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探り合い

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シャワーを浴び、用意した着替えを身につける。
体の滑り気も取れて気分は爽快だ。
レイは鼻歌でメロディーを奏でながら部屋を出る。
「……?」
自室の外から何やら話し声が聞こえた。
人の悲鳴などではなく、笑い声なども聞こえるからただの雑談のようだ。
デイレスの低い声ともう一人、冷静でイントネーションに訛りどころか感情すら乗っていないような淡々とした男性の声色。
レイはその声に聞き覚えがあった。
「商人のムドレーさん?でも、教会に居るとしたらどうして?」
ムドレーはデイレスの知人であり、遠くの国からやってきた、街で商店を開く好青年だ。
彼の商店は常に賑わっていて、その売上合計額は城一つ建てられる程とのこと。
そんなムドレーはレイが二番目に慕う人であり、仕事でデイレスが夜遅い時は時折ムドレーが家に遊びに来て夕飯を作ってくれたりしたものだ。
ただ、彼が何故この場にいるのかは見当が付かない。
「ムドレーさん?」
レイが部屋の内側からノックをして扉を手前に引きながら声を掛けると、ムドレーと呼ばれた青年はおもむろに振り向いた。
隣ではデイレスが腰に手を当てて、レイに対して微笑んでいる。
「レイ!?どうしてここにいるんだ?」
ムドレーの大声が地下室いっぱいに反響した。
何故ここにいるだなんて、それはこっちも聞きたいことだ。
寧ろレイよりムドレーの方が驚いていた。
状況を察したのか、彼がデイレスの方に訝しげな表情をして顔を向けた。
「デイレス、お前とうとうレイに正体明かしたのか?」
「ああ当然。弟に隠し事など出来ないからな。ついでに監禁もしてやった。首輪のお陰であの部屋から出られないようにもしてな」
実際、レイが部屋の外へ出ようとすると、透明な壁に阻まれてこれ以上先に進むことが出来ない。
どれだけ叩いても、足で軽く蹴ってみてもだ。
首輪をよく見ると、刺繍で刻まれた「Dear」の文字がバリアに呼応するように淡い光を放っていた。
流石死神が取り付けた監禁道具。
原理も不明で、手の打ち様もない。
勿論、首輪が嫌という思いは欠片もないが。
ムドレーが眉をひそめる。
二人の言い争いが始まった。
「何故だ?彼はもう自立し、一人前の人として職に就く未来があった筈。それはレイも意識していたし、親代わりであるお前なら理解できないなんてことないだろう?ならどうして監禁という暴挙に至った」
「独り立ちなど俺が許せると思うか?だったら古びた場所とはいえ万全な環境を揃えて一生困らずに暮らすのが一番だろ。人混みで揉まれてレイの心身に負担がかかるより、そっちの方が互いにとっても安心安全だ」
ムドレーが大きくため息をつき、眉間にやれやれと手を当てた。
「レイを俺の元で働かせるとか考えなかったのか?」
「それでレイに何かあったらどうするんだよ。あとお前真面目すぎで頭ごなしにレイを叱りそうだし」
「ったく、俺だって時と場合で冷静沈着に判断するわボケ。お前には言われたくなかった。まあいい、正体を明かしたからには人間であるレイを野放しに出来ないからこれでいい……が、レイはどう思っている。デイレスと暮らすことに抵抗はないか?」
デイレスと生活することに嫌な気持ちなど一つもないし、一目に触れず、のびのびと此処で二人暮らせるならメリットしかない。
ムドレーも一緒に居てくれるなら尚更喜んでだ。
「全然問題ないです。デイレス兄さんとずっと居られるなら」
無意識にもレイの左手は首元の首輪に触れていた。
一生外れることのない二人の契約の輪を大切に撫でて。
「そんなに俺に支配されるのが好きか?全く変な奴め。これでこそ俺の愛する弟だ」
自棄に自信満々な笑顔でデイレスが謎のウインクを見せた。
それは自慢故の挑発か、レイに見せただけなのかはレイ自身も分からない。
何せ彼の行動など突拍子もないのだから。
