1 / 3
1
しおりを挟む岩城聡は、強盗殺人の容疑で内藤忠嗣を追っていた。忠嗣には傷害事件の前歴があり、犯行現場に残されていた指紋から特定するのは容易だった。
当時の現住所になっていた熱海の実家にやって来た岩城は、表札の〈内藤〉を確認すると、塩害で錆び付いたような木造の二階建ての玄関チャイムを押した。出てきたのはその古い佇まいに不釣り合いの派手な顔立ちの女だった。
「どなた?」
訝しげな目を向けた。
「……内藤忠嗣さんの実家でしょうか」
岩城は警察手帳を女の視線に合わせた。
「えぇ、そうですが」
四十前後だろうか、女は赤い唇をすぼめた。
「失礼ですが、内藤忠嗣さんとの関係は?」
「俗に言う、継母です」
薄ら笑いを浮かべた。
「……息子さんはいらっしゃいますか」
「忠嗣は高校を卒業してすぐに家を出ました。電話はたまにありますが、電話番号も住所も教えてくれなくて。忠嗣が何か?」
「……殺人の容疑です」
「えっ! 殺人?」
女はアイラインとマスカラで輪郭を整えた目を見開いた。
「中へどうぞ」
玄関先で話すような類いではないと判断したのか、女は急いで家に入れた。客間らしき六畳間に通すと、押し入れから座布団を出した。
「どう言うことでしょ?」
女は岩城と座卓を挟んだ。
「新聞は読んでませんか」
「えぇ。主人が亡くなってからは購読は止めました。それに、この数日忙がしくてテレビのニュースを見る時間もなくて。……で、殺人て?」
「一昨日の未明、新宿のアパートで女子大生の遺体が発見されたんです。ドアノブに付着していた指紋から、息子さんが関わっていると断定し、こうやって来た訳です」
概要を語った岩城は、一息ついた感で背広のポケットから煙草を出した。
「……だからと言って忠嗣が真犯人とは限りませんよね」
女は征服したような表情を向けた。
「えっ?」
岩城はライターを持った手を下ろした。
「だって、そうじゃありませんか。その女子大生と付き合っていたかもしれないし、じゃないとしても、強盗に入ったのは忠嗣かもしれないけど、殺しは別の人間という可能性もありますよね」
女の言うことは理に適っていた。
「……」
「指紋の一致と前歴だけで忠嗣を真犯人にするには早計ではないですか? それに、中学の時に同級生と喧嘩して、相手に怪我をさせてますが、相手も非を認めて示談で解決しています。それなのに、真犯人扱いですか?」
逆に取り調べられているようで、岩城は顔を上げられなかった。
「……ですから、あくまでも重要参考人としてーー」
「あら、さっきは容疑者だと仰ってましたよ」
「……」
「とにかく、慎重に捜査してください。乱暴されたのなら精液検査や、その女子大生の交友関係も徹底的に調べてください。すいませんけど、これから仕事なんで」
それは、“早く帰れ”を婉曲に言っていた。岩城は急いで陶器の灰皿に煙草を揉み消すと腰を上げた。
「あ、お名前を」
思い付いたように発した。
「……あずさ。内藤梓です」
そう答えた梓の眼は敵意に満ちていた。
梓に関心を持った岩城は、物陰に隠れると出てくるのを待った。暫くすると、粋に着こなした柿渋色の和服で出てきた。岩城は適度の間隔を空けると、薄暮に浮き上がった白い足袋を印象付けながら緩い坂を上る梓を尾けた。
芸者か? ホステスか? そんなことを考えていると、海沿いにある一軒の引き戸を開けた。
「おはようございます」
梓の声が聞こえた。苔色の暖簾には、〈小料理 千鳥〉とあった。暖簾の隙間から覗くと、板前らしき中年の男が晒し場で手を動かしていた。
……小料理屋で働いているのか。情報を得ると熱海を後にした。ーー新幹線の中で、梓の言ったことをメモしている時だった。岩城はあっと思った。
……待てよ。強盗の件も、暴行の件も梓には言っていない。なのにどうして知ってたんだ? つまり、新聞なりテレビのニュースなりで事件を知っていたことになる。いや、忠嗣本人の口から聞いた可能性もある。……梓という女、油断できないな。岩城はそう思いながら、駅の構内で買った〈天城峠の釜飯〉の蓋を開けた。ーー
岩城は署に戻ると、“現場百遍”を試みた。というのも、梓の言葉が引っ掛かっていた。
・忠嗣が被害者の交際相手だった可能性。
・財布を盗んだだけで、殺害はしていない。
・独り合点で忠嗣を犯人だと断定した。
確かに、指紋から前歴のある忠嗣を犯人だと決めつけていた。仮に真犯人が別にいるとしたら……。岩城は被害者の交友関係を洗い直した。すると、その中の一人に当日のアリバイがない男が出現した。その男は被害者と頻繁に会っているのを目撃されていた。
