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第4章 カルカタ防衛戦編

36話 責任の所在は…

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 まるで、炎の波のようだった。
 火に包まれた豚は、香ばしい匂いを醸し出しながら坂を駆け下っていく。一瞬、リクの脳裏に「もったいない」という言葉が浮かんだが、頭を振って邪念を払った。
 城壁の上から惨劇を見下ろしていると、ヴルストが冷やかすように口笛を吹いた。

「うっわ、怖ぇー……襲われた方は、たまったもんじゃねぇよ」

 ヴルストの表情は、若干青ざめていた。
 まさに、眼下は地獄と呼ぶに相応しいだろう。匂いとは裏腹に、その攻撃方法は残忍な悪意に満ちていた。何が起きるのかを察し、慌てて引き返した退魔師もいたが、勝利に目を眩ませ突撃を続けた者たちは炎に襲われている。豚に押し潰され、炎に焼かれて苦しむ声が響いている。
 だが、別に悲惨だとは思わない。
 これが戦であり、起こりうるであろうことだ。それに、燃えて苦しんでいるのはバルサックの退魔師なのだ。喜んで当然であり、どうして悲しむ必要があるのだろうか。

「だけどよ、本当にこれしかなかったのか?」
「こうでもしないと勝てないわよ」

 リクが淡々と呟いた時だった。クラウトたちが近づいてきた。ヴルストよりも遥かに顔を青ざめさせている。

「ヴルスト・アステロイド少尉!! 君かね、豚を逃したのは!!」

 クラウトは、ヴルストを指差しながら叫んだ。わなわなと口元が震えているように見える。リクは、口を開きかけたヴルストを手で制す。そして、一歩前に歩み出た。

「はい。私の命令でやったことです」
「なに? バルサック少佐の命令だと?」

 クラウトの血走った瞳が、今度はリクに向けられた。

「君は……何を血迷ったことをしてくれたのか!! せっかくの豚を逃すとは! しかも、火にかけるなんて!!」
「勝つためです」

 リクは、きっぱりと言い放つ。
 どうやら、クラウトは相当頭にきているらしい。だが、そんな些細なことには興味なかった。

「出陣前に500の兵を少尉に預け、自軍が完全に撤退したことを確認後、油を塗りたくった豚に火をつけて放てと命令していました。
 圧倒的な兵力差を埋めるためには、豚を使うこともやむなしと判断した次第であります」
「な、な、な!!」

 リクが淡々と説明すると、クラウトは立ち眩みでもしたかのようにふらついた。

「貴官は、貴官は……それで籠城作戦に影響が出るとは思わんかったのか!?」
「はい」

 今回、500匹というカルカタにいたほぼ全ての豚を使用した。増築した小屋に残された豚は数える程しかおらず、がらんと寂しげな有様になっている。
 そもそも、リクは籠城作戦に否定的だった。だから豚を逃すことに抵抗を抱きにくかったのかもしれない。

「あんなに大量の豚を飼育する必然性はないと判断しました。最低でも、つがいが1組、2組あれば足りる作戦です。
 ……そもそも、あのまま豚を飼い続けていた場合、500匹を賄う餌だけで、私たちが餓死に追い込まれるでしょう」

 リクが告げると、クラウトの顔が羞恥で真っ赤に染まった。今、水を頭からかけたら湯気を立てて蒸発しそうだ。クラウトは拳を握りしめると、リクを思いっきり睨みつけた。

「しかし、バルサック少佐!貴官がその作戦を練っていたということは、敵軍がカルカタを素通りしたことが罠だということが分かっていたということではないか? 
 つまり、貴官は作戦を知らなかった部下を無駄死にさせることを覚悟の上で、挑んでいたというのか!?」

 唾を撒き散らしながら、怒声を放つ。
 この発言にら、さすがにリクも苛立ちを隠せなくなってしまった。リクが、怒りに任せてハルバートを抜かなかったのは奇跡だろう。

「私は罠だと進言しました。しかし、出兵したのはクラウト・ザワー……あなたです」

 それでも、リクは銀の剣に手をかけていた。
 無論、早期に撤退したおかげで、負傷者は少なかった。しかし、ゼロではないし、死んだ部下もいる。中には、無駄死にしたと言ってもいいような部下もいただろう。

 しかし、それを目の前のクラウトにだけは言われたくなかった。

「戦場を選んだ以上、死ぬのは覚悟できている。敵に剣を向けている以上、敵も私たちの首を狙ってる。誰かは死ぬし、誰か死んで当然よ。そこをとやかく言うつもりはないわ」

 戦おうとするのは、個人の意思だ。戦場で、死ぬ理由は色々ある。実力がなかった、運が悪かった、他にも色々とあるだろう。「みんなが死なないようにしたい」なんて吐き気がするくらい綺麗な理想事を連ねるつもりはない。だが、これだけは声を大にして言いたかった。

「だけど、兵を投入させたのは誰?
 罠を見抜けず、無駄死にさせ兵を消耗させたのは誰?……分からないなら、言ってあげる。それは、軍を率いる指揮官だ」

 兵一人一人は魔王軍の財産でもある。それを使いこなすのは、その軍を預かる指揮官だ。リクの部下も、それはリクが魔王軍から借り受けているだけに過ぎない。散財も無駄遣いも全て管理は、指揮官に委ねられるのだ。今回の場合、下手な作戦を決行した指揮官クラウトだった。止められなかったリクの責任もあるだろうが、最終的に出陣を決めたクラウトが被るべき責任だ。

