下駄

紫 李鳥

文字の大きさ
上 下
8 / 8

しおりを挟む
 

「井川、行くぞ」

「はいっ!」

 井川がクリーニングから出したばかりのコートを手にした。


 森崎の家に行くと、黒いビニール袋を、ソファの横に置いていた。

「どういうことですか」

 山根が訊いた。

「電話で言った通りですよ。刑事さんに電話するちょっと前、玄関のブザーが鳴ったんで行ってみたら、誰も居なくて、金が入ったこの袋があったんですよ。ビックリしたのなんのって」

 井川より後方に居た山根は、森崎の名演技に噴き出しそうになるのを堪えていた。

「で、メモか何かありましたか」

 井川の手前、山根は真剣な顔をした。

「あん、あ、いぇ」

 台本にはなかった山根の質問に森崎はあたふたしていた。それがまた可笑おかしくて、山根は噴き出しそうになった。

「で、金は全額戻ったんですか」

 山根が真面目な顔に戻した。

「はい。一千二百万、ピッタリありました」

「うむ……」

 山根は考える顔をすると、几帳面にメモを取っている井川を横目に、森崎と目を合わせてOKサインのジェスチャーをした。



「どう言うことですかね?」

 ハンドルを握った井川が腑に落ちない顔を向けた。

「うむ……。分からんが、金が戻って、本人も被害届を取り下げたんだ。事件解決と言うことになるだろ。打ち上げて呑むか?」

「そうですね」

 井川が白い歯を覗かせた。



 居酒屋で呑んで帰った山根は、上機嫌の酔漢すいかんだった。

「おーい。親父さん、金が戻ったそうだ」

 ネクタイを外しながら杏子に教えてやった。

「えっ?」

 杏子が訳の分からない顔を向けた。

「……自分の金を用意したんだろ。いいとこあるじゃないか。親父さんに感謝しろよ」

「フン、自分の不始末だもの、当然じゃない」

 冷たく吐き捨てた。

「そんな冷たいこと言うなよ。可哀相に。……ちょっとおいで」

 山根が手招きした。

「何よ?わっ、臭い」

 杏子が鼻をつまんで臭いを手で払った。

「キムチ鍋食べてきた」

「わっ、酒臭い。お腹の子も臭いって言ってるわ。ね、箪笥たんすに背広入れないでよ。他のに移るから」

 杏子は嫌な顔をして、寝室から出て行った。

「チェッ。あの頃の色気はどこに行ったのでせう・・……。“女は弱し、されど母は強し”か」

 山根は欠伸あくびをすると、布団に潜った。



 ――式は杏子の家で執り行われた。署長夫妻に仲人を頼むと、山根は井川を筆頭に数名の上司と同僚を招いた。杏子の方は、春代ら句会の会員を数名招いた。娘の晴れ舞台のために奮発したのか、森崎は真新しいスーツを着ていた。だが、それをひけらかすこともなく、壁際の座卓の隅で石仏せきぶつのようにじーっとして、時々、寿司や仕出し弁当を突っついていた。

「あれっ、森崎氏が居ますよ」

 酒で顔を赤くした井川が余計なことに気付いた。杏子と森崎が親子だと言うことは伏せていた。正直に喋って、わざわざ余計な邪推をさせる必要もない。

「ああ。女房が主な会員を招いたからな。だから、ほら、春代女史も居るだろ?」

 紋付袴もんつきはかまの山根はまるで、襲名披露しゅうめいひろうの親分みたいな貫禄かんろくを見せていた。

「……なるほど。どうりで知った顔があるわけだ」

 井川は納得すると、署長の女房と語らう角隠つのかくしに白無垢しろむくの杏子に顔を戻した。

「……綺麗ですね」

 つくづくと言った。

「……いつもああやって、おしとやかに角を隠してくれてるといいんだが……」

 山根が愚痴ぐちをこぼした。



 皆が帰った後、森崎だけが残り、寂しそうに升酒を傾けていた。そんな森崎に、杏子は声の一つも掛けてやらなかった。森崎はおもむろに腰を上げると、二人の前にやって来た。

「……ご結婚、おめでとうございます。……お幸せに」

 森崎は俯いたままで、頭を下げると、ゆっくりと背を向けた。

「……野菜をたくさん食べて。風邪予防になるから」

 杏子が森崎の背中に声を掛けた。森崎は足を止めると、背を向たままでお辞儀をした。

「……寝る前に、牛乳を飲むといいわ。骨を丈夫にするから」

 杏子の更なる言葉に、森崎は再びお辞儀をした。

「……子供が生まれたら、……連れて行くから」

 杏子は涙を溜めて、精一杯の言葉を掛けた。森崎はゆっくりと頭を下げると、客間を出ていった。憂いに沈んだ横顔の杏子を、山根は優しく抱き寄せた





 ――金太郎の腹掛けを手土産にした森崎が杏子の家に訪れたのは、青葉の頃だった。


 吾子あこ抱きて
 そっと手を添ふ
 野菊かな


 のちに山根が詠んだ句である。――








  完
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

真実の追及と正義の葛藤

etoshiyamakan
ミステリー
警視庁より出向の刑事とたびたび起こる事件の謎を同僚たちと・・・・・。

ミステリークイズ #172 ひなまつり

紅陽悠理
ミステリー
謎解きクイズをご覧頂きありがとうございます。回答編は3/7の7時に公開予定です。謎が解けたら感想にコメントください。ヒント希望のコメントも歓迎です。お待ちしてます!

