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しおりを挟む――新幹線に乗ると、ママと吉沢が企んだトリックを推理してみた。ママと吉沢のアリバイは、“電話”だが、電話をしたからと言って、何も話をしていたとは限らない。互いが受話器を外したままにすれば、話をしなくても話し中になる。そして、通話明細書には履歴が残る。その話し中を利用して、益美を殺した。殺したのは吉沢だ。なぜなら、ママには出勤時間が控えている。人を殺めた後に平然と接客をするのは、普通の神経では無理だ。ママが出勤した時刻に、吉沢が益美を殺した。
順子は吉沢を犯人にすると、帰りを待つ二人に思いを馳せた。――
だが、
「吉沢さんなら知ってるが、益美を殺すなんて有り得ない」
土産のつもりだった吉報は、高志のその一言で呆気なく手ぶら同然にされた。
「どうしてよ?」
頭ごなしに否定された順子は、子供のようにムキになった。
「どうしてって、勘だよ。一緒に呑んだこともあるし、麻雀もしたことがある。ギャンブルをすると本性が出るもんだ。あの人は穏やかで思慮深い人だ」
「ママの恋人だったんでしょう?」
益美との関係を教えるのは気が引けた順子は、ママを例に挙げた。
「さあ、その辺は分からん」
「円ちゃんて知ってるでしょう?」
「ああ」
「その子が教えてくれたの」
「ふん。あの子の言うことは鵜呑みにしないほうがいいな。それだったら、吉沢さんの言うことのほうがまだ信じられる」
と、鼻で笑われて、順子は腹が立った。
「何よ。あなたへの疑いを晴らすためにわざわざ山形まで行ったのに、すべて否定されて。……バカみたい」
何だか悲しくなった。
「あ、ごめん。実態を知らない君が鵜呑みにするのも無理はないさ」
「……実態って、誰の?」
「円さ」
「えっ?」
予想だにしなかった名前だった。
「彼女は道化を演じてるが、なかなか強かな女で」
「どんなふうに?」
「例えば、ママの客を寝取ったり――」
それは、円から聞いた話と同じだった。一つ違うのは、相手が益美ではなく、円だと言うことだ。つまり、“死人に口なし”を利用して、円は自分がしたことを益美に擦り付けたのか……。円の口車に乗ったことが、順子は悔しかった。
「さて、飯の支度でもするか」
煙草を吹かしながら話を聞いていた行弘が、上首尾でなかったことを察知して腰を上げた。
結局、山形行きは徒労に終わった。順子は、自分の早とちりな性格を恨めしく思った。
ママと吉沢がシロだとすると、真犯人は誰だ?……まさか、円ではあるまい。「道化を演じてるが、なかなか強かな女だ」高志の言葉が頭から離れなかった。だが、いくら強かでも、人を殺した人間があんなに平然と接客できるはずがない。円はシロだ。順子は自分の直感を信じた。
それにしても手抜かりが多かった。円のアリバイにも着目すべきだった。山形行きを無駄にしてしまった自分の思慮の浅さに、順子は再び苛立った。仮に円が真犯人なら、一杯食わされたことになる。だが、すでに事情聴取は済んでいるだろうから、完璧なアリバイがあったに違いない。円の道化に騙されるほど、そこまで警察も馬鹿ではあるまい。……やはり、円はシロだ。
自分の手落ちを相殺しながらも、白い服にカレーのシミを付けたような不快感で、折角作ってくれた行弘の料理さえ有り難く感じられなかった。
「……明日、警察に行きます」
食事を終えた高志がぽつりと言った。
「なんで?」
驚いた順子は、慌てて湯呑みを口から離した。
「これ以上、迷惑は掛けられない」
「迷惑だなんて思ってないって」
「松田さん、私も順子と同じです。迷惑だなんて思ってないです。警察が真犯人を挙げるまでここに居てください」
行弘が助け船を出した。
「いや、警察は私を追ってます。仮に他に容疑者が居たとしても、逃げた私を一番にするでしょう。そうなると、ここに漕ぎ着くのは時間の問題だ――」
「警察が来たって平気よ。そんなこと恐れてないわ」
「いや。客商売をしてるんだ、警察沙汰は得にならない」
高志の言葉には配慮があった。
「……高志」
順子は、高志の優しさを感じ、胸が詰まった。
……これ以上引き留めても無駄だろう。順子は不安という闇の中に佇みながらも、高志が無事に無罪放免で釈放されるのを祈るしか術がないことを覚った。――
翌朝、食事を終えた高志は一服すると腰を上げた。順子と行弘は、高志の一挙一動を黙って見守っていた。
「お世話になりました。このご恩は一生忘れません」
玄関でそう言って、高志は深々と頭を下げた。
「……気を付けてね」
順子が蚊の鳴くような声で呟いた。
「順子。俺のために動いてくれてありがとう。……ご主人といつまでも幸せにな」
高志はそう言って、眼鏡の奥から暗い目を向けた。順子は唇を強く結ぶと、ゆっくり頷いた。
「順子をよろしくお願いします」
行弘に言うと、背を向けた。
哀愁を帯びた高志の後ろ姿が、靄が立ち込める橋の向こうに消えた。思わず涙が溢れた順子は、行弘の胸に顔を埋めた。
「……松田さんの濡れ衣が晴れたら、一緒に迎えに行こうな」
行弘はそう言って、順子の頭を撫でた。
「うん」
順子は力強く頷いた。しかし、灰色の分厚いベールに覆われたままの順子の心は、モノトーンの絵の中にある底なし沼に沈んでいく想いだった。高志の胸中を察すると、我が事のように暗い気持ちになっていた。
唯一救われたのは、行弘の優しい言葉だった。高志のことを友達のように思い、親身になってくれている。優しい二人の男に出逢えたことに順子は感謝した。
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