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しおりを挟む片町まで出ると、時間潰しにウインドーショッピングをした。恋をすると、女はどうしてファッションに興味を持つのだろう……。欲しいものがあるとワクワクする。柊子は恋する乙女の気分だった。
少し遅れて行くと、柊子に気付いた窓際の卓也が慌てて煙草を消していた。
「お呼び立てして申し訳ありません」
卓也が立って会釈をした。
「私のほうこそ、遅れて申し訳ありません」
頭を下げた。
「あ、いいえ。今日も素敵なお召し物で」
腰を下ろしながら卓也が見とれた。
「ありがとうございます。あ、コーヒーを」
コップを置いたウエイトレスに注文した。
「――それはいわゆる絞りというものですか」
卓也が素朴な質問をした。
「ええ。絞りの一種で、“総鹿の子”と言います」
「いやぁ、素敵だ。お似合いです」
「ありがとうございます」
柊子は恥ずかしそうに俯いた。
「おまちどおさまです」
ウエイトレスが置いたコーヒーカップに目をやりながら、卓也の熱い視線を感じていた。
「お食事でもいかがですか」
それは予期せぬ誘いだった。
「……よろしいんですか」
「ぜひ、お願いします。ご足労いただいたほんのお礼です」
「では、お言葉に甘えて」
「よろしいですか」
煙草を持った卓也が喫煙の許可を求めた。
「ええ、どうぞ」
「話は変わりますが、ゴルフはしますか」
「……ええ。以前、少し」
東京にいた頃、付き合っていた男に連れられて、何度かプレーしたことがあった。
「じゃ、ぜひ今度行きませんか」
「ええ。教えてください」
カップに口を当てた。
「どのぐらいで回られるんですか」
「恥ずかしいわ。60ぐらいです」
「えっ! ラウンドで?」
わざとらしく驚いた顔をした。
「もう、意地悪ね。ハーフですわ」
拗ねてみせた。
「でも、女性はそのぐらいでいいですよ。あまり巧いとやりづらい」
「小山内さんは?」
「僕も偉そうなことは言えなくて、44~5ぐらい。まぁ、アベレージゴルファーかな」
「わぁ、スゴい」
「いやいや。どうせならシングルを狙わなきゃ」
「期待してますわ」
「はい、頑張ります」
二人は目を合わせて笑った。
「あ、じゃ、そろそろ行きましょうか」
思い出したように言うと、煙草を消した。
店を出て路地に入ると、運転手が乗った濃紺のベンツが駐まっていた。運転手を待たせていたなんて考えもしなかった柊子は、運転手に申し訳ないと思った。
初老の運転手は急いで車から降りると、後部座席のドアを開けた。卓也は柊子を奥に乗せると、自動車電話のボタンを押した。
「あ、小山内ですけど、女将いる? ――はいはい。――あ、小山内です。――ハハハ……。すいませんね、息子のほうで。二名で今から行きますので、――はい、よろしく」
電話を切ると、
「〈若槻〉に行ってくれ」
と、運転手に指示した。
「はい、かしこまりました」
「和食ですが、いいですか」
車窓を見ていた柊子に訊いた。
「ええ。お任せします」
卓也に顔を戻した。
「あなたをがっかりさせることはしませんから」
柊子に向けた卓也の目は自信に溢れていた。
五分ぐらいで、老舗料亭の〈若槻〉に着いた。格子戸を抜けると小さな庭があって、そこから入り口まで敷石が続いていた。廊下の隅には九谷焼の花器が置いてあり、紫色の牡丹が活けてあった。
仲居に案内されたのは、中庭が見える離れの座敷だった。座布団に挟まれた座卓には、所狭しと餐が並んでいた。仲居が運んできた銚子で二人が差しつ差されつ呑んでいると、女将が挨拶にやって来た。
「失礼する。こりゃまぁ、お坊っちゃま。ようおいでくださった」
深々と三つ指をついた。五十半ばだろうか、鴬色の付け下げに金色の帯をした身形には、いかにも女将の貫禄が窺えた。
「その、お坊っちゃまは、いい加減やめてくれないかな。三十過ぎた男にお坊っちゃまはないだろ?」
「ぷっ」
柊子が失笑した。
「ほら、笑われたじゃないか」
「あらま、こちらのお美しい方は?」
「あ、紹介するよ。んと……」
卓也は、肝心な名前を訊くのを忘れていた。
「加藤柊子と申します」
お辞儀をした。
「これはこれは。ようまぁ、おいでくださった。まぁ、素敵なお召し物で」
「ありがとうございます」
「お坊っちゃまには、ご贔屓にしていただいとりまして。お父様の代からですさかい、もう、かれこれ――」
「女将、二人きりにしてくれないか」
針魚の昆布酒漬けを口に運びながら、女将を邪魔者扱いした。
「まぁ、これはこれは気が利きませんで。失礼いたしました。どうぞ、ごゆっくりと」
そう言って頭を下げると、雪見障子を閉めた。
「すいませんね、煩くて」
「ううん、そんなこと……」
「どうですか、味のほうは」
「ええ、とても美味しいです。この筍の煮物も、とても美味しいです」
「良かった」
「あっ、そうそう。お着物、渡すの忘れてました」
「後でいいですよ」
「でも、忘れちゃうといけないので」
膝を立てると、紙袋を卓也の傍に置いた。
「あ、どうも、ありがとう。おふくろ喜ぶな」
「親孝行なんですね」
「いや、プレゼントなんて滅多にしませんよ。還暦も兼ねてるから、いい機会だと思って」
手酌をした。
「そんな大切なお品を、うちのような小さな店で選んでいただいて、ありがとうございます」
「……どうして、あなたの店にしたと思いますか」
「……さあ」
首を傾げた。
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