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第9章 バルサックの野望編
88話 バルサックの悲願
しおりを挟む王都郊外、バルサック邸。
誰もが目を惹く白亜の邸宅は、不気味なまでに静まり返っている。
数多くの使用人や傘下の退魔師たちが行き交っていた廊下には、誰も歩いていない。馬車でも通れそうな広い廊下の隅には、埃が目立つ。窓は曇り、その向こうに広がる庭は、さらに散々な有様だ。完璧なまでに整えられた庭の木々も形が崩れ、枯葉が山となり積み重なっていた。
栄光ある退魔四家。最後の純血退魔師・バルサック一族。
この家から人が消えてしまったのは、ルーク・バルサックが引き起こした度重なる失態のせいもあるだろう。
神童、鬼才、逸材――幼くして才能が芽生え、実績を積み重ねてきた少年は、いまやただの人。否、凡人以下と言っても過言ではない。失敗に失敗を積み重ね、かつての名誉は消滅した。
いまやかつての栄光は霞み、悪雲が漂い始めた家に長居する使用人は多くない。落ち目と判断するや、すぐに見切りをつけ、もっと羽振りの良い家へ奉公しに行ってしまっていた。
しかし、もう1つ……異様なまでに人がいない理由が存在した。
食堂。
一組の男女が、テーブルを挟み対峙している。
テーブルには色彩豊かな料理が並べられていた。こんがりと焦げ目のついた焼き立てパン、冬にも関わらず野菜を贅沢に使用したサラダ、噛むだけで蕩ける柔らかい牛肉、それから、黄金色に透き通ったスープ――どれもこれも、最高級品とたたえるにふさわしい料理ばかりだ。
とても味を感じられる空気ではない。その空気の重さに使用人たちの顔には「早く立ち去りたい」という色が浮かんでいた。
生きた心地がしないのは、料理を口にする女性――ラク・バルサックも同じだった。
フォークとナイフを器用に動かしてはいるが、どことなく手元が覚束ない。ちらり、ちらりと不安げな視線を己の前で食事を続ける男――ライモン・バルサックに向けていた。
かちゃり、かちゃりと食器を動かす音だけが響き渡る。
「父上」
沈黙を破ったのは、ラク・バルサックだった。
息が詰まるような空間に、一筋の切込みが生まれる。
「どうしたんだい、ラク」
ライモン・バルサックは、静かに言葉を返した。フォークを動かす手を休むことなく、淡々と食事を続ける。この重い空気を生み出している張本人は、いつになく涼やかな表情を浮かべていた。
「……私たちは、いつまでこうしていればよろしいのでしょうか」
ラクは顔を俯かせながら、ライモンに意見する。スープの水面に映る表情は、いつになく不安で歪んでいた。
「もちろん、時が来るまです」
ライモンはラクに視線を向けることなく、食事を続ける。
「ラクもそれに同意していたではありませんか?」
「それは……いえ、なんでもありません」
ラクは開きかけた口を閉じた。まさか「父に反論することが恐ろしいから」なんて、口が裂けても言えない。ラクは本音を胸の内に深く仕舞い込み、銀の匙を手にした。銀の匙は、とこどろころ錆が目立ち始めていた。きっと、毎日磨く使用人がいないのだろう。
「父上に、文句はありません。
バルサックの……王国建国当時から抱き続けていた悲願が、ついに果たされるのですから」
偽りの言葉を口にし、匙をスープに入れる。 スープに映し出された顔は崩れ、なにもみえなくなってしまった。
「そう、悲願のためなら、私は……」
ラクは言葉に詰まってしまった。
その先の言葉を、たとえ偽りであっても口にしたくない。ライモンは僅かな迷いを見逃さない。彼は依然として料理に目を落したまま、ラクへ言葉の矢を穿つ。
「欠陥品を殺すことに、なんの躊躇を抱いているのですか?」
ライモンの口ぶりは、まるで「今日の牛は、よく煮込まれてる」と料理の感想を述べるような気軽さだった。
その言葉には、肉親の情など欠片も感じられない。
「魔王軍は、確実に封印の地を見出す。シビラが我らを裏切り、魔王軍に情報をリークしたことは調べが付いているので」
「……魔王軍は退魔師の襲撃で一網打尽。
退魔師の血と王家の血で魔王を復活させ、しばらく暴れさせるのでしたね?」
