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第4章 カルカタ防衛戦編

41話 綱渡りの直談判

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 ライモン・バルサックは激怒していた。


 ルーク・バルサックの無能ぶりについて、烈火のごとく怒っている。
 1000年に1度の麒麟児と謳われ、バルサック伯爵家次期頭首が確定しているうえに、第一王女との婚約も水面下で進んでいる自慢の息子だった。しかし、ルーク・バルサックはカルカタ戦で歴史的に稀に見る大敗を引き起こしたのだ。ただでさえ、ルークは魔族と友好を結ぼうとして裏切られるなど様々な醜態をさらしている。ライモンは度々のバルサック家に泥を塗るような背徳的行為を見逃してきた。なんとか我慢に我慢を重ねてきていた。
 しかし、今回の歴史的大敗で我慢の堰が崩壊した。もう我慢の限界だ。顔も見たくなかったので、すぐに王都から追い出したが、それでも怒りは収まらない。ライモンは、ルークより寄進された酒瓶を床に叩きつけた。

「父上!」

 ラク・バルサックが、ライモンの興奮を抑えようと前に飛び出した。父の怒りほど恐ろしいものはない。少しでも鎮めなければ、落ちこぼれのリク・バルサックのようにルークの命まで奪われてしまう。それだけは、必ず避けなければならない。

「興奮しすぎです。少し、落ち着いてください」

 しかし、ライモンはラクを睨みつけた。あまりにも鋭い眼光に、ラクは床に縫い付けられたかのように動けなくなってしまう。まるで蛇に睨まれた蛙のようだ、とラクは思った。冷や汗を流しながら、それでも懸命に父を見上げた。

「父上っ!」
「ラク……分かっていますよね? これは、バルサック家の名誉にかかわる問題です。
愛しいラクよ、バルサックの名誉に泥を塗りつけた痴れ者を排除するのです」

 ライモンの静かな怒りを受けて、ラクは身震いをした。
 背中を冷たい何かが這いずり回るような、そんな恐怖が湧き上ってくる。だけれども、ラクは恐怖を押し殺して言葉を選ぶ。下手に言葉を口にしたら最後、自分の首が飛ぶことになるだろう。だけれども、覚悟の上だった。ラクは、ライモンの足元に跪くと静かに口を開いた。

「父上、ルーク・バルサックは民衆に絶大な人気があります。特に、平民から貴族の女性に至るまで、その人気は絶大です。あの第一王女様から、直々に婚約を打診なされたのでしょう? ……もし、この状況で処分するのであれば、関係各所から反感を受けることになります」
「……それも覚悟の上ですよ、ラク」

 ライモンは、静かにラクを見下ろしている。言葉こそ静かで丁寧なものだったが、瞳の奥に激しい憎悪の炎を燃やしていた。

「権威者というものは、昨日まで元気に働いていたとしても、原因不明の病に侵され……っということがあるものです。ラクならば、そのくらい分かりますね?」
「……開発中の薬を使えと言うことですか」

 ラクの声が、一瞬だけ震えた。
 とある薬が、研究所の鍵のかかった部屋の奥に安置されている。開発経過は既にライモンに報告済みであり、まだ実験段階とはいえ効果が実証されている。しかし、ルークにあの薬を使うわけにはいかない。ラクは平静を装いながらも、必死になって頭を回転させた。

「……しかし、あれは魔族の力が強ければ強いほど、効果を増す薬です。もちろん、対退魔師政敵用に改良し始めておりますが……まだ確証はつかめません」
「ならば、別の薬を使えば良いでしょう。大丈夫ですよ……ラクからの贈り物、といえばルークは簡単に薬を飲みます。
 成功すると信じていますよ……可愛い娘よ」

 ライモンは、ラクを安心させるような口調で言葉を紡ぐ。目じりを緩め、優しい言葉をかける様子は、傍目から見れば愛しい娘に対するものだった。しかし、ラクはライモンの目が笑っていないことに気づいていた。これ以上、ライモンに逆らうのならば、ラクまで処理する可能性もあるだろう。ラクは、ごくりと唾を飲み込んだ。
 
「父上、分かりました。私も出来る限りのことをやりましょう。
 その前に今1度だけ……猶予を与えてやりませんか?」

 しかし、ここでラクも負けてはいられない。
 全身全霊を尽くしてルークの助命をする。この状況において未だ語られる「猶予」という言葉に、ライモンの額に筋が浮かび上がる。もちろん、そのことにラクは気づいていたが、その怒りを無視することにした。

「闇から闇へと葬ることは、いつでもできます。
 しかし、ルーク・バルサックの知名度は高い。武力もそこそこにある。ならば、その血の一滴まで利用しつくしてから処分するのも遅くないかと思います。それに、あれほどの退魔術の才能の持ち主は滅多にいません。今すぐ捨てるには勿体ないと思いませんか?」
「……確かに、その通りですが……」

