過去からの客

紫 李鳥

文字の大きさ
上 下
12 / 18

12

しおりを挟む
 

 すると、突然、

「奥さん。……われ」

 益美が謝った。

「えっ?」

 咄嗟に顔を上げた。

「今回のごど。ご主人もわれですた。おら、奥さんに妬いでだんだ。んだがら……」

 益美は反省するかのように俯いた。

「もういいですよ。高志が無事だと分かって、それだけで」

 順子は偽りのない気持ちを言った。

「よいっけら、あの人さ会っていってください」

「えっ?」

 予期せぬ展開に順子は驚いた。

「長距離の仕事入ってなげれば、七時頃には帰るど思いますから」

 益美は穏やかな口調でそう言うと、笑みを浮かべた。順子はホッとすると、安堵の表情をしている行弘と目を合わせた。

 益美は本来、恬淡てんたんな性格なのか、それとも、言いたいことを言って気が済んだのか、何事もなかったかのようにあっけらかんとしていた。帰り際、益美は、

「今回のごど、あの人には内緒で」

 拝むように手を合わせると、梅干しをめたような表情をした。順子はクスッと笑うと、行弘と目を合わせた。

「ええ。言わないわ、心配しなくても」

 口外しないことを約束すると、笑顔で見送る益美に振り向いた。――それが、生きている益美の最後の姿だった。



 高志の家を後にすると、あけぼの町の蕎麦屋で少し早い昼食を摂った。

「羽留ちゃんの実家に寄って、現在の住まいを訊いてみるか……」

 と口にした行弘だが、結局、そうはしなかった。

「高志さんと離婚したことを親が知らない可能性がある」

 それが、取り止めた理由だった。――十九時過ぎ、近くの酒屋で一升瓶を買うと、それを手土産にして高志の家に行った。だが、門灯にも窓にも明かりがなかった。

「出掛けたのかしら……」

 そう言いながら、順子が呼び鈴を押した。だが、応答がなかった。順子が不可解な顔を向けると、行弘が腕時計に目をやった。

「おかしいな、七時過ぎって言ったのに。うむ……、電話してから来れば良かったな」

「急用でも出来たのかしら」

「ちょっと待ってろ、電話してみる」

 順子に一升瓶を押し付けると、街路灯の電話ボックスに向かった。――間もなくして、家の中から電話が鳴った。反射的に電話ボックスを見ると、行弘も順子を見ていた。十回ぐらい鳴ると切れた。同時に、行弘が電話ボックスから出てきた。

「やっぱり留守みたいよ、誰も電話に出ないもの」

 戻ってきた行弘に伝えた。

「どうする、諦めて帰るか」

 行弘は結論を出すと、順子が抱えていた一升瓶を掴んだ。

「……そうね、仕方ないわね。寒いし」

 順子も諦めると、コートの襟を立てた。時間が止まったように動きがない高志の家に何度も振り返ると、行弘の後をついた。――


 翌朝、チェックアウトすると駅に向かった。挨拶の電話をしようとも思ったが、気紛れな益美にこれ以上振り回されたくなかった順子は、“高志は無事だった”それを旅の土産みやげにして新幹線に乗った。


 留守にしていた間に、予約の電話やファクスが数件あった。

「井上さん、明日、奥さんと二人で来るって。良かったな、今日帰ってきといて。まずはファクスで返事するか、“お待ちしてま~す”って」

 浮かれ調子でそう言いながら、行弘がコートを脱いでいた。

「なんか疲れたね」

 湯を沸かしながら、新幹線で買った駅弁を出した。

「ああ。空振りが多すぎて、体力だけが消耗した感じだ」

 椅子に座ると、煙草を出した。

「お詫びの電話を寄越すかしら、益美さん」

 急須に茶葉を入れた。

「ま、あの性格じゃ期待しないほうがいい。こっちから訊いても、“あら、ごめんなさい。そんな約束してたかしら”ってとぼけられるのが関の山だ」

「……そうね。あ~、くつろぐ。やっぱり我が家が一番ね」

 順子が思いきり伸びをした。

「There's no place like home.(我が家に勝る所なし)か?」

「ううん。like じゃなくて、love。うふふ」

 高志が生きていたという安堵感が、順子にそんなジョークを口にさせた。

 お茶を淹れるとテレビを点けた。ニュースを聴きながら、米沢牛すき焼き弁当を食べている時だった。

〔新庄市の万場町の住宅で今朝5時ごろ、遺体で発見された蒲田益美さんの死亡推定時刻が判明しました――〕

 ……ますみ?

