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第一章

10.【勇者。】●

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 目の前に近づいて来たノエルが柔らかく笑いながらフェリシアの顔を覗き込む。
 どことなく、フェリシアの知る彼女よりも少しだけ雰囲気が違う。彼の知るノエルという女性は絵に描いたような勇猛さを持った人だった。
 だが。
 もし、もしも。勇者の旅に同行する事が無かったら、彼女は冒険者のギルドでこうして働いていたのかも知れない。そう考えてしまったフェリシアは──ルシールの時と違って声が出なくなってしまった。
 変わらないままで居続けたルシールと、変わらなければいけなかったノエル。この二つに違いなんてない。どちらも彼女達の本質を表していて、そして彼女達なりの選択や思いあっての事だからだ。

(ノエル……っ)

 塞がれた喉の奥で叫びそうになる。
 薄れかけていた罪悪感が噴き出してしまったフェリシアは、口を半開きのまま震わせて──その場で固まってしまった。
 勇者ゆえに、思考は止まらずに彼の心を蝕む。
 ノエルはぱくぱくと口を震わせているフェリシアを見て怪訝になるが、そこへ助け舟を出したのはギルド職員と会話していた青い髪の少女だった。

「フェリシア。ギルドの人呼んでるよ、審問官さん来たんだってー」

「っ! ……う、うん。ありがとう」

「ふふん、どういたしまして」

「お、おっ! かぁわいい~! きみはお客さんかな、審問官って? 何かあったの?」

 フェリシアの肩に手を添えて、ゆるりと彼の前に出た青い髪の少女がノエルに自分の胸を張って見せる。その後ろ手に回される片手は、華奢な背中に隠したフェリシアの手を拾い握っていた。

「私のせいで大事な旦那様が審問官さんに頭の中身見られちゃうんだって」

「だんッ……!?」

「ぁらら、もしかして書類不備のまま討伐依頼でもやっちゃった? てか羨ましいなぁ、二人とも若いっしょー、アタシも良いヤツと一緒になれたらなぁ」

「立候補するぜ俺」

「……やめておけ。ノエルだぞ」

「オイコラそっちの根暗ハゲ」

 もうずっと息でも止めていたのかと錯覚するほど、酸欠になったフェリシアが荒い息を吐く。
 ノエルの意識が外れたのを見た青い髪の少女はフェリシアの手を引き、その場から離れようとする。
 どっと疲れた気がしたフェリシアだったが。それでも。

「……ごめん、ありがとう」

「何のことかな」

「ん……いや」

 まだ名も知らない少女。
 ノエルに言われて気づいたが、フェリシアは青い髪の少女が十代とは思っていなかった。理由が思いつかない辺りは恐らくセンスによる感覚から来ているのだろう。
 手を引く少女が向かう先でギルドの職員と修道女らしき人物が並んで待っている。修道女が審問官なのだろうと察したフェリシアは、青い髪の少女の手を握り返して足を止めた。
 言っておかなければ──そう思い、彼は振り向く少女の目を見る。

「……僕は君が言いたくないなら何も聞かないし、訊こうとしないつもりだよ。
 君が何者なのかも、探ろうとは思ってない。
 どうして僕と一緒にいるのかも──分からないから」

「────」

 不思議そうに目を丸くさせていた少女が次第に色を変える。
 感情の変化。
 だが、少女は何かを押し殺すように表情を──露わにしかけた感情を元に戻した。
 フェリシアはそれを見て半ば確信し、そして少女への思いを新たに強くする。

「ごめん、ごめんよ。僕にはまだ……分かってあげられない事が多いらしい」

「……何それ」

「いや、そのさ。僕のこういう直感っていうのかな……よく分からないけど、何だかわかりそうな感覚を勇者の勘って言うらしいんだ」

「あはは。勘なんだ?」

「そうなんだよ。自分の考えや頭の中にある事と全然違うんだ。だから困ってたら、その時に仲間だった人に名づけられて……」

「そんなフワフワしてるのに、それを鵜呑みにしちゃうんだ……それで。その仲間の人は元気にしてるの?」

「うん──元気にしてたのに、わざわざ要らない話をしそうになっちゃったから。話しかけなかったけどね……君のおかげで、踏み止まれた」

「ふふん、お礼は?」

「はは……ありがとう。レイン」

 互いに少し照れた笑みを浮かべていた所でフェリシアがぽつりと口にした言葉。言われた青い髪の少女はそれを自分に向けられた物だと、後から遅れて気づいて小首を傾げた。

「私の、呼び名?」

「うん」

「そっか、うーん……私は名づけに意味を持たせるタイプなんですけど? どうなんですかお兄さん」

「え? いやどうかな。降ってわいた感覚だから何とも……」

「それも勇者のカンなのかな」

「いや違くて……なんて言うのかな。その、魔術に使う『順列の言葉』ってあるよね、あれの中で降り湧く意味を持ってる言葉があるんだ。
 君はその、正直よくわからなくて。でも目に見えて安全だと思ってる、それを当てはめるならこれが一番かなって思った」