取り調べた結果、簡単に犯行を認めた。動機は別れ話のもつれで、言い争っているうちにカーッとなって首を絞めてしまった。行きずりの犯行に見せかけるためにバッグから財布を盗んだとのことだった。
真犯人を挙げた岩城はほっとした。まかり間違って忠嗣を逮捕していたら冤罪事件になるところだった。岩城は胸を撫で下ろすと、苦言を呈してそれを阻止してくれた梓に感謝をした。すると突然、梓に会いたくなった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
カフェ・シュガーパインの事件簿
山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。
個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。
だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。
かれん
青木ぬかり
ミステリー
「これ……いったい何が目的なの?」
18歳の女の子が大学の危機に立ち向かう物語です。
※とても長いため、本編とは別に前半のあらすじ「忙しい人のためのかれん」を公開してますので、ぜひ。
探偵注文所
八雲 銀次郎
ミステリー
ここは、都内某所にある、ビルの地下二階。
この階に来るには、エレベーターでは来ることはできず、階段で降りる他ない。
ほとんどのスペースはシャッターが閉まり、テナント募集の紙が貼られていた。
しかし、その一角にまだ日の高いうちから、煌々とネオンの看板が光っている場所が存在する。
『ホームズ』看板にはそう書かれていた。
これだけだと、バーなのかスナックなのか、はたまた喫茶店なのかわからない。
もしかしたら、探偵事務所かも…
扉を開けるそのときまで、真実は閉ざされ続ける。
次話公開時間:毎週水・金曜日朝9:00
本職都合のため、急遽予定が変更されたり、休載する場合もあります。
同時期連載中の『レトロな事件簿』と世界観を共有しています。
友よ、お前は何故死んだのか?
河内三比呂
ミステリー
「僕は、近いうちに死ぬかもしれない」
幼い頃からの悪友であり親友である久川洋壱(くがわよういち)から突如告げられた不穏な言葉に、私立探偵を営む進藤識(しんどうしき)は困惑し嫌な予感を覚えつつもつい流してしまう。
だが……しばらく経った頃、仕事終わりの識のもとへ連絡が入る。
それは洋壱の死の報せであった。
朝倉康平(あさくらこうへい)刑事から事情を訊かれた識はそこで洋壱の死が不可解である事、そして自分宛の手紙が発見された事を伝えられる。
悲しみの最中、朝倉から提案をされる。
──それは、捜査協力の要請。
ただの民間人である自分に何ができるのか?悩みながらも承諾した識は、朝倉とともに洋壱の死の真相を探る事になる。
──果たして、洋壱の死の真相とは一体……?
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
舞姫【後編】
友秋
ミステリー
天涯孤独の少女は、夜の歓楽街で二人の男に拾われた。
三人の運命を変えた過去の事故と事件。
彼らには思いもかけない縁(えにし)があった。
巨大財閥を起点とする親と子の遺恨が幾多の歯車となる。
誰が幸せを掴むのか。
•剣崎星児
29歳。故郷を大火の家族も何もかもを失い、夜の街で強く生きてきた。
•兵藤保
28歳。星児の幼馴染。同じく、実姉以外の家族を失った。明晰な頭脳を持って星児の抱く野望と復讐の計画をサポートしてきた。
•津田みちる
20歳。両親を事故で亡くし孤児となり、夜の街を彷徨っていた16歳の時、星児と保に拾われ、ストリップダンサーとなる。
•桑名麗子
保の姉。星児の彼女で、ストリップ劇場香蘭の元ダンサー。みちるの師匠。
•津田(郡司)武
星児と保の故郷を残忍な形で消した男。星児と保は復讐の為に追う。
ファクト ~真実~
華ノ月
ミステリー
主人公、水無月 奏(みなづき かなで)はひょんな事件から警察の特殊捜査官に任命される。
そして、同じ特殊捜査班である、透(とおる)、紅蓮(ぐれん)、槙(しん)、そして、室長の冴子(さえこ)と共に、事件の「真実」を暴き出す。
その事件がなぜ起こったのか?
本当の「悪」は誰なのか?
そして、その事件と別で最終章に繋がるある真実……。
こちらは全部で第七章で構成されています。第七章が最終章となりますので、どうぞ、最後までお読みいただけると嬉しいです!
よろしくお願いいたしますm(__)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる