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愛し愛して村潰し
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「ん……」
体が重い。
自棄に暑いし、掛け布団を剥がそうとしても体から離れる気配は一切ない。
寝返りもできないし、呼吸もまともに出来ない。
「どうなっているんだ……?」
寝起きの掠れた声をレイは発する。
ぼやける視界はこんがりと焦げたような狐色で埋まっていて、徐に手を伸ばすともぐりと柔らかな感触がした。
どこか固さも感じられる芯のある毛束は癖になる。
「尻尾……?」
レイが掴んでいたのはベッドに乗った複数の尻尾の内の一つだった。
目を擦りながら左を見ると、巨大な動物の胴体と後ろ足がベッドからずり落ちるように存在していて、顔は天蓋から垂れるカーテンの奥にあるのか見えない。
尻尾だけでもこんなに質量があるのに、全体重で乗られていたら圧死していただろう。
レイが勢いよくカーテンを開ける。
音で気付いたのか、彼の顔を見た狐が甘い音色で一鳴きした。
何故狐が、それも全長五メートル近くの巨体がここでリラックスしている?
と、目をやさしく細めた狐がごろりと体制を変えてレイに腹を見せた。
撫でてと言わんばかりにまたもう一鳴きする。
意外と可愛い。
レイの中で愛でたいという心が不覚にも芽生えた瞬間だ。
両手を使って、大きすぎる腹をわしゃわしゃと撫でる度にもっとと要求してくるのが伝わる。
強面の狐の顔面は今や気持ちよさで子犬の甘えと同然になっていた。
なんだこの一生に一度しかできない新体験は。
好奇心に狩られたレイの頭部のアホ毛が前後左右にぴろぴろと独立起動していた。
と、巨大狐の様子がおかしくなる。
「どうしたの?」
目を見開き、尖った耳をぴんと立てて硬直していた。
小刻みに口元が開いたり閉じたりを繰り返し、鼻をひくひくとさせている。
「まさか……くしゃみ!?」
この巨体でくしゃみをされたら自分は、この部屋がどんな大惨事となるのか予想すらつかない。
鼓膜を破くような爆音、容赦なく襲い掛かる水飛沫か。
思わずベッドのカーテンを盾にしてレイは隠れる。
瞼を無理矢理閉ざそうとする眠気は遥か遠くへ飛んでいった。
あうあうと何かを吐き出す寸前の喘ぐ鳴き声がして……
「へぷち!!」
「……ん?」
身構え、力んだレイだったが、その弱々しいどころか女々しいくしゃみの発射音に拍子抜けする。
爆音も何もない。
人のくしゃみと同じだ。
カーテンから顔を覗かせると、昨晩現れた烏丸堂の狐担当が鼻の下を指でくしくしと擦っていた。
何故か白煙が部屋を立ち込めている。
「ふう……レイ様の撫で撫でが心地よすぎてくしゃみが出ちゃったっす……」
「えっ!?」
レイが口をあんぐりと開けて驚きの表情をみせた。
「撫で撫で最高っした」
ナスタが慣れた顔つきでウインクを飛ばし、頭から生えるケモ耳をぴくりと動かした。
親指をたててグッドのポーズをしている。
「狐担当ってそういうこと?」
「ああ、レイ様に俺の本体見せるの初めてだったっすか!まあ見ての通り九つの尻尾が生えた九尾狐っす」
「九尾狐?狐は勿論知ってるんだけどあんまる詳しくないから分からないかも」
「この辺だと同族がいた試しがないので無理もないっす。東洋の、海を挟んだ先にある島国や大陸の東端で呼ばれている呼び名っす。神獣として祀られていることも多々あるっすが……俺らが言う九尾狐は人間を食べる化物なので全然そうじゃないっすけど。一部で広がった妖魔であるという噂の方が案外当たっているかもっす」
