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第5章 魔王の冠編

50話 夜風を切る

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更新、予定より遅くなりました。

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 カルラは、夜風を切るように飛んでいた。

 カルラは、伝令兵だ。ウサギ型や豹型の伝令兵は脚力に任せて走るが、カルラは自慢の黒羽根を力強く羽ばたかせて伝令を届けるのだ。今宵も、魔王代行シャルロッテの言葉が記された用紙を胸に、まっすぐシェール島を目指している。

 カルラは己の黒い羽を大きく広げて、夜の闇を貫いていく。カルラは三晩も寝ずに、ひたすら海の上を飛び続けていた。いくら熟練ベテランの伝令隊員であったとしても、海上で目印を見つけるのは一苦労だ。昼間は太陽の位置を、そして夜は星を頼りに方角を定めて飛んでいた。
 だから今日ように、空の大部分が雲に覆われ星が見つけにくい夜は一苦労だ。しかし、敵の陣地を飛んでいるのだというならば変わってくる。その場合、今宵は絶好の飛行日和だろう。カルラの黒い羽根は、夜の闇に紛れる。


 しばらく空高く羽ばたいていた時だった。水平線の向こうに、ぽつり、ぽつりと灯った明かりを見つけたのだ。ざっと十数の火種が見受けられる。おそらく、船が停泊しているのだろう。目を凝らしてみれば、船のマストの上には退魔師の旗が揺らいでいる。カルラは、おやっと首を傾けた。

「……数が増えてるな」

 カルラがシャルロッテから聞いた時点では、島を包囲している船は十隻ほどだったはずだ。どうやら、報告を受けてから数日で、敵が増えたのだろう。
 カルラは退魔師に見つからぬよう、更に高度を上げることにした。羽根を上手く使いこなし、夜の風に乗って高度を上げた。すると、退魔師たちが囲んでいる島の全貌が明らかになった。何の変哲もない孤島に、質素ながらも巨大な神殿が建っていた。

「あれか」

 十中八九、目的地の神殿だ。
 カルラは確信を得ると、神殿の中央広場に向けて滑空した。目立たぬように、ゆっくりと、しかし素早く舞い降りる。神殿の警護をしていた数名の魔族兵が、カルラのことを指さして何か言っているが気にしない。中央広場の噴水を足をかけると、久々の陸地にどっと疲れが湧き上ってくるのを感じた。あまりの疲労感に、足が崩れそうになる。
 しかし、この程度でへこたれては伝令兵として失格だ。カルラは自分を奮い立たせると、近くの兵に尋ねた。

「魔王軍 第四師団 伝令部隊所属のカルラ・フェザー中尉だ。シャルロッテ魔王代行様からの命令を持って来た。至急、リク・バルサック少佐へお目通りを願いたい」
「は、はい。かしこまりました」

 魔族兵は、尻に火が付いたような勢いで駆け出していく。そして、ほどなくして赤い少女が現れた。
 カルラとは反対に、夜の闇の中でも目立つ少女だった。燃えるような赤い髪に、血のように紅い鎧を纏っている。背中にハルバードを背負っているところから察するに、恐らく彼女が「人間の成り上がり」と呼ばれているリク・バルサック少佐なのだろう。
 カルラが丁寧に頭を下げると、リク・バルサックも軽く頭を下げた。

「夜分遅くに御苦労さま。……それであの女シャルロッテの命令は?」

 カルラは、魔王代行シャルロッテを「あの女」呼ばわりしたことに対して怪訝そうに眉をひそめた。だけれども、任務をまずは第一にこなす必要がある。カルラは静かに手紙を取り出した。

「こちらでございます」
「ありがとう」

 カルラから受け取った手紙を、リク・バルサックは乱雑に破る。そして、あまり期待していないような眼で、手紙に記された文字を追い始めた。

「つまり、あの女は……私達を救援に来るってこと?」
「御不満でしょうか?」
「いいえ。助かるわ……ただ、どの機会に、どうやって、どれくらいの規模で来るのかは書かれていないけど、そのあたりはどうなっているのかしら?」

 リクは、手紙をカルラに見せてくる。どうやら、救援の一報を完全に信用していないらしい。
 手紙の読み方といい、躊躇いもなく呼び捨てにする姿といい、リク・バルサックはシャルロッテのことが余程嫌いなのだろう。カルラは、噂との差異に首をひねった。リクはデルフォイでシャルロッテのことを傷を負いながらも助けたと聞いていた。その噂は、まったくのガセだったのだろうか。