「……ここは既に戦場です。黴臭い伝説ではなく、現実を見て采配を振るってください」

 リクは、それだけ言うとクラウトに背を向けた。
 クラウトのその周りの部下も、何も言ってこなかった。城壁を離れ、ヴルストを連れて真っ直ぐ駐屯所へ向かう。

「ちょっと……言い過ぎではありませんか?」

 いつの間にか隣にいたロップが、声を潜めて話しかけてきた。リクは前を向いたまま

「あれくらい言わないと、罠に慎重にならないわ」

 とだけ言った。
 確かに、領主であるクラウトの方が上官だ。敬語を使わずに少し言い過ぎた感は否めない。少し勢いに任せて言ってしまった部分もあるが、あれくらいが丁度良いのだろう。
 これで、少しはましな采配を振るうことになるよう期待したい。

「まぁさ、あれで1万か2万は削れたんじゃねぇか? 敵の士気も下がっただろうし、これは勝ち戦だぜ!」

 ヴルストは腕を頭の後ろで組むと、嬉しそうに鼻歌を歌い始めた。
 2万は大袈裟だろうが、士気が削れたのは間違いないだろう。勝ちに酔いしれていた時に、突然地獄が降臨したのだ。あの恐怖と対面して、士気が削れない方が不思議だ。

「まぁ、確かに初戦は勝ちね。撤退が早かった分、損害はないわ」
「豚は損害に含まれないんですか?」
「あれは勝つための兵器よ」

 ロップの問いに、リクは何でもないように答えた。
 気が付けば、太陽が傾き、月が顔を覗かせている。そろそろ夜が来る。そんなことをリクがか考えていると、ヴルストはリクとロップの肩に腕を回した。
 
「なぁ、せっかく大きな戦果をあげたんだからさ、今日くらいは酒の一杯でもやらね?」

 筋肉のついた腕が、ぐいぐい首に絡んでくる。ロップはあまりに強く締められるので、目を白黒させている。リクはため息をつくと、腕を払った。

「駄目よ。勝ったからといって気を抜くわけにはいかないわ」
「はぁ? いいじゃねぇか!! 少しくらい酒飲んだってさ!!」
「ここは戦場よ。敵が報復してくるかもしれないじゃない」

 リクは、レーン砦に居た時のことを思い出す。
 あの砦を奪い返した後、気が緩んでしまったせいで突入が遅れてしまった。あの時、もう少し早くにミューズ城での戦いに気が付き、突入を決意していれば……もう少し早く決着をつけることが出来たかもしれない。バルサックのトードを更に痛みつけることが出来たかもしれない。
 例え勝利したからとはいえ、それは一勝しただけだ。それで、戦自体に勝ったような気分でいるのは違う。

「気を引き締めて、夜回りするわよ」

 ぶつくさ文句の言うヴルストと、解放されてホッと一息つくロップを引き連れて、リクはカルカタの見回りへと繰り出すのだった。




 生き残ったバルサック兵は、カルカタ平野に陣を張っていた。
 その数、およそ9万。1万も減ったとみるべきか、1万しか減っていないと見るべきか。前向きにとらえるなら後者であるが、ルーク・バルサックの場合は前者だった。

「決着も付けられなくて、しかも有能な人たちを殺してしまった」

 ゲームとは違う。
 ゲームにこんな展開はなかった。
 ゲームでは、三方ヶ原の戦いみたいに退魔師側の圧勝で幕を閉じるのだ。今頃は、復讐者だけど、どこか抜けているアスティ・ゴルトベルクを捕らえて、色々とあってハーレムに加わるイベントが始まる予定だったのに……何故、自分は部下を失い、敗走して、こうしてカルカタ平野に張った天幕で泣いているのだろう。

「僕の責任だ。僕が、僕が……」

 安易にゲームの通りに動いたのがいけなかった。だけれども、それで失敗するなんて思っていなかったし、ゲームの世界なのだから成功しない方がおかしいのだ。これは、いったいどうしてなのだろうか。どうして、こんなに思い通りに行かないのだろうか。
 ルークは頭を抱えて、唸りこんでいた。そんなルークに、マリーが優しく近づいた。

「若様、これを教訓となさってください。まだ若様は若く、無茶になりがちです」
「……マリー」
「今のままでは、命を落としかねません。
若様はバルサック家をお継ぎになる御方であり、いずれは退魔視界の頂点に立つ御方です。今は心を沈め、命を大事にしてください」

 マリーは、母親のように優しく包み込む。
 その優しさに、ルークは涙を溢した。マリーはゲームの中でも、どのヒロインよりも献身的に尽くしてくれた。これから、バルサックの頭首として、そして魔王と戦う勇者として自分は振る舞っていかなければならない。さらなる戦いが、この敗戦の後にも待っている。だけれども、いまだけは……マリーの胸に甘えていたかった。

「分かったよ、マリー……ありがとう」
「礼を言われる程でもありませんわ。
……それから、若様。マリーは1つお願いがございます」


 ルークからは視えなかったが、マリーの目は怒りに燃えていた。
 バルサックの誇りが魔族の攻撃……しかも、豚などという下等生物のせいで傷つけられたことに。
 そして、弟のように大切に育ててきたルークが、悲しみに暮れていることに。
 それら原因を作ったカルカタの魔族に対して、静かな怒りを燃やしていた。

「どうか、私に兵をお貸しください。ラク様から届いた秘策がございます」

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