「結構詳しいんだね。そういうこと」
「お褒めの言葉有難う御座います。普段人から隠れて生活している身としては逆にそういった情報を集めないと魔術師とか聖女だとか名乗る人間の張った弱い罠にまんまと引っ掛かって目も当てられないっすから」
どうやらインチキな自称魔術師、占い師、祓魔師の呪術だとかは意外と効果があるらしく、大怪我にならずとも少し足止めを食らったり、身内から馬鹿にされたりするらしい。
化物界隈も大変だ。
相槌を打って会話を一旦終わらせる。
一先ず起きたことだし、軽い身支度をしよう。
レイは着々と身の回りを片付ける。ベッドメイクを完璧にこなし、箒でかき集めた塵をゴミ箱へ入れる。
煙で汚れた空気の入れ替えを扉を開けっ放しにすることで解決させる。
服はもう水洗いなどをしなくていいことを思い出した。
確かな効果を発揮する謎の巻物の上に脱いだ服を一式乗っけると、青白い光が墨で書かれたと見られる文字から放たれた。
汚れどころか解れまで直った服は新品同然で、非常に嬉しいが対価がないかなど怖くて仕方がない。
戸棚に揃ったいくつかの食材から朝食を作って、ついでにナスタの分の皿にも大盛に料理を乗っけて騒がしい食事を済ました。
洗い物まできちんと終わらせ、隅に積まれた縫いぐるみの山にダイブする。
「何もしてないのに疲れた……ってあれ?もうこんな時間?」
時計の短針は四と五の間に位置している。
朝どころか夕方だ。
「午前とかじゃない筈……ここ窓ないから外見れないけど」
「うーん、空が綺麗な赤色っすね……西日が眩しいっす」
扉の向こうでナスタがレイにそう伝えた。
そもそも起きたのが遅すぎたのだろう。
体内時計の一周は二十四時間以上と言われるし、朝日の一筋すら入らないこの空間で今まで通りの生活を送ることは到底不可能だろう。
一つだけ監禁されるデメリットができた。
レイは眉をハの字に曲げてため息をつく。
その顔は全然困っているようには見えないのがまた自分でも不思議だ。
そういえば二日も家を空けると告げて護衛という名の化物仲間を残したデイレスは今頃何をしているのだろうか。
ふと浮かんだ疑問だったが、それはクッションにかかったレイの体重より重く彼の頭にのし掛かる。
レイの心に寂しさという気持ちが湧いた。
「デイレスは何してるんだろう……」
「死神様の事っすか?外に出れば分かるっすよ。レイ様もこっち来るっすか?」
「ごめん、僕首輪でこの部屋から出られないから状況教えて」
未だ部屋と廊下の境界には透明な壁が存在している。
全身を虫のように壁に張りついてもバリアはうんともすんとも言わない。
このとき強大な魔力が首輪から流れていて、魔力を感じ取ったナスタが足を内股にして大げさにも見える怯え方をしていた。
その様子に笑いを堪えきれず、レイはふふっと声を漏らす。
「魔力の量と強さ共にえげつないっす死神様……えっと、状況を簡単に説明すると村が黒焦げになっているっす。ムドレーさん曰くあれ全部死神様が村の建物ごと燃やして村の住民一人一人を皆殺しにしたらしいっす。確か復讐心だか何だかで……」
村が、燃えている?
その言葉の羅列にレイの思考回路が停止する。
学校は?
嘗ての家は?
中心部の街の商店は?
何を聞いてもナスタは燃えたの一言で返事をする。
デイレスが村を壊滅させた……?
