6 / 7
憎しみ
しおりを挟むその古びた木造の平屋は、潮風で錆付いたかのような赤銅色をしていた。
「すいません!」
「はーい」
ガラス張りの引き戸を開けたのは、着古した青っぽいムームーを身に付けた女だった。障子の開いた奥には、蒲団の中から覗く、母親らしき顔があった。
「板倉芳子さんですね?」
芳枝の本名を言った。芳枝は俺の顔を見た途端、十五年前の記憶が甦ったのか、目を見開いた。そして、覚悟したかのように項垂れた。四十は過ぎているであろうその容姿は衰え、華やかな世界で羽ばたいていた蝶の面影は、微塵も無かった。
隣家との隙間から見える海辺に場所を移した。穏やかな波音が耳朶に心地よかった。俺は浜昼顔の砂山に腰を下ろすと、煙草を喫んだ。
芳枝は俺から少し距離を置くと、両膝を抱えた。
「飛鳥を殺したのはあなたですね?」
「……はい」
小声で答えると、俯いた。
「多恵が、アリバイ証言をしてくれたわけですね?」
「ええ。……でも、今頃になってどうして分かったんですか?」
芳枝が腑に落ちない顔を向けた。
「……爪のお陰かな」
「……爪?」
芳枝には意味が分からないようだった。
「ある人が言ってましたよ、故郷に居る病気の親御《おやご》さんのために頑張ってたって。辛いことも我慢してたって。人を殺したら、折角のそんな努力も水の泡じゃないですか」
「うわあーーーっ!」
突然、芳枝が声を上げて泣いた。
「……憎かったんです、飛鳥が。高慢で無神経な飛鳥が。……あの夜、店から帰る途中、風邪で店を休んでいた飛鳥に公衆電話から電話しました。
『医者から貰った即効性のある風邪薬があるから、今から持って行く。寝てていいから、ドアの鍵を開けといて。薬を置いたら直ぐ帰るから』
そう言って、急いで帰宅しました。Gパンに着替えると黒の野球帽を目深に被り、伊達メガネを掛けて変装すると、黒いジャンパーに革の手袋と黒いビニール袋を突っ込み、何度か遊びに行ったことがある、徒歩十五分ほどの飛鳥のマンションに向かいました。
手袋をして、ゆっくりとドアノブを回しました。開いたドアから覗くと、飛鳥がベッドで寝てました。忍び足でベッドに近づき、仰向けの飛鳥に跨がると何の躊躇もなく、ビニール袋を飛鳥の寝顔に被せ、力一杯、口と鼻を押さえました。足をバタバタさせていた飛鳥は程なく、動かなくなりました。
『……あすか? ……あすか?』
名前を呼んでも返事がありませんでした。私は、ベッドから飛び下りると同時にビニール袋を掴み、箪笥の引き出しから衣類を引っ張り出して強盗に見せ掛けると、大急ぎでマンションを出ました。そして、アリバイを多恵に頼みました。
“報酬は毎月十万、死ぬまで”
それが多恵の請求額でした。月十万なら確実に払える額だと判断したのでしょう。現在はビルの清掃と近所のスーパーで働いて、今も多恵に払い続けています。……これでやっと払わないで済む」
芳枝は重い荷を下ろしたかのように、肩の力を抜いた。そして、その横顔には安堵の笑みを浮かべていた。
「時効まで何日も無い。決めるのは、あなただ」
砂山に煙草を突っ込むと、腰を上げた。
「……はい」
芳枝はゆっくりと頷いた。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
支配するなにか
結城時朗
ミステリー
ある日突然、乖離性同一性障害を併発した女性・麻衣
麻衣の性格の他に、凶悪な男がいた(カイ)と名乗る別人格。
アイドルグループに所属している麻衣は、仕事を休み始める。
不思議に思ったマネージャーの村尾宏太は気になり
麻衣の家に尋ねるが・・・
麻衣:とあるアイドルグループの代表とも言える人物。
突然、別の人格が支配しようとしてくる。
病名「解離性同一性障害」 わかっている性格は、
凶悪な男のみ。
西野:元国民的アイドルグループのメンバー。
麻衣とは、プライベートでも親しい仲。
麻衣の別人格をたまたま目撃する
村尾宏太:麻衣のマネージャー
麻衣の別人格である、凶悪な男:カイに
殺されてしまう。
治療に行こうと麻衣を病院へ送る最中だった
西田〇〇:村尾宏太殺害事件の捜査に当たる捜一の刑事。
犯人は、麻衣という所まで突き止めるが
確定的なものに出会わなく、頭を抱えて
いる。
カイ :麻衣の中にいる別人格の人
性別は男。一連の事件も全てカイによる犯行。
堀:麻衣の所属するアイドルグループの人気メンバー。
麻衣の様子に怪しさを感じ、事件へと首を突っ込んでいく・・・
※刑事の西田〇〇は、読者のあなたが演じている気分で読んで頂ければ幸いです。
どうしても浮かばなければ、下記を参照してください。
物語の登場人物のイメージ的なのは
麻衣=白石麻衣さん
西野=西野七瀬さん
村尾宏太=石黒英雄さん
西田〇〇=安田顕さん
管理官=緋田康人さん(半沢直樹で机バンバン叩く人)
名前の後ろに来るアルファベットの意味は以下の通りです。
M=モノローグ (心の声など)
N=ナレーション
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ランネイケッド
パープルエッグ
ミステリー
ある朝、バス停で高校生の翆がいつものように音楽を聴きながらバスを待っていると下着姿の若い女性が走ってきて翠にしがみついてきた。
突然の出来事に唖然とする翆だが下着姿の女性は翠の腰元にしがみついたまま地面にひざをつき今にも倒れそうになっていた。
女性の悲壮な顔がなんとも悩めかしくまるで自分を求めているような錯覚さえ覚える。
一体なにがあったというのだろうか?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
昭和レトロな歴史&怪奇ミステリー 凶刀エピタム
かものすけ
ミステリー
昭和四十年代を舞台に繰り広げられる歴史&怪奇物語。
高名なアイヌ言語学者の研究の後を継いだ若き研究者・佐藤礼三郎に次から次へ降りかかる事件と災難。
そしてある日持ち込まれた一通の手紙から、礼三郎はついに人生最大の危機に巻き込まれていくのだった。
謎のアイヌ美女、紐解かれる禁忌の物語伝承、恐るべき人喰い刀の正体とは?
果たして礼三郎は、全ての謎を解明し、生きて北の大地から生還できるのか。
北海道の寒村を舞台に繰り広げられる謎が謎呼ぶ幻想ミステリーをどうぞ。
さんざめく左手 ― よろず屋・月翔 散冴 ―
流々(るる)
ミステリー
【この男の冷たい左手が胸騒ぎを呼び寄せる。アウトローなヒーロー、登場】
どんな依頼でもお受けします。それがあなたにとっての正義なら
企業が表向きには処理できない事案を引き受けるという「よろず屋」月翔 散冴(つきかけ さんざ)。ある依頼をきっかけに大きな渦へと巻き込まれていく。彼にとっての正義とは。
サスペンスあり、ハードボイルドあり、ミステリーありの痛快エンターテイメント!
※さんざめく:さざめく=胸騒ぎがする(精選版 日本国語大辞典より)、の音変化。
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる