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三章
定食屋の娘は、吹っ切れてしまった -そして未来の、遠いどこかの地で-
しおりを挟む用心棒及び違法研究者の斬り刻まれた死体がゴロゴロと転がる実験施設。
一際奥まった場所にある部屋の前で、老婆は静かに待っている。
孫のコンピュータ・クラッキングは成功したらしい。老婆には、コンピュータの仕組みは理解出来ない。とにかく、扉が開かれる。
斬れないことはない材質と厚みだったが、無理に押し通れば、何が起こるか分からない。老婆にしては珍しく、慎重を期した。
会いに来たのは、それだけ大事な人だった。
小さなベッドでキャッキャと笑う、無邪気な赤ん坊を抱き上げる。愛しげに、優しい涙を浮かべつつ。
普段の威厳はすっかり鳴りを潜めてしまった。どころか、少女だった頃に戻ったようないたずらっぽい表情で、老婆は赤ん坊に話しかける。
「やっぱり。ホムンクルスみたいなもんじゃない」
◇◇◇
エプロンの飾りリボンを、ギュッと締める。
「ちょっと成子ちゃん。まだ中学生のくせして、四日連続でフルタイムするつもり? 明日から三学期でしょ。今日は休んだら?」
朝の九時前。シンクに腰かけ、スマホをいじるお母さんに、過度の労働をたしなめられた。反抗心がわき上がる。やらせて、ときつく言い返そうとした。
「年初めの奇妙な事件。未だに噂が収まってないのね~」
口がモゴつく。
「恐竜が出たとか、海辺の空が青白く光ってたとか。ウチの街の女子中学生がたくさん行方不明になったとか、大気上層で大爆発が起きたとか。面白いわね~」
「…………私が私なのって、多分お母さんのせいだよ」
「あらあら。成子ちゃん、ちょうどその時間、外にいたじゃない? 楽しみにしてた格◯けも見ずに。なにか知らない?」
「知らないっ」
佐伯め。
エプロンを脱ぎ捨て、バタバタと二階に上がる。自室のドアを乱暴に開けると、沐美が本棚の掃除をしていた。彼女の「お帰りなさいませ」に視線だけくれてやったのち、回転椅子に座る。ギィッと悲鳴を上げた。
白紙のワークを手につかみ取る。
「成子ちゃん。道具は大切に……」「沐美、これやっといて」
「かしこまりました」
机につっぷす。メロウの行方を聞かないだけ、お母さんにしちゃあ気をつかってくれてる方だ。ため息をつく。部屋のすみっこ、メロウが残した肉塊――ネオ沐美のメンテナンス用――をにらみつけた。
あれから再生系クリーチャーの自称聖女が復活しやしないかと、期待してなかったと言えば嘘になる。しかしその気配はない。自称聖女のクリーチャーと言えども、そこまで都合のいい身体構造はしてないということかもしれない。あるいは、ナンシーのウイルス毒にやられて、再生能力が機能しなくなったのかも。
ナンシーもメロウもいなくなった今、ウイルス周りの謎は闇に葬られてしまった。一応、親衛隊の皆に頼んで、ムシエキスを付近の一帯にまいといた。そのおかげかは分からないけど、一月五日の人類滅亡は回避出来た、らしい。
まだそう言い切れない。
「メロウにはムシエキス、効かなかったのかねえ。まあ、メロウを狙い撃ちにしたウイルスだったっぽいしなあ」
沐美に肉塊を持ってこさせた。覚悟を決めて、もう一度、自称聖女の思い出を覗き見ると決意する。どっしりと落ち着いて鑑賞してやる。
傍目からは恵まれた彼女の、ゾッとするほど孤独で不幸な一部始終を。
見ながら、コメカミを押さえる。口元を押さえる。目元を押さえる。
その人生を表すにちょうどいい言葉は、勉強苦手な中学二年生でもスッと口に出せた。
「あいつ、がんじがらめなんだよね。運命に」
いくら傷ついても、いくらへこたれても、勝手に体だけ治っちゃう。
自分の意志に関係なく。
心の傷は、そのままなのに。
気づけば私は、外に出ていた。走って、播磨くんのアパートに向かっていた。
目標があったら、周りに流されず、自分の意志で動きたい。
自分が主人公とか言うつもりはないけど、でも、成り行き任せはもうたくさんだ。
自分で自分に成るんだ。
