなやかな手が照らされる。その表情は穏やかで、むしろ日光の暖かさが心地良さそうですらある。

 レナは急に自分の子供のような勘違いが恥ずかしくなり、赤面して俯いた。
 
 アルベールはそんな彼女に目を細め、そっとその輝を彼女の頬に添える。

「変なの。吸血鬼を怖がるどころか心配してくるだなんて」
「変、ですか……?」
「大抵の人間は、魔物を恐れるものなんだよ。君は俺が恐ろしくはないの?」

 柔和に笑うアルベールの口から白い牙がのぞいて、レナはドキリとした。昨日は闇夜に爛々と光っていた赤い瞳が、今は凪の湖面のように静かに自分を映している。

「怒らないから、正直に言ってごらん?」

 --もっとも、恐ろしいと言ったところで、この屋敷に一生仕えるというレナの立場が変わるわけではないのだけれど。

「……えっと……」

 そんな主人の心中など露知らず、レナは口篭りながらも慎重に言葉を紡いだ。

「最初に人からこの森に魔物が出ると聞かされた時は……恐いと、思いました……。アルベール様が、吸血鬼だと分かって、私の血を求めてきた時も……」

 彼女は正直に答えた。
 確かに、昨日は彼をとても恐ろしいと思った。優しい笑みを浮かべていても、彼は人を惑わせて喰らう恐ろしい魔物なのだと。

「でも……」
「でも?」
「その……、あまりに私は知らないことが多すぎて……。さっきの陽の光の事だって、信じていたけど、嘘でした。私が聞かされて恐れていた魔物の話は、何処までが真実か分かりません……。恐いのはきっと、無知だからです。だから恐れる前に、私はもっと、アルベール様の事を知らなくてはいけないんだと、そう思います……」
「……なるほど賢明な子だ」

 アルベールは彼女の返答に満足気に笑った。

 自分を映す彼の赤い瞳に、トクンとまたレナの心臓が高鳴る。

 レナの体はアルベールに見詰められるだけで熱くなり、胸の奥から言い様のない高揚感が湧き上がった。もっと、この瞳に自分を映して欲しいと思ってしまう。
 魅入られるとは、こういうことをいうのだろうか。
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