続・紅い人物画

紫 李鳥

文字の大きさ
上 下
1 / 1

続・紅い人物画

しおりを挟む
 

 姉の復讐を為し終えた和子は、事件後間もなく、姉の描いた人物画たちと共に、そこを引き払った。さすがに、死体があった部屋で生活する度胸はなかった。

 引っ越し先は、そこからさほど離れていない1DKのアパートだった。通勤する上で、同じ駅の方が便利だったからだ。それに、半年分の定期を無駄にしたくなかった。


 それは、休日の午後。駅前のスーパーで買い物をしている時だった。

「――久しぶり」

 ハスキーな男の声と共に、肩を叩かれて振り向いた。そこにあったのは、例の事件のアリバイを証言してくれた、スナックのマスターの笑った顔だった。

「あっ。……お久しぶりです」

 マスターとの再会は、なぜかしら和子を不安にさせた。

「ねっ、引っ越したの?」

「えっ!どうして?」

「だって、あの部屋、カーテンもないし、明かりもついてないから」

「!……」

 気味が悪かった。この男は、私の部屋を見張っていたのだろうか……?和子はそんな風に思って、眉をひそめた。

「……だって、あの事件があったから」

 和子は顔を伏せると、声を小さくした。

「ああ、そうだよね。ごめんごめん、うっかりしてた」

 マスターはわざとらしく、頭を掻いてみせた。

「……その節はありがとうございました。証言をしていただいて」

「あ、いえいえ。本当のことを言ったまでだから。それより、たまには飲みに来てよ。ボトルもそのままにしてあるし」

 そのフレンドリーな言い方は、逆に脅迫めいて聞こえた。

「ええ、近いうちに行きます」

 行く気などなかったが、とりあえず差し障りのない返事をした。マスターは含み笑いを浮かべると、

「じゃ、待ってるから」

 手を上げて、背を向けた。途端、言い知れぬ不安と恐怖感が、ひしひしと迫り来るのを和子は感じた。


 ――それから数日後だった。会社からの帰り、バッグの中でケータイがバイブしていた。……誰だろう?見てみると、知らない番号だった。出ずにいると、またバイブした。見ると、同じ番号だった。誰よ?もう一度番号を確認したが、やはり心当たりがなかった。

 電話帳に登録していない番号からの着信は、スーパーで偶然に遇ったマスターの時と同様に、和子を不安にさせた。急に食欲をなくした和子は、食事もせず、シャワーも浴びず、ケータイをバッグに入れたままで布団に潜った。――


 朝、目を覚ましてケータイを視ると、その番号からの着信が30回近くあった。恐ろしくなった。「真犯人を知ってるぞー」と言われてるみたいな気がした。

 ……でも、どうして伝言メモに設定してあるのに声を入れないのだろう?……声でバレるから?つまり、私の知っている声だから?――アッ!

 電話を寄越した相手に見当が付いた和子は、なぜ、教えてもいないケータイ番号を知っているのか考えてみた。

 ――アッ!そうか。思い当たった和子は、次に、相手をどう処分してやろうかと考えた。

 そして、壁に飾った、姉の描いた人物画たちを悲しい目で視た。



『――今回は、私が殺るわ。和子を悲しませる人間は許さない』

 緑色のかんざしを挿した和服の女が言った。

『えー?私に殺らせてよ。和子のお姉さんに、こんなに綺麗に描いてもらったんだもん。恩返ししたいわ』

 パールのイヤリングの女が言った。

『恩返ししたいのはみんな一緒よ。綺麗なのはあんただけじゃないわ。みんな美人に描いてくれた。和子の姉さんは、私たちの産みの親も同然。その妹の和子を悲しめる人間は、絶対に許さないわ』

