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烏丸堂の狐担当護衛青年

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「あっという間に一日が終わったな……」
シャワー上がりのレイが、自身の髪の毛をタオルで拭いていた。
長い髪というのは面倒だ。
肩にくっついて部屋着は濡れるし、この状態で髪を結んでも毛先から水滴が垂れるし乾きにくい。
時計の針は七時を指していた。
ムドレーは夜の教会の番と言いながらも恐らく隣の部屋で殺戮行為を行っているだろう。
心なしか部屋の奥から時折刃物が肉を貫くような音と悲鳴が聞こえる。
「うーん……」
流石に生々しい凄惨な現場が見えないとはいえ、居たたまれない。
レイは机の引き出しから耳栓を取り出し、自身の両耳に詰めた。
物騒な音はぱたりと止み、不安から来る幻聴ではないことを確認した。
同時にこれ、絶対扉を開けてはいけないやつだと身震いを起こしながら小声で「さっさと寝よう」と何度も繰り返す。
魔力で人間側からレイの部屋を目視できないよう、部屋からの物音が聞こえないようムドレーが調整を行ったらしいが反対に部屋の外の音に関しては視野に入っていなかったらしい。
その内デイレスにでもお願いして対処して貰うか。
レイは一息付いて立ち上がり、自炊した夕飯の後片付けをした。
未完成な味のオムライスの残り香が部屋に充満する。
レイは水垢一つないシンクに使った皿とコップ、スプーンを置き、水道の蛇口を捻った。
水は滞りなく流れ続け、濁ることはない。
「これ、兄さん一人で水道管通したんでしょ。雑な癖に結構器用なんだね」
スポンジを片手に持ったレイが一人ふふっと笑う。
寝間着はデイレスが数年前に村の市場で買ってくれた黒のパーカーと半袖の白Tシャツ、その辺で売っているような短パンだ。
レイはパーカーの袖を肩まで捲り上げて洗い物をする。
「今日はちょっと甘みが足りなかったか……?」
テーブルに広げられたレシピ本にはびっしりとペンで書かれたメモが貼り付けられていた。
デイレスは夜勤という名目で夜中、それも明け方近くまで家に戻ってこない日が度々あった。
今思えば大体何やっているか想像つくのだが、当時は夜勤の言葉を聞くだけで心がきゅっと詰まって、一人キッチンで戸棚にある食材とレシピ本を便りに夕飯の支度をしていた。
味に自身などなく、始めの内は孤食だったこともあってか酷く不味い思い出だったが、ある時デイレスがレイ特製のチキンライスの残りを何気なくつまみ食いした時だっただろうか。
「これ、レイが作ったのか?……ああ、こんなにも美味しく感じる料理を作った奴が目の前にいるとはな。天才級だ」
お世辞だとか関係なく嬉しくてしょうがなかった。
それから料理に対して火が付き、周りの同年代に言わずとも趣味として日々をひっそり楽しんでいたものだ。
「まあ……料理なんて男はしないもんね。あはは、やっぱり僕が変わっているだけか」
乾いた笑いが一室に霧消した。
俯いたレイの灰色の瞳は光を無くし、水滴が付いた彼の手をただただ映していた。
彼の返事に答える人間など誰もいない。
そう、人間は。
「別にいいんじゃないっすか?俺だって好きっすよ、料理」
突然の背後からの声にレイが目を見開きつつ後ろを振り返る。
耳栓を貫いた、元気な声だ。
レシピ本をまるで難しい小説を読むようにしてレイを見る姿がそこにあった。
「だっ、誰?」
「ムドレーさんから押し付け……いや頼まれて参上致しました!烏丸堂からすどうの狐担当、ナスタっす!明日の夕部までレイ様の身を任されたので一日中遊びまくるっすよ!!」
威勢がよく、少年のような明るい声が部屋の防音を貫く程に反響する。
びょんびょんと跳び跳ねているのはデイレスよりも身長の高い細身の青年。
黒革のジャケットを羽織り、金のアクセサリーを疎らに身につけたラフでチャラいイメージだ。
彼の明るいトーンの茶髪はまるで動物の耳を象ったような不思議な形をしているが不自然には感じない。
猫みたいな金の瞳の目元には赤い独特なラインが引かれていた。
「突然すぎて何が何だか分かっていないんだけど……烏丸堂って何?」
「東洋のとある国から来た俺らの所属するグループっす。拠点は教会がある山の丁度裏側っすね。赤い鳥居が目印っす。やることとしてはお肉の調達や他の方からの依頼に応えたり……と割と何でも屋みたいな感じっす。で、俺はそん中の狐担当って訳」
ナスタがニッと無邪気か邪気かどうか分からない笑みを浮かべ、指で狐のフォルムを作った。
知らない単語が二人の間、ナスタが一方的に言葉をぶつけていただけだがそれによってレイが混乱していた。
ていうか狐担当って何だそれ。
「狐担当って何だそれ」
レイが思ったことを直球で口に出す。
「そりゃあ沢山の種族がいる中での狐っすからね。こんこんって」
やはり意味が分からない。
解釈が合っているのならデイレスだったら死神担当という名目になるのだろうか。
洗い物を終えたレイが肩を竦めた。
「あと、様なんて付けなくていいよ。ナスタさんから見れば僕はただの人間で、美味しく頂く対象なんでしょ」
「いやいやレイ様……こちら側にも礼儀という概念があって、死神様は俺らの中の唯一無二の頂点であられる王と言っても失礼な程強い魔力と権力の持ち主であられるお方。そんな死神様が身を呈して大切にされるレイ様は必然的に敬称を付けなければならないのですよ。これで分かってくれますか」
上目遣いになって両手を合わせながらナスタがレイの顔を覗いた。
高身長の彼が一般的にみても低身長のレイの前で座り込んでそのようなポーズをする姿は実に滑稽といえる。
余裕を見せるかのような「~っす」という語尾が抜けているところからレイがナスタの言葉が嘘でないことを確認した。
「なら別にそのままでいいや。因みに……もしナスタさんが間接的要因で僕に怪我をさせたとなったらどうなるかって分かったり……」
ナスタが顔を真っ青にして唖然としていた。
顔の青さは青色を通り越して絶望の黒色に近くなっていた。
「……あくまでも想定だから」
「多分そうなったら烏丸堂の誰かからちょんぱされて油揚げ確定っす……」
化物界隈というのは人間社会のように奥深く、生々しいものだとレイは知った。
もし今日明日彼の身に何かがあったら助け船を出して処刑から逃れさせなければ。
湯気が上がり、甘みを含んだ匂いの広がる油揚げを脳内で想像しながらレイはナスタを「意外といい人」として判定したのだった。
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