上 下
48 / 77
第7章 8日間戦争編

71話 密談

しおりを挟む


 こんなにも小奇麗な居酒屋は、いままで見たことがない。

 ヴルストに続いて入店した時、リクは少し驚いてしまった。
 リクは居酒屋なんて、どこも同じだろうと考えていた。龍鬼隊にいた頃は、ヴルストに引きずられるように場末の居酒屋に足を踏み入れたものだ。故に、リクのイメージする居酒屋とは、むわっと汗臭く騒がしい場所だ。


 しかし、魔都の居酒屋は違った。
 大きなランタンの下をくぐると、しんっと静まり返った薄暗い空間が広がっていた。もちろん酒の匂いはするが、息が詰まる程ではない。

「……いらっしゃい」

 店の隅に座っていた老人が、むっくりと立ち上がる。どうやら、彼が店員だったらしい。
 リクは懐からゴルトベルク家の紹介状を取り出すと、その店員に手渡した。店員は紹介状を軽く流し読みすると、深く頷いた。

「リク・バルサック様ですね。エドガー様から話をおうかがいしています。どうぞ、こちらへ」

 店員は、礼儀正しい仕草で2人を案内した。
 案内されたのは、土洞みたいな小部屋がいくつか並んでいる場所だった。だが、どの小部屋にも人がいる気配はない。入口にかかった簾を開けてみれば、テーブルとイスが用意されている。前もって、到着時間を伝えておいたからだろう。磨き上げられたテーブルの上には、簡単なつまみと飲み物が置かれていた。

「さすが、ゴルトベルク家御用達の居酒屋だな。洒落てるぜ」 

 ぴゅうっとヴルストが口笛を吹いた。
 リクはヴルストの言葉に頷くと、店員に視線を戻した。

「あとから、もう1人来ます。その人は、こちらの小部屋に通してください」

 適当に右の方の小部屋を指さすと、店員は「かしこまりました」と丁寧に承諾する。そして、しずしずと去って行った。

「……後は頼んだわよ、ヴルスト少尉」
「へいへいっと」

 ヴルストは肩を回しながら右側の小部屋に入って行った。
 そのことを確かめると、リクは左側の簾をくぐる。この部屋のテーブルにも、水や豆と言った軽食が用意されていた。これも代金に含まれるのだろうか、と考えながらコップを手に取ってみる。ぎりぎりまで冷やしてあったのだろう。コップの表面には、びっしりと水滴がこびりついていた。

「……冷たい」

 魔都は一年中霧に包まれているが、それでも夏は蒸し暑い。
 よく冷えた水は、のどを潤していく。リクが水を堪能していると、誰かの足音に気がついた。リクは動きを止めると、耳に神経を集中させた。

 ことり、ことり、と何かが近づいてくる。足音は2種類。

「こちらにございます」

 さきほどの店員の声が聞こえる。
 つまり、足音の片方は店員のもの。そうなると、残り片方の足音は必然的に「客」のものとなる。

「ありがとうだニャ」

 客は店員に礼を言うと、しゃらりと簾をくぐる。それと同時に、がたんと右隣の部屋でヴルストが動く音が聞こえた。

「ひさしぶりだな、メイ」
「ヴルスト兄こそ、相変わらずだニャ」

 字面だけ想定すると、ほのぼのとした会話になるかもしれない。
 だが、現実は違う。ヴルストもメイも声に感情がこもっていない。仲が悪い、という話は本当だったようだ。

「いきなり呼び出して、何のようだニャ?」
「んだよ、仕事とはいえ魔都に来たんだ。せっかくだから、妹の顔でも見ておきたいって思っただけだ」

 がらり、と椅子を引く音が聞こえる。

「……アステロイド家の相続権を放棄しておいて、いまさら兄貴面かニャ?」

 メイの声が一段ほど下がる。
 しかし、ヴルストはそんなこと気にしていないように話した。

「バーカ。放棄するもなにもないだろ。
そもそも、最初から俺の方が相続権下だっての。いいから、さっさと座りやがれ」
「……まぁ、美味しいと評判の店だから、今日は特別に兄貴面も許してやるニャ」

 数秒前とはうってかわり、明るく無邪気な声色で答えた。店員になにやら食べ物を注文する声は、どこか嬉しそうだ。リクは豆をぽいっと口の中に放り込みながら、隣の話に神経を集中させる。しばらく、とりとめのない話が続いた。だが、半刻ほど経った頃だろう。

「そういえば、ヴルスト兄は上司と親しいのかニャ? 噂だとリク・バルサックの右腕とか言われているけど?」

 ここで初めて、リクに関する話題が出た。

「ん? あぁ、仕事だけの間柄だっての」

 ヴルストは打ち合わせ通りの返答をする。
 その返答に満足したのか、メイが喉を鳴らす音が聞こえてきた。

「本当にかニャ?」
「バーカ。嘘ついてどうすんだよ。で、それがどうかしたのか?」
「いや……うん、実はヴルスト兄に相談があるんだかニャ」

 メイが声を落した。少しだけ、隣の部屋の空気が変わった。先程までの団欒とした空気から一変して、静かで冷たい雰囲気が漂ってきている。ここからが本番だ。リクは、ごくりと唾を飲み込んだ。

