魔法俳優

オッコー勝森

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歌の授業

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 レノと別れ、塾に向かう。歌のレッスンの時間だ。戦場では大声を叫ぶことも多々あったが、リズムを取って歌った経験はほとんどない。映像作品で見たミュージカルなシーンを反芻しつつ、五階に向かう。足取りが重い。
 ボロクソに貶される自分、容易に想像出来るぜ。
 教室の扉を開けた。演技の授業と比べて少ない。十人くらいだ。メルやシャビオが歌唱コースを受講していないのは知っていたから、大して驚かなかった。
 ヒラヒラ、フレアに手招きされる。彼女の隣に座った。目の前には、机の代わりに楽譜台がある。会話の暇なく教師が入ってくる。
 楽器を背負ったおばあちゃん。背筋がピンと立っていた。

「ノってるかい?」

 ギャリーン。
 楽器のヒゲ・・を軽く引っ掻く。かっこいい音がした。フレアに小声で「何あれ?」と尋ねる。「ギターよ」と答えつつ、彼女はニマリと笑った。
 ギターを持ってきたってことは、今日はその練習をやるのか? 歌の授業なのに? と疑問を持つが否や、楽器は壁に立てかけられた。主役はあいつじゃないようだ。
 カバンから紙の束を取り出す先生。「楽譜はねえ、紙が一番見やすいからねえ」と言いつつ、皆に配る。本物の楽譜だ。音符などの記号と、音階を示す横向きの補助線と。読み方は知らねえ。

「ミュージカルってのがあるだろう?」

 自己紹介も前置きもなく、おばあちゃん先生はいきなり問いかけてくる。コスタスさんから勧められた中で、該当作品をいくつか思い起こした。
 ほとんどハッピーエンドだったからか、自然と心が明るくなってくる。

「一般的な演劇に、歌とダンスをガッチャンコしたもんさ。明るい旋律なら楽しい気持ちが、暗い旋律なら悲しい気持ちが、ダイレクトに伝わってくる。観てる側からすると、非常に分かりやすいし、ノりやすい。る側にしても、声さえ出れば役に入りやすい。音楽の力は偉大だ」

 分かりやすくノりやすい。確かにその通りだった。日常の風景では、彩り溢れる幸せへの賛美と平和への感謝が唄われる。ターニングポイントでは驚き、嘆き、怒りが率直に奏でられ、感動のラストソングは、とにかく喜びと生命力に満ち満ちている。
 考察せずとも、どころか、ストーリーラインをよく理解せずとも、心が場面についていくのだ。

「敢えて意地の悪い見方をすれば、音楽の力に頼り過ぎとも言える」

 いきなり落としてきた。思わず、話に引き込まれる。

「演技のセリフにおいて最も大事なモノは、いったいなんだろう?」

 おばあちゃん先生は、ゆったり視線を動かして、生徒たちの顔ぶれを眺め回した。オレと目が合う。微笑まれた。
 考える。素人なりに答えを探る。

「聞き取りやすさっすかね?」
「いいね。大体合ってるよ。その聞き取りやすさに直結してくるのが『リズム』。私が、セリフで一番重要だと考えるのは、そのリズムさ。客と役者の間に一体感が生まれるかどうかは、すべて、言葉のリズムにかかってると言っていい。そして、音楽が手札にあるならば、リズムを取るのはそう難しくない」

 彼女の声は、耳に深く染み渡る。声の良し悪し関係なく、聞き取りやすい。それこそ、先生の作り出す「リズム」に、オレたちは飲み込まれていた。

「しかし。一流の脚本家・戯曲家は、簡単なセリフだけでリズムを作る」

 教科書で読んだ記憶を引き出す。
 脚本。舞台やセリフを指定する、いわば作品の設計図。
 戯曲。演劇のために作られる、対話と独白を主軸として、それに細かな設定など(ト書きと言う)を付け加えた、一種の文学作品。

「もう少し正確に言うと、キャラの感情を声の抑揚へと変えることで、リズムが生まれるセリフを捻り出してくる。そして、感情を抑揚に変える技術の多寡は、役者の音楽的素養に左右される」

 老婆は戯けたように微笑み、ピンと指を立てた。

「だから、音楽の修練、延いては歌の練習が大事と言うわけさね。導入はここまでにして、早速本題に入ろうか。配った紙を見てくれ。とりあえず歌詞を読め」

 記号と線にばかり目が行っていたけど、きちんと歌詞も書かれていた。歌の名前は「バッタ」。覚えがある。姉さんと住んでた街の子供が、よく口ずさんでいた。
 お仲間連れて帰っておくれ。
 跳んで跳んで、緑になったらまたおいで。

「何よこの曲。まるでお子ちゃまソングじゃない」

 フレアが眉を顰める。その呼び方はいただけねえが、十を越えた少年少女が練習するような曲じゃないと、オレも内心で思ってしまったのは確かだ。

「誰か、知ってる子はいるかい?」「一応知ってますけど」

 誰もが顔を見合わせるばかりだったので、声を上げる。

「おや。さっき目が合った金髪くんじゃあないか」「ラキっす」
「あ、自己紹介忘れてた。私の名前はヘンリー・キャンブリア。ラキ、歌を習ったことは?」「ないっすね」
「なるほど。まあとりあえず、いっぺん歌ってみておくれ」

 リズムを思い出し、紙を見ながら文字をなぞる。

「声がちょっと固いねえ。魔力もあんまり乗ってない。でも、素でそれだけ声が大きいのはいいね」「魔力が乗る?」
「知らないのかい? 声に魔力を込めれば、音の行き先をある程度操作出来る。分散を抑えられるから、無駄に体力を使わなくて済むのさ。まあ、あんたに体力の心配はなさそうだけど」

 へえ。一つ賢くなった。
 その後、キャンブリア先生が手本を見せてくれた。まったく本気には見えなかったが、それでもはっきりと聞き取りやすく、情景まで思い描けた。あのおばあちゃんと比べれば、皆々、それほど上手でもなかったから、気分的にはとても楽だった。
 夜八時を過ぎた頃、授業が終わる。フレアと二人でディナーに行けば、彼女の親父に足の冷えより強い呪いをかけられそうだと判断し、誘惑に屈さず帰路につく。
 角の向こうから、オレの行く先を遮るように誰かが現れた。
 足を止める。

「ヨルナさん? こんばんは」「こんばんは。ラキくん、ちょっといい?」

 手を取られる。

「話があるのだけれど」
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