 順子は反射的にテレビの画面に顔を向けた。そこには、あの益美の顔があった。

〔昨日の夜の7時前後と見られ、連絡が取れないこの家の持ち主の男性を捜しています〕

「あなたっ!」

 順子が見開いた目を行弘に向けた。

「……あの益美さんが死んだ?……松田さんの行方が分からない?」

 行弘が独り言のように呟いた。

「昨日の七時って言ったら、私達が訪ねた時間よ」

「俺達が帰った直後に殺されたということか?」

 行弘は急いで食堂に行くと、溜まった新聞を広げた。


【――第一発見者は、新聞配達員で、少し開いていたドアを不審に思い、中をのぞくと、倒れたソファに被害者があおむけで死んでいたとのこと。死因は首を絞められたことによる窒息死。現在、行方が分からないこの家の持ち主を捜している】

 順子も他社の新聞を広げた。

【――被害者は元ホステスで、この家に住む男性と同居していた蒲田益美さん、26歳。警察は、連絡が取れないこの家の持ち主の男性を捜している】

 えっ!高志が犯人だと言うの?絶対違う!高志は人を殺したりしない。

 順子は心で叫んだ。突然、視界を遮る霧の山中に放置されたみたいな不安な気持ちになり、俄に食欲をなくした。

「心配するな。松田さんは犯人じゃないから」

 順子の気持ちを察したのか、行弘がベテラン刑事のように明言した、その言葉に順子の不安は僅かばかり薄れた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

港までの道程

紫 李鳥
ミステリー
港町にある、〈玄三庵〉という蕎麦屋に、峰子という女が働いていた。峰子は、毎日同じ絣の着物を着ていたが、そのことを恥じるでもなく、いつも明るく客をもてなしていた。

寓意の光景

紫 李鳥
ミステリー
復讐をするために柴田に近づいた純香だったが……

檻の中の黒い手

紫 李鳥
ミステリー
  容疑者かもしれない女に心を惹かれる刑事の、苦悩と葛藤を描いたサスペンス。

それは奇妙な町でした

ねこしゃけ日和
ミステリー
 売れない作家である有馬四迷は新作を目新しさが足りないと言われ、ボツにされた。  バイト先のオーナーであるアメリカ人のルドリックさんにそのことを告げるとちょうどいい町があると教えられた。  猫神町は誰もがねこを敬う奇妙な町だった。

呪鬼 花月風水~月の陽~

暁の空
ミステリー
捜査一課の刑事、望月 千桜《もちづき ちはる》は雨の中、誰かを追いかけていた。誰かを追いかけているのかも思い出せない⋯。路地に追い詰めたそいつの頭には・・・角があった?! 捜査一課のチャラい刑事と、巫女の姿をした探偵の摩訶不思議なこの世界の「陰《やみ》」の物語。

リモート刑事 笹本翔

雨垂 一滴
ミステリー
 『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。  主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。  それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。  物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。  翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?  翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!

警視庁鑑識員・竹山誠吉事件簿「凶器消失」

桜坂詠恋
ミステリー
警視庁、ベテラン鑑識員・竹山誠吉は休暇を取り、妻の須美子と小京都・金沢へ夫婦水入らずの旅行へと出かけていた。 茶屋街を散策し、ドラマでよく見る街並みを楽しんでいた時、竹山の目の前を数台のパトカーが。 もはや条件反射でパトカーを追った竹山は、うっかり事件に首を突っ込み、足先までずっぽりとはまってしまう。竹山を待っていた驚きの事件とは。 単体でも楽しめる、「不動の焔・番外ミステリー」

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

処理中です...