「リク・バルサックがシャルロッテ様に謀反を起こそうと考えているらしいのだニャ」
「はぁ? 謀反だと?」

 ヴルストが、がたりと派手に立ち上がる音が聞こえた。
 彼が、知らなくても無理はない。そもそもヴルストには、リクが謀反を起こそうとしていることを教えていないのだ。


 今回、メイを呼び出して貰った名目は「ヴルストの妹に挨拶したいから」だ。
 それなのに、何故こうして隠れて盗み聞きをしているのか。もちろん、本当はメイ・アステロイドの弱みを握ってやるためだが、一応ヴルストには「妹さんを驚かせるため」と言っている。


 ……どこまで、ヴルストが本気にしているのかは疑問ではあったが。

「そんなこと聞いてねぇぜ?」
「でも、ケイティさんやフィオレさんたちが言ってたニャ」
「……まぁ、確かに嬢ちゃんはシャルロッテ魔王代行様を嫌っているが、さすがに……いや、ありえる、のか?」
「知らなかった、のかニャ?」

 ヴルストが困惑している。
 その反応を目撃したメイまで、どこか困惑している。まさか、世間で「リク・バルサックの右腕」として認知されているヴルストが、リクの叛乱計画について何も知らないとは想像していなかったのだろう。

「あぁ、知らない。初耳だ。どういうことだよ、嬢ちゃん!」

 ヴルストが声を荒げた。
 十中八九、隣の部屋に隠れているリクに尋ねたのだろうが、メイはそう受け取らなかったらしい。ますます声を潜め、囁くように言葉を続けた。

「それなら、ヴルスト兄。1つ……手を組みたいのニャ」
「はぁ? 手?」
「ヴルスト兄には、リク・バルサックの弱みを握って欲しいのニャ。あと、ついでに動向を探って欲しいニャ。それを私がレポートにまとめて、シャルロッテ様に提出すれば、私たち兄妹の出世は間違いなしニャ!!」

 メイは、甘い言葉を吐く。
 ヴルストの返答はない。ただ、黙ったまま動く気配すら感じられなかった。リクは、最後の一粒を口の中に放り込むと席を立った。

「どうするニャ、ヴルスト兄?」
「……だ、そうだ。どうするんだ、嬢ちゃん?」

 その言葉を合図に、リクは隣の部屋の簾をくぐった。
 リクの部屋とは異なり、多種多様の料理がテーブルの上に所狭しと並んでいる。そのテーブルを挟むように、偉そうに腕を組んだヴルストともう1人……短めな茶髪をシュシュで2つに纏めている少女が座っている。少女……メイ・アステロイドは突然現れたリクに、驚きを隠せないらしい。

「ニャ、ニャ、ニャー! なんでリク・バルサックがここにいるニャー!!」

 これ以上ないくらい目を見開き、がたがたと震えている様子は滑稽だった。リクは笑みをこぼしながら、ゆっくりとメイに歩み寄る。

「私は貴方の兄の上司よ。部下の近くにいて何か問題でも?」

 メイは小部屋の出口に奔りだそうとするが、そもそも狭い洞型の個室だ。いかに足の速い伝令部隊の一員であったとしても駆け出すことなど出来ず、リクに頭をつかまれてしまった。

「それよりも、酷い噂が広まっているのね。私が謀反を起こそうとしている、だなんて」
「じ、事実だニャ! こ、こ、この犯罪者め!!」

 精いっぱい強がっているようだが、ふさふさの尻尾は股の間に挟まっている。リクには、ただの虚勢にしか見えなかった。

「たしかに、私はシャルロッテを嫌ってるわ。だけど……いささか飛躍し過ぎではないかしら?」
「そ、そんなこと……」
「謀反を抱いているなんて、名誉棄損よ」

 実際には謀反を考えているが、まだ公にしたわけではない。

「うるさいニャ! シャルロッテ様を殺そうとしてるくせに!」
「殺すわけないわよ」

 あくまで「現時点では」という言葉が前につくが、それは口にしないでおく。リクはメイの頭を持つ手に力を込めると、彼女の耳元に口を近づけた。

「私の階級は少将。貴方は中尉。……軍規に従えば、上官への名誉棄損は減給。ことの次第によっては……死罪だったわよね、メイ・アステロイド中尉」
「う、うぅ」

 メイの目には、うっすらと涙が浮かんでいる。
 そろそろ頃合いだろう。リクはくすりと微笑むと、ヴルストに眼で合図を送った。ヴルストは合図を受け取ると、やれやれと肩をすくめる。

