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三章
聖女の過去を見てしまった
しおりを挟むおどらされ、転がされている。
カップラーメンをご馳走になったのち、播磨くんに見送られつつ、アパートを出る。誰もいない道のりで、私はメロウに問いかける。
「つまり、神や悪魔による介入があったってこと? 倉巳さんに目をつけるまでにやってきたプロセスの、どこかで」「あるいは」
冬らしい風が吹いた。枝だけの木が揺れる。あまり掃除されてないのか、足元では落ち葉が舞う。さみしい景色だ。街のゆるやかな衰退を意識させられる。
はたしてこの先、定食屋「まだい」は生き残っていけるのだろうか。
移転の二文字がチラつく。その前に、人類が滅亡する可能性もあるんだけど。
「倉巳の引っ越しからして、仕組まれたことであるという線もあります」
「どうやって仕組むのさ」
「『時間の神』はともかく。悪魔の得意技は『運命操作』なのです」
うんめーそーさ。なんかすごそう。
「すごいですよ。悪魔の『運命操作』は。尤も、特殊な条件を満たさない限り、現世においては全力は出せないでしょうが……」
「運命の操作とか、そんなのされて違和感とかないの?」
「その時その時は、自分の意思で自然にやってると思い込まされるんでしょうが……振り返ってみるとあるかもしれませんね、違和感」
「ふうん」
スマホを取り出した。電話帳に登録したばかりの名前をタップする。
大みそかだからと電源を切ってなかったら良いけど。たまにいるんだよね、年末年始はゾクセから解放されたいと、携帯電話をブラックアウトさせちゃう人。
ワンコール目も終わらぬうちにつながった。
「もしもし。佐伯さん」『もしもし成子ちゃん! どうしたの?』
「親衛隊サイトにのせる私の写真について。スタジオ、一月六日か七日に押さえといてもらえる?」「もちろんオーケー!」
「ありがとう。ところでだけど」
スタジオ予約は、ただの電話をかける口実。雑談から入る。
「今なにしてるの?」『親戚の家に集まってボドゲやってるよ』
「邪魔してごめんね。どんなボードゲーム?」
『ゴールした順番と、ゴールするまでに集めたお金で勝敗を決めるヤツ』
「せちがらいね。しょっぱいよ。集めたお金で勝ち……価値が決まっちゃうなんて。あれでしょ? 人生系のなんとかでしょ?」『そうそれ』
「たとえお金がなくても、振り返ってみていいと思える人生ならそれでいいと思うんだけどなあ。ねえ。人生振り返ってみてどう? 特に最近」
『うーん……』
悩み始める佐伯さん。急すぎるフリにとまどってるんだろう。もうちょっと準備すべきだったか。あせったかもしんね。
『私のせいで、親衛隊の存在が成子ちゃんにバレちゃったわけじゃん』
「うん」『あの時はヤバいと思ったけど。でも、これで良かった』
ハレバレとした声だった。
『やっと、始まったって気がする。私の人生が。神に報われたって気がする』
報いたのは悪魔かもよ。
この後もう少しだけ話して、電話を切った。感じてるのは違和ではなく、むしろ幸福というご様子。
「成子ちゃん。先帰ってもらっても良いですか?」
「いーけど。どうしたの?」「調べたいことがあって」
「分身しないの?」「数は増やせても、思考力は落ちるんですよあれ」
そういえば、言葉のレパートリーがだいぶ減ってたね。
メロウと別れて十分後、帰宅。お父さんが厨房で、既存メニューのクォリティアップのための研究をしていた。二時間ほど手伝ったのち、自室の回転椅子に身を投げ出す。宿題ノートが目についた。気分が悪くなる。ストレス要因。
視線を転ずる。隅っこで、沐美がちょこんと正座してる。ウツロな目で。口からヨダレがたれてる。
首元からのびる、見た目ぶよぶよしたキショク悪い肉の糸が繋がる先は、ツルンとした丸っこい肉塊。無印沐美をネオ沐美に改造したヤツだ。さらなるアップデートが施されてるのかもしれない。かわいそうに。
側に寄り、肉塊の前にかがんだ。買ったばかりのファンデーション(うすいタイプ)をほーふつとさせるカラーリング。
腕を組む。メロウは確か、こう言っていた。
あのお肉は私の脳からちゅーしゅつしたものです。物心ついた時からの思い出がつまってます。見ますか?
肉塊の気持ち悪さに、あの時は断った。でも。メロウの過去、気にならないと言えば嘘になる。未来からきた自称聖女。どんな人生を送ってきたのだろう。
振り返ってみて、いいと感じられるものだったのか。そうじゃないのか。
どうやったら見れるのかな。なにげなく、右手の人差し指でつついてみた。
にゅるり。肉の糸が二本、ふれた所から生える。ラセンを描き、指、そして腕へと絡みつくようにのびてきて、額につき刺さった。刺さった感触はあるのに、不思議とまったく痛くない。
刺さった場所は。
代わりに。
「ぐ」
頭を押さえる。
「うぎゃ、あ、あ、あ、あ、あ、あっ!??」
熱い。脳が熱い。割れる。ハレツする!?
一秒にも満たない間に、おびただしい量の記憶が、ぐわっと流れ込んでくる。
実験に次ぐ実験。研究施設からの逃亡。
生き残るための売春活動。
圧倒的孤独感。性的快楽への依存。
「やめて」
彼女の弱った心につけ入る、謎の超常的な存在「エギューバ」。
聖女認定。生まれて初めてもらったアイデンティティへの固執。
邪神の思し召しに従って、凶悪な犯罪に手を染める、「操り人形」生活。
「やめてあげて」
当然なくなる居場所。心を殺す。心が死んでいく。
神のおっしゃられたことなのだから。
ある日、もう何度目かも分からない指令が届いた。過去に行き、大事件を防ぎ得たにもかかわらず、不幸にも死んでしまった人々を助けよ。
優しい指令だ。聖女はかつてない使命感を覚えた。邪神に従ってタイムマシンを作り、過去へ趣き、幾重もの危機を乗り越え、指示された三人を救い出し、そして。
三人に裏切られ、タイムマシンを奪われた。
もう。いいです。もう。もう――。
ブチブチと、肉の糸を引きちぎる。ズリズリと後退ろうとしたら、バランスをくずしてコケた。すぐに立ち上がり、部屋から逃げ出す。
勢いよく階段を降りる。洗面台に向かって走る。
「お、おえええええ」
吐いた。正面を見る。鏡に映る私の顔は胃液でぐちゃぐちゃで、それはまた、とてもひどいものだった。
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