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第18話「最果ての決戦を前に」

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 大事な仲間の犠牲を乗り越え、ヨシュア達は深淵しんえんへと挑む。
 すでにどれほどの時間が経過しただろう? かなりの深さまでもぐったが、まだ底は見えない。そして、頭上に遠ざかったシオンの声も、剣戟けんげきの音も途絶えて久しかった。
 自然とリョウカが気になって、ヨシュアはかたわらの少女を見やる。
 リョウカは真剣な表情で、自分達を吸い込む奈落アビスの底をにらんでいた。
 暗く沈んだ雰囲気に耐えかねたのか、シレーヌが口を開く。

「ね、ねえ……あ、そうそう! あ、あのさ、セーレ」

 無理に作った笑顔で、シレーヌはリョウカの側へとそっと身を寄せる。
 彼女はいつも、リョウカのことを気にかけてきた。郷里を助けてくれた恩人である以上に、リョウカへ強い信頼と友情を感じているのだろう。
 そのシレーヌが、リョウカに寄り添いつつ急な話を持ち出してきた。

「前から気になってたんだけど……堕天使だてんしルシフェルとセットで名前が出てくる、例の『』ってなにかしら? その、気になって……」

 そういえばと、ヨシュアも今までの会話を思い出す。
 現在、教会が人間の堕落へ直結する罪として『』を公表、これをげんいましめるようにと教義に記している。確か、傲慢ごうまん嫉妬しっと怠惰たいだ強欲ごうよく暴食ぼうしょく色欲しきよく……そして、憤怒ふんぬだ。人間の欲とエゴが引き起こす、これらの堕落へ教会は警鐘を鳴らしている。
 だが、ルシフェルは自分を入れて六つの大罪と言った。
 この数の食い違いはなんだろうか?
 ヨシュアも言葉を待っていると、セーレが静かに喋り出す。

「六つの大罪というのは、ルシフェルが生み出した五人の悪魔と、ルシフェル自身を合わせた……まあ、冒険者で言うパーティ名だよん? 完全に統制の取れた最強チームで、大昔の戦争では天使達をそりゃもう、片っ端から千切ちぎっては投げ、千切っては投げ――」
「なるほど、ようするにルシフェル直属の部下って感じか」
「その真の力はまだ、私達ですら見たことがない……ソロモン王にも見せなかったんだ。つまり、敵は最低でも六人いるってことになるよん」

 セーレは以前と変わらず、飄々ひょうひょうとした笑顔で声音も落ち着いている。
 落ち着いているというより、常に浮ついた陽気に満ちていて、ようするに普段通りだ。

「六つの大罪は、当然だけどルシフェルと一緒に徹底抗戦を主張したんだよー? ただ、ソロモン王は既に神と……しゅとの戦いに見切りをつけていたから、戦争継続を望まなかった」
「なるほど……確かに、戦争で一番大事なのは、終わり方、終わらせ方だもんな」
「そゆこと。ソロモン王は人間の解放を成し遂げ、見返りに主の世界から私達七十二柱ななじゅうにちゅうの魔神と共に去ることを選んだ。その時、ルシフェルをこの地に封じたんだね」

 そういうことなら、このディープアビスに来た時に教えてほしかった。
 だが、あの伝説のソロモン王が封印を施したのだ……それは死よりも確実な、永遠の投獄を意味している。あまりにも過酷な迷宮の奥深く、誰もが到達できぬ最奥さいおうに、ルシフェルは閉じ込められていたのだ。
 セーレはわずかに目元を細めて、不意に声色を湿らせる。

「ルシフェルはね、あいつ……バカなんだよ。天界で主に次ぐ地位、天使長の座まで手に入れておきながら、主を疑ってしまった。主は、ほら、神様だから。自称、全知全能の唯一神だからさ。
「……どういう意味だよ、セーレ」

 レギンレイヴやシレーヌも、真剣にセーレの話に聞き入ってる。
 リョウカもまた、一字一句を胸にきざむかのように真っ直ぐセーレを見詰めていた。

「リョウカのコンビニ、ブレイブマートとは違ってね……主は、なんでもできる、なんでもやれる……だからこそ、簡単にその力を使うことができないんだ」
「……それは、不平等を生むからか?」
「ピンポーン! ヨシ君、正解っ! 1,000,000ソロモンポイント進呈しんていっ!」
「茶化すなっての。その、神様ってのはさ……面倒なもんなんだな」
「ルシフェルもね。結局苦労させられるのは、人間なんだけども」

 例えば、ブレイブマートにはなんでもある。どんな商品でも取り揃えているし、そのサービス内容は日々進化している。この戦いが終わったら、リョウカは新たに劇場のチケット販売や地上への荷物配達などを考えているそうだ。
 マッコイ商会のガレリアが、喜んで飛びつきそうな儲け話である。
 だが、神をコンビニの利便性と同一に語ることはできない。
 神が持つ万能の力は、その一つ一つが奇跡……無闇に振りまけば、条理が崩壊し法則が意味を失う。そして、奇跡を受け取る人間とそうでない人間を生むのだ。
 だから、神はなにもしない。
 できないのだ。

「そういうことがさ、ルシフェルにはわからないんだと思う。ああ見えて多分、子供なのよねぇん。あーやだやだ、お子様は私、嫌いよん?」
「……俺は魔力を持たずに生まれたし、シレーヌだってそうだ。だから俺は、小さい頃は生まれの不幸を呪ったりもしたさ。でも、信じる信じない、ほうじるほうじないは別にして、神様がいるのはわかる」