四階まで一気に駆け上がり、インターホンも鳴らさずに、43号室のドアノブに手を掛ける。はやる気持ちのままに、ガチャガチャしてぶっ壊すつもりだった。
鍵はかかってなかった。異様なフインキを察する。土足でリビングに踏み入った。
すると、なんということでしょう。
上半身を裸にひんむかれた播磨くんが、手足をしばられ、床に転がされてるじゃありませんか。口にはガムテ。傷だらけで、かなり衰弱してるっぽいけど、私の姿をみとめた途端に、視線で助けを求めてきた。
部屋にいたもう一人と目が合う。幽霊みたいな女。
倉巳さんだ。彼女はヒュッと息をのんだ。慌てながら叫ぶ。
「これはっ、ちっ、ちが、違うのっ! って、あっ!?」
激しい身振り手振りのせいで、脇のスケッチブックを落とした。めちゃくちゃにいたぶられる少年の絵が、情熱的なタッチで描かれている。
題名は、「ハリマきゅんの新世界」。
「あっ、あっ、あっ、あっ!? ちが、ちがくて」「なにが違うの?」
「こ、このアパートに引っ越してきたのも、元はそういうつもりじゃなくて! えっと、心機一転して、真っ当に生きるつもりでっ! でも、その、あまりにかわいい少年がいたからっ、最後って、最後なんだって、有終の美を飾ろってなって、それで魔が差してっ……あっ」
倉巳はそこまで自白してから、ようやく口をふさいだ。語るに落ちてる。警察に電話しない理由がない。スマホを取り出す。
「やっ、やめっ……あああああっ!!」
しなる鉄鞭で殴りかかってきた。意外といい動き。今の、進化しちまった私に届くほどじゃないけど。
短刀を使うまでもない。ヒョイッとよけて、アゴに裏拳を入れる。倉巳はあっさり気絶した。
格が違う。身体能力面でも、犯罪者としての心構えの面でも。
なにせ私は、自ら殺した女の息子を、一切の罪悪感なく愛せる女だから。
播磨くんにかけられた束縛を解き、抱き起こす。
「あ、ありがとう……」
「どーいたしまして。いいタイミングで告白に来ちゃった」
「こくは、く?」
「私、播磨くんのことがスキ」
至近距離でみるみる赤くなる頬が、とてもおもしろい。
「だから、私のモノになってよ」「……はい」
恥じらい、はにかみ、嬉しそうに微笑んだ。
「僕も、成子ちゃんがスキです」
「へえ。いじわるな質問だけど、どこが?」
「夢に真っ直ぐで、芯があって、閉じこもりがちな僕を外に連れ出してくれそうで、そして」「そして?」
「雰囲気だけじゃなくって、ホントにミステリアスなとこ」
はっきりと答えられちゃった。「女」がうずいちゃう。
「ふふん。でしょ?」
播磨くんの体に力が戻る。
互いの唇を近づけて。私たちは、「ファーストキス」をした。
◇◇◇
砂浜に打ち上がったものを見て、少年は驚愕のまま、持っていた釣竿を落とした。
不完全な骨格の引っ付く、恐らく女だろう首。白い肌、煌めく金髪は、ネット上のデータには残っていても、昔と比べてはるかに陽光がキツくなった現在、地表からは絶えて久しい特徴だった。
死体、だろうか。
少年は女の首に近づく。こんな無惨な姿になった人間が、生きていられるはずもない。にもかかわらず、おかしな点が一つある。肉がまったく腐ってないのだ。骨も白い。
今にも動き出しそうな、不可思議な生命力を感じる。
ドクンと心臓が跳ねた。冷や汗がドッと溢れる。内より生み出される根源的恐怖に、少年は身を竦ませた。同時に、かすかな好奇心も覚えた。
すぐにでも警察に連絡した方がいい。理性はそう訴えかけてくる。でも、そう、ちょっとくらいならいいんじゃないのか。
顔くらい、先に拝んどいてもいいんじゃないのかな。
男心の誘惑に負け、そろりそろりと首の正面に回る。満足げな表情で、彼女は静かに眠っていた。少年の脳に宇宙が宿る。
あまりにも美しい。喉をゴクリと鳴らす。性が反応せざるを得ない。
形の良い女の鼻に、無用心にも手を差し出す。少年の運命の、激しく情熱的な転換点が、ヒタヒタ迫ってきていることにも気づかず。
ゆっくり、ゆっくりと伸ばした手が、ついに肌に触れようとする、その直前。
彼女の目がパチリと開いた。
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