この二日間留守にしてた間何を思って……。
考えすぎても無駄だ。
村の事なんて別に興味も湧かない。
「消えたのなら、いいや」
レイの冷ややかな声は響くことなく個室の床にぶつかった。
レイは正直村に対して何の情もない。
むしろ、人生の闇を生成したあの場を、あそこに住む人間が消えてくれるのならそれでいい。
夢で何度消えればいいのにと幻影のナイフを持って、笑いながら霧消する知り合いに何度突き立てたことか。
街行く人は丸めた背中を嘲笑い、怯える者に正義を象った悪の矢が数の暴力として振り下ろされる。
何故こんなにも蔑まれているのか。
孤児だったから常識を知らずに世間に出て仲間外れにされた。
常識を覚えた時には体が拒絶反応を引き起こし、他人に抗えなくなった。
普通の家庭に生まれ、親という存在と普通な生活を送っていたのならこんな苦痛は発生しなかっただろう。
でも今それを悔やんでも意味はないし、悔やみたいとも思わない。
だから今こうして首輪で足の自由を縛られた生活を送れている。
護衛と称した遊び相手とストレスのない日々を過ごせる。
それは五年前、大きな掌を差し伸ばしてくれた貴方に会えたから。
深い水の底からこの体を引き上げてくれたから。
愛してくれたから。
『愛することを許してくれたから』
もしこれが彼なりの愛情表現なら、行動で示してその喜びを彼に伝えたい。
紺いろが空に差し掛かった夕焼け空は煙で霞んで見えづらくなっていた。
焦げ臭い大気が漂う場所で、一人の男は赤黒く染まった地面を歩く。
担いでいるのは鋭い刃の大鎌、漆黒のフード付きロングコートはぜんたいてきに赤みを帯びていた。
黒髪の短髪は燃えた跡の臭いが乗ったかぜに靡き、血色の瞳は残党がいないか隈無く辺りを見回している。
姿までは死神ではない、人間としてのデイレスの姿だった。
「殺しをしても食べる気が湧かねえ……レイが極上なまでに美味しかったからか。ならいいや、夜中に衝動的に吸血すれば問題ない。貧血にさせない特効薬でも飲ませればいいだろう。そんな薬聞いたことも作る気もないが……何か丁度いい薬ねえかな。あー、あの頭の上から爪先まで浴びる程飲みてえ、レイの全てを食らいてえ」
吸血欲求、衝動がレイ以外の人間から湧かないために日が沈んだ夜であっても本来の姿を取り戻すことはできなかった。
ただ、一人のことを想うと思わず歯が疼いてくるが。
随分と長い独り言を呟いたデイレスが足を止める。
半壊した小屋からの乱れた呼吸音を聞き逃さなかった。
舌先をその唇から溢し、殺人鬼の形相でデイレスが嗤った。
残りの一人、発見と。
「そこでお前は何をしている?さっさと出てこい」
「い、嫌だ……死にたくない!」
若い男の震える声がした。
デイレスはその聞き覚えのある声に右目をぴくりとさせる。
担いでいた鎌を右手に持ち変えて、尖った刃を床に向けた。
「その声……五年前、ネリア学校に入学した卒業生のライヤか?」
低い彼の声は変わらないのに、かつての温厚な教師の柔かな声色をしている。
先程の殺人鬼の唸りは幻聴だったのだろうか。
かつての教師から名前を呼ばれ、肩の力がすっかり抜けたライヤは混乱しながらも返事をする。
「あ、あれ?デイレス先生の声?でもどうして……」
その瞬間、デイレスが小屋ごと身を潜めていた彼を真っ二つに大鎌一つで刈り取った。
軽く鎌を振るったようだったが、並外れたその威力は小屋と肉を切り付け、吹き飛ばすどころか彼の半径数メートルを木っ端微塵にする。
爆発的に湧いたのは怒りと憎悪。
血が舞った惨状にデイレスは怒りに満ちた声色で怒鳴る。
生きることを断じて許さなかった彼に対して。
「俺のレイをあの時井戸に沈めた愚かな生徒の名前はライヤ、だったな。忘れはしないぞ、その名前。何故今この時まで呼吸をしてのうのうと生きていた?はあ……もっと痛め付けておけばよかった。腹立たしいあまり力を振るってしまったようだ」
デイレスの眉間には不機嫌を示す皺が掘られていた。
彼を最後に付近の人間の気配は何一つ消える。
焼け野原となった村はたった二日前までは活発に人が行き交っていたのに。
広場に作った死体の像はデイレスの悪趣味さと死神の本性が表されていた。
騎士の石像の槍の部分に根元から死体が団子のように何体も折り重なって、滴る血の雨を降らせていた。
これは全て、レイを虐めた人間、その家族、レイを一度でも不快にさせた者らの亡骸である。
「後は烏丸堂にでも無茶いってこの村の存在ごと消させよう。霧がかった廃村として」
死体の串刺しに興味を失ったデイレスは、真っ暗になった夜の空に蝙蝠の翼を広げて飛び立った。
彼の愛らしい姿を想像して湧いた、僅かな衝動から生えたそれを羽ばたかせる。
「ああ、やっと愛しい弟に会える。今頃兄を待ち遠しく想っているならいいが.......それは妄想のしすぎか」
どこか寂しそうに、デイレスは冷たい向かい風に微笑んだ。
『彼の為なら何だってする』
今のデイレスに出来ることは、レイが心から嫌っていた村を跡形もなく黒焦げにすることだった。
広げた翼は廃教会へ一秒でも速く到着するために、ばさりばさりと生々しい羽音を立てていた。
体が重い。
自棄に暑いし、掛け布団を剥がそうとしても体から離れる気配は一切ない。
寝返りもできないし、呼吸もまともに出来ない。
「どうなっているんだ……?」
寝起きの掠れた声をレイは発する。
ぼやける視界はこんがりと焦げたような狐色で埋まっていて、徐に手を伸ばすともぐりと柔らかな感触がした。
どこか固さも感じられる芯のある毛束は癖になる。
「尻尾……?」
レイが掴んでいたのはベッドに乗った複数の尻尾の内の一つだった。
目を擦りながら左を見ると、巨大な動物の胴体と後ろ足がベッドからずり落ちるように存在していて、顔は天蓋から垂れるカーテンの奥にあるのか見えない。
尻尾だけでもこんなに質量があるのに、全体重で乗られていたら圧死していただろう。
レイが勢いよくカーテンを開ける。
音で気付いたのか、彼の顔を見た狐が甘い音色で一鳴きした。
何故狐が、それも全長五メートル近くの巨体がここでリラックスしている?
