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三章
思い出してしまった
しおりを挟む暗く静かな廊下にポツポツ落ちる、生々しい血コンをシルべとして歩く。
「ナンシーちゃーん、どこお? 忘れ物だよお!」
先ほど斬り落とした左腕を、ぷらんぷらんとかかげてみた。切断面から血が飛び散る。
舐めてみた。まずい。手のひらを眺める。飾り気はないものの、爪はきちんと手入れされ、全体として清潔だった。
さすが、ウイルスを扱うサイエンティストなだけはある。
「片方だけで研究とか出来るのかなあ? まだくっつくかもよ。希望を捨てちゃあいけないよ。取り返しにきなよ。ねえ。ナンシーちゃあぁぁぁあん!」
呼びかける。返事はない。足元の血コンが途絶えた。人体そのものに神秘性を感じるタチではない私、左腕を放り出す。
なんとなく、両手で短刀を構えた。リズムに乗って刀に尋ねる。
斬るべきお肉はどっちでしょう♪
刀は答える。あっちだよ。ふむふむ、そっか。にっこりする。
料理する時、包丁の言うことはずっと信じてきた。だから、刀の言うことも信じる。
さすがに殺すのはまずいよね。心臓をやってみたい私の本心をくんでくれるのはありがたいけど、ちょっと狙いをズラして。
刀はやれやれと肩をすくめる。もう、仕方ないなあ成子ちゃんは。
心おもむくままに舞い、短刀を振るう。ブシュッと血が弾けた。顔にあったかい体液がかかる。
悲鳴がとどろいた。泣きわめき、必死に逃げるナンシー・レイチェル。背中を広く斬ってやったはずなのに、まだ動けるらしい。浅かったかもしれない。でも内臓や背骨までやっちゃうと、死んじゃう可能性が跳ね上がるしなあ。
どうやったら人って動けなくなるんだっけ? え? 足?
「そうか。足のどっちか、もらってあげればよかったんじゃん」
「う、うあああああああああああっっ!!」
行き止まりに追いつめられたナンシーが、隅に置いてたバットで殴りかかってきた。片腕だからか、バランスが悪い。簡単によけられる。
空振ったバットは壁にぶち当たり、破壊した。思ったよりも力は強い。
壁に埋め込まれたバットを抜こうとするナンシー。そのスキを突き、足の関節を狙って斬撃を放つ。ジャンプでかろうじてかわされた。その勢いでバットが取れる。
「があああああああああああああっ!!!」
気合十分。至近距離で、バットが上から振り下ろされる。彼女のヒジに、柄の頭を打ちつけた。途端に握力が弱まり、バットはスポンと後ろに抜ける。
満を持してナンシーの右足を斬った。倒れ伏し、汚い絶叫を上げる。
「うぎゃっ、ああああっあああああっ、っぎゃああああっ!??」
「なにそれ。おもしろい顔。イ◯スタにアップ出来ないのがざんねーん」
カンに従って、残った手足の付け根に切り込みを入れる。ナンシーは動けなくなった。血と一緒に体力も流れ出たのか、やがて叫び声も止まった。英語らしき言葉をぶつぶつとつぶやくだけだ。神に祈ってるのは分かる。
「日本には、信じる者は足をすくわれるってジョークがあるよ」
“No..., no...”
「血が足りなくなって死ぬのって、私のせいじゃないよねえ? 死ぬ前に答えて。悪魔はどこにいるの? 日本語でお願いね」
「知らない……知らない……少なくともここじゃない……」
ナンシーは、弱々しく首を振る。
じゃあバイバイ、と言って立ち去ろうとした。
ふと止まる。んー、と考える。放っといたら死ぬだろうけど。
刀を握る手がウズウズする。引導を渡してあげたい。具体的には、心臓と、首も斬ってさし上げたい。でもガマン。ガマンしろ未韋成子。「時の回廊」で、メロウをさんざん止めたじゃないの。
人殺しは、ダメ。倒されるべき悪になっちゃうから。そう言って止めたのに。
あれ。倒されるべき悪ってなに? 人を傷つけた時点で悪じゃない? なんで殺すのはダメなの? 致命傷を負わせるのと殺すの、なにが違うの?
血だまりが、月明かりによく映える。おかしな線引き。なんだろう。
私が人を殺したくない理由って、ホントにそれなのか?
カタッ。
後ろから音がした。振り向き、直ちに走る。音の主に刀を突きつけた。現場を見られた。生かして帰せない。
「成子ちゃんに殺されるのなら、まったく本望って言うものじゃあないか!」
生きるか死ぬかのハザマにもかかわらず、気持ち悪いくらいに嬉しそうな声音だった。
聞き覚えがある。暗くて顔は見えないが。姿勢を変えずに呼びかける。
「佐伯さん」「やあ成子ちゃん」「ここどこか分かります?」
「さあ……。気づいたらここにいたんだ。外の車で眠ってた」
悪魔に操られてただけっぽいな。刀を少し引く。
月光に照らされる、死にかけのマッドサイエンティストの方向を眺めて、佐伯さんはイキイキと言った。
「親衛隊の方で処理しとくよ。バレないように」「え、いいの?」
「もちろん。これが二回目だ。もちろん、何度でもやるけどね」
「…………………………………………にかい、め?」
バクン。
心臓が跳ねた。
左手で、左胸を、ワシヅカミにする。
二回目。二回目? コドウがどんどん激しくなってく。それってつまり、一回目があったってことだよね?
頭が割れるように痛い。おかしくなった播磨くんの首断ちがフラッシュバックしてきた時にも、似たような痛みにおそわれた。
ずいぶん昔に封じたはずの記憶が、脱獄しようともがき暴れる。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………あ?」
いつの間にか私は、ナンシーの側で、短刀を振り下ろしていた。生首がゴロゴロと転がり、佐伯さんの足元で止まる。
刃の血を払った。命を完全に絶った実感が、じんわり体を温める。
思い出した。
「成子ちゃん。けっこうなお点前で」
ほめられた。銀の刀身を、キレイな月の光に浴びせる。刃に映る自分の表情は、これまで生きたどんな時よりも――料理を作っている時よりも、圧倒的にかがやいていた。
ああ。そうだった。
「播磨くんのお母さん、殺したの私じゃん」
播磨一家の来店をきっかけに、播磨くんとちょっと仲良くなって。そしたら彼の母親に目をつけられて。ウチの子に近づかないでって口論になって。
ナイフでメッタ刺しにしてやって。
気持ちよくなって、快感すぎて、依存しちゃいそうで、でもこんなことするのは良くないって分かってて。だから、封印しようとしたんだ。
全部丸ごと。
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