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しおりを挟む行弘は確認を終えると、バス停のほうに行った。行弘の背中が針葉樹の葉先に消えると、行弘がチェック済みの崖下を覗いてみた。芽吹いた木々の隙間には、それらしき物は無かった。順子はホッとすると、踵を返した。
……どこまで行ったのだろう。掛け時計を見ると、すでに一時間が過ぎていた。順子は食堂の窓に顔を据えると、コーヒーを飲みながら、レース編みの続きをした。――軈て、走ってくる行弘の姿が橋の向こうに見えた。順子は安心すると、行弘のコーヒーカップを出した。
「はぁはぁはぁ……、ただいま」
息を切らしていた。
「お帰り。どこまで行ってたの?」
淹れ立てのコーヒーを行弘の前に置いた。
「バス停まで行ってみた。崖のとこも見てみた。水、一杯ちょー」
「はーい」
順子の気持ちは晴れ晴れとしていた。なぜなら、行弘の潔白が明らかになった瞬間だったからだ。仮に行弘が高志を殺したなら、そこだけを確認すればいい。だが、行弘が最初に捜したのは崖下だった。順子も崖下をチェックしたが、それらしき物は無かった。
つまり、行弘が高志を殺害したとしたら、殺った場所が分かっているのだから、わざわざそこ以外を捜す必要はない。順子は、行弘に疑念を抱いた自分を恥じた。
「ゴクッゴクッ。あ~、ふ~。車で行けば良かった」
美味しそうに水を飲み干した。
「ご苦労様」
「……松田さん、どうしちゃったのかな」
行弘は深刻な顔で煙草を吸った。
「ええ。……仮に行方不明だとして、どこに居るのかしら」
どうしても自殺だとしたくない順子は、そんな言葉を選択していた。
「ほんと。……どこに居るんだろう」
行弘は心配そうな顔でコーヒーを口に含んだ。
自殺にしたくない思いの一方で、順子には焦りもあった。
「……ね、もしそうなら、栃木の警察にも捜してもらいましょうよ」
「そうだな。うちから帰った後、消息が分からないんだから、栃木に居る可能性もあるもんな」
行弘も言葉を選んでいた。“栃木に遺体があるかもしれない”を婉曲に言っていた。
「奥さんに電話で訊いてみたら?栃木の警察にも依頼してみてはって」
順子の中の焦りが即答を求めた。
「直接、電話で訊くのか?どんな言葉をかけたらいいか分からないよ、状況が状況だけに。手紙で尋ねたほうが無難だろ」
万が一にも口を滑らせて、“自殺したかもしれない”そんな言葉を避けたかったようだ。
「……そうね」
「……けど、松田さんがここに来たことは羽留ちゃんは知らないだろうから、何て書くよ」
「そうか。……ね、この際、来たことを正直に書こう」
「何て?」
行弘は上目を遣うと、温くなったコーヒーを口に含んだ。
「あの人、シナリオも書いてたの。その時、私が代筆をしてたから、私も役者をやっていたことにして、筆跡を見て、懐かしく思って来てくれたことにすれば?」
「何でもいいよ。とにかく、怪しまれない書き方をしろ」
面倒を避けるかのように、順子に一任した。
前略
お手紙拝見しました
ご主人が行方不明との事 私共も心配しております
申し遅れましたが 私は芦川の家内で順子と申します
ご主人とは役者仲間でした
同窓会の返事の代筆も私です
実は昨年の四月にご主人がいらしてくれました
私の筆跡を見て懐かしく思って会いに来てくれたそうです
と言うのも 当時 ご主人の脚本の代筆もしていましたので それで分かったのだと思います
いかがでしょう 栃木の警察にも捜索を依頼してみては
お返事をお待ちしています
果たして、羽留子からの返事は速達だった。
〈余計なことはしないでください
私たち夫婦のことは放っておいてください〉
それは意表外の内容だった。愕然とする行弘と目を合わせた。
「……どういうこと?まるで、警察に届けられたら困るみたいな書き方よね」
「……何か変だな。俺の知ってる羽留ちゃんはこういうタイプじゃなかった」
「どんなふうに?」
「感情を表に出すタイプじゃなかった。それに、この筆跡、羽留ちゃんの字じゃない」
「えっ!……じゃ、誰?これを書いたのは」
「分からんが、そもそもおかしいよ。迷惑なら電話一本で済むことなのに、何でわざわざ手紙にした?」
「……ん。変だね」
「よしっ。明日も予約入ってないし、臨時休業にするか」
「えっ、何で?」
「この手紙の主を探るためだよ」
「で、どうするの?」
「山形に行くんだよ」
「キャー、カッコい~」
予期せぬ行弘の行動力に感激して、順子は絡めた自分の手を胸元に置いた。
「ばか。遊びに行くわけじゃないんだぞ」
「だって、旅行なんて初めてだもん」
「だから、旅行じゃないって言ってんの」
「はいはい、そうでした。ゲヘッ」
「こいつ、やっぱ旅行だと思ってるよ」
「思ってないって。さて、旅支度しよう」
順子はいそいそと腰を上げた。
「やっぱ、思ってるじゃん」
――新庄に着くと、駅前のビジネスホテルにチェックインした。本来なら実家に泊まるのが普通なのだろうが、すでに両親が他界している行弘には、帰る家がなかった。それは、順子もまた同じだった。似たような境遇の二人は、出会うべくして出会ったのかもしれない。
部屋に入ると、手紙の返事を寄越した女の正体を掴むため、行弘は早速、高志の自宅に電話をした。
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