と、目をやさしく細めた狐がごろりと体制を変えてレイに腹を見せた。
撫でてと言わんばかりにまたもう一鳴きする。
意外と可愛い。
レイの中で愛でたいという心が不覚にも芽生えた瞬間だ。
両手を使って、大きすぎる腹をわしゃわしゃと撫でる度にもっとと要求してくるのが伝わる。
強面の狐の顔面は今や気持ちよさで子犬の甘えと同然になっていた。
なんだこの一生に一度しかできない新体験は。
好奇心に狩られたレイの頭部のアホ毛が前後左右にぴろぴろと独立起動していた。
と、巨大狐の様子がおかしくなる。
「どうしたの?」
目を見開き、尖った耳をぴんと立てて硬直していた。
小刻みに口元が開いたり閉じたりを繰り返し、鼻をひくひくとさせている。
「まさか……くしゃみ!?」
この巨体でくしゃみをされたら自分は、この部屋がどんな大惨事となるのか予想すらつかない。
鼓膜を破くような爆音、容赦なく襲い掛かる水飛沫か。
思わずベッドのカーテンを盾にしてレイは隠れる。
瞼を無理矢理閉ざそうとする眠気は遥か遠くへ飛んでいった。
あうあうと何かを吐き出す寸前の喘ぐ鳴き声がして……
「へぷち!!」
「……ん?」
身構え、力んだレイだったが、その弱々しいどころか女々しいくしゃみの発射音に拍子抜けする。
爆音も何もない。
人のくしゃみと同じだ。
カーテンから顔を覗かせると、昨晩現れた烏丸堂の狐担当が鼻の下を指でくしくしと擦っていた。
何故か白煙が部屋を立ち込めている。
「ふう……レイ様の撫で撫でが心地よすぎてくしゃみが出ちゃったっす……」
「えっ!?」
レイが口をあんぐりと開けて驚きの表情をみせた。
「撫で撫で最高っした」
ナスタが慣れた顔つきでウインクを飛ばし、頭から生えるケモ耳をぴくりと動かした。
親指をたててグッドのポーズをしている。
「狐担当ってそういうこと?」
「ああ、レイ様に俺の本体見せるの初めてだったっすか!まあ見ての通り九つの尻尾が生えた九尾狐っす」
「九尾狐?狐は勿論知ってるんだけどあんまる詳しくないから分からないかも」
「この辺だと同族がいた試しがないので無理もないっす。東洋の、海を挟んだ先にある島国や大陸の東端で呼ばれている呼び名っす。神獣として祀られていることも多々あるっすが……俺らが言う九尾狐は人間を食べる化物なので全然そうじゃないっすけど。一部で広がった妖魔であるという噂の方が案外当たっているかもっす」
「結構詳しいんだね。そういうこと」
「お褒めの言葉有難う御座います。普段人から隠れて生活している身としては逆にそういった情報を集めないと魔術師とか聖女だとか名乗る人間の張った弱い罠にまんまと引っ掛かって目も当てられないっすから」
どうやらインチキな自称魔術師、占い師、祓魔師の呪術だとかは意外と効果があるらしく、大怪我にならずとも少し足止めを食らったり、身内から馬鹿にされたりするらしい。
化物界隈も大変だ。
相槌を打って会話を一旦終わらせる。
一先ず起きたことだし、軽い身支度をしよう。
レイは着々と身の回りを片付ける。ベッドメイクを完璧にこなし、箒でかき集めた塵をゴミ箱へ入れる。
煙で汚れた空気の入れ替えを扉を開けっ放しにすることで解決させる。
服はもう水洗いなどをしなくていいことを思い出した。
確かな効果を発揮する謎の巻物の上に脱いだ服を一式乗っけると、青白い光が墨で書かれたと見られる文字から放たれた。
汚れどころか解れまで直った服は新品同然で、非常に嬉しいが対価がないかなど怖くて仕方がない。
戸棚に揃ったいくつかの食材から朝食を作って、ついでにナスタの分の皿にも大盛に料理を乗っけて騒がしい食事を済ました。