 フェリシアの視界の端で、足を止めて会話を続けている二人を待ちきれなくなったギルド職員の女性が近づいて来る姿が映る。少し怒ってるようで、彼はそちらに苦笑しながら目を向ける。
 ──そんな彼を見つめながら、少女が自分の髪を手に乗せて揺らす。

「雨って意味。知ってるのかと思っちゃった」

「……ん?」

「何でもない。それよりさ、ギルドの人怒ってるしもう行こう? ……あと、当分はそれで呼んで良いよ。不便だったもんね、私の事呼ぶとき」

 どこか遠くを見るように視線を泳がせた少女──青髪のレインはそう言って。フェリシアの手をまた引いて歩き出した。
 揺れる髪を見下ろしながらフェリシアはレインの言った事に想像を連ね。やがて「雨よりも綺麗だよ」と笑って呟いた。
 レインの反応はこれといって別に伺えない。
 すっかり不機嫌になったギルド職員の女性をなだめながら、彼等はギルドの奥へと向かって行くのだった。





 冒険者ギルドの別室へと案内されたフェリシアは、左右をスキンヘッドの冒険者らしい先ほどの組員に並ばれて椅子に座った。
 部屋の外からノエルの声が聞こえて来る。

「アタシは先に酒場行ってるから、後から来なよー!」

「あの馬鹿……こっちは職務中だってのに!」

 仕事の邪魔だ、と扉を開けて怒り散らすギルドの職員を前にしてスキンヘッドたちから恐れおののく声が上がる。フェリシアもちょっと怖いと感じた。
 そうこうする間にもフェリシアの前では黒のヴェールをおもてに垂らした修道女がフェリシアの前に立つ。掲げられる錫杖の様な道具は金のリングを連ねた装飾を音を立てて揺らし、魔術の詠唱をしている。
 精神干渉の魔術だと聞いたので、フェリシアは出来るだけ修道女が読み易くなるように力を抜いた。少しでも抵抗すると、勇者の体はそういった呪いの類を跳ね除けてしまうからだ。

 ──施行せよ。

 何らかの干渉の魔術が発動すると、フェリシアの頭部を中心に茨めいた魔法陣がグルグルと回り動き出し、玉虫色の光を放ち輝き始める。
 部屋の隅にはレインが立っているが──とても暇そうに目を閉じていた。
 審問官らしい修道女は詠唱以外に話す事無く、ただ書類を片手に魔法陣に指を乗せて回転させたり止めたりを繰り返している。
 フェリシアにとって魔術や魔法、呪詛や奇跡といった力のある言葉の数々は全て受け売りだ。いずれも戦闘で使う為の、武器と同じ物なのだ。
 ゆえに目の前で行われている魔法がとても新鮮に感じられ、同時に少し寂しい。

(ルシールはこういうのも使えたのかな……)

 自分に魔法を教えてくれたのは、殆どが仲間のルシールだった。
 転移魔法トランスファーのような禁忌とされた古い魔法は違う。他にも攻撃に転用している自作の魔術もあるが、多くはかつての仲間が彼に教えたもの。
 思い起こしてみれば、きっとそれだけの知識があるのなら彼女は何でも出来たのだろう。
 それを活躍させてあげられず。平和な世界を見せてあげられなかったのは──。

(──僕のせいだ)

 ──自分は結局、あの世界を平和に出来たのか?

 過去に戻ったとばかり思い込んで逃避しているのではないか。
 思い出せ。
 なぜルシール・カーライルは死んだのかを。
 勇者の自覚はあったのか。
 ないだろう。
 果たすべき使命はもっと多く、命ぜられた言葉も大きく在ったはずだ。
 思い出せ、思い出せ。
 黒い雨が降り注ぐ死の大地を彷徨い歩いた末に辿り着いた、妖精の泉で何があった?
 出会った半妖精エルフの乙女に誘われ、仲間と自分を癒して貰った時。
 お前は何を考えた?
 捨てたのだ。
 貴様は我が言葉を忘れ、勇者の使命を果たす事を一時──拒んだのだ。
 勇者。
 神の使徒。
 勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。
 勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。
 勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。
 勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。勇者。




「……そこまでにして貰おうか」

「──ッ!?」

 冒険者ギルドの応接室で暴風が吹き荒れる。
 無数の赤い触手がスキンヘッドの冒険者たちを一瞬で絡め捕り、直後に部屋の扉を触手の一本が粉砕して作った出口に男達を投げ捨てる。
 魔法陣が爆ぜ飛ぶ。陣が失われ、行き場を失くした魔力が渦巻いて部屋中に光を放つ最中。事の成り行きを見守っていた職員の女性が悲鳴を上げる。
 レインが見開いてフェリシアに向かおうとする。