 そして、神は真なる万能の存在ではない。
 もしくは、万能の力を振るえないのだとヨシュアは理解した。
 本当に万能ならば、ヨシュアやシレーヌのような人間を産み出す筈がない……欠落を抱えた人間を、そのまま地上へと産み落とすことと矛盾すると思う。
 魔力を持たず家を継げないヨシュアも、その重荷を兄に代わって背負ったディアナも、神の手を差し伸べられたことがない。二人は自分の力で苦難を退けたし、助けてくれたのは友人や仲間、家族だ。
 そこに神の手は介在していないのだ。

「さて、お話は終わり、終わりっ! ほら、ヨシ君。底が見えてきた」

 セーレが言う通り、落ちゆく先にほのかな光が見えてきた。
 ぼんやりと青く揺れる、とても冷たい光である。
 そして、上昇してくる気流に包まれれば、寒さにヨシュアは身を震わせた。
 そこからはすぐで、あっという間に一同は光に包まれる。

「あっ……こ、ここがディープアビスの最下層か……?」

 見渡す限りに広がる、一面の景色は氷に閉ざされている。
 まるで、極寒ごっかんの氷原だ。
 遠くに見える山並みも、森も木も凍っていた。
 時間さえ凍りついたかのような、冬の風景にヨシュアは圧倒される。
 着地すれば、パキパキとくつ薄氷うすごおりを割って、冷たさを肌へと伝えてくる。

「ふむ、私もここまで降りてくるのは初めてかな? さて、と」

 セーレは相変わらずの薄着で、見る者が見れば水着かと思うほどだ。だが、全く凍えた様子も見せずに歩き出す。
 彼女の背を追いかけながら、ヨシュアは仲間と共に周囲を見渡した。
 世界の最果てがあるとしたら、ここにほかならない。
 そう思えるほどに、荒廃した空間がどこまでも広がっていた。
 その時、突然シレーヌが悲鳴をあげてリョウカに抱き着いた。

「大丈夫だよ、シレーヌ……安心して。ほら、わたしがいるから」
「リョッ、リョリョリョ、リョウカッ! 足元! 地面の下!」

 気付いたレギンレイヴが、面倒臭そうにやりを構える。
 ヨシュアもまた、臨戦態勢で視線を大地へ落とした。
 そして、絶句。
 足元の氷は、透き通る冷たさの中に無数の影を閉じ込めていた。そのどれもが、生物のようであり、グリットのような機械マシーンにも見えるし、大きさも形も様々だ。
 かろうじて見覚えのあるものといえば、ドラゴン等の一部の大型モンスターだけ。
 しかし、現代の地表に生きるものとは、明らかにサイズが違う。

「いやあ、凄いッスねこれ……どうなってるんスか? あ、巨人がいる……沢山、巨人が」

 レギンレイヴも驚いた様子で、足元に閉じ込められた者達へ目を細めていた。
 彼女の言う通り、巨人族も無数に浮かんでいる。
 まるで、今この瞬間にも動き出しそうな表情をしていた。
 死んでいるのではないと、ヨシュアは直感的に察する。
 どのモンスターも、今にも動き出しそうな迫力に満ちていた。

「ま、多くの識者しきしゃがこの時代に物語として伝える、いわゆる地獄のイメージなんだろうね。コキュートス的な」
「コキュートス? セーレ、それは」
「ヨシ君もいろいろ勉強したでしょん? わざわいを封じた絶対零度の凍土……ときさえも凍る地獄の底。ここには、あの戦争で戦った、まだまだ戦いを望んだ者達が凍結されてるんだね」

 ようするに、ルシフェル達六つの大罪だけではなかったのだ。
 まだまだ神にあらがい、神と戦い続けようとした勢力がいたのである。
 それをソロモンは、この地底へと封じて凍らせた。

「むあ? っと、なんかラスボスっぽいのが登場らしいッスよ」

 ついと槍を上げて、レギンレイヴが遠くをさす。
 その先に、荘厳そうごんな造りの霊廟れいびょうが建っていた。
 この荒涼たる地の底で、そこだけが文明と文化を感じさせる。
 その中央の扉が左右に開くと、見知った顔が堂々と現れた。

「やあ、ヨシュア。そして、ソロモン王の使い魔に、異界の勇者達。よく来たね」

 ルシフェルが両手を広げて、穏やかな笑みを浮かべている。
 この凍てついた世界の中で、さらなる冷たさをヨシュアは感じて凍えた。平穏そのものの表情は、目だけが笑っていない。そしてそこにはもう、光は宿っていなかった。
 決意も覚悟も超克ちょうこくした、さとりの境地とでもいうべき状態のルシフェル。
 静けさに風の音だけが響く中、彼の声は透き通ってよく聴こえた。

「ここは、最終階層『全理全忘ノ氷獄ゼンリゼンボウノヒョウゴク』……本来ならば、君達のはるかなる子孫、未来の人類が知るべき名だよ。あるいは、知ることもなく人は滅びる、そういう場所だ」

 どこか陶酔感とうすいかんさえ感じさせるルシフェルへと、ヨシュアは一歩を踏み出す。

「ルシフェル! お前の封印を解き、召喚してしまったのは俺だ! だから、俺がお前を倒す! ……倒すしかないなら、それを躊躇ためらわない。ただ、もしお前が――」
「ヨシュア、君はこの期に及んで迷うのかい?」
「違うッ! 世界は救う、ソロモニアは守る。ただ、救い方や守り方は選びたいだけだ!」

 ルシフェルから今は、敵意も殺意も感じない。
 すぐには戦闘をするつもりはないらしい。
 彼は「付いてきて、ヨシュア」と、きびすを返す。そうして、再び霊廟の中へと入っていった。その背を追うヨシュアは、悪寒おかんに振るえが止まらない。
 周囲の寒さとは別種のなにかが、ヨシュアの心胆しんたんを寒からしめていた。
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