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二人だけの、一日目

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「ん……」
レイは起きた。
寝ていた場所がベッドの上だったとはいえ、全身がだるく気分は最悪だ。
媚薬の効果もすっかり抜け、至って正気である。
気分に酔ってノリでシャツを脱いでしまったが、不思議と寒くはない。
上から何か掛けられている。
いつの間にかレイの体に掛けられていたのはデイレスが着ていたボロボロで所々赤い染みのあるロングコートだ。
彼が労ってしてくれたのだろうか。
しかし、そんなデイレスは寝ているのか気絶しているのかベッドからずり落ちて爆睡している。
髪色も黒色に戻っていた。
牙の生えていない口元からは血が擦れて滲んだ後がある。
あの夜にかいた汗、涙、その他様々な体液が滑り気を帯びてレイに嫌らしく絡み付いている。
寝起きでこれは最悪だ。
さっさとシャワー浴びて綺麗にしよう。
レイがコートを肩に羽織ったまま立ち上がる。
ハラリ
何かが落ちた。
「なんだこれ?」
レイが眠たい目をしばしばとさせる。
置き手紙だろうか。
流暢な文字で文章が長々と連ねられていた。
『村の件のことですが、烏丸堂の主が村潰しした本人に払わせろとのことだったので彼に金貨五十枚を渡しておいてください。あとこの惨状は見なかったことにします。取り敢えずお前は義弟の服を脱がせるな。理性を保て。ムドレー』
まさかムドレーがここに着ていたのか。
レイは顔を真っ青にする。
服を脱いだのは自分であるということは本人に言えないが、見なかったことにしてくれるのはありがたい。
今後は知らない振りをして会話しよう。
後にデイレスにも読んでくれるようテーブルの上に広げた紙を置いた。
「もう一枚ある?」
ベッドに置かれていたもう一つの二枚折りの紙を広げる。
『コートは俺があいつの身ぐるみ剥いで被せておいた。風邪ひくなよ。デイレスに嫌なことをされたら隠さず俺に言え。その時は俺があいつにしっかり説教する』
実に逞しい文面だが、頼れる長男感が凄い。
レイは微かにムドレーへの信頼を心の中で置きながら机の引き出しの中に仕舞った。
着替えは何にしようか。
タンスを開けてレイは熟考する。
ラフな格好ではいたいが、噛まれた傷口は妙に生々しく、あまり他人には見られたくないので首まで隠れるジャージを選ぶ。
その内側は適当に別のシャツでも着て済まそう。
後は下半身はパンツと短パンでいいだろう。
着替えを一式そろえたレイがシャワー室のドアを開け、水道の蛇口を捻った。
「ん、んん……」
一方、寝相の悪いデイレスが床の上で目を覚ました。
血の味が僅かに香る。
口内に残った愛しい彼の唾液ごと口をもごもごとさせ、シンクの水道の水と共に飲み込んだ。
シャワー室から水の流れる音が聞こえる。
ベッドに姿が見えない限り、レイはシャワーを浴びている最中なのだろう。
寝ぼけたデイレスが徐にテーブル前の椅子へと腰かける。
「置き手紙?」
ベッドから眼鏡を取ってかけ直したデイレスが瞳を左から右へ動かす。
「ムドレーからか……金貨五十枚自費負担だと?あの堂の主魔力量あるからといってまさか俺を舐めている?まあいいか。五十枚なら問題ない」
デイレスが立ち上がり、祭壇のある空間へと移動して物を漁る。
確か椅子の裏だっただろうか。
山積みとなった頭蓋骨のそれらのさらに後ろに物置として有象無象が散乱していた。
普段この部屋は暗くて見えないのでそれこそ雑多物を闇に葬っているといえるだろう。
デイレスの雑さが垣間見えた瞬間だ。
「全財産が金貨数千万枚位か……?ならこんくらいか。後は過分量をあいつから戻してこれでよしと」
一掴みした明らかに五十枚を越える金貨を適当な袋に突っ込んだ。
長年教師として、ある時は薬師として働いていたデイレスは沢山の財産を有していた。
数百年の長すぎる化物生の中、それも自給自足で食料を調達する生活はお金が減らないで逆に困る。
使い道があるとすれば全てレイに与える服や食材、生活必需品などで、どちらかと言えばそれらを烏丸堂の誰かに頼む料金の方が高いだろうか。
態々足を運ばせるには面倒臭い。
ここに引きこもってレイの血を吸いながら金を使って生活する方が楽に違いない。
人間の寿命として短い半世紀と少しの年を愛と幸福で埋めさせる。