「自分の良いように置き換えるな。大体レイも限度を超えれば嫌がる……」
「うん、デイレス兄さんに僕の全てを握られるだなんてこれ以上の幸せはないよ」
「えっ、それでいいのかよ」
普段から表情筋の動きが少ないムドレーだが、今は困惑の表情を見せていた。
「それじゃ、俺は村で少々やることがあるから二日程度ここを留守にする。ムドレー、レイの世話を頼んだぞ」
どうやらデイレスは村へ出掛けていくらしい。
ムドレーが軽く相槌を打ち、会話は終わった。
レイがデイレスとすれ違った瞬間、ポンと優しくデイレスの大きな掌がレイの頭に触れた。
レイが高鳴る鼓動を服の上から押さえつけ、俯く。
そして一言、ぼそりとデイレスに呟いた。
「……いってらっしゃい」
「ああ、行ってくる」
頬が赤くなるレイの少年ながらの表情を腕を組んだムドレーは遠目で見ていた。
「ふーん、そういうことか」


デイレスが居なくなった空間に二人、どちらも無言のままで時は経つ。
最初に口を開いたのはレイだった。
「今すぐ部屋を綺麗に支度するのでちょっと待ってて下さい」
乱れたベッドを直し、可笑しなところがないか部屋を隅々まで確認する。
大体五分もかからない作業だったが、気付けばムドレーが遠慮なくテーブル前の椅子に腰掛けていた。
感情の色を一切感じられない彼の目線は、右、左、と動いていてこの部屋をまじまじと観察している。
几帳面な彼はデザインや部屋の間取りといった空間に拘りがあるためか、この部屋を興味深そうに眺めていた。
ある程度片付いたので、キッチンの戸棚からティーセットを手に取り、湯の入ったティーポットにティーバックを垂らした。
市販で売られている高くもない茶だが、レイの前ではムドレーが好んで飲んでいたイメージが強いので迷わずそれを選ぶ。
「紅茶です。いつもの味ですが良ければ」
「問題ない。品質だけで物の好き嫌いを決める性分ではないからな」
ムドレーの啜る音を立てず、紅茶を飲む姿は優雅そのものだった。
灰色の直毛はムドレーの右目を隠していて、長細い紺色の瞳はデイレスとは違い威圧感というものを一切感じない。
どちらかと冷静沈着で、冷徹とも受け取れるくらいだ。
元から表情を顔に出さない彼は鋭い観察眼の持ち主で、それ故に人の行動、習性を熟知し商店の売り込みを得意としている。
一段落ついてレイがムドレーの向かいに座る。
「……そこの机、壁にくっついていないな。それとあの置物の位置も微妙だ」
そんな独り言をぶつぶつと呟いている。
決して嫌味などではなく、几帳面な彼の部屋に対する強い拘りだろうか。
即座にムドレーが立ち上がり、家具の配置を直し始めた。
斜めになった棚や、小物の配置を変える程度なのに不思議と前より過ごしやすく、景観も良くなった。
流石のデザインセンスである。
「今日はこれくらいでいいか。この雑さはデイレスだな。レイならもう少し丁寧に出来るだろう」
「分かりませんよ。これでも兄さんと五年も一緒にいたので感覚が狂っている可能性もありますし」
同年代の中では比較的雑のない性格のレイだが、家には大雑把代表のデイレスがいるので感覚が鈍っている可能性が高い。
実際、ムドレーが雑であると言ったそれらに気づかなかったのだから。
ムドレーはレイの言葉を否定することもなくそれもそうか……と口に出した。
一見完璧に見えるムドレーの唯一の短所といえば馬鹿正直なところだろうか。
良くも悪くもストレートな彼の言葉は心に刺さる。
今のは深く抉られずとも少々口から血を吐いたくらいだ。
ムドレーの服に下がる無数の金属の装飾がチャリリと音を鳴らす。
高価な宝石や貴金属が埋め込まれた彼の衣装は大富豪の商人に相応しい格好だった。
「さて、レイに聞きたいことが山々あるのだが……デイレスのことは何処まで知っている?現時点でレイに何も隠す事はないが、反対に知っておくべき事もある。レイが知らない場合は今ここで俺が教えようと思ってな」
一見、切れ長の鋭い瞳がレイを睨んでいるようにみえるが、これがムドレーの通常運転だ。
何ならレイを思ってこの質問を問いている。
レイが思考回路を必死に回してデイレスの事を順序立てて説明する。
