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聖銀の紋章

傲岸の眼

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「だから、誰に、何で、そんな」
 ラウは、ふと口をつぐんだ。

 背後から注がれる暗い視線。

 ぎりぎりと痛いほどの敵意が、背中へとねじ込まれてゆく。
 少しでも不穏な動きをすれば消される、と感じた。這いずる虫を踏みつけるのにも似た傲岸の眼。
 相手の懇願に何ら心動かされることもなく、ましてや、ひとしずくの憐憫すら、なく。
 決して相容れぬ──

 それは、敵だった。
 ラウは、おもむろに振り返った。
 無言で相手の姿を確かめる。

 妖輝な光を帯び、するどく切れ上がった鳩の血色の瞳。精悍に引き結ばれた薄い唇。同じ銀髪でもアリストラムのやわらかな色味とは全く違う、鋼のきらめきを振り散らすかのような鋭い色。
 銀。

 それは、銀の色だった。
 柔和さの欠片もなく、容赦なく、それでいて凄絶に美しい、顔。
 袖や襟元に金襴まぶしい紋章の飾り刺繍をほどこした純白の長い戦闘コートを尊大にまとい、聖銀《アージェン》の紋章をいただく十文字槍を手に携え。

「どこの薄汚い獣が嗅ぎつけてきたのかと思えば、下位のハンターか」
 聖武官の装いをした男は、ラウへと果てしなくも軽い侮蔑の一瞥をくれた。

 男は傲岸に手を振り払った。手袋にまで聖銀紋章が赤く刻まれている。
「そこをどけ」
 高圧的な、ぞっとする冷淡な声で命じてくる。命令し慣れた口調だった。

「この子は人間だ」
 ラウは首を振った。かろうじて言い返す。

「人間……? がか」
 聖銀の武官は冷ややかに嘆息した。侮蔑の言葉にミシアの表情がみるみるこわばってゆく。

 ラウはミシアを背後にかばった。喉の奥で唸りつつ男を睨み上げる。

「──なるほど」
 男はラウへの興味を一瞬にして失った様子で、ゆっくりと手を引いた。酷薄な唇を笑みの形へとゆるりと吊り上げ、わずかに首をひねって、ちらりと背後を蔑ろな仕草で流し見る。
 巨大な十文字槍のきらめく尖先が、つめたい風を斬り混ぜ、冷気の霧をたゆたわせながら旋回した。光の残像の弧を描いて空を切る。

「隠れていないで出てこい。臆病者」

 森の彼方を、白く潜む影を、槍でぴたりと指し示す。
 風が、凪ぐ。
 ラウは眼を押し開いた。杖飾りの音が、清浄に鳴りゆらめいている。
 静けさの御簾を払いのけるかのように、影はわずかに身をかがめ、何気なく下生えを踏み越えて近づいてくる。
「……同志アリストラム」
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