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第7章 8日間戦争編
72話 愚の骨頂
しおりを挟む「まぁ、悪いようにはしないわ。安心しなさい」
リクは片手で器用にカップを扱いながら、微笑みを浮かべた。
リクの口調は穏やかなものであり、表情も落ちついている。たとえば、ヴルストのように戦場でリクを知っているなら「誰だ、こいつ?」と言いだしそうなくらいの変貌だ。
それが、恐怖を助長させている。
メイ・アステロイドは、入口からもっとも遠い壁にへばりついたまま震えていた。リクは、先日の戦いで片腕をなくしている。リクが茶の入ったカップを持っているということは、必然的に傍に置いてあるハルバードを持つことはできないはずだ。もしこの時、メイが全速力で走りだせば、油断しているリクの傍を駆け抜けることができたかもしれない。
だけど、それはできない。
「どうしたの、メイ・アステロイド。肩の力を抜きなさい」
「は、はい」
メイはリクに返事をしたものの、さらに身体を固く縮ませた。
リクの表情、仕草、声色は温和な女性そのものであったが、リクから漂う威圧感が全てを覆してしまっている。それは、戦場で鍛え上げられた殺気、あるいは風格というのかもしれない。
メイは逃げだせる可能性がありそうに見えたとしても、それが実現不可能であると悟っていた。逃げ出そうと足を一歩前に踏み出した瞬間、いや、踏み出そうとした瞬間に、リクはハルバードを手に取るだろう。
だから、メイは黙って縮こまっている。この後、自分が何をされるのか、何を言いつけられるのか、怯えながら……。
「だから、そんなに怯えなくてもいいわよ。八つ裂きにしようとしているわけでもあるまいし」
「あ、あの、で、で、でしたら、どうして……なにを、話したら、よ、よいのかニャ?」
「……はぁ、少し落ち着きなさいよ。まったく、兄と違って威勢がないわね」
リクは、小さくため息をついた。
敵陣営にとらえられたからといって、ここまで怯える必要があるのだろうか。ヴルストに対し、内密にスパイを頼もうとしていたことがバレたのだから、少しばかり動揺するのは分かる。だけど、それを踏まえても怯えすぎだ。あまりにも弱腰の度合いが過ぎている。
リクがカップを机の上に置くと、ことん、という音が鳴り響く。それだけ個室は静まり返っていた。
「もう一度だけ言っておくと、私は魔王代行を殺そうとか考えてないから。
それこそ、外野の魔族たちの思い過ごしよ」
「……それは、本当のことかニャ?」
メイの目が若干細くなった。その眼は、リクの言い分を信じていない。まさに、疑心で満ちていた。
「ええ、本当よ。
魔王代行を殺したところで、なにも解決しないもの」
「なんにもない」ということを強調するように、リクは手を広げた。
リクの本音を言えば、シャルロッテを殺したい。リクは、敬愛するレーヴェンを意識不明の重体に追いやったシャルロッテを八つ裂きにしたい。
ただ、それを今の段階でおおっぴらに宣言することはいけないことだ。リクは、そのことを重々理解していた。
「さて、メイ・アステロイド。いまから、質問するわ。
あなたを遣わせたのは、魔王代行? それとも、ケイティ? はたまた、フィオレという魔族かしら?」
「そ、それは、言えないニャ。独断だニャ!」
メイは首を横に振りながら、質問に対して拒否の意を示す。みるからに怯えきっていたが、話してはいけないことくらいは分かっているらしい。
「そう、残念ね」
リクは口の端を僅かに上げると、再びカップを手に取った。ゆっくりとカップを揺らし、茶の波紋にうつる自分の顔を見下ろしながら、しっかりと言葉をぶつけた。
「なら、飼い主にしっかり伝えてきなさい。
『証拠もないのに動くのは、愚の骨頂』だと。せめて、証拠をそろえてから出直しなさい」
※
「なるほど。それで引き下がってきた、と」
フィオレは扇子で口元を隠しながら、軽蔑するように言い放った。
その足元では、メイが小さく縮こまっている。フィオレはメイから戦果を聞こうと胸を弾ませていたのだが、聞かされたのは、フィオレへの「侮蔑」といっても過言ではない言葉だった。
「完全にしてやられましたわ。人間のくせに生意気な……」
フィオレは唇を噛みしめる。
せっかく人間の王族を誘拐し、念願の魔王復活まであと一歩まで迫っている。だが、さすがの人間も王族が浚われたとなれば、全勢力をもって取り戻しに来るのは必然。近年の戦では魔族側が若干有利になってはいるものの、やはり退魔力に弱く、この盤上がいつ覆されても不思議ではない。復活を早急にすませなければならないのにもかかわらず、魔王軍内部の派閥争いまで勃発している。
フィオレは、この不安定極まりない状態下で「シャルロッテ魔王代行を暗殺する可能性がある異分子」に手を焼くことになるとは夢にも思わなかった。
「この出来事は、シャルロッテ様に報告済み?」
フィオレが尋ねると、メイは俯いたまま躊躇いがちに頷いた。
「はい。その足で報告し、それからこちらへ来ました」