支配するなにか

結城時朗
ミステリー
ある日突然、乖離性同一性障害を併発した女性・麻衣 麻衣の性格の他に、凶悪な男がいた(カイ)と名乗る別人格。 アイドルグループに所属している麻衣は、仕事を休み始める。 不思議に思ったマネージャーの村尾宏太は気になり 麻衣の家に尋ねるが・・・ 麻衣:とあるアイドルグループの代表とも言える人物。 突然、別の人格が支配しようとしてくる。 病名「解離性同一性障害」 わかっている性格は、 凶悪な男のみ。 西野:元国民的アイドルグループのメンバー。 麻衣とは、プライベートでも親しい仲。 麻衣の別人格をたまたま目撃する 村尾宏太:麻衣のマネージャー 麻衣の別人格である、凶悪な男:カイに 殺されてしまう。 治療に行こうと麻衣を病院へ送る最中だった 西田〇〇:村尾宏太殺害事件の捜査に当たる捜一の刑事。 犯人は、麻衣という所まで突き止めるが 確定的なものに出会わなく、頭を抱えて いる。 カイ :麻衣の中にいる別人格の人 性別は男。一連の事件も全てカイによる犯行。 堀:麻衣の所属するアイドルグループの人気メンバー。 麻衣の様子に怪しさを感じ、事件へと首を突っ込んでいく・・・ ※刑事の西田〇〇は、読者のあなたが演じている気分で読んで頂ければ幸いです。 どうしても浮かばなければ、下記を参照してください。 物語の登場人物のイメージ的なのは 麻衣=白石麻衣さん 西野=西野七瀬さん 村尾宏太=石黒英雄さん 西田〇〇=安田顕さん 管理官=緋田康人さん(半沢直樹で机バンバン叩く人) 名前の後ろに来るアルファベットの意味は以下の通りです。 M=モノローグ (心の声など) N=ナレーション

紙の本のカバーをめくりたい話

みぅら
ミステリー
紙の本のカバーをめくろうとしたら、見ず知らずの人に「その本、カバーをめくらない方がいいですよ」と制止されて、モヤモヤしながら本を読む話。 男性向けでも女性向けでもありません。 カテゴリにその他がなかったのでミステリーにしていますが、全然ミステリーではありません。

問題の時間

紫 李鳥
ミステリー
オリジナルのクイズ・パズル・なぞなぞ、とんちなどで頭の体操♪ミステリアスなクイズもあります。 ※正解は、次回の末尾にあります。

時の呪縛

葉羽
ミステリー
山間の孤立した村にある古びた時計塔。かつてこの村は繁栄していたが、失踪事件が連続して発生したことで、村人たちは恐れを抱き、時計塔は放置されたままとなった。17歳の天才高校生・神藤葉羽は、友人に誘われてこの村を訪れることになる。そこで彼は、幼馴染の望月彩由美と共に、村の秘密に迫ることになる。 葉羽と彩由美は、失踪事件に関する不気味な噂を耳にし、時計塔に隠された真実を解明しようとする。しかし、時計塔の内部には、過去の記憶を呼び起こす仕掛けが待ち受けていた。彼らは、時間が歪み、過去の失踪者たちの幻影に直面する中で、次第に自らの心の奥底に潜む恐怖と向き合わせることになる。 果たして、彼らは村の呪いを解き明かし、失踪事件の真相に辿り着けるのか?そして、彼らの友情と恋心は試される。緊迫感あふれる謎解きと心理的恐怖が交錯する本格推理小説。

【完結】Amnesia(アムネシア)~カフェ「時遊館」に現れた美しい青年は記憶を失っていた~

紫紺
ミステリー
郊外の人気カフェ、『時游館』のマスター航留は、ある日美しい青年と出会う。彼は自分が誰かも全て忘れてしまう記憶喪失を患っていた。 行きがかり上、面倒を見ることになったのが……。 ※「Amnesia」は医学用語で、一般的には「記憶喪失」のことを指します。

この満ち足りた匣庭の中で 二章―Moon of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
それこそが、赤い満月へと至るのだろうか―― 『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。 更なる発展を掲げ、電波塔計画が進められ……そして二〇一二年の八月、地図から消えた街。 鬼の伝承に浸食されていく混沌の街で、再び二週間の物語は幕を開ける。 古くより伝えられてきた、赤い満月が昇るその夜まで。 オートマティスム、鬼封じの池、『八〇二』の数字。 ムーンスパロー、周波数帯、デリンジャー現象。 ブラッドムーン、潮汐力、盈虧院……。 ほら、また頭の中に響いてくる鬼の声。 逃れられない惨劇へ向けて、私たちはただ日々を重ねていく――。 出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io

処理中です...