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事件
しおりを挟む深刻な顔つきの俺を、親父が不思議そうに目で追っていた。
……綺麗な爪……いつもハンカチの上に載せていた……
「あっ!」
親父が俺の声に驚いて、口に入れようとした胡瓜の漬物を箸から落とした。
「ああ、びっくりした。思い出したのか?」
「……ああ」
「で? 加害者か? 被害者か?」
「未解決事件の容疑者だ――」
「えー? 嘘だろ?」
――今から十五年前、歌舞伎町のクラブ『凛』のホステス、飛鳥、当時二十四歳が自分の部屋のベッドの上で殺されていた。死因は窒息死。物色された形跡により、強盗殺人と断定。
鍵が掛かってなかったため、容疑者は客や従業員は素より、出前の蕎麦屋から新聞配達まで他方に及んだ。調べ尽くしたが、結局、真犯人を挙げることができず、迷宮入りになった。
だが、一人だけ、疑わしい人間がいた。それが、鈴木裕子、当時二十三歳だった。裕子は飛鳥と同じ店で働いていたが、事件の翌日に、伸ばしていた爪を短く切っていたという証言があった。
爪が伸びていたら指先に力が入らない。人を殺すには、爪を切る必要があった。……裕子に疑いを持ったのは、そういう理由からだった。
当時、その事件の担当をしていた俺が、店に聞き込みに行った時は、既に店を辞めた後だった。
裕子のアリバイは、壁の薄いアパートの隣人によって証明された。
〈ええ、その時間はいました。彼女、軽い咳をする癖があるんですけど、それも聞こえてたし、テレビの音も聞こえてました〉
だが、それらの音はタイマー操作の録音という可能性もある。
『凛』に再度、聞き込みに行った。
「その、裕子というホステスはどんなタイプですか?」
「そうね……飛鳥がバラなら、裕子はコスモスかしら。清潔感のある子でね、透明のマニキュアを塗った、程よい長さの爪を、綺麗にアイロンを掛けたハンカチの上に載せていた。
一年も働いているのに、初めてのお客さんから、新人さん?て聞かれるくらい、素人ぽかったわ。話上手というより、聞き上手だったわね。辞めて欲しくなかったけど、一か月前から決まってたから……」
白地の結城紬を着た、ママの眞弓が長大息《ちょうたいそく》を吐《つ》いた。
「……一月前から決まってたのか……写真はありますか?」
「ええ。竹山、十周年のときの写真、持ってきて」
「はい、ただいま」
ボトルを拭いていた支配人の竹山が振り向いた。
「……刑事さん、まさか、裕子を疑ってるんですか? もしそうなら、お門違いですよ」
眞弓が鼻で笑った。
「どうして?」
「彼女は、水商売という水中で泳ぐ魚ではないからです」
「…………」
「彼女には何か目標があった。だから、目立たないように、問題を起こさないように、無難を心掛けていた。つまり、水商売に執着しない人間は、夜の世界で溺れることはしないということです」
「ママ、ありました」
「ああ、これこれ」
竹山が持ってきた写真を俺に見せた。
「前列の右端の子。着物がよく似合ってるでしょ? 私の着物を上げたの」
確かに美人だったが、寂しそうな表情をしていた。――
――その時に裕子の顔を見ていたのだ。だが、余りにもイメージが違っていた。写真の裕子はどちらかというと、“陰”だが、実物の裕子は、“陽”だ。本質はどっちなんだ?
俺の相棒だった篠崎に、その事件の時の事情聴取のコピーをFAXで送るように頼んだ。
――果たして、篠崎からのFAXには、俺の記憶通り、鈴木裕子、とあった。……だが、仮に裕子が真犯人だとしたら、時効を目の前にして、なぜ、こんな人目のある温泉宿に現われたんだ?
裕子の書いた番号に電話をしてみた。
「……もしもし」
中年の男の声だった。
「あ、鈴木裕子さんはいらっしゃいますか?」
「どなた?」
男は無愛想なものの言い方だった。
「はぁ、油絵教室の者ですが」
「旅行に行ってますが、何か?」
「いえ、また、電話します」
裕子の電話番号であることは間違いなかった。だが、相手の男は何者だ?
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