 ショートの茶髪の女が言った。

『みんなの気持ちはよく分かったから、少し落ち着いて。どんな方法で殺るかによって、適役を決めよう』

 サラサラストパーの女が言った。

『分かったわ』

 みんなが返事をした。

『まず、茶髪は前回、英夫を殺ってるから除外』

『何よ、回数で決めないでよ。成功例で決めてよ』

 茶髪が不平を言った。

『そうじゃないわよ。万が一にも、前回の刑事だったらまずいでしょ?同じあんたが登場したら。今回はおとなしく押入れに隠れてて』

 ストパーが釘を刺した。

『別に押入れじゃなくてもいいでしょ!何よ』

 茶髪が口を尖らせた。

『ちょっと、茶髪、お黙りっ!ストパーの話をちゃんと聴きなさい』

 和服が仲裁に入った。

『は~い、姉御』

 和服の鶴の一声で茶髪はおとなしくなった。

 そして、ストパーが提案した殺害方法に、人物画たち全員が賛成すると、綿密に計画を練った。――



「いらっしゃいっ!」

 マスターが満面の笑みで迎えた。他に客は居なかった。

「……こんばんは」

 和子はカウンターの隅に腰を下ろした。

「待ち兼ねてたよ。やっと来てくれた」

 マスターはおしぼりを手渡しながら、卑しい視線を向けた。

「あっ、そうだ。これ、店に飾って」

 額装した8Fの絵を紙袋から出した。

「うわ~、スゲー……」

 マスターは、リアルな人物画に感嘆の声を漏らした。

「アリバイを証言してもらった、ほんのお礼です」

「……綺麗だ。高かったでしょ?」

 マスターはカンバスを手にすると、その絵の女に見とれていた。

「ううん、そうでもない」

「ありがとう。早速飾るよ」

 マスターは水割りを和子の前に置くと、ドアから真っ正面の壁に、その絵を飾った。



「――ところで、……少しばかり融通してくれないかなぁ。……お金」

(案の定だ!やはり目的は金だった)

「えっ?」

「最近、暇でさぁ。こんな小さな店でも、維持するの大変で。100万ばっか、お願いできないかなぁ」

 マスターはおもねるかのように、いかにもへりくだった口振りと仕草を作っていた。

「ええ。マスターは恩人ですもの、お役に立ちたいわ。月曜でいい?」

「ああ、勿論さ。助かるよ」

 マスターは捕らぬ狸のなんとかを目論んでか、たちまち本音を露にした。まるで、ろくに食ってない浮浪者が、拾った小銭で万馬券を当てたような顔つきだった。

「じゃあ、ケータイの番号を教えといて。何かあったら連絡したいから」

「ああ。……あ、そうそう。何度か電話したんだよ、来てもらいたくて」

 声を入れていない着信との合致を見越した上でか、マスターは慌てて電話したことを自ら吐露した。

「あ、そうなの?じゃ、この番号って、マスターだったんだ?」

 和子はとぼけると、ケータイを開いて見せた。

「ん?そうそう……」

 マスターは後ろめたい様子で、目を泳がせていた。

(この厚顔無恥こうがんむち野郎!)

 和子は、腹の中で汚い言葉を吐いた。

「あれっ。マスター、私のケータイ番号知ってたっけ?」

「ああ、ケータイ忘れてった時あったろ?ほら、例の事件の日」

 また、卑しい含み笑いをした。

「……ぇぇ」

「たぶん、君の忘れ物だと思って。電話番号が知りたくて、ケータイいじってたらプロフィールが出て。悪いと思ったけど、自分のケータイに登録しちゃった。――何か、予感がしてさ」

 マスターは、和子に据えた目を意味深に笑わせた。

(案の定だ。……この男は紛れもない海千山千の人間だ)