デイレスが自ら正体を明かし首輪を取り付けたこと、日常生活に支障をきたさないどころか今の方が満足度の高い監禁部屋を作ってくれたことを脳内で分かりやすいよう話を並べて。
二人が理性を忘れてあの行為に至ったことは敢えて伏せる。
デイレスを責めて欲しくはないし、普通は拒絶するべきであろうそれを受け入れた自らへの忌避の目が怖かった。
それに、あの出来事が二人だけの秘密なら吸血された事柄は話してはいけないのではないか。
探りを入れられるまでは言いたくない。
例えそれがムドレーであったとしても。
見えない糸は、痛くない筈なのにレイを苦しめる。
「成る程。ではその首輪についてなのだが、何か分かることや、可笑しく感じたことはなかったか」
取り付けられた経緯としては寝ている間にデイレスが嵌めて、起床した時に気づいたという趣旨の説明をする。
別に首が絞まる程サイズがきつく、苦しい訳でもないし、嫌悪感は少しも感じない。
ただ、部屋の境目にバリアが張られていたのは驚きだったというだけだ。
これもデイレスなりの、レイがストレスに感じないような生活の配慮の一つと思っているので、これといって不可解な物はない。
「寝ている間に嵌められた……?」
「何かおかしい所でも?」
レイが心配そうに聞き返す。
「それは本当に寝ている間だったか?いや、嘘だとか疑っている訳ではないのだが……そうだな、例えばそれは催眠や幻術などで記憶を曖昧にされたという可能性はないか?どうも胸の奥に引っ掛かる事がある」
レイが首を横に振った。
「それはありません。昨夜、デイレス兄さんは僕に言いました。お前に幻術で騙すような事はしないと。兄さんに隠し事があっても虚偽の内容を伝えることはないと思います。兄さんの性分からしても、僕との関係からしても」
ムドレーがこくりと頷く。
それに関しては納得の意を見せた。
「それもそうだな。よりによってレイを惑わすことなどしないし、強かでもないなら出来る筈もないな」
「なら、問題は解決……」
「まあ待て。今俺が理解したのはデイレスがレイに幻術を魅せないこと。首輪の問題とは逸れた話だ。
あの首輪は元々俺が仕入れた特殊な物品でな。人に売り出す物ではない。あれは魔力を使って首輪を取り付けられた相手を従わせる特殊な道具だ。だが、透明なバリアについては話が違う。あれは首輪経由して魔力が見えない壁を作っているが、本来なら首輪だけが通り抜けを拒絶され、体は問題なくすり抜けることが出来る筈だ。性質上な。では何故この状況になっているかと言うと、デイレスがレイの血を飲み、体に取り入れたという仮説が最も濃厚だ。人を食らう俺らのような化物は生き血を吸った場合、血の持ち主の居場所、健康状態などを魔力を介して把握できる。その首輪にデイレスの魔力が付着しているなら、応用ではあるが彼の魔力を操る技量なら血と首輪を繋げてあらゆる現象を起こすことが出来る。デイレスがその気になればレイの肉体から凶器を生成したり蘇生できたりと現実離れした事も実現可能という訳だ。」
魔力というのは非常に抽象的な概念であり、流れる見えない液体のようなものだ。
上手く使えば具現化させたり、気体のように空間に蔓延させたり、多種多様な利用方法がある。
耐久性に優れた武器を一から造り出したり、食べ物に含ませて毒のように殺す為に飲ませたりなど、化物にとっては武力で物を言わせる一番の手。
最も、そんな並外れた力を保有する彼らの頂点に君臨するのがデイレスであり、彼の魔力がレイに少しでも付着しているだけで他の化物は恐れ、戦くというが、本当のところは不明である。
とはいえ、化物の界隈では各々の魔力の魔力量、技術によって上下関係が決まるのでそんなデイレスの魔力を感知しただけで通常は拒絶反応を起こして逃げていくとのことだが。
「……まあそんな訳で、単刀直入に聞こう。レイは昨夜、デイレスに血を吸われた記憶があるか?」
それは突然に、レイの秘密という名の鎖が彼の首を絞めた瞬間だった。
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