「どうなの? これから、聞きに行くつもり?」
「いいえ、手紙が敵の手に奪われることを視野に入れて、詳細を記さなかっただけだと思います。
 順調に進めば、1週間後には軍備を整えて救援に来てくれるようです」
「……1週間ね」

 カルラの答えに、リクは目を細めた。顎に細い指を乗せて、何やら思案している。そして、企んだような笑顔を浮かべると、ふと思い出したかのように口を開いた。

「それで、貴女……帰る予定はあるの?」
「と、申しますと?」
「シャルロッテ……様の所に、報告完了しましたとか言いに行かなくていいのかしら?」
「いえ、実際に軍を動かすのはアドラー中将様ですので……」
「それを早く言いなさい!」

 アドラーと口にした瞬間、リク・バルサックの表情が変わった。
 何か良からぬことを謀っていたような表情が一変し、真剣な顔つきになる。考える仕草こそ同じだが、先程までとは打って変わっていた。まるで、鋭い刃のような目つきだった。あまりの変貌ぶりに、カルラは一歩身を引きそうになる。しかし、リクはカルラを逃がさなかった。

「つまり、レーヴェン隊長と私との連絡係りになってくれるということ?」
「はい」
「だけれども、あまり頻繁にやり取りするわけにはいかないわね……確実にことは運ばないといけないもの……とりあえず、今夜は休みなさい。アスティ少尉、フェザー中尉を空いている部屋に案内しなさい」

 それだけ言うと、リク・バルサックは去ってしまった。漠然とその小さな背中を目で追いかけていると、アスティと呼ばれた大柄な女性魔族はカルラの前で軽く手を振った。

「……なにをしている?」
「いや、放心状態だったみたいだったでござるから、つい。
 少佐殿の変貌っぷりに驚いたでござろう?」

 アスティは、にかっと笑った。カルラは何ともいうことが出来ず苦笑いを返すと、アスティは何を勘違いしたのだろうか。鼻歌でも歌うかのように、楽しそうに言葉を紡いだ。

「少佐殿は、好き嫌いがハッキリしているでござる。
 きっと、シャルロッテ殿が来るようだったら『敵と潰しあって、両方沈んでしまえ』とか策略を巡らせていた所でござるよ。あー、本当にアドラー中尉殿で良かった、良かった」
「……それは、喜んでいい所なのか?」

 カルラが問い返すと、アスティは慌てて首を横に振った。このことは口外するな、と念を押してきた。もちろん、シャルロッテに告げ口をしても良い。この報告を聞けば、謹慎にまで追い込むことが出来るだろう。しかし、カルラは報告するつもりはなかった。
 リク・バルサックの噂に名高い「狂暴性」が、この一件を通じて垣間見れた気がした。下手に刺激して、闇討ちされたらたまったものではない。

「私は、私の任務を果たすだけだ」

 カルラはそれだけ言うと、先程までのやり取りを忘れることにした。
 大切なのは、暖かい寝具にくるまって惰眠をむさぼることだ。黒い羽の伝令兵カルラは、しばしの休息を求めて、夜の神殿を歩くのだった。







 ※

 ルーク・バルサックは、海に飽き始めていた。
 振り返っても、変わり映えのない青い空と海がどこまでも続いている。最初こそ、感嘆の声を漏らしたものだ。
 しかし、1週間も経過すれば風景に慣れてくるものだ。波と共に揺れる甲板に寝そべり、小さなため息を溢す。いくら酔わないとはいえ、そろそろ陸地が恋しくなってきていた。
 船の甲板に寝転がり、そっと重たい瞼を閉じる。敵に動きがあるまでは、特にすることもない。勉強する気にもなれず、かといって動き回って体力を消耗させるのも惜しい。ルークは船に打ち付ける波の音を子守歌代わりに、うつらうつらと夢の世界へ落ちていった。

「どうした、ルーク?」

 ルークを起こしたのは、実姉のラク・バルサックだった。
 その頃になると、既に青かったはずの空は黒く変化している。空一面に数えきれないほどの星がひしめき合っていた。

