献身的な女

紫 李鳥

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後編

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 興太郎は蓉子と暮らして一年になる。

「――最近、少し肥ったかな。愛妻の手料理が旨くて、食べ過ぎのきらいありか? ガッハッハッハ!」

 興太郎は豪快に笑うと、晩酌の日本酒を味わっていた。

「血圧が高めなんですから、肥満は大敵よ。お食事も腹八分になさらないと」

「分かっとるが、料理の上手い君のせいだ。ガッハッハッハ!」

「ま、私のせいにして。じゃ、もっと薄味にして、不味まずくしようかしら」

「それだけはやめてくれ。やっと塩分控えめ、出汁濃くの君の料理に慣れてきたんだから。何よりも食事が楽しみなんだから。なぁ?」

 興太郎の顔が引き攣ひきつった。

「はいはい」

「さて、寝る前に一風呂浴びるか」

「もー。その癖は一向に直りませんわね。食後の、ましてや酒を飲んだ直後の入浴は良くないのよ」

「理屈では分かっとるが、長年の習慣は簡単に直せんよ」

 興太郎はいつもの言い訳をすると、腰を上げた。

「……はあー」

 蓉子は説得を諦めると、長大息ちょうたいそくいた。



「――あれから一年以上が経つが、なんの変化もない。相変わらず、尽くしてくれるいい女房だ。わしは不能者だから満足させてやれんのに、愚痴一つこぼさん。……一連の事件は、本当に事故じゃなかったのか?」

「……そうですか。また何かあったら、逐一お願いします」

 興太郎からの電話に、柳生は意気消沈した。

 今回の間諜かんちょうは、知己ちきの一人である、独身だった古谷興太郎に持ち掛けた話だった。

 最初は二の足を踏んでいたが、蓉子に一目惚れした興太郎は、とんとん拍子に事を運んだのだった。

 柳生の中では、蓉子の計画殺人の疑惑は晴れていなかった。必ず尻尾を出す。……必ず。柳生は、自分の直感に賭けた。


 それから数ヶ月が過ぎた頃、興太郎から電話があった。

「――最近、様子が変なんだよ。口が酸っぱくなるほど運動や食事に注意してたのが、おくびにも出さないんだよ。……それに、なんか冷たいというか、よそよそしいというか……」

 ! ……やっぱりか。

 興太郎のその話で、柳生は、こう、推測した。

 計画では、そろそろ効果が現れるはずの興太郎の症状が、一向に変化を見せないことへの苛立ち。……次はどんな手を使うつもりだ、蓉子さん。


 それから間もなくしてだった。

「――突然、別れてくれと言われて……」

 しょんぼりしている興太郎の姿が電話の向こうに見えるようだった。興太郎の中では、少なからず蓉子が好意を持ってくれているという、微々たる自信があったに違いない。

 蓉子から告げられた言葉はこうだ。

「興太郎さんのことが好きだから結婚したけど、私も生身の女。……分かってくださるでしょう?」

 つまり、興太郎の不能を離婚の切り札にしたのだ。

 否、蓉子さん、そうじゃないだろう? 計画通りに興太郎が逝かなかったから別れるんだろ? 惚れてもない爺さんが元気じゃ困るよな? 1年に1人を殺ったとして、40になるまでには後5回の保険金が手に入る計算になるもんな?

 柳生は、腹の中で罵声を浴びせた。


 では、なぜ、今回に限って逝かなかったのか。

・高血圧
・塩分の摂り過ぎ
・早朝のランニング
・食後、飲酒直後の入浴
・脱衣所と浴室の温度差
・熱い風呂
・全身浴

 脳梗塞、心筋梗塞の条件は以上で揃っているはずだ。

 答えは簡単。柳生が興太郎に頼んでいたのだ。“振り”をしてくれるようにと。つまり、演技をしてもらったのだった。

・塩辛い食べ物
・早朝のランニング
・熱い風呂

 だが、蓉子の目を盗んで食卓塩をかけるのは一ヶ所だけ。例えば、レタスなら端の方に大量に振りかけ、食べ残しと混ぜる。

 早朝のランニングも、ウィンドブレーカーの中に厚着をして、近所をぶらっと歩くだけ。

 風呂も、温い湯に半身浴。出る時に熱湯を足す。そうすれば、後から入浴する蓉子は、興太郎が熱い風呂に入ったと思うだろう。

 この時も、興太郎がコソコソと食卓塩を振っている時も、蓉子はほくそ笑んでいたに違いない。保険金の金額を頭に浮かべながら。だが、蓉子は他の手段で興太郎を殺ることはせず、離婚という控えめな方法で幕を下ろした。

 結局、柳生は蓉子を挙げることができなかった。


「――わ、わたくしは妻を亡くして、早、5年。あ、あなたさまのような妻をめとらば才たけて~……どうか、文通からよろしく」

「うふふ……」



 蓉子はどこかでまた、カモを物色しているに違いない。



 完
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