狙われたシーズン

紫 李鳥

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 台風13号は、九州北部を直撃した。――


「はい。予約の電話はあったのですが、いらっしゃいませんでした」

 老舗旅館、〈静風〉の女将、狩野日斗美かのひとみは、聞き込みに来た藤堂とうどうに不可解な顔を向けた。

「本人からん電話ね?」

「と思います。金田猛かねだたけしやとおっしゃってましたから」

「一人ね?」

「いいえ。2名になってます」

 30代前半だろうか、深緑の付け下げに黄金色こがねいろの袋帯をした日斗美は、袖口から出した細い人差し指を予約者名簿に置いた。

 藤堂は、メモを取っている相棒の吉岡よしおかと目を合わせると、憮然ぶぜんとした。

「連絡先になってる携帯に電話したんですが、何度電話しても出なくて。――」


 猛威もういを振るった台風13号は、大きな爪痕を残し、死者2名、行方不明者3名を出した。

 3日後、〈静風〉から程近い土砂崩れを起こした山道から金田の遺体が発見された。死因は脳挫傷のうざしょう。崖から滑り落ちた時の傷と見られ、台風による事故死ということで決着した。

 だが、藤堂は納得していなかった。予約では二人となっていた。もう一人は誰だ?それに、台風が直撃しているのになぜ、わざわざ旅館まで歩きで行ったんだ?普通ならタクシーを使うか、もしくはキャンセルするはずだ。


 藤堂は、金田の身辺を調べることにした。元右翼の金田猛(42)は無職で、東京の町田に住んでいた。近所の話によると、挨拶どころか、ろくに口も利かなかったとのことだった。

「――なんだか、胡散臭うさんくさい人でしたよ。昼間からウロチョロしてて。目付きが怖くて、誰も近寄りませんよ」

 隣部屋の主婦は顔をしかめた。

「越してきたのは最近ですか?」

「いえ、2年近くになりますかしら。それまでは新宿に居たって聞きましたけど」

「一人住まいでしたか」

「住んでたのは一人でしたが、昼夜ひるよる構わず人の出入りがありましたね。何か悪い組織のアジトかしら、なんて主人と話してたんですよ」

「出入りするのは男だけ?」

「いえ、女の人も何人か居ました。昼間からいやらしい声がしてましたもん。ホステスか売春婦じゃないですかね」

「顔とか見ましたか」

「ええ、何度となく。私が知ってるのは4~5人ですかね。皆、20代の似たようなタイプで、派手な服に、きんきらきんのアクセサリーをチャラチャラさせてました」

(20代か……)

 見当をつけた回答ではなかったことに、藤堂は意気消沈した。


 藤堂は町田署と合流すると、金田の前住所の新宿に赴いた。――だが、聞き込みの結果は、町田での情報収集と然程さほどの違いはなかった。新宿のマンションを引き払ったのは、家賃滞納が理由の夜逃げだった。転居先がなぜ町田なのかは不明だった。また、生活費は情婦からのピンはねやパチンコ、麻雀や競馬などのギャンブルで稼いだ金を充てていたことが、金田をよく知るパチンコ店の店員からの情報で判明した。

 金田の関係者や、情婦とされる数名を取り調べたが、×日に九州に行った形跡はなかった。

 ……ったく、予約の連れというのは、女なのか男なのか?それと、金田の死は事故なのか事件なのか、どっちなんだ?

 折角上京したにもかかわらず徒労に終わった藤堂は、悔しがりながらも“殺し”とする刑事の勘を払拭ふっしょくできなかった。


 最初からやり直すつもりで、もう一遍、〈静風〉の女将から話を訊くことにした。

 日斗美は、【和服の似合う美人女将】という宣伝文句どおりに、前回同様、老舗の旅館に威厳とはなを添えていた。

 ところが、藤堂と目が合った途端、嫣然えんぜんとした表情から一変して、顔を強張こわばらせた。

 ……どうしたんだ?余裕綽々よゆうしゃくしゃくといった具合に、平然と受け答えをしていた前回とは別人のようだ。

 だが、日斗美はすぐに表情を変え、作り笑いをすると、お辞儀をした。


「――失礼ですが、こちらにいらっしゃる前はどちらに?」

 単刀直入に訊いた。

「新宿です。東京の」

 日斗美は覚悟を決めたかのように即答した。

「金田猛はご存じでしたか?」

「いいえ」

 日斗美は、瞬き一つない目で見た。その目はまるで、ボロを出すまいと、必死に踏ん張っているように見えた。

(日斗美は金田と面識がある)

 藤堂は直感した。

「新宿では何を?」

「歌舞伎町の〈アンジュ〉というクラブに勤めていました」

 明確に物を言う日斗美の、膝に載せた両手はギュッと握られていた。それはまるで、わずかでも力を抜くと震えてしまうことを知った上での身構えのように藤堂には思えた。

「当時のお住まいは?」

「大久保通りにある、〈コーポ星野〉です」

「こちらにいらしたのはいつですか」

「2年前です」

(!……2年前?金田がまだ新宿に居た頃だ。益々、金田との繋がりが濃厚になった。さて、どうする。もう一度上京して、日斗美の当時を調べるか……)

 藤堂は、硬直した日斗美の体をほぐしてやるかのように腰を上げた。途端、ホッと息を抜く音と共に、ドンと肩の荷を下ろす音が、テーブルを挟んだ日斗美の方から聞こえた気がした。

「あっ!台風の×日、何をなさってました?」

 藤堂は振り向き様に、鋭い眼光を放った。
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