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しおりを挟む「できましたか?」
タイミングよく、杏子が戻ってきた。
「……どうにか」
山根は苦心の片鱗を見せた。
杏子は最初の句を詠んで噴き出したが、他の二句では真剣な顔をしていた。それには、
百合の花 ラッパみたいに 口広げ
白百合や 黄色き花粉 落ちにけり
白百合に 愛しき人を 重ねけり
と、あった。
「この、二番目の句には切れ字が二つあるわ。だから、どちらか一つを省いた方がいいわね。例えば、
白百合の 黄色き花粉 落ちにけり
もしくは、
白百合や 黄色き花粉 落しをり
とか。……でも、この最後の句はとてもいいですね」
と、杏子が褒めた。
「はぁ、ありがとうございます」
山根が素直に礼を述べた。
「お仕事は、今日は終わりですか」
「……ええ」
「じゃ、奥様の手料理がお待ちね」
「いぇ、独身です」
「まあ、失礼しました」
「先生は?」
「その、先生はやめてください。刑事さんと同じ独身です」
「その、刑事さんはやめてください」
「……プッ、ふっふっふっ」
杏子が噴き出すと、山根も笑った。
「ハッハッハ……」
「よかったら、食事を一緒にいかがですか」
それは、思いがけない誘いだった。
「えっ、いいんですか」
「ええ。一人で食べても美味しくないし。これを切っ掛けにこれからもよろしくお願いします」
「では、遠慮なく」
杏子の好意を素直に受けた。
客間に案内すると、サイドボードからガラスの灰皿を出した。
「吸われるんでしょ?煙草」
確認するようにそう言って山根を見ると、テレビを点けて出て行った。――
……この厚待遇は一体何だ?俺が刑事だから特別扱いしてるのか?……これを切っ掛けによろしく、とはどう言う意味だ?
次から次に料理が運ばれ、酒も付いてきた。宛ら、接待を受ける時の、高級料亭で味わう酒池肉林と言った具合だった。
杏子の酌で飲む酒は旨かった。別れた女房も器量は悪くなかったが、杏子ほどの色気は持ち合わせてなかった。
――頬をピンクに染めた杏子が、立ち上がった途端、山根の膝元によろめいた。
「おっと」
華奢な体を受け止めてやった。わざとらしい杏子の倒れ方に何か意図的なものを感じながらも山根はそんな杏子と見つめ合った。やがて、杏子の潤んだ唇が山根を求めてきた。――
翌日から、杏子の家が自宅になった。会員になりきって堂々と玄関から入ると、草臥れた背広を杏子に手渡した。
一方、捜査の方は進展がなかった。もう一度、最初からやり直すつもりで、山根は一人、春代宅に出向いた。
「あれから、何か思い出したこととか、何か変わったことはありませんか」
「うむ……。これと言って、特にありませんね。主人が少し痩せたぐらいですかね。ガンじゃなきゃいいんですけどね。……“餅ほどの亭主残せし遺産かな”なんちゃって」
「!……俳句をやるんですか」
山根は吃驚した。
「……ええ。以前少し。そこの〈撫子〉で。でも、ちょっとあって、辞めたんです」
「ちょっと、って?」
山根は早口で訊いた。
「……私、見ちゃったんです」
「何を?」
山根は興奮した。
「森崎さんが俳句の先生を口説いてるのを」
「!……」
「先生は嫌がってましたけどね。それを見てから行きづらくなって……」
杏子と森崎が繋ってしまった。
「森崎さんも俳句を?」
「ええ。最初の頃いましたよ。でも、あの人の目的は俳句じゃなくて、先生だったみたい」
「……」
山根はその足で杏子の家に向った。――帰りの早い山根から背広を脱がそうとした杏子の手を、山根は無言で払った。
「……あなたっ」
杏子が目を丸くした。
「どうして、森崎のことを言わなかった」
居間で胡座をかいた山根は煙草を吹かした。
「……森崎さんの何を?」
杏子は、山根の怒っている理由が分からなかった。
「会員だったんだろ?」
「ええ」
「アイツと何があったんだ」
「何もないわよ」
「だったら、ここに証人を連れてこようか」
山根は杏子の腕を掴んだ。
「痛っ」
「正直に言え、何があった」
「何もないわ。信じて。……あなた」
杏子は、訴えるような縋る目を山根に向けた。山根は強引に杏子の唇を奪った。――この瞬間、杏子に惚れてしまったことを山根はまざまざと思い知らされた。
一度、署に戻った山根は帰途、森崎宅に立ち寄った。高利貸しをやってる割には、通された応接間には高価な調度品はなかった。合成皮革のソファに腰を下ろすと、ミシミシと木工の接着剤が剥れるような音がした。
「突然ですが、広田杏子を知ってますか」
山根は大きく股を開くと、前屈みになり、煙草を一本抜いた。
「……キョウコ?ああ、俳句の先生」
森崎にわざとらしさが窺えた。
「あの人を口説いてたそうですね」
森崎を睨み付けた。
「……ああ。プロポーズをね」
「プロポーズ?」
「ええ」
「で?」
「いゃ、見事にフラれましたよ。ハッハッハッ……」
森崎は高笑いをした。
「ところで、話は変わりますが、強盗は間違いなく男でしたか」
「ええ。間違いなく男です」
森崎は断言した。
「犯人はマスクをしていた。そうでしたよね?」
「……ええ。してました」
「マスクをすれば、声はこもる。マスクをして声を殺せば男の声に聞こえないこともない。女の可能性はないですか」
「はぁ?どうしてまた」
「犯人が杏子という可能性は?」
「……ない」
「どうして、そう、はっきり言えるんですか」
「……臭いが。汗臭い作業員のような臭いが」
森崎のその言葉は万八だと、山根は直感した。
「ほぉ、臭いですか?臭いは物証に値しませんからね?本人しか知り得ない証拠という訳だ」
「……」
……どうして、ここまで杏子を庇う?やはり、二人の間には何かあったのでは……。山根はまた、邪推した。
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