「……だから、報告が遅れたのね」
フィオレは小さくため息を吐いた。
メイにシャルロッテ経由で「リク・バルサックの副官から情報を引き出して来い」と命令したのは、一昨日のことだ。その日の夜に副官と接触したのだろうが、実際に報告に来たのは次の日の夜である。報告が遅いと苛立ち始めていたところだったが、シャルロッテに報告へ行っていたなら遅くなっても仕方ないのかもしれない。
「……シャルロッテ様は、少し危機感が足りない一面がありますからね。また、報告を後回しにされまして?」
「……申し訳ありません」
「構いませんことよ。議会まで、あと1日ですが……さて、あの小娘をどのように調理いたしますか」
フィオレは軽く扇子を煽ぎながら考え込む。
一番良い方法は、リク・バルサックを亡き者にすることだろう。反シャルロッテの派閥が掲げるのは、今になっては莫大な戦功をあげる彼女しかいない。つまり、彼女さえ死ねば求心力を失う。だが、フィオレはリク・バルサック相手に暗殺が通用するとは思えなかった。
「もう一度確認しますわ。リク・バルサックは片腕をなくしても、メイを寄せ付けなかったのですね?」
「は、はい。非常に遺憾なことですが、その……勝機を見出すことが出来ませんでした……」
メイは当時のことを思い出したのだろう。ぶるり、と震え、身体をさらに小さくさせた。心なしか表情まで青ざめているように見える。
メイの表向きの所属は「伝令部隊」だが、実際には諜報や暗殺といった裏方の薄暗い仕事が多い。その中でもメイはエリート中のエリートであり、魔族の要人の暗殺にかけては右に出る者はいない。シャルロッテもフィオレも、暗殺者としてのメイ・アステロイドを重宝している。そのメイがリク・バルサックと対峙しただけで「歯が立たない」と敗北を認めたのだ。
リク・バルサックへ他の暗殺者を向けたところで、同じ結果になるのは目に見えている。
「そうですか」
フィオレは扇子を閉じ、自分の掌を軽く叩き始めた。
毒でも盛らない限り、リク・バルサックが死ぬことはない。それは、向こうも警戒しているはずだ。そうなれば、殺害方法は「シャルロッテ魔王代行に対する反逆罪」として処刑するに限られてしまう。
リク・バルサックがシャルロッテ魔王代行を嫌っているというのは、そこそこに有名な話だ。だが、そこから殺害計画を企てているとまで繋げるためには決定打が足りない。そのために、フィオレはメイを利用し、リク・バルサックの副官から情報を引き出そうと考えたのだが……
「当てが外れましたわね」
「……申し訳ありません」
「別に怒ってはいませんことよ」
フィオレはメイの方を見ずに、淡々と答えた。
方法が限られたとはいえ、まだ討つ手段は残されている。いざとなれば、自分の発言力を利用して議会で失脚へ追い込めばいい。フィオレは、戦場育ちの人間に口論で負ける気がしなかった。
それでも、議会まで1日しか残されていない。
フィオレは、気を引き締めるように声を張り上げた。
「でも、万が一ということがありますからね……引き続き、リク・バルサックの監視を緩めないように。私は証拠集めを続けます」
「はっ!!」
メイは勢いよく返事をすると、そのまま扉を開けて駆け出そうとしたが、ふと何かに気づいたように、はたっと足を止めた。
「早く行きなさい、アステロイド。なにをもたついて……」
「夜分遅くに失礼するわ、メイ・アステロイドの飼い主さん」
暗がりに浮き上がるのは、夜でも映える赤い髪。
薄明りの中、片腕のない少女がフィオレに微笑みかけていた。
※
フィオレの前に、1人の少女が尋ねてから1日が経過した。
舞台は、混乱の渦に叩き込まれた議会へと舞い戻る。
「私は……シャルロッテ・デモンズ魔王代行の解任を提案します」
リクの声が通った瞬間、あっという間にざわめき声で議会が包まれる。
その騒々しさを例えるなら、ハチの巣をつついたかのようだ。突然の爆弾発言に、何も知らなかった、いや、知っていたとしても動揺を隠せない大多数の魔族たちが右往左往している。
リクはその声を黙って受け入れ、シャルロッテは目を丸くしたまま動かない。
この8日間、準備してきた。あとは、これまで手に入れた手札をいかに使い切るかが勝負の分かれ目になってくるだろう。
「リク・バルサック……何を考えておるのじゃ」
シャルロッテの地を這うような低い声が、議会に静寂をもたらした。
シャルロッテの甲高い少女らしい声は、怒りのせいなのか氷のように冷たく感じられる。だが、どこか戸惑いを隠せないのだろう。事実、シャルロッテの瞳の奥には困惑の色が見てとられた。
「言葉のままの意味です、魔王代行。いや、シャルロッテ・デモンズ」
新参者が魔王代行を呼び捨てたことで、議会に波紋が広がる。
だが、リクの目に迷いはない。堂々と背筋を伸ばし、もう一度……シャルロッテや他の魔族たちに理解してもらえるよう、もっとも大事な言葉を口にした。
「貴女の天下は、ここで幕引きよ」
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