それがデイレスの生きる目的であり、レイの為でもある。
死体どころか血飛沫の壁の染みさえなくなったこの空間には私物と骨と薬品のみ。
汚れはムドレーが部屋を使った責任を持って掃除してくれたらしい。
汚部屋と言われればそれまでだが、薬品は種類ごとに小瓶に小分けして骨で作り上げた棚に陳列させている。
デイレスは棚から一つ、白い固形物が入った小瓶を取り出し、ズボンのポケットに仕舞いこんだ。
「今宵はこれで遊ぶか」
ニヤリと口角を上げて。
地上からの青空を反射させた光が廊下に五月蝿く漏れていた。
「兄さん、起きてたんだ」
廊下を挟んだ向かいで、透明な壁に両手を張り付けたレイが立っていた。
シャワー上がりの彼の髪はぐっしょりと濡れている。
デイレスが裏の意味一つない優しい笑みで彼の言葉に返事をする。
「髪、乾かしてやろうか?」
「いいよ、僕もう大人なんだから自分でできるし」
「大人でも俺にとったらまだ子供……いや、弟だ。問答無用でその髪を乾かす」
レイの肩に掛けられたタオルを奪って椅子に腰掛けたレイの柔らかな髪の毛に触れる。
シャンプーのフローラルな香りも嗅ぎ取って。
「ここでの生活は慣れてきたか?」
「慣れるも何も、ここは僕が十年兄さんと出会うまで暮らしてた場所だよ。監禁は……そこまで苦ではないけど、気になるとすれば外からの音が凄い聞こえる事くらいかな。ムドレーさんが人を処して食べる音が丸聞こえだった」
「あいつ……今度会ったら散々愚痴言ってやろ。魔力で防音環境整えておく」
「ありがとう」
たった一言の礼だったが、デイレスの中で盛大な喜びの感情が湧いた。
彼の髪を乾かしてあげるのは一年振り程だろうか。
ある時から突然、レイが何でも一人で出来ると虚勢を張ってデイレスを拒み始めた事があった。
周りよりも劣っているという羞恥心だったのだろう。
しかしそれももう関係ない。
今はパーカーの首の襟で隠れた首輪で彼を繋いだのだから。
因縁の地を荒らして跡形もなく壊したから。
レイは一生兄の元で自立を知らずに井戸の中で最後まで甘えていればいい。
外に出させる事なんて絶対にさせないから。
髪に付いた水分を粗方タオルに吸収させ、少しだけしっとりとした触り心地の猫っ毛をデイレスはヘアゴムで一つに纏めてみせる。
「……できた」
「……ハーフアップ?」
レイが頭の後ろに手を回して髪型を確かめる。
「ああ。俺はレイのこの髪型が好きだ。だから今日もこれだ」
「本当に兄さんはハーフアップ好きだよね。嬉しいからいいけど」
レイが自分自身で髪を結う時はいつも一つ結いだが、ごく稀にデイレスがレイの髪を触るとなると毎回ハーフアップにされる。
後ろの毛が鬱陶しく感じて実用性がないが、好きな兄となれば話は別だ。
首を擽る髪の毛がデイレスの悪戯のようにも感じられて余計ゴムを外せなくなってしまう。
「あ、あと兄さんのコート綺麗にしておいたよ。ムドレーさんから貰った商店の売れ残りの掃除道具を使ったら効果ありすぎて血も解れもとれて新品同然になった」
畳んだロングコートをデイレスに渡し、貰い物の巻物を彼に見せた。
数十年の使い古しなのに買った時以上に綺麗さが滲み出ている。
最早これを着て殺戮行為が出きるのかと躊躇う程だ。
「ムドレーの奴、価格設定がどうかしてなきゃ商人として完璧なんだがな。その巻物、先月銅貨十枚とかいう手頃にも程がある価格で売られて誰も手に付けようとしていなかったぞ。効果あるならもっと高値で売れば信用がつくってものを」
「もしかして結構損してる……?」
レイが首を傾げた。
彼の向かい側の椅子に座ったデイレスが彼の愚痴を吐き始める。
「全てにおいてだ。あいつは善意からなのか知らないが自分が使って良かった物を塵と同等に安く売り、素材や工程に拘っただけのオブジェは富豪も唸るような値で売る。ただ、その差が甚だしく一部からは変な店として怪しまれている。本人は全くもっての善人なのにな。まあ善意故抜けているのだろうが」
デイレスとレイが互いに息を漏らしてクスクスと笑う。
二人の脳裏には至って真顔なのに頭の上にクエスチョンマークが付いたムドレーの幻影が見えた気がした。
そんなこんなで呑気に雑談をして時間が過ぎていく。
それは実にデイレスが、レイも望んでいた二人だけの平和な空間そのもので、非常に満足できるものだった。
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