「その通りだよ、ラク」
ライモンは、喜びを隠しきれないのだろう。
彼の口調は静かなものだったが、声に喜色が混ざっていた。
「復活した魔王は、怒り狂うだろう」
周囲を見渡せば、死に絶えた魔王軍。
封印直前の恨み・憎しみが膨れ上がり、魔王軍の骸は更なる怒りの呼び水になる。
「魔王に王都を攻め入らせ陥落させる」
想像は容易い。
王都は火の海に沈む。
優雅な暮らしを愉しむ貴族や路地を這う貧民まで、血の海に飲み込まれる。王族は城で互いを抱き合いながら、死の足音を待つしかない。他の退魔家には、すでにライモンが手を回してある。当主という当主には、バルサックの直系の血が流れている。故に、バルサックの悲願は他家の悲願でもある。
現在、王城にいるのは、年齢に反して実力が伴わない退魔師ばかりだ。
魔王討伐なんて夢のまた夢。魔王に立ち塞がったところで、1秒と持つまい。
「王都陥落。そして、王族も全滅」
「そこを、父上が狙う」
いかに没落しようとも、ここは一大退魔師の本邸。
数多くの退魔師の実力者は健在であり、他の家に負けず劣らぬ武力を誇っていた。にもかかわらず、人がいない理由はこれである。
「そのタイミングで、待機させてたバルサック軍を動かすのですね」
魔王を倒すことは難しい。
しかし、封印することは可能だ。
前もって仕込んだ退魔式を発動させ、魔王を王都に封印する。
ここで、問題になるのは「シードル王国」の運営だ。
王家は滅んだ。
民が拠り所としてすがるのは、魔王を封印した退魔師しかない。王家は自分の身を守りきることが出来ず、滅んでしまった。しかし、退魔師には魔王から民を守ったという実績がある。しかも、2度もだ。
仮に、外交などで出国していた王家が戻ってきたとしても……もう、シードル王国に彼らの居場所はない。居場所を創ろうとしたが最後、暗殺の手からは逃れられないだろう。
「この計画が成功した暁には……シードル王国はバルサックのものになるわけですか、父上?」
「その通り。計画は、すでに最終準備の段階に入っている」
ライモンは口元に不敵な笑みを浮かべた。
「愚鈍な王家に仕えてきた祖先の魂も、この代で報われる」
退魔師は、いつの時代も虐げられてきていた。
退魔師は定住の地を持たなかった。魔族を倒す力を求められる反面、その力が忌避され、除け者にされた。感謝されながらも白い目で見られ、なにか問題が起きた時には疑われる。酷いときには、裁判もなしに極刑に処されたと文献に残されている。
「たしかに、祖先の苦労が報われるかもしれません」
待遇がマシになったのは、ここ数百年だ。
バルサックの先祖がシードル王国に取り入り、魔王を封印した。
シードル国王は立派な人物だったが、その息子は愚鈍だった。魔王の進行に脅かされているのに対策会議にも出席せず、城最奥で震えるばかりの臆病者。退魔師が取り入るには、最適な人物だった。
優秀な国王はバルサックが暗殺し、その罪を魔王に被せた。疑いを持った優秀な人物は闇に紛れて殺害し、残されたのは操りやすい愚か者ばかり。
バルサックは――そして、バルサックの提案に乗った退魔師たちは――ようやく、太陽の中を歩けるようになった。
「そのために死ねるのであれば、欠陥品も本望だろう」
「ですが、それでしたら……」
ラクの口から、自然と言葉が零れ落ちる。しまった!と口を抑えた時には、もうすでに遅い。ライモンの双眸は、ここで初めてラクへ向けられる。その双眸は、怯えるラクを映し出していた。
「なにか言ったかな、ラク? もう一度、言いなさい」
それは、命令だった。
「言わない」という選択肢は存在しない。ライモンが「言え」と言ったならば、「言わなければならない」のだ。ラク程度が逆らえるわけがない。仮に、逆らったとした場合……それは「叛意あり」とみなされ、ラクの首が胴体から離れるだろう。
「それでしたら……ルークではなく、汚れた赤髪を使えばよろしいのでは?」
ラクは冷や汗を流しながら、渋々、そして恐々と、己の本音を遠回しに伝えることにした。
「それは、どうして?」
「あの赤髪は嘆かわしいことに、魔王軍に在籍していると伝え聞きます。
封印が解かれる直前、あの赤髪を生贄にすればよいのではないでしょうか?