「……あんまりいじめるなよ、嬢ちゃん。それ、まがりなりにも俺の妹なんだからな」

 ヴルストは吐き捨てるように呟くと、そのまま小部屋を出て行った。
 ヴルストの気配が完全に消えたことを確かめると、リクはメイを小部屋の奥に向かって放り投げる。メイは椅子に派手にぶつかり、その場に崩れ落ちた。この時点で、メイの戦意は大方消失したのかもしれない。立ち上がったメイの足は、生まれたての小鹿のように震えている。
 だが、まだ逃げ出そうとしているのか、その眼はまっすぐ出口に向けられていた。

「さてと、邪魔者は消えたわ。ゆっくりお話ししましょうか、メイ・アステロイド中尉」

 新しい駒を、そう簡単に逃がすわけにはいかない。
 リクは出口を塞ぐように座ると、これ以上ない微笑みをメイに向けた。

「貴方にはね、ちょっと頼みたいことがあるの」



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

性奴隷を飼ったのに

お小遣い月3万
ファンタジー
10年前に俺は日本から異世界に転移して来た。 異世界に転移して来たばかりの頃、辿り着いた冒険者ギルドで勇者認定されて、魔王を討伐したら家族の元に帰れるのかな、っと思って必死になって魔王を討伐したけど、日本には帰れなかった。 異世界に来てから10年の月日が流れてしまった。俺は魔王討伐の報酬として特別公爵になっていた。ちなみに領地も貰っている。 自分の領地では奴隷は禁止していた。 奴隷を売買している商人がいるというタレコミがあって、俺は出向いた。 そして1人の奴隷少女と出会った。 彼女は、お風呂にも入れられていなくて、道路に落ちている軍手のように汚かった。 彼女は幼いエルフだった。 それに魔力が使えないように処理されていた。 そんな彼女を故郷に帰すためにエルフの村へ連れて行った。 でもエルフの村は魔力が使えない少女を引き取ってくれなかった。それどころか魔力が無いエルフは処分する掟になっているらしい。 俺の所有物であるなら彼女は処分しない、と村長が言うから俺はエルフの女の子を飼うことになった。 孤児になった魔力も無いエルフの女の子。年齢は14歳。 エルフの女の子を見捨てるなんて出来なかった。だから、この世界で彼女が生きていけるように育成することに決めた。 ※エルフの少女以外にもヒロインは登場する予定でございます。 ※帰る場所を無くした女の子が、美しくて強い女性に成長する物語です。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

異世界で買った奴隷が強すぎるので説明求む!

夜間救急事務受付
ファンタジー
仕事中、気がつくと知らない世界にいた 佐藤 惣一郎(サトウ ソウイチロウ) 安く買った、視力の悪い奴隷の少女に、瓶の底の様な分厚いメガネを与えると めちゃめちゃ強かった! 気軽に読めるので、暇つぶしに是非! 涙あり、笑いあり シリアスなおとぼけ冒険譚! 異世界ラブ冒険ファンタジー!

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

神様との賭けに勝ったので、スキルを沢山貰えた件。

猫丸
ファンタジー
ある日の放課後。突然足元に魔法陣が現れると、気付けば目の前には神を名乗る存在が居た。 そこで神は異世界に送るからスキルを1つ選べと言ってくる。 あれ?これもしかして頑張ったらもっと貰えるパターンでは? そこで彼は思った――もっと欲しい! 欲をかいた少年は神様に賭けをしないかと提案した。 神様とゲームをすることになった悠斗はその結果―― ※過去に投稿していたものを大きく加筆修正したものになります。

俺のスキル『性行為』がセクハラ扱いで追放されたけど、実は最強の魔王対策でした

宮富タマジ
ファンタジー
アレンのスキルはたった一つ、『性行為』。職業は『愛の剣士』で、勇者パーティの中で唯一の男性だった。 聖都ラヴィリス王国から新たな魔王討伐任務を受けたパーティは、女勇者イリスを中心に数々の魔物を倒してきたが、突如アレンのスキル名が原因で不穏な空気が漂い始める。 「アレン、あなたのスキル『性行為』について、少し話したいことがあるの」 イリスが深刻な顔で切り出した。イリスはラベンダー色の髪を少し掻き上げ、他の女性メンバーに視線を向ける。彼女たちは皆、少なからず戸惑った表情を浮かべていた。 「……どうしたんだ、イリス?」 アレンのスキル『性行為』は、女性の愛の力を取り込み、戦闘中の力として変えることができるものだった。 だがその名の通り、スキル発動には女性の『愛』、それもかなりの性的な刺激が必要で、アレンのスキルをフルに発揮するためには、女性たちとの特別な愛の共有が必要だった。 そんなアレンが周りから違和感を抱かれることは、本人も薄々感じてはいた。 「あなたのスキル、なんだか、少し不快感を覚えるようになってきたのよ」 女勇者イリスが口にした言葉に、アレンの眉がぴくりと動く。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

処理中です...