「なんだ……ラク姉か」

 ここしばらく外に出ていたせいだろうか。普段は病的なまでに白い肌が、こんがり小麦色にやけている。どこか艶っぽい大人の色気を醸し出していた。

「そういえば……いつまでシェール島を包囲していればいいの?」

 ルークたちはフェルトを陥落させて、その足ですぐにシェール島へ向かった。
 もともと「シェール島を利用する」と言いだしたのは、ラクだった。彼女はフェルトの戦力を削るため、虚偽の情報を流した。どのような情報を流したのか、ルークは知らない。ただ、魔族側がシェールへ出兵しなければならない状況を作り出したのは事実だ。 
 シェール島を陥落させるための兵力として供出されるのは、同じ海に面した地盤の整っていない領地ベリッカではなく、地盤フェルトで育てられた強い海兵を含んだ軍隊だろう。しかも、フェルトからシェール島へ向かうのは案外簡単に行くことが出来る。すると、フェルトの防衛には僅かの隙間が生じる。その隙間を狙い、フェルトを挑発させて一気に奪うことが出来た。
 ルークたちに残された仕事は、残すところ1つ。……魔族の手に落ちたシェール島を、無事に奪還することだけだった。

「今、シェール島にいるのはフェルトの中でも強い分類の魔族ってことは分かるよ?
 でもさ、こっちは15隻もいるんだよ。ここで攻め入れば……」
「たわけ。弱った敵をおびき出すことが大事なのだ」

 ラクは、ルークの呟きを一蹴する。まるで、くだらないもので見るのような軽蔑した眼差しを向けていた。その視線に、ルークは苛立ちを募らせる。ゆっくり立ち上がると、ラクを睨みつけた。

「シェール島の神殿には、たくさんの退魔師が人質になっているんだ。早く助けに行った方がいいんじゃないか?」
「負けた退魔師に情はいらないぞ、ルーク。
 魔族は海戦になれていない。それでも何とか勝利を手にした直後、思いもよらない敵の出現に太刀打ちできないはずだ。しかも、あの神殿には食料らしい食料が限られている。あと1か月もすれば尽きるだろうよ。……つまり、時間が経過すれば経過するほど、魔族側が不利になっていく。
 じわり、じわりと弱らせ、根を上げたところを万全な体制の我々が刈り取る。下手に上陸して、魔族の有利な戦をするわけにはいかん」

 ラクは、首を横に振った。

 ルークも、ラクが何を言いたいのかは理屈では分かっていた。
 魔族に敗れた退魔師は、それ相応の処罰を受ける。ルークが難攻不落のフェルトを攻めるよう命じられたように、死が口を開けて待っているような戦場や修羅場に放り込まれるのだ。それは、分かっている。だけれども、すぐに死へ繋がるわけではない。
 しかし、囚われの身になっている以上、魔族側に生死剥奪権がある。まだか弱い子供だったレベッカを躊躇なく殺したような魔族が、退魔師を正式な捕虜として扱うかどうか不明だ。
 早く助けに行かなければ、囚われた退魔師は全員殺される。下手したら、もう殺されてしまっているかもしれない。手出しも出来ず、こうして指をくわえてラクの合図を待っているしかない。そう思うと、先程まで甲板で惰眠をむさぼっていた自分が赦せなくなってきた。

「ほら、落ち着け。感情が高ぶっているぞ」
「ラク姉が落ち着き過ぎなんだ。……あれ?」

 その時、ラクの肩越しに何かが動いたのが見えた。
 シェール島の方から、何やら黒い船団が近づいてくる。その数、およそ4隻。まっすぐ脇目もふらずこちらへ向かって来ていた。ルークが叫ぶ前に、船団を確認したラクは声を張り上げた。

「敵が動き出したぞ! すぐに弓隊は支度をしろ!! 矢の雨を降らせてやれ!」

 夜の闇を切り裂くような声だった。寝ぼけていた兵士たちも目を覚まし、颯爽と持ち場へ着く。ラク自らも弓を手に取り、矢を引き絞る。ルークもラクの隣に駆け寄り、セレスティーナから教わった通りに弓を弾く。船団の中央に立つ人影に狙いを定めて、ラクの合図を待った。

「今だ! 矢を放て!!」

 退魔師がシェール島を包囲し始めて、15日目。月が姿を消す代わりに、満天の星が輝く夜。
 矢が風を切る音とともに、シェール島海戦の幕が切って落とされた。



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