ルークは、あれでも我が家の跡取りですし、ここで殺すのは得策ではないかと」
「つまり、ラクはルークに生きていてほしいのだね」
「……はい」
ラクは頷いた。
ラクは、ルークに生きて欲しかった。
たった一人の弟は、どうしよもなく馬鹿だ。女好きの自分勝手で、少し頭が悪い。容姿は一級品で、女心はすぐ見抜くのに、ここぞというところで失敗する。
しかし、それは愛すべき馬鹿であり、ラクは手のかかる弟は愛おしくてたまらなかった。
「ルークだけは、殺してはいけません」
「いや、ルークを生贄にするよ。あれは、我が家に不要だ。
それに、跡継ぎなんて……もういらないんだ」
ライモンは白いナプキンで口元を拭きはじめた。
「父上? 跡継ぎはいらないとは、どいうことでしょうか?」
「ああ、ラクは気にしなくていい。
君はバルサックの跡目を継ぐことは、永遠に出来ないのだから」
ライモンは優雅に席を立つ。ラクは質問の言葉が幾つも浮かんできたが、結局聞けずじまいだった。ラクは黙したまま、ライモンの堂々とした背中を見送った。
※
「まったく、麗しき姉弟愛というやつか」
ライモンは廊下を歩きながら、吐き捨てるように言い放つ。
ライモンは、ラクのことを信頼している。否、ラクの実力を信頼していた。そこに親としての感情は一切欠落している。彼にあるのは、バルサックのために「使えるか」「使えないか」の二択だった。
「まぁいい。計画は、最終段階に入っているのだから」
ライモンは書斎の鍵を開けた。
ぎぃっと音を立てながら、書斎の扉が開かれる。
机の上には、書きかけの本が乗っていた。ライモンは椅子に腰をかけると、ペンにインクを浸した。
本の題名は「退魔戦記」
バルサック家の家長が書き連ねていくことが義務付けられている書物だ。
後年に残される教本だということも考慮し、教訓を書き記していく。ライモンは、いつも通りにペンを走らせた。事実に嘘を交えながら、バルサックの歴史を飾りたてていく。
そして、ルークのことを書くとき、ふとラクとの会話を思い出した。
「……赤髪、か」
赤髪の娘は、忌避の対象だ。
歴史から抹消されなければならない。しかし、これは一種の教訓になると考えた。赤髪を生かしておくことの危険性と始末の必要性について、必ずや教訓になるだろう。
ライモンは筆の赴くままに、赤髪のリクについての記録を執筆する。
「赤髪の娘が生まれた」
ライモンはリクが生まれた時のことを思い出しながら、すらすらと文字を連ねていく。
「退魔の力に目覚める気配はない。慣例に従い、7歳の誕生日に殺害を決行。
私は、赤髪の娘を崖から突き落とすことにした。
しかし、あれを崖から落とすとは、なんて愚かなことをしたのだろう。
もっと完璧に殺しておけば良かった。
そうすれば――」
ここまで書いたとき、ぞくりとした気配がライモンを貫いた。
背中を冷たい手で撫でられたような、首の後ろに鋭利な刃を突き付けられたような。
「誰だね?」
ライモンは振り返ることなく問う。
鍵の施錠はした。他人が入るためには、ノックをする必要がある。
それ以前に、ここまで侵入者が辿り着くことは不可能だった。いくら警備が手薄になっているとはいえ、まだまだ実力者は残っている。少なくとも、ラク辺りが気付くはずだ。
「ラク?」
さきほど、食堂で交わした会話を思い出す。
ラクは、ルークを救いたいと願う。その願いを叶えるためならば、父を殺しに来ても不思議ではなかった。
しかし……と、ライモンは疑問を捨てきれない。
ラクは確実に怯えていた。どう考えても、自分に反旗を翻すとは思えなかった。
「あら、酷いわ。ラクごときと間違えるだなんて」
耳心地の良い可憐な声。
その声とは裏腹に、ライモンの背筋が総毛だった。ライモンは弾かれたように剣を抜き、後ろを振り返る。見れば、ハルバードが、ライモンの首を目がけて一直線に伸びてくる瞬間だった。とてもではないが、普通に剣で阻止できる速度ではない。
「っく!」
間一髪。
ライモンの剣の形状が変化し、その首を守りきる。防具のように首に纏わりついた剣のせいで、ハルバードは得物を仕留め損ねてしまった。重たい金属音が、書斎に鳴り響く。
「残念」
ハルバードの持ち主は、軽くステップを踏みながら距離を取った。
薄暗い部屋に映えるのは、赤い髪。
身の丈ほどのハルバードを、片腕で悠々と掲げる――その悪魔の名前は――
「なにをしにきた、リク・バルサック」
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更新が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。
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