洗い物まできちんと終わらせ、隅に積まれた縫いぐるみの山にダイブする。
「何もしてないのに疲れた……ってあれ?もうこんな時間?」
時計の短針は四と五の間に位置している。
朝どころか夕方だ。
「午前とかじゃない筈……ここ窓ないから外見れないけど」
「うーん、空が綺麗な赤色っすね……西日が眩しいっす」
扉の向こうでナスタがレイにそう伝えた。
そもそも起きたのが遅すぎたのだろう。
体内時計の一周は二十四時間以上と言われるし、朝日の一筋すら入らないこの空間で今まで通りの生活を送ることは到底不可能だろう。
一つだけ監禁されるデメリットができた。
レイは眉をハの字に曲げてため息をつく。
その顔は全然困っているようには見えないのがまた自分でも不思議だ。
そういえば二日も家を空けると告げて護衛という名の化物仲間を残したデイレスは今頃何をしているのだろうか。
ふと浮かんだ疑問だったが、それはクッションにかかったレイの体重より重く彼の頭にのし掛かる。
レイの心に寂しさという気持ちが湧いた。
「デイレスは何してるんだろう……」
「死神様の事っすか?外に出れば分かるっすよ。レイ様もこっち来るっすか?」
「ごめん、僕首輪でこの部屋から出られないから状況教えて」
未だ部屋と廊下の境界には透明な壁が存在している。
全身を虫のように壁に張りついてもバリアはうんともすんとも言わない。
このとき強大な魔力が首輪から流れていて、魔力を感じ取ったナスタが足を内股にして大げさにも見える怯え方をしていた。
その様子に笑いを堪えきれず、レイはふふっと声を漏らす。
「魔力の量と強さ共にえげつないっす死神様……えっと、状況を簡単に説明すると村が黒焦げになっているっす。ムドレーさん曰くあれ全部死神様が村の建物ごと燃やして村の住民一人一人を皆殺しにしたらしいっす。確か復讐心だか何だかで……」
村が、燃えている?
その言葉の羅列にレイの思考回路が停止する。
学校は?
嘗ての家は?
中心部の街の商店は?
何を聞いてもナスタは燃えたの一言で返事をする。
デイレスが村を壊滅させた……?
この二日間留守にしてた間何を思って……。
考えすぎても無駄だ。
村の事なんて別に興味も湧かない。
「消えたのなら、いいや」
レイの冷ややかな声は響くことなく個室の床にぶつかった。
レイは正直村に対して何の情もない。
むしろ、人生の闇を生成したあの場を、あそこに住む人間が消えてくれるのならそれでいい。
夢で何度消えればいいのにと幻影のナイフを持って、笑いながら霧消する知り合いに何度突き立てたことか。
街行く人は丸めた背中を嘲笑い、怯える者に正義を象った悪の矢が数の暴力として振り下ろされる。
何故こんなにも蔑まれているのか。
孤児だったから常識を知らずに世間に出て仲間外れにされた。
常識を覚えた時には体が拒絶反応を引き起こし、他人に抗えなくなった。
普通の家庭に生まれ、親という存在と普通な生活を送っていたのならこんな苦痛は発生しなかっただろう。
でも今それを悔やんでも意味はないし、悔やみたいとも思わない。
だから今こうして首輪で足の自由を縛られた生活を送れている。
護衛と称した遊び相手とストレスのない日々を過ごせる。
それは五年前、大きな掌を差し伸ばしてくれた貴方に会えたから。
深い水の底からこの体を引き上げてくれたから。
愛してくれたから。
『愛することを許してくれたから』
もしこれが彼なりの愛情表現なら、行動で示してその喜びを彼に伝えたい。
紺いろが空に差し掛かった夕焼け空は煙で霞んで見えづらくなっていた。
焦げ臭い大気が漂う場所で、一人の男は赤黒く染まった地面を歩く。
担いでいるのは鋭い刃の大鎌、漆黒のフード付きロングコートはぜんたいてきに赤みを帯びていた。
