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しおりを挟む勿論、振り込んでいないので、明細票など最初から無い。古川に会うための策略だった。古川とは何者なのか知りたかった。だから、容子は思い切ってチャイムを押した。
「はーい」
意外にも女の声だった。ドアを開けたのは、容子と同年輩の二十半ばだった。
「古川さんのお宅ですか?」
「はい」
「……児島と言いますが、ここに来るように言われて」
「あ、兄から話は聞いています。画家さんでしょう?」
「え?……ま」
パステル画で一度受賞しただけだが、“画家”と言われて、容子は悪い気はしなかった。
「兄は急用で出掛けてますが、そろそろ帰りますので、どうぞ、中でお待ちください」
画家と呼ばれて気を良くした容子は、相手が女ということもあって、躊躇いは無かった。
六畳ほどの部屋に上がると、開いた窓から入る風が、白いレースのカーテンを揺らしていた。
「あ、窓際に座ってください。涼しいので。アイスコーヒーと麦茶、どちらにします?」
「じゃ、アイスコーヒーで」
ガラスのテーブルに載った白いレースのクロスが、涼やかさを演出していた。洋服タンスとファンシーケース、その横にはテレビと電話機が載ったサイドボードがあるだけの、シンプルでスッキリした部屋だった。
「ごめんなさいね、驚かせて」
女が台所から振り向いて言った。
「えっ?」
「サプライズだったんです」
女がコーヒーが入ったグラスを2つ、盆に載せてきた。
「……サプライズ?」
「え。どうぞ」
容子の前にグラスを置いた。
「実は、兄はあなたのファンなんです」
「えっ?」
予想外の展開に、容子は狐につままれた気分だった。
「あんな素敵な絵を描くあなたに会いたいと言ってました。でも、知らない人間に会ってくれるはずもなく。だから、せめて、あなたの声だけでも聞きたい。そう言ってました」
「……そうだったんですか」
脅迫状は、私に会うための手段だったのか、と容子は思った。
「でも、こうやって来ていただいて、兄も喜びますわ。きっと」
女が笑顔を向けた。それに応えるように、容子も微笑んだ。
女から話を聞いているうちに、容子は眠気に襲われた。――
「――そろそろ、睡眠薬が効いてきたみたいね」
女の声が聞こえていた。
「あんたが盗んだスケッチブックは、私の恋人、古川達弘のもの。古川が死んだのは、病院に運ばれた後。つまり、スケッチブックを盗んだ時点で救急車を呼んでいたら、古川は助かってた。あんたが殺したのよ。脅迫状も公衆電話から電話したのも私。あんたを陥れたかった。あんたが受賞したパステル画は、紛れもなく古川の作品よ!泥棒っ!」
薄れていく意識の中で、幽かに容子に聞こえていたのは、女の怒鳴り声だった。――
数ヶ月が過ぎた頃、新人彫刻家、吉田晃菜の授賞式が行われていた。
「受賞の喜びをどなたに伝えたいですか?」
「……今は亡き、恋人だった古川達弘さんに捧げたいと思います」
晃菜はそう言って、目頭を押さえた。
受賞した、『眠る女』という実物大の裸婦像は、まるで生きているかのようにリアルで、今にも動き出しそうな迫力があった。
一方、容子の行方は未だに分からなかった。
完
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