「……なるほど。それで知ったのね?――じゃ、お金下ろしたら電話しますので」

 和子は、マスターが飾った壁の人物画に目配せすると、そう言い残して店を出た。

 帰宅して少し仮眠を取ると、朝までやっているもう一軒の馴染みの店に飲みに行った。――

 その帰り、新聞配達が起きる前の、人っ子一人通っていない、路地裏のマスターの店に行った。

 内側から施錠し得ない計略の店のドアから入ると、先刻マスターにプレゼントした壁に掛かった絵を、バッグから出した袋に入れた。

 カウンターの中に倒れている、首を真っ赤にしたマスターの死体をチラッと覗いて。――





 部屋の壁に戻した絵の、和服の女が挿したかんざしは緑色から紅色に変わっていた。

 その紅色はまるで、今塗ったばかりの絵の具のように光沢があり、滴る血のように赤々と、今にも零れ落ちんばかりに満ちていた。――





   了
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

命ある限りの贖罪

大里 悠
ホラー
人は、あのときこうすれば、ああしていたら、というように後悔をする。 特に、取り返しのつかないような事に至っては後悔を更なる後悔で塗り潰す人もいるだろう。 だけれど、後悔をしていられなくなる頃には、贖罪しなければという意識に変わっていく。 もし、僕は生きているのなら、贖罪をするために心の内を此処に書き記そう。

真空管ラジオ

宮田 歩
ホラー
アンティークショップで買った真空管ラジオ。ツマミを限界まで右に回すと未来の放送が受信できる不思議なラジオだった。競馬中継の結果をメモするが——。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

さようなら、初めまして

れい
ホラー
全ては単なる、私の、私による、私のためだけの、儀式だった。 八月の、ひどく蝉がうるさい日。 私はそっと、自分の机だったものの上に、一輪の赤い花を添えた。

メトロノーム

宮田 歩
ホラー
深夜の学校に忍び込んだ不良コンビ。特に「出る」とされる音楽室に入った2人を待ち構えていたものとは——。

MARENOL(公式&考察から出来た空想の小説)

ルーンテトラ
ホラー
どうも皆さんこんにちは! 初投稿になります、ルーンテトラは。 今回は私の好きな曲、メアノールを参考に、小説を書かせていただきました(๑¯ㅁ¯๑) メアノール、なんだろうと思って本家見ようと思ったそこの貴方! メアノールは年齢制限が運営から付けられていませんが(今は2019/11/11) 公式さんからはRー18Gと描かれておりましたので見る際は十分御気をつけてください( ˘ω˘ ) それでは、ご自由に閲覧くださいませ。 需要があればその後のリザちゃんの行動小説描きますよ(* 'ᵕ' )

糠味噌の唄

猫枕
ホラー
昭和60年の春、小6の町子は学校が終わって帰宅した。 家には誰もいない。 お腹を空かせた町子は台所を漁るが、おやつも何もない。 あるのは余った冷やご飯だけ。 ぬか漬けでもオカズに食べようかと流し台の下から糠床の入った壺をヨイコラショと取り出して。 かき回すと妙な物体が手に当たる。 引っ張り出すとそれは人間の手首から先だった。

【完結】お4枚鏡

堀 和三盆
ホラー
 僕は駄目な子らしい。  お母さんが大事に仕舞っていた手鏡を割ってしまって怒られた。僕は鏡と『あいしょう』が悪いらしく、何でか割ってしまう……。 お4枚鏡2(続編) 『あなたって子は。……お兄ちゃんの方は手のかからない良い子なのに』――それが母親の口癖だ。  朝、登校する前に玄関の鏡が割れていた。  やったのは部活の為に一足早く家を出たお兄ちゃんだけど、家に帰ったらあれも私のせいにされるのだろう。  どうせ怒られるならもっと盛大に怒られようと思った。  だから――学校の鏡を割ったのは間違いなく私。 お4枚鏡3 「……だからね、4のつく歳に4枚の鏡を割ってはいけないんだ。悪いことが起きるから」 「キャー!」 「こえー!」 「ソレってあそこの鏡でしょ?」 「いやいや、きっと旧校舎の方だって!」  自習の時間。夏だからと怪談話を始めたお目付け役の先生の話を聞いて、盛り上がるクラスメイト達。  怖い。ありえない。嘘くさい。  色々な声が教室を飛び交っていたけれど、僕はクラスの皆みたいに騒げなかった。  僕には『心当たり』があったから――。

処理中です...