 ライモンが重重しい口を開く。ラクは、ライモンの僅かな変化を見逃さない。ライモンの憎悪に燃えた瞳が揺れている。これを逃すものかとばかり、ラクは言葉を畳み掛けた。
 
「故に、ルーク・バルサックを前線地域へ送り込むことを進言します。
 手柄を立てれば、バルサック家の名前を上げることが出来ます。……そこで討ち死にするのであれば、それまでの男だったという事でしょう」

 ライモンは、ラクを訝しげに見つめる。しかし、ラクは先程よりも恐怖を感じなくなっていた。ライモンの心は既に揺れている。落ちこぼれで怪力以外の取り柄がなかったリク・バルサックと比較すれば、ルーク・バルサックは誰もが欲しがる才能に溢れる鬼才の持ち主だ。本心を言えば、ここでルークを手放したくないだろう。ならば、あと一押しで意見を変えることが出来る。ラクは出来る限り胸を張った。

「父上、再考を」
「……分かりました。ルーク・バルサックを前線地域……フェルトへ送りましょう。ただちに手配をしておきましょう。ラクは仕事へ戻りなさい」
「はっ。再考ありがとうございます」

 ラクは軽く一礼をすると、ライモンに背を向けた。
 部屋を出れば、傍使いのマリウスが待機している。ラクはマリウスを一瞥すると、そのまま研究所へ向けて歩き出した。ラクが煙管を取り出し口にくわえると、マリウスは慣れた手つきでマッチを擦った。

「お疲れ様でした、ラク様」
「……まったく、あれと対峙するのは骨が折れる」

 ラクは、気怠そうにマッチを受け取った。
 ライモン・バルサックはバルサック家を率いる大黒柱だ。そう簡単に靡く相手でもなく、あと一歩間違えればラクの命までなかったことだろう。まさに、綱渡りのような交渉だった。ラクは首の皮が繋がったことに安堵しながら、煙管に火をともす。

「それにしても、ルーク様は大丈夫でしょうか?」

 マリウスが、おずおずと尋ねた。ラクが命を張ることで、ルークを守ったのだ。しかし、せっかく出て行った先の戦場で死んでしまっては守った意味がない。ラクはマリウスの懸念を一蹴する。

「たわけ。あれはもう大丈夫だ。次は勝つに決まっている」
「勝つ、ですか? しかし、ここのところ……ルーク様は……」
「案ずるな。奴の不運な星はここで終わる。
 この通り……既に策を用意してある」

 ラクは、右手で器用に白衣の内側へ手を伸ばす。そして、一通の書状を取り出した。マリウスが覗き込むと、宛名にはルークの名前が記されていた。

「えっ? これって……前もって用意していたんですか!?」
「助命が成功すれば、十中八九……ルークが送り込まれる先は城塞都市フェルトだ。
 魔王軍の幹部、エドガー・ゼーリックが治める不屈の都市。この200年、数多くの退魔師が挑み、命を散らしてきた場所だ。攻略するのは極めて難しいが、勝機がないわけではない」

 ラクは「今度こそ勝てる作戦だ」と自信を持って言い放つ。そんなラクを見て、マリウスは少しだけ不安を覚えた。
 ……ラクが考えた作戦で、マリー含むバルサック兵大多数が死んだと言っても過言ではない。研究者ラクの作戦を採用したルークたちに非があるだろうが、ラクにも少なからず責任がある。カルカタの大敗戦にラクが関わっていることを知る者は、ルークとマリー、そしてマリウスの3人しかいない。ルークとマリウスが真実を言わない限り、ラクには責任追及の手がかかっていなかった。

「……なんだ、マリウス? 私の采配が不安だと?」
「え、えっと……そんなことはありませんが……そのぅ……」
「……はぁ。マリウス、お前は馬鹿正直な男だな。
 心配するな。カルカタとは異なり、今回は抜け目などない完璧な作戦だ。分かったなら、さっさと書状を届けろ」

 ラクは呆れたように呟くと、書状を投げ渡す。マリウスは何か言いたげな表情をしていたが、書状を受け取ると去って行った。廊下には、ラクだけが残された。

「……まったく、マリウスめ。余計な詮索を……まぁいい。目的は果たせた」

 ラクは、ぽつりと呟いた。
 その言葉の意味が示すことは、いったい何なのだろうか。しかし、その言葉の真意を知ろうとする者はいない。ラクは煙管を吸いながら、急ぎ足で研究室へ向かう。
 彼女の呟きは誰にも拾われることなく、紫煙と共に消えていくのだった。


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