「大丈夫」

 近付こうとしたレインを手で制し、フェリシアが目の前のテーブルを横合いに蹴りどかした。

「……フェリシア?」

「馬鹿な、どうやって神聖なる啓示を退けた……!!」

「あれだけ同じ事を並べ立てられれば嫌でも目を覚ます。それより、だ」

 暴風に煽られてヴェールが取り払われてしまった修道女が素顔を晒す。
 人間──しかし、その眼は赤く染まって血涙を流していた。
 フェリシアの衣装が音も無く元の姿に戻り、次いで彼が拳を構えながらゴキリと首を鳴らして告げる。

「あれだけ私の頭の中で不躾に騒いだんだ。黙らせようと構うまいな」

「ひっぃ!?」

 逃げようとした修道女が次の瞬間、フェリシアが残像を残して消えた直後に床に叩き伏せられた。
 頚を掴み振り下ろす。絨毯ごと床板に沈められた女が短い悲鳴を上げ、意識を失った。
 フェリシアは額に珠のような汗を浮かべ、それを拭う事もしないで直ぐに呪文を紡ぐ。

「【其は始まりアレフ二人目の繰り手ヴェイト──継ぐ者よ施行せよアルフェーヴェート】」

 床下から飛び出した植物の蔓が女を拘束して、そこでフェリシアは膝から崩れ落ちた。
 今度こそレイン駆け寄って来て彼の様子を診る。

「──何をされたの!」

「……洗脳。かな、多分」

「この女は?」

「王国騎士団……だった。ッづ、ゥ……油断した」

 魔法を途中で阻止したものの、それでも頭が割れそうな痛みを発した事で強い影響力があった事をフェリシアは再認識する。
 頭に手を当てて崩れ落ちたフェリシアの傍に寄るレインは落ち着いた様子で床に縛られ転がる刺客に目を向け、それから緩く頭を振る。

「ギルドのお姉さん。この人審問官さんじゃないって」

「そ、そうだったの……? 王国騎士団がどうとかって、貴方達言ってたけど一体どういう──」

「ちょっと! 凄い音したけど大丈夫!?」

「ノエル……! それが──」

 廊下で気絶しているスキンヘッドの男達を飛び越え、部屋に駆け付けて来たノエルが片手に戦槌を携えて構える。
 部屋の惨状もさながら、拘束されている修道女の格好をした騎士を見て彼女は。

「待った。それ事情聴くとまずいヤツよね? あんたの顔見れば分かるって」

「え、えっ。じゃあどうすれば……!」

「会長呼んでくる」

「えぇぇ!? ちょ、それやばいんじゃ」

「神聖教会のシスターボコったとしても、偽物ボコったとしても、どっちみちアタシらの手に負えないって分かるでしょうが。騎士団にも顔が利くリーダーに丸投げして帰るよ!」

 フェリシアとレインが何もして来ないのを確認してから武器を下ろしたノエルが溜息をつく。
 ぽい、と床に捨てた戦槌はどうやら他の冒険者の武器を勝手に借りて来たらしい。
 仲間の女性を立たせて腕を掴み引き摺って行くノエルは、最後に振り向いてフェリシアに声をかけた。

「災難だったね」

「……まったくだよ、あはは」

「ふっ、余裕あるねぇ。ウチのリーダーにちょいと話通しとくからさ、休んで待ってなよ」

「逃げちゃだめかな? 僕、けっこうしんどくて……」

「君、多分財布なし。そっちのお嫁さんも財布なし。事情ありの文無し夫婦とアタシは見てるけど合ってる?」

「えーと、夫婦じゃないかな……」

「夫婦でーす」

 レインが悪戯っぽく笑って言ったのを見て、フェリシアが信じられない……といった顔で凝視する。
 それを見たノエルが噴き出して。笑いながら去って行った。

「あっひゃひゃひゃ! 面白いなあんた達、また会ったら一食奢るからおいでよ! じゃーね」

 部屋を出ていき、外の廊下で人だかりが出来ているのを「会長呼ぶからあんたら下がってろー、現場はいるなよー!」と叫んで散らしてくれていた。
 汗が未だに止まらないフェリシアはそんなノエルの姿にいつの間にか、小さく笑ってしまっていた。懐かしい面影を見て、彼はどこか──救われた気になっていた。
 暫し、レインと共にその場で座り込んでいると。やがて外も静かになってから一人の男が荒れた応接室へと入って来た。

 長身にして大柄な壮年の男は、白い顎髭を手で軽く撫でてから端的に告げる。

「いやいや……なんか呼ばれたから来たんだけど、どういう状況か教えてもらっていーい?」

「……フェリシア。ノエルっていつも大雑把なのかな?」

「……交渉事は他の人にお願いしてたんだ。大雑把だから事情とか割と説明が雑くて」

「賢い生き方してるね……」

「でしょ?」

 なんで自信ありげなのかと、レインがフェリシアの顔を覗き込んだ。
 それよりも彼は冒険者ギルドの会長にどこから話そうか、頭を巡らせるのに忙しかったのだった。

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