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隷属の刻印
残酷すぎる願い
しおりを挟む伝えられたのは、残酷すぎる願いの言葉。
「言いたかったのは、それだけです」
アリストラムは目を閉じ、長い吐息をついた。
全てのわだかまりを吐露し、すっぱりと気が済んだのか。
思いなしかアリストラムの口調は軽い。それどころかいつも以上にくだけて、皮肉な笑いすらまぶされているように思えた。
「さて、と。そろそろ、この後どうするかを考えなくてはなりませんね」
ラウは言葉もない。ただ、時間だけが呆然と過ぎてゆく。
「いつまでもこんな暗い狭い怖い洞窟の中にいては、身体中に黴が生えてしまいます」
理知的な声が、うつろな山びこのように頭の上を通り抜ける。
だが、完璧な平静さを保ってみせていること、それ自体が、決して”弱み”を見せまいとする虚勢であるかのように思えた。
背筋が痛いほど緊張して、身体がこわばる。
いつもみたいに、尻尾をばたばた振って、言葉にできない気持ちを全身で伝えたいのに。
どうしてか、普段はまるっきし空気を読めない尻尾までが、針金のようにごわごわになって、おびえたふうに丸まってしまって、びくとも動かない。
うつむくラウの様子に、怖じ気づく表情を見て取ったのか。
アリストラムは息をつき、ラウの頬にかるく指先を当てた。
ラウは、ぴく、と背中をふるわせる。
「なっ、なに」
「そんなに怯えないでください」
「別に怖がってなんかないもん!」
「いつもの貴女らしくありませんよ」
ラウはアリストラムを見上げた。
いつもの優しいアリストラムがそこにいる。
アリストラムはふっと笑った。
「笑ってください」
「うん」
「ほら、立って」
「う、うん」
手を差し伸べられる。
ラウは、アリストラムの手を取ろうとした。
だが、眼に映ったのは、見慣れたちいさな子狼の手ではなく、血に濡れた、尖った爪を持つ狼の手だった。
自分で自分に怯え、手を引っ込める。
だが、逃げるラウの手を、アリストラムはやや強引に掴んで引き止めた。
「いいから」
ぐいと引っ張られる。
ラウは、引き寄せられるがままに、立ち上がった。
視点が高い。
まるで、椅子の上に立って並んだかのようだった。アリストラムと普通に背比べできそうだ。
眩暈がしそうになる。
封印の首輪をはめていた先日までは、子犬みたいにちっちゃくて、身体も子どもそのもので、どんなに背伸びしても、アリストラムの胸に手を届かせるのが精一杯だったというのに。
なのに、今は。
いつの間にこんなに背が伸びたのだろう。
アリストラムの顔が、びっくりするほど近くに感じられる。
あまりにも目線が近すぎて、ラウは思わずおどおどと目を泳がせた。
「おやおや。随分と背が高くなりましたね」
アリストラムは驚いたように眼を見ひらいた。ラウの頭を撫で、髪に指を梳き入れ、とがった耳に触れる。
「あ、あたしが、オトナになっちゃった……から?」
アリストラムの視線に気づいて、ラウはおろおろと口走る。
ほんのちょっと身じろぎするだけで、胸が、びっくりするぐらい重たく揺れて。
そんなふうになってしまった身体が、またひどく恥ずかしくて、後ろめたい心地にさせられる。
「いいのですよ。隠さなくても」
「でっ……でも……!」
ラウはちらちらとアリストラムの裸身に目を走らせ、とたんに顔を真っ赤にして、両手で自分の目を塞いだ。
「恥ずかしいんだもん……!」
「私は貴女の裸を見るのも、貴女に裸を見られるのも楽しいですよ?」
「アリスって……聖神官さまだったよね?」
「狼が細かいことを気にしてはいけません」
「着替えたいんだけど!」
「はい。どうぞ」
「……見ちゃダメ!」
「はいはい」
アリストラムは笑って眼を閉じる。
「仰せの通りに」
その隙に、ラウは、子どもの時に着ていたシャツの袖に何とか手を通した。前のボタンは全く合わせられない。仕方なく胸の下で裾を結び、肌の半分を隠す。
下に履くものは何とかなった。正直言うと、ズボンのホックもボタンも合わせられなくて、ほとんど露出狂みたいになっているのだが、何とかなったと全力で思うことにした。
アリストラムは素直に眼を閉じたまま、じっと立って待っている。
じろじろ見られているわけではない、と分かっていても、傍にいるだけで恥ずかしかった。
「もう、よろしいですか。眼を開けても」
「うん……」
ラウはおずおずと胸元を隠す手を離した。
「これからどうするの……?」
アリストラムは穏やかに笑って答えた。
「外に出ましょう」
とたんに、背筋がぞくりと冷えた。
「何で? しばらくの間、隠れてたほうがいいんじゃないの」
「駄目です」
アリストラムは指を鳴らした。
一瞬でその全身が光に包まれる。その光が晴れたあとには、元通り、完璧な装いのアリストラムが立っていた。
「えっ! 何そのずるい魔法! 自分だけ!」
「貴女に似合うサイズのドレスがあれば喜んでご用立てしますが」
「……もういいです」
ラウは、腰に手を当て、周りを見回すアリストラムを見上げた。
「レオニスがどっか行っちゃうまでここにいたほうが良くない?」
もし、また、レオニスに追われたら、今度こそ取り返しの付かないようなことが起きる気がする。
そんなことになったら──
「いいえ、駄目です。レオニスは放置できない」
だがアリストラムの表情は厳しいままだった。
「それはそうだけど……でも」
レオニスに冒涜されたミシアの姿を思い出してラウはぶるっと身体を震わせた。
嫌な予感がこみ上げる。
「ミシアを見捨てるわけにはゆきません」
ラウの考えていることを見透かしたのか。
アリストラムは闇の一点を凝視しながら、純白のコートの襟を立てた。
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