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紅葉
しおりを挟むホテルに戻ると、裕子が心配そうに俺の顔を窺った。
「……どうでした?」
「認めました。後は自分で決めるだろ」
裕子は不安げに俯いた。
「悪かったな、嫌な思いをさせて」
裕子は首を横に振った。
俺は強引に裕子を引き寄せると、その唇を奪った。そして、微かに抵抗する裕子を抱き締めると、
「……あなたが好きです」
と、その耳元に囁いた。
裕子は無言で目を閉じると、力を抜いた体を委ねた。――
平湯に戻ると、その足で、荷物を手にした裕子を駅まで送った。
「……返事を待ってます」
「……手紙を書きます」
裕子はそう言って、駅のホームに消えた。
途端、俺の中に惰気のようなものが生じた。それは、裕子を失った空しさからだった。
宿に戻ると、玄関で待っていた親父が、一言《ひとこと》言った。
「……四十にして惑わずだ」
裕子からの手紙が届いたのは、それから、暫くしてだった。
《――何からお話しましょうか
凛で働いていた当時 私には故郷に子供がいました
相手は妻子のある人でした 結婚出来なくてもいいから愛する人の子を生みたかった
経済力を養うまで親に預かってもらうことにして 上京しました
毎月の養育費を送金するためにも 真面目に働くしかなかったのです
そして ある程度の蓄えが出来ると店を辞め 帰郷して子供と一緒に暮らしました
でも それから間もなくして 子供を病気で亡くしてしまいました
自暴自棄になり 子供の後を追うことも考えました でも子供の死を認めたくなくて そのことから逃れるように 再び上京しました
そんな時に 優しくしてくれたのが今の人でした 愛情などなかった 寂しかっただけ ただそれだけでした――
突如、蝉時雨が俺の鼓膜を襲った。
――私はそんな いい加減な人間なんです
一人じゃ何も出来ない いつも誰かに自分の人生を決めてもらうような 愚かな女です
今の人と別れたいと思っても 自分からは何も行動を起こせない
誰かが助けてくれるのを待っている そんな最低の人間です
だから 私はあなたに愛される資格なんかないんです 私のことは忘れてください さようなら》
蝉時雨は再び、轟音と化して俺の鼓膜を攻めた。
俺も手紙を書いた。
《――親父が死にました 心筋梗塞でした
部屋に飾っていたあなたの絵を独り占めするのは勿体ないと言って 今は食堂に飾っています
それと あの後芳枝が出頭しました
裕子さん 俺 あなたを待ってますから いつまでも》
紅葉に覆われた、その小さな宿からは包丁の音がしていた。玄関を開けると、真っ正面には黄唐茶色の額縁に入った、平湯大滝の絵が飾られていた。
「予約してないんですけど、泊まれますか?」
その声に、俺は目を丸くすると、ゆっくりと振り返った。そこには、秋色のコートに身を包んだ笑顔の裕子が、肩を窄《すぼ》めていた。俺は思わず駆け寄ると、その凍えた体を抱き締めた。
厨房の窓から紛れ込んだ二枚の紅葉が、桂剥きした大根の上に舞い落ちた。
完
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