黒髪の短髪は燃えた跡の臭いが乗ったかぜに靡き、血色の瞳は残党がいないか隈無く辺りを見回している。
姿までは死神ではない、人間としてのデイレスの姿だった。
「殺しをしても食べる気が湧かねえ……レイが極上なまでに美味しかったからか。ならいいや、夜中に衝動的に吸血すれば問題ない。貧血にさせない特効薬でも飲ませればいいだろう。そんな薬聞いたことも作る気もないが……何か丁度いい薬ねえかな。あー、あの頭の上から爪先まで浴びる程飲みてえ、レイの全てを食らいてえ」
吸血欲求、衝動がレイ以外の人間から湧かないために日が沈んだ夜であっても本来の姿を取り戻すことはできなかった。
ただ、一人のことを想うと思わず歯が疼いてくるが。
随分と長い独り言を呟いたデイレスが足を止める。
半壊した小屋からの乱れた呼吸音を聞き逃さなかった。
舌先をその唇から溢し、殺人鬼の形相でデイレスが嗤った。
残りの一人、発見と。
「そこでお前は何をしている?さっさと出てこい」
「い、嫌だ……死にたくない!」
若い男の震える声がした。
デイレスはその聞き覚えのある声に右目をぴくりとさせる。
担いでいた鎌を右手に持ち変えて、尖った刃を床に向けた。
「その声……五年前、ネリア学校に入学した卒業生のライヤか?」
低い彼の声は変わらないのに、かつての温厚な教師の柔かな声色をしている。
先程の殺人鬼の唸りは幻聴だったのだろうか。
かつての教師から名前を呼ばれ、肩の力がすっかり抜けたライヤは混乱しながらも返事をする。
「あ、あれ?デイレス先生の声?でもどうして……」
その瞬間、デイレスが小屋ごと身を潜めていた彼を真っ二つに大鎌一つで刈り取った。
軽く鎌を振るったようだったが、並外れたその威力は小屋と肉を切り付け、吹き飛ばすどころか彼の半径数メートルを木っ端微塵にする。
爆発的に湧いたのは怒りと憎悪。
血が舞った惨状にデイレスは怒りに満ちた声色で怒鳴る。
生きることを断じて許さなかった彼に対して。
「俺のレイをあの時井戸に沈めた愚かな生徒の名前はライヤ、だったな。忘れはしないぞ、その名前。何故今この時まで呼吸をしてのうのうと生きていた?はあ……もっと痛め付けておけばよかった。腹立たしいあまり力を振るってしまったようだ」
デイレスの眉間には不機嫌を示す皺が掘られていた。
彼を最後に付近の人間の気配は何一つ消える。
焼け野原となった村はたった二日前までは活発に人が行き交っていたのに。
広場に作った死体の像はデイレスの悪趣味さと死神の本性が表されていた。
騎士の石像の槍の部分に根元から死体が団子のように何体も折り重なって、滴る血の雨を降らせていた。
これは全て、レイを虐めた人間、その家族、レイを一度でも不快にさせた者らの亡骸である。
「後は烏丸堂にでも無茶いってこの村の存在ごと消させよう。霧がかった廃村として」
死体の串刺しに興味を失ったデイレスは、真っ暗になった夜の空に蝙蝠の翼を広げて飛び立った。
彼の愛らしい姿を想像して湧いた、僅かな衝動から生えたそれを羽ばたかせる。
「ああ、やっと愛しい弟に会える。今頃兄を待ち遠しく想っているならいいが.......それは妄想のしすぎか」
どこか寂しそうに、デイレスは冷たい向かい風に微笑んだ。
『彼の為なら何だってする』
今のデイレスに出来ることは、レイが心から嫌っていた村を跡形もなく黒焦げにすることだった。
広げた翼は廃教会へ一秒でも速く到着するために、ばさりばさりと生々しい羽音を立てていた。
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