1 / 6
1
しおりを挟む日本橋のデパートでマネキンをしていた柊子は、二年間交際していた妻子ある男を踏ん切るために退職して東京を離れると、姉の秀子が嫁いだ金沢に移り住んだ。
秀子の嫁ぎ先は呉服店で、加賀友禅や牛首紬などを取り扱っていた。片町から少し離れた通りに面した店は、〈きもの すゞ華〉と看板を掲げ、藍色の暖簾を出していた。柊子は呉服に関しての知識は大してなかったが、秀子からの要望もあり、販売経験を活かして店を手伝っていた。
それは、沈丁花が芳香を放つ頃だった。戸の開く音に顔を上げると、スーツ姿の男が目を合わせた。
「……いらっしゃいませ」
柊子が珍しいものでも見るかのような顔をしていると、
「あ、すいません。おふくろに誕生日のプレゼントをしたいのだが……」
男は、場違いの理由を簡潔に伝えると、困ったような顔を向けた。
「あ、はい。どうぞ、お掛けください」
小上がり畳に手を示した。
「袷でよろしいですか?」
正座すると、男を見た。
「その、あわせというのがどんなものか……」
「お母様、お誕生日は何月ですか?」
「来月です」
「それでしたら、まだ袷ですね」
男の年格好から母親の年齢を推測した柊子は腰を上げると、訪問着や小紋など五反ほどを手にした。
「加賀友禅や牛首紬などがございます」
それらを少し広げながら、男を瞥た。
「うむ……、どれもいいですけど、着物のことはよく分からなくて。すいませんが、あなたが選んでくれませんか」
柊子に助け舟を求めた。
「えっ? 私が選んでいいんですか」
予期せぬ事態に困惑した。
「ぜひ、お願いします」
少年のように照れる目を向けた。
「では……。お母様は普段からお着物は召されますか」
「ええ。ほとんど着物です」
「それじゃ、お目が肥えていらっしゃると思うので、これなんかいかがですか」
薄紫地に草花文様の反物を広げた。
「うむ……、いいなぁ」
男はその色柄に見とれていた。
「お仕立てはいかがいたしましょう」
「あ、お願いします」
「お誕生日は何日ですか」
「来月の十日です」
「十分に間に合います。おサイズですが、お母様の体型を教えていただけますか」
メモ用紙とボールペンを手にした。
「あなたより少しふっくらしてるかな」
男は柊子の帯辺りに目をやった。
「身長は?」
「このくらいかな」
男は自分の肩ほどに手を上げた。
「ぷっ」
その仕草が可笑しくて、柊子が噴いた。男の身長も分からないのに、腰を下ろした状態でこのぐらいと言われても見当が付くはずもない。
「あ、ちょっと降りてきてくれますか」
そう言って、男は腰を上げた。柊子は、奥でお得意様の社長夫人の接客をしている秀子と目を合わせると、小さく笑った。
三和土の隅に置いたサンダルを履いて男と並ぶと、壁にある姿見に映した。柊子は男の肩辺りだった。
「あ、同じぐらいですね、おふくろと」
男は、わざわざご足労を願うこともなかった、そんなニュアンスの言い回しだった。仕立て上がったら電話をくれるようにと、名刺を置いていった。
〈株式会社 小山内不動産
代表取締役
小山内卓也
Takuya Osanai
〒920-0981
石川県金沢市―
TEL
076―〉
柊子は、先刻の接客の時に無意識に卓也をチェックしていた。整髪料を付けていない手櫛の髪に、少し深爪気味の指先。そして、ネイビーの背広に、薄紅色のストライプのネクタイ……。柊子の好みのタイプだった。
――仕立て上がると、早速、卓也に電話をした。事務員らしき若い女に用件を伝えると、卓也に代わった。
「はい、小山内です」
卓也の低い声が耳に心地好かった。
「お忙しいところ、申し訳ございません」
「あ、いいえ」
「〈すゞ華〉呉服店です」
「あ、どうも」
「お着物、仕立て上がりました」
「そうですか。それじゃ、どうしようかな……。直接受け取りたいので、申し訳ありませんが、今日、会っていただけませんか」
「はい。どちらで」
「仕事は何時までですか」
「六時ですが」
「それじゃ、六時半に犀川大橋の近くにある〈ドリーム〉って喫茶店ご存じですか」
「はい」
「そこで待ってますので」
「はい、承知しました。それでは失礼します」
柊子の顔は知らず知らずに綻んでいた。
「……何、にやけてんの?」
奥から出てきた秀子が、受話器を置いた柊子を茶化した。
「別に……」
柊子の頬は緩んでいた。
「……気持ち悪い子ね」
「じゃ、行ってきまーす」
秀子から借りているラベンダー色の絞りを着ていた柊子は、薄紅色のショールを片手に掛けると、店の紙袋を提げた。
「行くって、どこへ」
「お客様にお届け物」
「……ははーん。この間のお客様ね」
「じゃあね。少し早いけど、このまま帰っていいでしょ?」
「いいけど、ちゃんと相手を見極めなさいよ。あんたは猪突猛進型なんだから」
「大きなお世話よ、子供じゃあるまいし。じゃあね」
口を尖らせると草履を履いた。
「あんたのことを思って――」
柊子は聞く耳持たずで出ていった。
「ったく、もう。人の言うことを聞かないんだから……」
秀子は反物を巻き取りながら呆れ顔をした。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
人違いラブレターに慣れていたので今回の手紙もスルーしたら、片思いしていた男の子に告白されました。この手紙が、間違いじゃないって本当ですか?
石河 翠
恋愛
クラス内に「ワタナベ」がふたりいるため、「可愛いほうのワタナベさん」宛のラブレターをしょっちゅう受け取ってしまう「そうじゃないほうのワタナベさん」こと主人公の「わたし」。
ある日「わたし」は下駄箱で、万年筆で丁寧に宛名を書いたラブレターを見つける。またかとがっかりした「わたし」は、その手紙をもうひとりの「ワタナベ」の下駄箱へ入れる。
ところが、その話を聞いた隣のクラスのサイトウくんは、「わたし」が驚くほど動揺してしまう。 実はその手紙は本当に彼女宛だったことが判明する。そしてその手紙を書いた「地味なほうのサイトウくん」にも大きな秘密があって……。
「真面目」以外にとりえがないと思っている「わたし」と、そんな彼女を見守るサイトウくんの少女マンガのような恋のおはなし。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しています。
扉絵は汐の音さまに描いていただきました。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる